君との攻防戦の話

そばあきな

君との攻防戦の話


 僕には、とある能力がある。

 勇者になって世界を救うことも、ヒーローになって誰かを救うこともできないちっぽけな能力を使いながら、今日も僕はなんとか生きている。




【パターン1:ゾンビが蔓延はびこる世界にて】




 ――時は二〇XX年、未知のウイルスによって世界は滅亡の危機に瀕していた。ウイルスに侵された者はゾンビとなり、別の者を次々と襲ってその数を着々と増やしていったのだ。

 いつから、どこから、どうしてこんな事態になってしまったのか。それは今となってはもう知るすべはない。ただ、ある日を境にしてウイルスに侵されたゾンビ達が現れ、瞬く間に人類を襲っていったのだ。噛まれた者がまた誰かを噛んでいく、正に地獄絵図と化したこの世界に、人類が対抗できる手段はもう残されていなかった。わずかに生き残った人類は、単独或いは集団で辛うじて無事な建物に立て籠もり、息を潜めて日々を過ごしている。助けが必要な場合は――と、テレビのニュース番組は、繰り返し同じ情報を流し続けていた。ある程度の状況を整理した僕は、テレビを消して教室を後にする。


 僕はというと、先ほどのキャスターの言葉でいうところの後者の集団タイプに属していることになるのだろう。封鎖された学校は、外からのゾンビの侵入を防ぐと同時に、中の人間をどこにも逃げられない閉鎖空間に追いやっているようだった。


 ポケットに入れたハサミの感触を一度確かめ、僕は三階の教室から一階を目指して歩いていく。万が一、ゾンビに襲われた時の対抗する武器としてハサミは心もとないよなと思いながら、僕は足を進めていった。



 ――僕は能力者だ。しかしその能力がこの世界で役立つことは一生ないだろう。もし僕の能力が、普通の人の何倍以上も力のある怪力だとか、はたまた手から火が出て敵を一掃できるだとか、そういうゾンビたちに太刀打ちできるような能力だったなら、今置かれている状況も変わっていたのだろうか。ここで「もし」を唱えても、この状況が変わる訳でもないのだけれども、そんなことをぐるぐると考えている。


 靴の底でガラスの破片を踏む音があたりに響く。ありとあらゆるガラスが割られ、あちこちに破片が散らばっている廊下を歩きながら、僕はゾンビのいない時の学校の様子を思い浮かべていた。多くの生徒が行き交い話し声で賑わっていたはずの廊下も、今はもう見る影もない。誰とも会わないまま廊下の突き当たりまでたどり着き、僕は近くの階段をそのまま下っていく。途中の階段の踊り場に設置された鏡に僕の姿が映り込み、自然と視線がそちらに向いた。

 窓ガラスに映り込んだ自分の顔は、今この場が穏やかに眠れる状況ではないにしても、ゾンビと誤解されてもおかしくないほど顔色が悪く見えた。近くに誰かがいなくてよかった、と思う。これでもし、誰かにゾンビと間違えられて攻撃を受けたとしても、僕の顔色が悪すぎるから仕方ない、正当防衛だと片づけられてしまいそうだった。残念ながら、これがいつもの僕の顔つきなのだからどうしようもない。相変わらず色白で、今すぐにでも貧血で倒れてしまいそうな顔から目を逸らし、僕は階段を一段一段下りていく。



 僕が内心毛嫌いしているアイツは今どこにいるのだろうと、ふと考える。常に隈がある体調不良顔の僕と違い、イケメンの擬人化のような整った顔のアイツも、この場のどこかにはきっといるはずだ。ここで鉢合わせたら、アイツは僕を見てゾンビだと誤解するだろうか、それともちゃんと僕だと認識して、いつもの如く信用ならない笑みを向けてくるのだろうか。


 興味はあったが、それで時間を取られてゾンビに襲われでもしたら元も子もない。なるべく誰とも会わないようにと再度願いながら、僕は最後の一段を下りきった。



 一階に下りると、距離が近くなったのかゾンビの声がクリアに聞こえてきた。ここからはいっそう気を付けて歩かなければいけない。特に窓からはなるべく離れておこうと思った瞬間、廊下の窓から腐った手が出て、僕は勢いよく反対側の壁に頭をぶつけてうずくまってしまう。声にならない悲鳴を押し殺して、僕はゆっくりと立ち上がる。



