第一話 悪魔の棲む城
第1話 悪魔の棲む城 その一
異国の地でいなくなった恋人を探し続けた。
だが、青蘭を発見することはできなかった。
ほんとうなら一生かけてでも捜索したいところだが、龍郎にはビザがないため、九十日以上、アメリカに滞在することができない。
青蘭がいなくなってから一週間がすぎたところで、龍郎は清美の言葉を思いだした。困ったことが起きたときには日本へ帰れと言っていた。電話をかけると、清美は言った。
「龍郎さん。わかってますよね? アメリカにはもう青蘭さんいませんから、日本に帰ってきてください」
「アメリカにいない?」
「そうです。大事な話があるんですよ。電話ではちょっと話せないので」
それでもまだ心残りではあったが、龍郎は帰国を決意した。
不安を押しころしたフライトのあいだ、どうやってすごしたのか、自分でも覚えがない。よほど、ぼんやりしていたのだろう。
ようやく見なれた我が家に帰ったとき、清美が玄関前で、両手をふっていた。それを見たとき、龍郎は不覚にも涙がこみあげてきた。
「清美さん。青蘭が……」
「はいはい。わかってますよ。さ、家に入ってください。フォンダンショコラができてますからね。熱々ですよぉ」
清美に手をひかれて座敷に入ると、魔王が二柱とカエルの妖怪が待っていた。つまり、穂村とマルコシアスとガマ仙人だ。甘ったるいチョコレートの香りが家中にただよっている。湯気のたつカップをそれぞれ夢中ですくっている。
「おかえり。本柳くん」
「ガウガウ」
「龍郎殿。大義であったな」
あたたかい日常の風景。
そのなかに自分だけ帰ってきたことが、たまらなく、うしろめたい。室内には青蘭のぬいぐるみがたくさんならんで、持ちぬしの帰りを待っているというのに。青蘭が溺愛するユニの目には涙が光っている……ように見える。
龍郎が立ちつくしていると、ガマ仙人とマルコシアスが両側から手をとってすわらせる。マルコシアスは手をとってというよりは、かなり乱暴に鼻面でつきとばしてきた。
「ガウガウ!」
何やら怒っている。人語が話せるくせに、犬の鳴きマネしかしないのは、そのせいだろうか?
それも、いたしかたない。マルコシアスは青蘭がまだ天上の天使だったころ、ひそかに慕っていた。その想いを今でも大切にしている。そして、それだけの理由で龍郎たちに手を貸してくれているのだ。
「青蘭を探せだせなくて、すみません」
龍郎が頭をさげると、まだチョコレートの流動体をスプーンでしゃぶっている穂村が、あいているほうの手をヒラヒラさせた。
「まあまあ。顔をあげなさい。いつか、こうなることはわかっていた。君があの三つのなかで選ぶとしたら、その答えしかないだろう?」
どういうわけか、龍郎がくだした選択を、すでに穂村は知っているらしい。
すると、ふすまがあいて、清美が盆にカップを載せてきた。
「はい。龍郎さんのぶんですよ。あったまりますから、食べてください」
まだ十月の初旬だ。言うほど寒いわけではないが、疲れていたのだろう。言われるがままにケーキを割って、トロトロのチョコレートをすすると、妙にお腹にしみた。
そう言えば、このところ食欲がなかった。こうしているあいだにも、青蘭が危険なめにあっているのではないかと思うと、食事もろくにとれなかった。
「ありがとう。美味しいです」
「はいはい。落ちこんだときはチョコにかぎりますからねぇ。じゃ、今日はタコパしますから、そのあとはゆっくり休んで、ドイツ行きにそなえてください」
善意が骨身にしみるなぁと、ほろ苦いショコラを味わっていた龍郎は、そこで何やら得体の知れない言葉を聞いたように思う。
「…………ちょっ……と待ってください。タコパはわかりますよ? お好み焼きやたこ焼きみたいな焼き物は清美さん、得意ですからね」
「たこ焼きはスイーツのうちです!」
「でも、今、なんか変なこと言いませんでしたか?」
「えっ? 別に言ってませんよ? チーズやお餅を入れても美味しいんですよねぇ。キヨミン、買い出しにも行ってきました」
ハッハッハッ、私が車で送ったんだよと合いの手を入れる穂村を無視して、龍郎はさらに問いつめる。
「いや、だから、タコパはいいんですよ。そのあと、ゆっくり休んでドイツがなんとかかんとか言いませんでしたか?」
清美はケロリとしている。
「言いましたよ?」
「えっ? ドイツですか? 今、アメリカから帰ってきたばっかりなんですけど……」
「悪魔の棲む城って呼ばれてるんですよ」
ダメだ。話にならない。
何かの罰だろうか?
自分の何が悪かったのだろうか。やはり、選択が間違っていた? いや、しかし、快楽の玉と苦痛の玉を渡すことはできない。あの場合、龍郎自身を選ぶしかなかった。
「あっ、大丈夫ですよ。飛行機のチケットは購入しときましたし、参加料も振りこんどきましたからね。キヨミン、仕事は早いんです」
「あの、すいません。清美さん。おれ、なんでドイツに行かなきゃいけないんですか?」
「えっ? 行かないんですか?」
「ガウガウ!」
清美ばかりか、マルコシアスにまで責めたてられてしまう。
「いや、まあ、理由があるなら行きますけど……」
清美はホッとしたようだ。
「そうですよね。青蘭さんがいるんですから。ラストチャンスですよ。必ず、とりかえしてきてください」
「えっ?」
「えっ? なんですか?」
「ガウガウ?」
「いや、ちょっと、マルコシアス。君、人間の言葉でしゃべってくれないか? わからないんだけど」
というか、人語を発しているのに、清美の言いたいことが理解できない。
翼の生えた巨大な狼が、ううと、うなる。
「愚か者め。おまえにはもう青蘭を任せてはおけぬ。が、このまま、みすみすと恋敵に奪われたままというのは見すごせぬ。せっかく清美殿が最後のチャンスと言ってくださっているのだ。さっさとドイツでも地球の裏側でも追っていくがよい!」
龍郎をかこむ全員が大きくうなずく。
「えーと……つまり、青蘭がドイツのお城にいると?」
「そうですよ。やですねぇ。龍郎さん。そんなのあたりまえじゃないですか」
あたりまえではない。いなくなったのはアメリカだ。ホテルにパスポートも置いたまま、姿を消してしまったのだ。
「わかりました。ドイツに行けば、青蘭に会えるんですね?」
「はいです」
なんだかわからないが、とにかくドイツへ行くしかないようだ。
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