第1話 悪魔の棲む城 その四



 龍郎たちに用意された部屋は、二階の南向きの部屋だ。ロミオとジュリエットの舞台に出てきそうなバルコニーがついた客間。廊下に面するドアは一つ。なかに寝室が二つとリビングルームがあり、トイレと浴室が付属していた。完全にホテルの間取りだ。


 内装も豪華だが、比較的モダンになっている。アール・ヌーヴォーの壁紙にアール・デコ調の家具。ガレのランプ。

 だが、暖炉の上の壁には、それらに不似合いな竜の陽刻が飾られていた。そこだけ、バロック式だ。


 ドラゴンの間と呼ばれている。


「見ましたか? 青蘭がいましたよね!」


 龍郎は青蘭のことしか念頭にない。意気込んで尋ねるのだが、穂村と清美は首をひねった。


「そうだったかね? いつ?」

「わたしは見てませんねぇ。でも、いますよ。絶対です!」


 清美はなんだか珍獣みたいな言いかたをする。


「二階から、こっちをのぞいてたんです。どっかのバイヤーについてきたんだと思うんですが……」

「じゃあ、探してきたらいいじゃないですか。夜まで自由時間なんだし」と、清美は遠足気分だ。


「それもそうですね。鍵はたぶん、この部屋のですよね? 誰が持っていますか?」

「我々は盗られて困るような荷物はないだろ? パスポートとサイフとスマホだけ肌身離さず持っていればいい。部屋の鍵は寝るとき以外、あけっぱなしでかまわんだろう」


 穂村が言うので、龍郎は納得した。


「じゃあ、鍵はおれが持ってます。見取り図は置いていきますね」


 見取り図によれば、城は三階建て。地下が一階。本丸は二つにわかれていて、うしろ側にある別館は少し小さい。さらにその背後に塔があった。


 部屋の仕切りは描かれているが、そのすべてが使われている部屋なのか、空き部屋なのかまではわからない。


 龍郎たちが今いる場所には、アルファベットのDで始まる綴りが書かれている。おそらく、“ドラゴンの間”と記されているのだろう。ほかにも何室かそう言った綴りが目につく。


 龍郎はスマホで見取り図の写真を撮った。これで迷う心配はない。


「じゃあ、行ってきます!」


 キャリーケースを置いて、そのまま、部屋をとびだ——そうとしたのだが……。


「失礼。お話させていただいてもよろしいだろうか?」


 コンコンとノックする音がしたときには、すでにドアはあいていた。男が一人、そこに立っている。


 なにげなくふりかえった龍郎は、おどろいた。

 ものすごい美男だ。絵画のなかからぬけだしてきたのかと思う。金髪碧眼の白人で、二十代のなかごろくらいだろう。青蘭やリエルを見なれた龍郎でさえ、圧倒されるほどの美形だ。仕立てのよいスーツが文句なしで、さまになっている。


「えーと……どちらさまですか?」


 思わず日本語でつぶやく。

 男に通じているはずはないが、なんとなく察したのか、男は自己紹介を始める。ただし、ドイツ語だ。


「私は次男のヴィクトールです。あなたがたとビジネスライクな話がしたくて来ました」


 なぜか、意味がわかる。なぜだろうと不思議に思っていると、龍郎の背後で清美がスマホをかざしていた。音声認識で自動翻訳しているのだ。


(ビジネスライク……つまり、城の売買についてかな。それもそうか。彼らにしてみれば、遺産を受けとれるかどうかに、自分の一生がかかってるはずだ)


 金持ちのままで暮らしていけるか、無一文になるかの瀬戸際なのだ。それは必死にもなる。


 龍郎は本気で城を購入する気などなかったから、話をするだけムダだと思った。しかし、まだ悟られるのは早すぎる。せめて青蘭を説得してからでなければ。


 しかたなく、リビングルームのまんなかに置かれたシンプルなデザインのソファーを示す。


「どうぞ」


 ヴィクトールは満足そうな笑みで、席につく。長い足をさりげなく組むとき、香水の香りが、ふわりとただよった。


「あの、会話を録音してもかまいませんか? 今後の商談のために」と、清美が言いだしたのは、むしろ、合法にヴィクトールの姿を撮影したかったからじゃないだろうか。

 ヴィクトールがうなずくと、清美は二台めのスマホをとりだし、嬉しそうにカメラを、純金のような頭部に向ける。


 ヴィクトールがさっそく切りだしてきた。

「あなたはこの城にいくらの価値を見いだしますか?」


 龍郎は穂村をふりあおいだ。

 どうしたらいいんでしょうと目で問う。穂村が耳打ちしてきた。


「おそらく、全員に聞いてまわり、最高額をつけた相手と組むつもりなんだろう。平均的な値段を言っておけばいいんじゃないか?」

「なるほど」


 龍郎は考えた。ネットで事前に調べていた城の価格相場は六千万からその倍ていど。


(この人と組むつもりはないから、へたに高額を言わないほうがいいな)


 龍郎は「七千万ユーロかな。とりあえず」と告げた。

 ヴィクトールの表情は変わらないが、彼の希望するほどの額ではないだろう。ふうっと、かるい嘆息をつく。


「君、名前は?」

「タツロウ・モトヤナギ」

「タツロウ。君、まだ学生じゃないの? ほんとにその額を払える資産を持ってるのか?」


 違った。貯蓄額を疑われていた。しかも学生だと思われている。


「いえ。社会人です。ちゃんと貯金はありますよ。通帳は日本に置いたままですが」

「ふうん。維持費だけでも、毎年、その倍かかるが、買い取ったあとはどうするつもりなんだ?」


 龍郎は困って穂村を見た。そこまで考えていなかった。穂村がハハハと笑いだす。


「ホテルにするんだ。なあ、本柳くん?」

「そう。そうです。観光客向けの高級ホテル」

「では、そのホテルの経営に私を起用してくれないか? 共同経営者という形で。そう約束してくれるなら、私は君たちを選んでもいい」


 ずいぶん、あっけなく相棒になろうとしてくる。なんだか怪しい。裏があるのではないかと、龍郎は疑った。あのアラブの富豪が、龍郎より低い額を提示するとは思えないのだが。


「……考えさせてください」


 そう答えると、初めて、ヴィクトールの表情が変わった。キラリと青い目がするどく光る。でも、それは一瞬で、妖しい光は柔和な笑顔のなかに消える。


「ああ。かまわないよ。色よい返事を期待してる」


 美男子はムダにキラキラをふりまいて去っていった。


「……穂村先生。お城、買わなくちゃいけなくなりましたかね?」

「それも一興だ」

「いや、いらないんですけど」


 それにしても、最後の目つきが気になる。

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