人形
この真っ白で殺風景な部屋に監禁されて、どれくらい経っただろう。時々、私たちに繋がれているよくわからない機械を誰かが見ていく。バインダーに何か記録を取り、また出ていくという毎日がもうずっとだ。満足に食事も与えられないし、水もない。腕から点滴のようなものが付けられているから、きっとここから死なない程度の栄養が送られているんだろう。
一体どうしてこんなことになったんだろう。もう長いことここにいるから、記憶が曖昧だ。ああ、逃げ出したい。頭がおかしくなりそうだ。
「‥大丈夫か?」
声をかけられてはっとする。そうだ、私は彼と監禁されていたんだ。不安そうに見つめる彼に、私は笑って返す。
「大丈夫だよ。」
「そうか、良かった。‥今夜だぞ。」
「分かってる。監守がそろそろ来るから、夜まではお互い体を休めよう。」
そう、私たちは今夜ここから逃げる。ここは頑丈な檻ではないし、監守達は白い服を着たいかにも弱そうな者たちばかりだ。戦える武器は無くても、力でねじ伏せることは出来るかもしれない。私達二人にケガは無いし、健康状態も悪くない。
それに、ここにいても状況はいつか悪くなるだろう。
その前に彼と、逃げるんだ。
ここから遠くに、ずっとずっと遠くに逃げて彼と二人で生きていきたい。
深夜、監守が手薄になったところで私たちは動き出した。点滴を引き抜く。長く太い針が刺さっていたけれど、血も出なければ、痛みも感じなかった。拘束器具は無い。すぐにでも外に出られる。上手くいけばの話だけれど。
「‥なあ、おかしいと思わないか?」
ふいに、彼が言う。
「どうしたの?話している時間は無いよ。」
「僕らは捕まっているのに、殺される気配もなければ、拘束器具さえつけられていない。監守は少ないし、監視カメラもない。」
「‥何が言いたいの?」
「何か別の目的があるんじゃないのか。」
「別の目的?」
「ああ、そもそも何で俺たちはここにいるんだ?いつから捕まっている?どこから来て、どこに逃げようとしているんだ?」
「それは‥」
そうだ。言われてみれば私たちはここの記憶しかない。どこからか捕らえられたのなら、家族や友達の顔、日常生活の記憶がないとおかしい。でも、何も思い出せない。いや、思い出せないんじゃない。そもそもそんな記憶始めからなかったような気がする。なら、私たちは一体‥
「今は考えるのはやめよう。とにかく私はあなたと一緒に逃げたい。遠くまで逃げて二人の無事を確かめ合ったら、改めて考えよう。」
「‥そうだな。」
差し出された左手に私の右手が重なる。見つめあった私たちは自然と唇を重ねた。この人が好きだ。同じ気持ちでいることが、言葉を通さなくても伝わる。
その時、ばたんと大きな音がして扉が開いた。
「お前ら、何をしている!」
監守が何人も一斉に入ってきて私達を取り押さえる。その制止を振り切って彼が私の手を取り走り出す。
「行くぞ!」
無我夢中で走り出した私たちは、外に続く扉を見つけた。出れる。ようやく私たちは自由になれるんだ。
その瞬間、大きな銃声が私達を貫いた。
「あっ‥」
視界が反転して、倒れ込んだ先にあなたの左腕が見える。だめ、こんな所で終わりたくない。まだあなたのそばにいたいのに。精一杯伸ばした手があなたの指先に触れる。動かない。硬直した冷たい指先に、涙が溢れそうになった。
「‥っ。」
名前、あなたの名前を呼びたいのに声が出ない。かすれていく声と意識の中で私はぼんやりと考えていた。
あなたの、あなたの名前は何だった‥?愛しい人が目の前で死んでいくというのに、名前も思い出せないなんて。悲しい、悲しいよ。
「おい!やったのか?」
「ああ、間一髪だったよ。こいつらはもうだめだ。脱走するなんて知恵がつきすぎてる。廃棄処分だ。」
「ああ、そうだな。ったく、ロボットの脱走なんて前代未聞だぞ。」
「なんかこいつら手なんか繋いで恋人みたいだな。」
「はっ、こいつらに知恵はあっても心は無いよ。たまたまそう見えるだけだろ?手間かけさせやがって。さ、連れていくぞ。」
薄れゆく意識の中で、私は夢を見た。あなたと手を繋いで幸せそうに微笑む姿が、ずっとずっと遠くに見えた。そしてまるで電源が落ちるように真っ暗闇へと落ちて、私は二度とそこから這い上がれることは無かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます