2-05『All's right with the world』5
自らへ向けて放たれた鋭い貫手。
当たれば心臓を間違いなく貫通したであろうそれを、だが熾は《純黒》を纏わせた右腕によって払った。
攻撃が通じなかったことを悟ったアダルベルトの動きは早く、ほとんど時間を巻き戻すかのように背後へと戻っていく――否、戻っている。
その行動には《過程》という概念がない。少なくともそのように熾には見えた。
単純な身体能力や技術ではなく、おそらくは何かしらの神秘によるもの。
動きが始点と終点だけで、途中がない。たとえるなら動画の一部をカット編集したかのようだった。
「正直、驚いた。魔術師は大抵、近づかれると脆いものだが」
特に驚いた顔も見せずにアダルベルトは言う。
「この程度の護身術、女子の嗜みってもんだっつの」
確か同じことを大輝にも言ったっけ、と近い昔を思い出す熾。
とはいえさすがに韜晦だ。
つい先日までの熾なら死んでいた可能性のある攻撃だった。
これは熾の、というより多くの魔術師に共通する弱点だ。
魔力に耐性のない人間が相手ならば、ほぼ一方的に優位に立てる《魔術》という反則を持つゆえの、ある種の驕り。
魔術師を殺すならば、魔術を発動されるよりも早く先制の速攻で潰しておく。
対魔術師想定ではセオリーである。どれほど強力で異常な神秘だろうと、発動するのが術者当人である以上、機先を制することは可能だ。
極論、無警戒の魔術師ならば、一般人がナイフを刺すことだって可能なのだから。
それは裏を返せば、魔術師側もある程度の備えはするということだが、アダルベルトの速攻は生半可な警戒では反応できないレベルのものだった。
少なくとも護身術程度では。
これを覆したのが《純黒》による新しい技法だ。
あの決戦時、熾が目にした渡会一也の人形劇の魔術。自らの手足を操ることで、魔術による格闘戦を可能とする自己の人形化。
それを熾は《純黒》によって再現したわけだ。
「手足から薄く伸びているのは……糸か? まるで
「――――」
熾は答えを返さなかったが、アダルベルトの視点は的を射ていた。
そもそも見ての通りであると言える。
熾は《純黒》それ自体に魔眼を用いて《接続》を用いる手法を開発した。糸状にして手足に繋ぎ、肉体に神経反射以上の駆動を強いる。
熾の《純黒》は、これまで考えていた以上の可能性を秘めた術だったのだ。
大輝に対し大剣の鞘として渡すことができたのも、新しく開発した利用法のひとつ。
「それがお前の矛盾だな」
答えを返さない熾に、だがアダルベルトは重ねるように言った。
そう。彼の言葉は的を射ている。
あるいは、熾が自覚しているよりも高いレベルで。
「魔女であることを忌避する素振りを見せる一方、魔女術の使用に躊躇いはない。むしろ戦術の中核を成しているのが魔女術だ。他方でお前は、普通の魔術をあまり使わない」
「……使えるものは、なんだって使うのが魔術師ってものでしょう」
「ああ、お前の言は正しいとも。その魔女術は実に強力だ。汎用性が高い上に強度自体も生半な魔力を通さない。正しく切り札だ。ならば大手を振って使えばいいだけのこと」
「……何が、言いたいわけ?」
どうにも不可解だ。目の前の男は、戦闘中に余計な話をするタイプには見えない。
それは速攻を狙ってきた点からも明らかだろう。
渡会一也のように演説めいた無駄話を好む性格とは思えない以上、口にされる言葉には明白な意図がある。そう思うべきだ。
いや。むしろ渡会一也でさえ、本当の魔術適性が精神干渉に向いていたことを考えれば一概に無駄話ではない。あの男は喋ることで、精神という空間に隙間を建築する術者だ。
魔術師が語る言葉に意味のないことなど普通ならない。
だが、だからといってそれに耳を塞ぐことが必ずしも正解とは限らなかった。
言葉を口にするということは、それ自体が情報だ。何も言葉にしないことですら情報になるのだから、いわんや話すという行為に含まれる情報量は膨大である。
それを一片でも汲み取れるのなら意味はあった。あるはずだ。
――ゆえに問題は。
「お前は、本当は魔女術を扱えるという事実を忌避してはいないという話だ」
その意味が、必ずしもプラスに働くわけではないという点だろう。
熾はわずかに眉根を寄せる。
聞いてはいけない、という判断は働かなかった。
「別に、……その通りだけど? 好きで魔女になったわけじゃなくても、使えるものなら使っておくほうが、合理的ってだけの話」
「違う。お前はただ、そう思い込もうとしているだけだ。それが矛盾だ、
「何、を……」
「好きで魔女になったわけじゃないのが事実でも、使えるものなら使っておくほうが合理的なのが事実でも――お前が普通の魔術を使うことを避ける理由にはなっていない」
魔女術を多く使っているわけではなく、
それ以外に使いたくない魔術が本当は別にあるのだろう。
そう、アダルベルトは語っていた。
「お前は単に、多くの同胞を焼き殺した魔術を無意識に避けているだけだ」
熾は直後に《純黒》を放った。
ここで魔女術に頼ったことは失敗ではないだろう。
合理的に考えて、それが最も強力な攻撃手段であり、かつ失敗のない確実な攻撃であることは、疑うべくもない真実である。
だが、結果的にその行動は、アダルベルトの言葉を肯定する結果になっていた。
「――――づぁあ!」
裂帛の声とともに、アダルベルトが腕を払う。
灰色の炎が、その動きに指揮されるように熾の純黒を防いだ。
――純黒が焼け落ちる。
