2-06『All's right with the world』6

「いったい……何を言っているんだ、お前は?」


 結局、大輝は少女の声に応じてしまった。

 何かの罠とは思えないし――いや、たとえそうでも無視できる事態じゃない。


 もちろん状況は理解している。

 熾は今も、あのアダルベルトと名乗った男と戦っているはずだ。

 彼女の能力は大輝も信頼しているが、彼が見るところ魔術師同士の戦いは《初見殺しの応酬》を神髄とする。

 単純な強弱の測り合いではなく、致命打を先に打つ図り合い。


 それは、大輝が異世界で経験してきた戦いとは本質をかなり異にしている。


 大輝の知る戦いは文字通りに強弱を競った。

 肉体や魔法は、鍛えれば鍛えるほど常識を超えて成長するからだ。ステータスはゲーム的に上昇し、弱者の牙は通じなくなる。

 極端な話、異世界時代の聖剣を持っていた大輝であれば、その辺の拳銃や爆弾程度では直撃しようが平気だっただろう。

 弱者が強者に対し、戦力を覆す手段を所持しづらい。


 だが地球では違う。ある意味で当然だが、鍛えたところでHPや防御力はほとんど上昇しない。

 攻撃力だけが高い以上、お互いに一撃必殺を持ち得ることが戦闘の前提となる。

 どれだけ強かろうが、ほんの少しの気の迷いがそのまま敗北に――死に直結する。この世界の戦いに絶対という保証は存在しないのだ。

 するほうがおかしかった気もするが。


「お前が何を言いたいのかわからない。話がしたければ、まずは結界を解いてくれ」


 だからこそ、まずはこの状況をどうにかすることが先決になる。

 人払いさえ解除してしまえば、アダルベルトはもう熾に手出しできない。多くの人間がいるという状況は、それだけでもかなり大きな防御になり得るわけだ。

 だから大輝としては当然の言葉だったが、少女のほうは躊躇うように表情を歪めた。


「う……、そ、それは……」

「それじゃあ話にならないだろ。お前らはオレたちを殺しに来たんだよな」

「――えぇっ!? そ、そんなの知らないですよ!?」


 大輝の言葉に、少女は驚いた表情で口を大きく開けた。


 ……なんだかもうわけがわからない。

 アダルベルトの言葉はただのブラフで、殺す気などないということか?

 それともこの少女が、アダルベルトと意思の疎通ができていないということなのか。

 不可解すぎる。


「悪いがこっちは、いきなり一方的に襲われてるんだ。要求だけされても困る」

「え……いや、それは……」

「結界を解いてくれ。できないのか。それとも脅しで言ってるのか」

「そ、……それは、できません」

「――――」


 アダルベルトの仲間である以上、彼の目的に沿うということか。

 大輝にとっても惜しいが、熾の安全以上に優先する目的を持つ気はない。

 諦めて戦闘を考える彼に、少女のほうがぶんぶんと首を振って。


「あ、いえそうじゃなく! これそもそも、解除するとかそういう結界じゃなく!」

「何……?」

「人払いの結界とかじゃないんです! ここはそもそもそういう異空間で、あなたたちが中に迷い込んでいるだけなんです! 解除とかそういうのないんで、出ていくしかない」

「……………………」


 大輝は、地球の魔術に関する知識をほぼ持っていない。

 異世界で言う魔法に関しても、あくまで剣士であった大輝は詳細にまでは知らなかった。

 その理解で言えば、


「……迷路に迷い込んでるようなもの、ってことでいいのか? ここから出るにはゴールするしかない、というような」

「そ、そんな感じです。……あなたは魔術師では、ないんですか……?」

「オレが誰なのかも知らないで襲ってきたのか」

「お……襲うといいますか。わたしは、アダルベルトさんに用事があるって聞いて、その手伝いで《裂切さくらぎ》を展開しているだけというか……何をするかまでは、聞いてなくって」