 ――なんで世界はこんなことになったんだよ、と思う。



 根暗顔で言っても説得力も何もないのだが、僕は昔からいわゆるホラーと呼ばれるジャンルが嫌いだった。だからこんな世界、地獄以外の何ものでもない。

 さっさと行ってしまおうと、僕は一度息をつき、なるべく駆け足で目的の場所へと向かっていった。



 逃げようと思えばいつでも逃げられる。終わらせることは、もっと簡単だ。それでも僕がこの場に留まり続けるのには理由がある。割と最低な理由であることは自覚しているけれども。



 長かった廊下もようやく途切れ、僕はようやく下駄箱の並ぶ玄関へとたどり着いた。こんな状況になって誰も靴を履き替えなくなって久しいのだろう、若干埃っぽくもあったその場所で僕は足を止める。

 ここのガラスも他の階と同様、無残に割られているが、未だにゾンビたちの侵入は許していないようだった。侵入されないよう、ありとあらゆるガラスの前に机や椅子を置いて固定しているからだろう。学校という場所が幸いしてか、玄関の扉は様々な教室から持ってきた机や椅子などで頑丈に塞がれている。さらにはガムテープで扉の施錠部分を塞いでいるという徹底ぶりで、ゾンビはおろか普通の人間すらも寄せ付けない程に、玄関のあちこちには机と椅子が積まれていた。これならきっと、外から学校の内部に侵入するのは難しいだろう。



 少しだけ観察して感心する。よくできている。さっさと行動に移しておこう。



 一度深呼吸をして僕は作業に取り掛かる。まずは二段重ねに積まれている机や椅子を、音を立てないように慎重にそっと下ろしていった。固定のために巻かれていたガムテープも、さっき適当なロッカーから拝借してきたハサミを使うことで楽に剥がすことができた。扉の施錠部分が見えてきた所で、僕はツマミを摘んでそのままゆっくりと回す。左手で軽く押すと、玄関の扉は簡単に開いた。

 ガラス越しでずっと目が合っていた、皮膚も所々溶け生前の面影なんてまるでない奴らに向かって、僕は微笑む。これでようやく、僕はこの場から逃げて安心することができる。





 そして、





 目を開けると、ガラスが割れていて荒れ果てた様子の教室――ではなく、机が綺麗に整頓された清潔感のある教室が目の前に広がっていた。まだ先生は来ていないのだろう、休み時間の教室はかなり騒がしい。

 窓側の後ろから二番目。最近新しくなった席で頭を覆うようにして寝ていた僕は顔を上げる。机に突っ伏していたせいで体のあちこちが痛い。大きく伸びをしていると、突然三つ隣の席のアイツが「うわあ!」と大声を出して顔を上げた。


 ――――――来た。


 大声を上げたことで周りの注目を浴びてしまったアイツは、頭を押さえながら端正な顔を歪ませていた。が、次の瞬間その表情もなかったことにし、周りに「大丈夫だよ」と告げて安心させようと試みたようだった。しかしあれだけの大声を出したのだから、どう見ても大丈夫ではなさそうである。それを心配してか、クラスメイトの一人がアイツに声をかけた。


「大丈夫か? 顔色悪いぞ?」

 その言葉に、アイツが少し苦笑したように表情を崩す。


「あー……分かる? 実はさ、凄いやばい夢を見て」

「へえ、何の夢?」

「ゾンビから逃げる夢。バリケード張って学校に籠っていたら、いつの間にか破られて……襲われる所で目が覚めた」

「うわー、マジで怖いやつじゃん」

「……思わず大声出しちゃった、ごめんね?」

「いいよ別に。夢でよかったな」


 なんだ悪夢かと納得してまた騒がしくなる教室の中で、僕は一人ほくそ笑む。




 どうやらアイツは、今日も悪夢を見たようだった。




 僕には、とある能力がある。他人の夢に干渉できる能力だ。しかし、そんな能力が世界平和に役立てられる訳などない。もし「役立てることができる」などと豪語する奴が現れたのなら、どうやって使うのか詳しく聞きたいくらいだ。そして僕の性格的にも、自分の能力で世界を救おうなどと大それたことを考える訳もない。

 だから今日も今日とて、大嫌いなアイツのうたた寝の邪魔をすることに力を注ぐくらいしか使い道がないままだった。



 この能力を使用するには、いくつか条件がある。まず、離れすぎている相手には使用することができない。せいぜい同じ教室内ぐらいまでの範囲が限界だ。次に、干渉する時には自分自身は眠ることなく意識を保たなければならない。寝てしまった場合、「対象の相手の夢」ではなく「僕自身の夢」に意識が切り替わる仕組みになっている。そして最後に、自分自身の夢には干渉できない。自分の夢に関しては、普通の人と同じように無意識のものになるらしい。


