第1話 悪魔の棲む城 その二



 その城は十三世紀に建立された。深い山のなかにあり、今でこそ城門前まで車道が通っているが、かつてはひじょうに不便な土地だったらしい。


 最初の城主が病死してから、悪いウワサが広まり、すぐにすたれて廃墟になっていたものを、二十世紀になって酔狂な大富豪が買い取り、人が住めるように再建したという。


 正式名称はドラッヘなんとかという舌をかみそうなもので、龍郎は早々に覚える気力をなくした。通称はリントヴルム城。リントヴルムというのはドイツの伝説の竜の名前だ。


 ドイツには二万もの城があるというが、そのなかでも有名なのは、シンデレラ城のモデルになったノイシュヴァンシュタイン城だろう。優美な白亜の城だ。そういうお城を想像していたものの、いざ、目の前にすると、まったく違っていた。


「うッ……迫力がありますね。清美さん」

「フランケンシュタイン城より怖いって、地元じゃちょっと有名らしいですよ。個人所有のお城だから、観光客には知られてませんけどねぇ」


 崖の上に巨人がしがみついているような頑丈で武骨な印象。太い塔が一つと黒っぽい石でできた本丸。それに渓谷にかかる橋がある。周囲には森しかない。外観はリヒテンシュタイン城に少し似ているだろうか。あれをもっとホラー調にした感じだ。


(……瘴気か? なんだか邪気が見える)


 見ためが古くさいせいばかりではない。なんとなく肌寒いような感覚を受けるのは、城にまといつく黒い念波のせいだ。何かがひそんでいると、ひとめでわかる。


「悪魔がいますね」

「そりゃあ、いるだろうな」と、穂村がかるく請け負う。

「何しろ、魔神がいると言い伝えられる城だ」


 ハッハッハッと高笑い。

 しかし、笑いごとじゃない。


「ほんとに、ここに青蘭がいるんですか?」


 答えたのは、清美だ。

「はいです。もう何度も見た夢ですからね。早く助けてあげないとですよ。ちなみに、わたしはこの夢のことを、美男城殺人事件と呼んでます」


 つまり、いつもの清美の夢のお告げだ。予知夢である。いきなりドイツへ行こうと言われたときは何事かと思ったが、よくよく聞くと、そういうことらしい。これまで、清美の予知が外れたことはない。


「殺人事件?」

「はいです。夜な夜な人が殺されるんですよ〜」


 なんで、そんなことを嬉しそうに言うのだろうか?


「まあ、いいです。青蘭がいるというのなら」


 あれほど探したのに見つからなかった。だから、清美の夢巫女の能力に一縷いちるの望みをかけてきた。もうこのさい、殺人事件でもなんでも来いという気分だ。


 意を決して、城へと続く唯一の道である架け橋を渡る。

 城は切りたつ崖の上に建っていて、その周辺は谷だ。つまり、城への出入りにはこの橋を使うしかない。


 清美の説明によると、この城は今、売りに出されているらしい。その買い手が一同に集まり、持ちぬしに交渉する内見会をひらくのだ。


 名乗りをあげる資格として、総資産額が五億円以上の人物、または団体、株式会社となっている。ドイツのお城の相場は、小さなもので六千万弱。大きなものでは二億円近くらしい。メンテナンスや維持費をふくめて五億の資産ということだろう。


 龍郎の預金は、以前に青蘭からもらっていた給料や危険手当、ボーナスで、この金額を満たしていた。青蘭が戻ってくるなら、貯金なんていくら使ってもいい。


 橋を半分ほど渡った。頑丈な石造りのメガネ橋だ。橋桁がキレイなアーチを描いている。


 ちょうどまんなかに来たときだ。とつぜん、足元を轟音がゆるがした。橋の下を列車が通りすぎたのかと思うほどの振動だ。


「うわッ。今のなんですか?」

「リントヴルムです」と、清美。

「えっ? リントヴルムって伝説の竜でしょ?」

「このお城には昔から竜が出るって言われてるんですよ」


 その伝承はすでに聞いている。さっき、穂村が話していた魔神というのも、それだ。しかし、龍郎は古い城によくある、おとぎ話のたぐいだろうと考えていたのだが。


「おそらく、谷を風が通りすぎるとき、反響でああいった音がするのだろう」


 そう穂村が言うので、龍郎も納得した。


 ようやく、橋を渡りきった。

 巨大な門がそびえたっている。門扉はひらいていた。広大な前庭が望める。紅葉した樹木がちょうど見ごろだ。まるで公園である。


 見ためは中世の城そのものだが、二十世紀にリノベーションされているため、中身はけっこう機能的なようだ。どこかにセンサーがついているらしく、本丸から人影が近づいてきた。


「いらっしゃいませ。日本からのお客さまですね。あなたが、タツロウ・モトヤナギ?」


 黒いスーツを着た三十代くらいの男だ。ひじょうに背が高く、黒髪で黒い瞳。だが、肌は白く、彫りの深い整った造作は西洋人のそれだ。おどろいたことに、とても流暢りゅうちょうな日本語であいさつを述べた。


「はい。本柳龍郎です。よろしくお願いします」


 龍郎のさしだす右手を男はかるくにぎった。白い手袋をはめている。いでたちからすると執事だろうか? 昔ながらの執事は本場のイギリスでも減少の一途をたどっているが、まったくいないわけではない。


「あなたは?」


 たずねると、男は形式的に口唇の両端をつりあげて笑みの形をとる。


「バトラーのナサニエル・クリムゾンです。こちらこそ、よろしくお願いいたします。お荷物、お持ちいたしましょうか?」

「いや、おれのはいいよ。清美さんのをたのみます」


 魔法使いっぽい容姿と名前をした時代錯誤のかたまりが、清美からキャリーケースを受けとる。清美の頬が少し赤らんだ。目が輝いている。きっと、相手が美男だからだ。


 執事に案内されて、龍郎たちは城内へ入った。ファサードの格子状の天窓から、ホールに光がななめにさしこんでいた。


 外から見たときは、城にしては小さいと思った。が、なかへ入ると、やはりそこは城だけに、そうとうに広い。高級ホテルのエントランスくらいはある。


 この城のどこに、青蘭がいるのだろうか?

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