 言いながら少女は、床に突き刺していた短刀をさっと抜いた。

 警戒しながら様子を窺う大輝に、彼女は告げる。


「すみません。とにかくこれで《裂切》の鍵は解きました。少し離れれば自然と出られるはずです。――あの! そんなことより、わたしからも聞きたいんですけどっ!!」

「……なんだ?」

「わ、わたしの顔についてです。この顔を、あなたは知っているんですか!?」

「…………」


 正直、どう答えればいいのか判断に困る質問だ。

 自分の顔を知っているか、という問いは普通なら自分を知っているか、という意味だ。

 そしてその意味なら、知らないとしか答えられない。

 彼女は大輝の知る少女とは違う。確かに顔こそ瓜ふたつだが、性格はまるで違ったし、何より住んでいる世界が違う。

 目の前の彼女がリル=リアハートでないことは確かだ。


 ただ、彼女はもちろん、そういう意味で訊いているわけではないだろう。


「……よく似た顔の知り合いならいた」


 だから大輝は、そう答えるべきだと判断して言った。

 そして大輝のその言葉に、少女は切羽詰まったような様子で喰いついてくる。


「ど、どこで!? どこの誰なんですかそれは!?」

「……悪いが答えてる暇はない。今のが、出る方法を教えてくれた礼だと思ってくれ」

「そんな――」

「身内がアダルベルトに襲われてるんだ。今この瞬間も。悪いが俺はそっちに戻る」

「――……っ!」


 そう言われては反論できなかったのだろう。

 少女は俯き、唇を噛んで言葉を止めた。

 大輝はそのまま、飛び込んできた窓のほうへと振り返る。

 が、結局一度だけ首を振って、それから再び少女のほうへ振り返ると。


「黒須大輝だ」

「え……?」

「名前だよ、オレの。あんたの名前は?」


 大輝としても、目の前の少女の素性は非常に気にかかるところだ。

 だから、これは単に情報源を逃さないための方策。そう自分に言い訳をして。


「わ、わたしは……瑠璃。千錐ちぎり瑠璃るりです。たぶん」


 ――たぶん。

 という謎の自信のなさが気にかかったが、深く訊いている余裕はない。


「千錐……瑠璃、か。わかった」

「あ、あの?」

「話があるならこれが済んだあと、普通に会いに来てくれ。それならオレも応じられる」

「……いいんですか?」


 その問いには答えなかった。言うべきことは、もう全て言ったと自覚している。

 だから大輝は、今度こそ窓際へ戻ると、そのまま外へ身を放り出す。五階からの投身も大剣を持った状態でなら問題なかった。

 道路の舗装を蹴り、来た方向へと引き返す。


 ――今の大輝が持つ《意味》は、大きく見做せばふたつしか存在しない。


 ひとつは、もちろん熾の助けになることだ。この世界で生きる意味を、大輝は熾というひとりの少女に見出している。

 だから、最優先すべきは彼女のために動くこと。


 そして、けれどもうひとつは。


 本当はいるべきではないはずのこの世界から、別の世界へと移動すること。

 そのための情報源なら、逃すわけにはいかなかった。




 ここはあくまで、自分という黒須大輝が生まれた世界ではないかもしれないのだから。



     ※



 炎を恐れる熾火の魔女――。

 それが、アダルベルトが熾を指して表現した言葉だった。


 誤解のないようあらかじめ言っておけば、熾が火に対し人並外れた恐怖を感じるということはない。

 少なくとも、見ただけで動けなくなるようなトラウマではなかった。

 事実、渡会一也と彼の連れた《魔王》との決戦で、彼女は火の魔術を扱っている。


 ――問題はそれだ。

 熾は確かに、あの火炎の魔術を好んで使いたくはなかった。単純な破壊性能だけならば純黒を凌駕するそれは、父・鳴見灼から教わった罪を浄化する贖いの熾火。

 最も得意とする魔術でありながら、使うたびに原因不明の頭痛を覚えるそれを、彼女は普段ほとんど使うことがない。戦いのための魔術など、そも頻繁に使うものではないが。


 なぜなのだろう。

 使うと、どうしてか気がして。


 だから熾は、戦闘に際して魔女術に頼ることが多かった。

 そして実際のところ、対魔術師を想定した戦闘は、基本的にそれで賄えてしまう。


「……さすがと言うべきか」


 小さく言葉を零すアダルベルト。

 そう、それは相手が異能者であろうと実のところ大差はない。

 熾の操る純黒の根本原理は《隔絶》だ。元来、何をも寄せつけることのない力。

 今、それはアダルベルトが操る灰色の炎によって防がれてしまっていた。


「――――」


 言葉は発さず、油断なく熾は身構えている。

 実際、純黒を焼かれたのは最初の一回だけであり、それ以降のアダルベルトはほとんど防戦一方だ。

 純黒が揺らぐのは熾の精神的な問題であって、彼の狙いもそこにあった。


 熾とて魔術師である。

 冷静さを取り戻すことができれば、その理屈にはすぐに思い至った。

 無論、それ以上の事実にだって。


「その灰色の炎は、わたしのことは焼くことができないんだね」


 なにせ熱量をほぼ感じない。熾はそれを指摘した。

 一方でアダルベルトも、そんなことはすぐにでも見抜かれると織り込み済みだ。


「ああ。私の炎は、炎で燃やせるものを焼くことはできない炎だとも」

「それで火を名乗るのは少し烏滸がましいんじゃないの?」

「魔女に火を語られては立つ瀬がないが。これはこれで便利でもある――このように」

「――――!」