 それらの条件さえクリアすれば、僕は対象の相手の夢に干渉して、その中で意思を持って行動することができるのだ。


 ゾンビが街中に溢れている世界であろうが、平和すぎて退屈な世界であろうが、僕のこの能力が何かに役立つ日は生涯訪れないだろう。いくつか制限もある不便な代物だし、人の夢に干渉できるなんて誰かに言おうものなら気味悪がられるのがオチだろう。だから今日まで、この能力について誰かに伝えたことはない。そんな厄介な能力を最大限に使おうとした結果がこの嫌がらせだったりするのだから、完全に無駄遣いだとは思う。アイツと面と向かって会話をすると鳥肌が立ってしょうがないとはいえ、我ながら性格が暗すぎると思う。入学式に初めて会った時に感じた不信感が邪魔をして、今やクラスメイトのほとんどに好かれているはずのアイツを、僕はどうにも好きになれていない。声を掛けられたら挨拶するし、会話だってつつがなく行なっているつもりだ。


 ただ、僕にはアイツがどうにも信用ならない。


 その一点だけで、明日もそのまた次の日も、きっと僕は他に全く役に立たないこの能力を使うのだろう。ホラーが苦手だからもうゾンビの夢なんて見るなよとは思うけど、夢なんて相手の勝手なんだから文句を言ったってしょうがない。おかしいのはその夢に干渉できる僕の方なのだから。それにしたって、ホラーの夢を見る頻度が高いのはいただけないけれど。前日に干渉した時は呪われた館に閉じ込められ、その前は森の中でホッケーマスクの殺人鬼に追いかけられた。後者の方はなんだかどこかの映画で見たことがあるような気もする。何にしろ夢にしては設定が細かすぎる。僕自身、夢だと分かっているのに時々リアルのことのように錯覚してしまうほどだった。

 先ほどまで見ていたゾンビたちの姿を頭から追い払い、僕は横目でアイツの様子を眺める。クラスメイトに囲まれ、笑顔で応対するアイツは、当然のようにクラスの人気者だ。


 この学校生活で、誰を敵に回すべきではないのか。それくらいの分別は、僕にだってちゃんとついている。だから、僕は表立って「アンタが嫌いだ」なんて口にしない。これからも密やかに、僕はアイツに裏で嫌がらせをしながら、表向きは友好的なクラスメイトとして接していくのだろう。


「……てか、お前この間から悪夢見すぎじゃね?」


 ふいに、先ほどアイツに声をかけていたクラスメイトの声が耳に入ってくる。どうやら彼らは、アイツが起きて随分と経った今も尚悪夢について話していたらしい。


「ホントにね。どうしてなんだろう……」


 アイツが不思議そうに首を捻っていると、クラスメイトの一人が余計な助言を伝える。


「休み時間に寝るのを止めろってことじゃないか?」


 それは困る、と思ったがそれは口にしなかった。僕がアイツの夢に干渉できるのは、実質この時しかないからだ。習慣にしているのか知らないが、アイツはいつも五時間目の休み時間に仮眠を取ることが多い。おそらく、一度仮眠した方が授業に集中できるからとかだろう。唯一そこの、アイツが仮眠する休み時間しか僕の能力は使用することができないのだ。


 そもそも、「相手の夢に干渉できる」なんて能力は、相手が眠っている時に立ち会わせていなければ成立などしない。つまり、学校で会うくらいでしか接点のない人間に対して使用したいのなら、相手が仮眠を取るとか保健室のベッドで休んでいるとか、もしくは気絶でもしていない限りはどうやっても無理なのだ。

 しかし、僕の嫌がらせができないという性格の暗すぎる心配は全て杞憂に終わったようだった。


「えー……? でも眠いからなあ……」


 困り顔で答えるアイツに、クラスメイトが「おいおい」と呆れたように笑う。

 どうやら今後も、仮眠は引き続き行うことに結論付いたらしい。よし、と僕は心の中でガッツポーズをして一度息をつく。


 ――入学式の時、どうしてアイツを見て恐ろしく思ったのか。その理由は、今でも分からない。ただ、僕は平穏な学校生活が送れるよう、クラスで人気者のアイツを嫌っていることは、これからも完全に隠して友好的に接していかなければいけないだろう。


 頬杖をついてそんなことを考え込んでいると、タイミング悪くアイツと目が合ってしまった。綺麗な顔で微笑まれる。僕もにこやかに笑い返した。やっぱいけ好かない奴だ、なんて腹の内では思いながら。