そのあり得ない現象に熾は目を見開き、驚愕する。こと魔力に対しては、ほぼ無敵にも等しい性質を持つ純黒が負けること――以上に、魔力塊であるそれが焼けることの意味がわからない。
ましてそれが、炭化して粉状の灰になって、地面に降り落ちるなど、現象としてあり得ない。魔力体は破壊されれば、空気に溶けて消えるだけなのだから。
いや。とはいえ、そういった理屈を超えたことが起きること自体は、熾の想定内だ。
なにせ彼は、もともとそういう立場の人間である。
「改めて名乗ろうか。私は《追放連盟》総長アダルベルト=ヴィーズネル」
――追放連盟。
それは、その異常な性質から、そもそも外れた人間の集合である異邦の海からさえ追放処分を受けた、天然自然の特異能力者たちの集団の名である。
世界にときおり現れる生まれついての異能力者。
その中でも存在するだけで害であると追放処分を受けた者たちの互助組合。
「追放理由は《火災》。見ての通り、炎に纏わる能力を持っている」
異能は、いわば外界法則だ。
ルールを書き換えるのが魔術であるのなら、そもそも別のルールを持ってくるのが異能というものの恐ろしさで、つまりそれらは総じて理屈が通じない。
そういう意味では、魔術よりも魔女術に似ていると言えるかもしれない。
ただ問題は、彼が異能者であるという事実ではなく。
「ふむ、念のため遠回しに確認したが、どうやら聞いていた通りで安心したよ。もっともお前ももう、私が宛がわれた理由は理解したことと思うが」
「……お前――」
「今一度伝えようか、炎を恐れる熾火の魔女よ。――故あって、お前はここで殺害すると」
その能力が、炎に関わるものであるという一点だった。
※
――かつて黒須大輝は、ここではない別の異世界へと旅立ったことがあった。
それはもう、なんの前触れもなく。
寝て起きたら異世界にいたのだから、当時の大輝の混乱は言葉にするのも難しい。普通ならきっと、パニックを起こしていたことだろう。
そうならなかった理由は大きく分ければ、ふたつあった。
ひとつは単純に、異世界に行った直後にそれどころではなくなったからだ。
それはもう言葉通りに。
異世界側は、誰にも扱えなかった最強の武器――聖剣の担い手を探すために、意図して大輝を自らの世界へと召喚した。そういう意味では、大輝は世界規模の拉致被害者だ。
異世界のある国家に召喚された大輝は、担い手として聖剣を託される計画の渦中に放り込まれたわけだが、その《勇者》にまさか反逆されないと妄信するはずもない。
ゆえに当然のセーフティとして、その国は、大輝に対して魔術による洗脳を強行した。
――結論から述べるなら、その洗脳術式は失敗に終わっている。
なぜ失敗したのか、今でも大輝は知らない。聖剣を手にする前から加護の一部が働いていたのか、あるいは誰かの差し金か、それとも単純に術者がミスを犯したのか。
いずれにせよ術の失敗により、大輝は脳を破壊されてしまったのだ。
あるいは精神を。
重度の魔力汚染によって自我を失い、譫言を呟くだけの、ただ生きているだけの廃人になってしまった――それが、黒須大輝の異世界物語のスタートだった。
幸か不幸か、その時期の記憶は大輝にほとんど残っていない。認識力も判断力も失っていたのだから当然ではあるだろう。
むしろ一部を覚えていることのほうが奇跡だ。
――だから大輝は知っている。
そんな状態の彼を、救い出してくれたひとりの少女がいたことを。
自らが所属していた国を裏切ってまで、大輝を連れて逃げてくれた子がいた事実を。
そう。それがふたつ目の理由。
たとえそれが、彼女自身が大輝を召喚した張本人であるという負い目からくる贖罪なのだとしても。
彼女がただ、自身の正義感に従ったに過ぎないのだとしても。
あの当時の大輝を救ってくれたのは、間違いなくその、魔法使いの女の子だった。
名を、リル=リアハート。
のちの王国宮廷魔法師筆頭を拝命する天才にして、勇者の旅の一員として救世の英雄の一角に数えられる――黒須大輝にとって、最後まで心の支えとなった少女である。
※
硬直から復帰した大輝は、己の迂闊さを心底から呪った。
彼女が――魔王を倒した直後に別れた少女が、この地球にいるはずがない。
ただ容貌が似ているだけの別人に、多大な隙を晒した無様さは取り返しがつかない失敗だった。
にもかかわらず、少女がその油断を突いてくることはなかった。
即座に冷静さを取り戻した大輝が見たのは、彼女のほうもまた絶句している姿である。
「――こ、」
と、喉を詰まらせるように、わずかに少女が口を動かす。
それに身構える大輝は、だが続けて発せられる言葉に再び混乱させられた。
「この顔を知ってるの!?」
まさかそんなことを訊かれるとは思わず、大輝は目を見開いた。
知っている。だが、そもそもどういう意図でそんな質問をしてくるというのか。
基本、判断の迅速な大輝には珍しく、どう動いていいか決められない。
そんな大輝を、どこまで冷静に見ているのか、むしろ少女のほうが焦ったように大輝へ叫ぶ。
「お、教えて! ねえ、何もしないから! 降参するから!! ねえ、これはなんなの!?」
「お……前、何を言って――」
「だって、――だって!!」
少女は痛切に叫ぶ。
あるいは、大輝にとってさえクリティカルな言葉を。
「――わたしはもともと、こんな顔じゃなかったはずなのに!!」
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