嘘
私が会社を辞めたのは、別れた彼と顔を合わせるのが辛かったし、未練がましく彼を思う自分を見られたくなかったからだ。次の会社に就職した後、私は前の職場の人達とは一切連絡を取らなかった。会えば彼の様子を探ってしまうし、どうしても思い出してしまうから。彼と繋がる糸口を見つけたら、飛び付いてしまいそうで怖かったんだ。
それなのにこんな所で会うなんてー‥
「元気だった?」
声をかけられたとき心臓が止まりそうだった。ずっと見ないように、考えないように遠ざけていた彼が目の前にいる。新しい職場にも慣れて、やっと心が安定してきていた所なのに。なんでこんなタイミングで。
「‥おい、大丈夫?」
「‥大丈夫。なんでこんなところにいるの?」
「たまたま、仕事の帰りだよ。タバコ切れてコンビニ寄ったからさ。」
「そう‥じゃ、私もうすぐ家だから。」
「ちょっと!‥少し話せない?乗れよ、車。」
助手席のドアを開けて彼が言う。
「‥いいけど、すぐ帰るよ。」
車に乗ると、久しぶりに彼の匂いがした。セブンスターと柔軟剤が混ざった、私の好きだったあの匂い。嗅覚は記憶に直結しているというけど、本当なんだなあ。封印していたはずなのに、次々に思い出してしまう。思い出したくなんてないのに。
「話ってなに?」
「そんな急かすなよ。タバコ吸っていい?」
「どうぞ。‥私もいいかな?」
「どうぞ。」
車内がゆっくりと煙で満たされていく。沈黙が長く続いて耐えきれなくなった私は彼を見た。ばちり、と目が合う。ぱっと目をそらしたその瞬間、視界が反転した。
「んっ‥」
押し付けられた唇。座席を倒されたせいで身動きが取れない。嫌がる私のあごを捕まえて、もっと深く彼は口づけをする。
「‥はっぁ、やめてよ!いきなりなんなの?」
無理矢理肩を押すと、彼と目が合う。
「‥ごめん。でも俺お前が好きなんだ。お前が会社辞めてからずっと忘れられなくて。あの時は本当にごめん‥でもどうしようもなかったんだ。」
「離して!」
彼を押し退けて無理矢理体を起こす。心臓が震える。彼を抱きしめたくて仕方がなくて。でも私は知っている。この恋がどのくらい不毛な恋なのか。その代償で私は色々なものを失った。一番大事な彼ですら失ったんだ。繰り返す訳にはいかない。何を期待して車に乗ったんだろう。
いくら好きだってここから何も生まれないことくらいお互い分かっているはずなのに。
「私‥私はあなたのことはもう好きじゃない。恋愛したことは、私の人生の汚点だったと思ってる。会社を辞めたのも別にあなたの為じゃない。全部忘れて、別の所でやり直そうと思っただけよ。」
すべての恋が終わるとき もりぴよ @morimoripi
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