 ――いつか、その仮面を剥がしてやる。



 僕は、一分の隙もなく精巧に作りこまれたアイツの仮面が剥がれる様を、この目で見たくてたまらなかった。



 そんな思惑を隠しながら、次の授業が始まるのを待つことにして僕はゆっくりと目を閉じた。






 ――――――――――――――――――――――――






 俺には、とある能力がある。

 世界なんて変えることもできないまま、今日も俺はつつがなくその日その日を生きている。



 ――時は二〇XX年、未知のウイルスによって世界は滅亡の危機に瀕していた。ウイルスに侵された者はゾンビとなり、別の者を次々と襲ってその数を着々と増やしていったのだ。

 いつから、どこから、どうしてこんな事態になってしまったのか。それは今となってはもう知るすべはない。ただ、ある日を境にしてウイルスに侵されたゾンビ達が現れ、瞬く間に人類を襲っていったのだ。噛まれた者がまた誰かを噛んでいく、正に地獄絵図と化したこの世界に、人類が対抗できる手段はもう残されていなかった。わずかに生き残った人類は、単独或いは集団で辛うじて無事な建物に立て籠もり、息を潜めて日々を過ごしている。助けが必要な場合は――と、繰り返し同じ情報を流し続けていたテレビを消し、彼は教室を出ていく。一人教室に残された俺は、消されたニュース番組に一度思いを馳せた後、なるべく勘付かれないように注意を払いながら彼の後を追っていった。


 ――――他人なんて、恐ろしい存在でしかない。どんなに善人に見えても、裏でどんなことを考えているかなんて分かったものではない。


 例えば、そう。今目の前を歩いているクラスメイトの彼だって。表向きでは友好的に接してくれていたが、裏ではこうして、俺の夢の中で悪事を働いていたのだから。




【プラン一:ゾンビが蔓延る世界にて】




 俺には、とある能力がある。自分の想像通りの夢を見ることができる能力だ。

 普通、夢と言ったら無意識だ。見ている本人が好きに決めて見られるものではない。しかし、俺の能力では意識的に夢の内容を設定することができるのだ。眠る前に時、場所、人、そしてそこで起こる事象などを決めることで、その通りの夢を見ることができる。その能力のおかげで、俺は悪夢と呼ばれる類の夢を今まで見たことがなかった。そして、能力のことを考えるなら、これからも悪夢なんて見ないはずだった。


 その前提が、たった一人のクラスメイトによって壊されたのは、つい最近のことだった。


 ガラスが割られ、風通しの良い廊下を彼は猫背気味に歩いていく。その後ろを歩きながら、俺はあたりの景色を冷静に眺めていた。

 昨日DVDを借りて予習した甲斐があったな、と思う。荒れ果てた建物の様子やゾンビのリアルさは、昨日見た映画でかなり補強されただろう。


 ――昔さ、言ってたよね。怖いやつ苦手だって。


 前を歩いている彼の表情が見えないが、内心では相当参っていることだろう。なんせここ三日ほど全てホラーの夢なのだから。「ねえ今どんな気分?」と煽れないのが本当に残念だ。俺のイメージが悪くなるから絶対にやらないけれど。

 廊下の突き当たりまでたどり着いた彼は、近くの階段をそのまま下っていく。その後ろを歩いていると、踊り場の鏡に視線を移した彼が、不機嫌そうに眉をひそめた。


 ――しまった、鏡のことを忘れていた。


 慌てて俺も鏡を確認してみるが、姿。自分の姿が映り込んでいないと分かった今、彼が何を気になったのかは分からなくなかったが、ひとまず安心する。

 姿。どうやらちゃんとその設定は生きているらしかった。どう考えてもイカサマだけど、俺はそんなイカサマすらも難なく実行できてしまう。


 夢の中でなら、何をしたって自由なはずだ。内容によってはサイテーだと捉えられても仕方のない主張であるけど、俺にとってはそれが確固とした事実の上で成り立っているのだからしょうがない。


 初めて自分の能力に気付いた時のことは、もう思い出せない。ただ、その時の俺はリハーサルやシミュレーションを行う場所を欲していたような気がする。失敗なんてして、他人に弱みを見せたくなかった。だから俺は、夢の中で同じ舞台を作ってはそこでよく予行練習を行っていたのだ。その舞台が打ち砕かれた時、全部終わると思っていた。でも、終わらなかった。人生は長い。そんなことで終わるわけもなかった。そして今日も俺は、嫌がらせを知った今でも彼の侵入を許している。