 刹那、アダルベルトの姿がふっと掻き消える。

 否。そう錯覚するほどの自然さで、唐突に熾の背後へ現れたのだ。


 延髄を狙う手刀の一閃を、熾は前に跳ぶことで躱した。

 純黒の糸が強制する反射だ。

 前転するように空中で身を捻り、右手を地に突きながら逆立つ体勢を取る熾。


「《いばら》」


 そのまま弾丸のように左手から純黒の棘を射出する。

 アダルベルトは、それを炎ではなく体の動きで回避することを選んだ。

 今度は、それを避ける過程も目にできる。


 そのまま器用にアダルベルトへと向き直る熾だったが、なかなか厄介な相手だと歯噛みせざるを得ない事態だ。

 単純に、こちらの攻撃を身体能力だけで軽く躱されてしまう。


「……さすが、追放されるだけはある異能だよ」

「ほう? 異能者と戦ったことが?」

「いや、ほとんどないけど。そもそもこのレベルの異能者は、そうそういないでしょ」

「そこまで私の能力を見抜くことができたか」

「そうだね。少なくとも単純な空間転移ってわけじゃなさそうだけど」

「なるほど……それが見抜かれるだけでも厄介だが」


 異能力者の持つ異能などどれもこれも異常で理屈を無視するが、その不条理の中にも、それ自体に付随する条理はある。空間転移の能力に炎を使うなど解釈がわからない。

 炎を振るう異能であるなら、それは何かを《焼く》《燃やす》《灰にする》能力であると見做すのが自然だろう。

 だが普通、何を焼いたところで居場所を転移したりはしない。


 このように、目に見える形で発揮される異能は非常にレアだ。

 異能者なんてそもそもが希少だが、それでも大半は火や水を出すというような視覚化される形にならない、という程度の知識は熾にもあった。


 たとえば(熾は見ていないが)魔術師にして異能者でもあるダブルクロス――愛子憂が持つ《零落》の異能は、その異能の力そのものは目に見えない。

 それが多数派なのだ。

 ただ、この国にはがあり、その中のひとつは火に関係する異能者の集団だと聞いたことがあった。


「……確か火の異能は《螢守ほたるもり》の専売特許だったと思うけど」

「日本ではそうだがな。生憎、私自身はあの傭兵血族とはなんの関係もない」


 そして、それとの関係性をアダルベルトは否定した。

 熾としては助かる情報ではある。

 彼らがそもそも《追放連盟》である以上は問題ないと思うが、国内に七つある異能の家系と関わることは、できれば彼女もしたくない。


 それらは《名前を聞いたら逃げろ》が原則の、超常存在の集まりである。

 特に《螢守》には、単身で都市ひとつ滅ぼす鬼神がいる、なんて噂もあるほどだ。


「――む」


 と、そこで膠着する状況を崩すように、ふとアダルベルトが顔を上げて言った。

 目を細める熾に向き直り、彼はすっと戦闘の構えを解いて。


「時間切れか。どうやら《裂切》が解除されたようだ」

「……」


 ――さくらぎ、とやらがなんのことかは不明だが、おそらく大輝の成果だろう。


「威力偵察としては充分な戦果だったと、今回は思っておくとしよう」

「……逃げるってこと? 私をここで殺すとか、偉そうに宣言してた気がするんだけど」

「元より魔女を一度で殺せると思うほど自惚れてはいない」


 アダルベルトは熾の挑発を軽く受け流して言った。

 熾としては正直、逃がしたくはない。彼の宣言が撤回されたわけではないのだ。

 だが、あの能力で逃げに徹された場合は、捉えられる気がしなかった。

 この手のことは、基本的に襲撃側が圧倒的に有利だ。撃退に回る熾は、その時点で不利を背負わされる。

 ――そして。


「何、楔は打たせてもらった」


 アダルベルトは言った。

 目を細める熾に、彼はあくまでも静かな口調で。


「何、を……」

「ただの布石だよ。投じておくことに意味のある布石だ。私もただで死ぬ気はない。なら紛れに期待するのも悪くはないという程度の話だ」


 と、そこまでを話した瞬間、気づけばアダルベルトの姿が視界から消えていた。

 周囲には気配もない。目を離してすらいないにもかかわらずだ。


「…………」


 正直、この能力で不意を打たれたら、対処しきれる気がしないレベルだ。

 裏を返せば、彼はという疑問に繋がる。


 そう――どうにも掴みきれないのはその点だった。


「……なんというか。本当に、私を殺すことが目的なのかな……」


 もはやその点からして熾には疑問に思えてきた。

 罠を張って待つのなら、もっと上等な誘い出し方はいくらでもあるだろう。不意打ちにしてはあまりに半端だ。

 どうにも、アダルベルトの目的が熾には掴みきれなかった。


 しばらく考えてはみるものの、答えらしきものは浮かんでこない。

 確かなことは、この襲撃はまた繰り返されるだろう、という点だけだ。


 ――結局、これからするべきは対応を考えることである。

 どうあれそれは変わらない。


「熾っ!」


 と。そこで通りの向こうから声がした。

 こちらに駆け寄ってくる姿。ちょっと速すぎるくらいの速度で大輝が走っていた。


「……剣持ってるだけで頼りになりすぎるな、大輝……」


 熾は思わず苦笑する。

 ただその姿を見ただけで、心から安堵している自分にはあまり自覚しないままで。




 ――それが、今回の事件の始まりだった。

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