 彼はしばらく自身しか映っていない鏡を眺めていたが、ふいと視線を再び逸らし残りの階段を下りていく。

 最後の一段を下り切って、彼が一階に足をつけた瞬間、廊下の窓から腐った手が出てきた。そういえばこんな仕掛けもしていたんだっけか、と思い出す俺をよそに、彼はびくりと身体をはねさせる。よほど驚いたのか、その勢いのまま彼は反対側の壁に頭をぶつけてうずくまってしまった。


 ――こんな調子で大丈夫かよ、と思う。


 前に聞いたことがある。ホラーは苦手だと。その時は「その顔でかよ」なんて、周りに笑われていたっけ。だから今回の夢に出てくるゾンビも、その前に見た呪われた館の怪奇現象や、ホッケーマスクの殺人鬼だって、彼にとっては恐怖以外の何物でもないはずだ。それでも逃げ帰らずに俺への嫌がらせを遂行するあたり、よほど俺は彼に嫌われているのだろう。

 理由は正直、何も思い当たらない。そもそも高校で初めて知り合った人に嫌われる覚えなんてない。俺が覚えていないだけで、どこかで会ったことがあるのだろうか。確固とした根拠もないのに、突然「昔どこかで会った?」なんて、どこぞの恋愛マンガみたいなことを尋ねても怪しまれるだけなので言わないが、正直それを実行してもいいくらいには俺には思い当たることがなかった。

 目の前の彼は、せっせと玄関のバリケードを壊すことに勤しんでいる。やはり大変な労力だなと思う。周りの男子よりも一回り小柄で、見た感じ力もなさそうな彼がやるにはキツいだろうに、何がそんなに彼を動かしているのだろうか。


 分からない。理解ができない。だから俺は、今日も彼を泳がせている。


 ようやくバリケードの一部を崩すことに成功した彼は、扉の施錠部分のガムテープを剥がし終え、扉をゆっくり押し開ける。


 ――ああ、今日も彼によって俺の夢は悪夢にされてしまったようだ。


 彼の姿が消え、ゾンビが一気に玄関から中に侵入していく様を、俺はじっと見つめていた。でも、さすがにこれは不平等だなと、ゾンビに俺の姿を無視されている世界で小さく息を吐く。


 やはり、対等な立場でなければゲームは面白くない。


 次はちゃんと、透明化だとかそういうイカサマは使用せず、対等な状態で挑もうと心に決めて、俺はたった今悪夢を見たかのような大声を上げて、夢から覚めた。起き上がって頭を押さえていると、「大丈夫か? 顔色悪いぞ?」と近くのクラスメイトが声を掛けてくれる。


「あー……分かる? 実はさ、凄いやばい夢を見て」

「へえ、何の夢?」


 クラスメイトの言葉に、俺はつつがなく返答を行っていく。


「ゾンビから逃げる夢。バリケード張って学校に籠っていたら、いつの間にか破られて……襲われる所で目が覚めた」

「うわー、マジで怖いやつじゃん」

「……思わず大声出しちゃった、ごめんね?」

「いいよ別に。夢でよかったな」


 周りも納得して、再びいつもの休み時間に落ち着いていく。

 彼は心の中でしてやったとでも思っているのだろうか。

 直接尋ねられないのが本当に残念だ。


「……てか、お前この間から悪夢見すぎじゃね?」

 クラスメイトとの雑談はまだ続く。


「ホントにね。どうしてなんだろう……」


「休み時間に寝るのを止めろってことじゃないか?」


 クラスメイトの的を射た言葉に、俺は曖昧に笑う。

 その悪夢すらも俺が望んで見ていることは、嫌がらせをしている彼すらも知らない。


 例の三つ隣の席の彼を頭に思い浮かべる。怖がりのくせによく立ち向かったものだ。彼の行動はいつも予想がつかない。予定調和であるはずの俺の夢の中では、彼の存在だけが異分子であり、平穏だったはずの夢はことごとく壊されてしまっているというのに。


 ――どうしてこんなに心が揺さぶられるのだろう。


 その理由が分からない今はまだ、俺は彼に能力を明かさない。ただ舞台を用意してあげるだけだ。彼が能力の前に俺のことを面と向かって「嫌いだ」と言ってくるなら、他の手を考えてやらないでもないけれど。


 視線を感じた気がして横を見ると、席をいくつか隔てている彼と目が合った。俺が微笑みかけると、彼もまた微笑み返してくれる。これだけ見ると、彼が俺のことを嫌っていることを微塵も感じさせないのだから凄いものだ。



 さっきまで机に突っ伏して寝ていたと周りに思われている彼が、実は狸寝入りをしていたことを、俺だけは知っている。でも、それはまだ言わない。




 だって、「君」との攻防戦は面白いからと、俺は一人思いを馳せていた。








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