2-02『All's right with the world』2

 がたりと椅子を揺らして立ち上がる熾に、店内の客が怪訝そうな視線を向ける。

 さすがにばつが悪くなってか、熾は頬を赤らめながらもすっと再び、動画を逆再生するみたいに席へ着き直す。

 今のは何か魔術的な意味のある儀式だったのだろうか、と大輝は少し疑ったが、考えても答えは出そうになかった。


 頬の朱色は羞恥か怒りか。

 どちらとも取れそうな表情で、熾は唇を尖らせて斎を睨む。


「……急に何を言ってるワケ?」

「何って、当然の処置でしょ。あたしの役割なら熾ちゃんだって知ってんじゃん」

「あ」


 何かの勘違いに気がついたという様子で、熾は口をぽかんと開ける。

 どうも状況について行けてないっぽいなと悟る大輝に、斎は視線を向け直し、


「はいよ」

「……っと」


 軽く放られたものを、大輝は反射的に片手でキャッチした。

 鍵だ。さきほど言っていた《あたしの部屋の合鍵》ということなのだろう。

 顔を上げる大輝に、斎はあっさりと言う。


「大輝くん、これからその部屋、自由に使っていいからね」

「……えっと?」

「熾ちゃんに見せてもらったでしょ? あたし、この辺りにたくさん部屋持ってんだよ。そのうちのひとつね。言ってみれば大輝くん用のアジトだね。いいヤツ選んどいたよー」


 大輝は アジトを 手に入れた。

 なんてふうに流していいのかはさておき、そういう意味の発言であったらしい。


「家族とか知り合いとかに言えないことも出てくるでしょ? そういうとき、秘密基地があると楽だかんね。隠したいことを隠しておける、まあ一種の結界……的な話だね」

「貰っておいていいよ」


 斎の説明に続けて、熾はあっさり言った。あっさりすぎる。


「私が使ってる部屋も普通に雪丸さんが持ってるのだし。その人、大輝が思ってるレベルじゃないくらいの大金持ちだから」

「熾ちゃんは貧乏なのにね」

「うぎぎぎぎぎ……」


 果たして部屋とは他人から貰うものだっただろうか。

 大輝の知る地球的常識では違った気がするのだが、思えば勇者だった頃は金品や屋敷を貢がれることも割とあった。


「……ありがとうございます」


 結論として、大輝は素直に鍵を受け取る。異世界的常識に則った形だ。

 斎は楽しそうに笑った。


「ん! 素直な子はお姉さん好きだよ。貢ぎ甲斐がある」

「……まあ、その言われ方は釈然としませんが……」

「あははっ! 大輝くん、結構かわいい顔してるよね。朴訥としてるのに鋭さがあるっていうか。木刀かと思いきや実は仕込み刀だった、みたいな感じ? ちょっと好みかも」


 ――それは褒められているのだろうか。

 大輝は疑問に思った。何も自分に、聖剣が似合うとは言わないけれど。


「ね? どうせなら、あたしの仕事のほう手伝ってみない?」


 ふと斎は言って、横に座る大輝にしなだれかかる。

 腕に触れる柔らかな感触。上目遣いの視線が、何かを期待するように大輝を見上げる。

 ただ生憎、視線ならば正面から、より鋭いものを感じていた。見なくてもわかる。


「熾ちゃんの手伝いは大変でしょー。なんだったら、あたしのほうに乗り換えてもいいんだけどなー? 報酬なら弾んじゃうよ、あたし」


 たとえばあの愛子あいこうれいなら、ここであっさり斎に乗り換えるのだろうか。

 そんなことを、大輝は少しだけ考えてみる。


 斎は自分の行いを仕事と称した。熾や憂も以前、似たようなことを言っていた。

 魔術師という肩書きを単なる職業と認識するのは間違っているようだが、それでも、お金を稼ぐために働いている魔術師はいる。


「別に、お金が欲しいわけじゃありませんから。すみません」

「そうなんだ?」

「ええ。オレは熾が相手だからいっしょにいるんです。そう約束したので」

「――くあっ!?」


 正面から変な鳴き声が聞こえた。

 見れば熾が、コーヒーを皿の中に零している。火傷には気をつけてほしいなあ、と思いながら目を向けていると、熾はわずかに口の端を歪めて笑っていた。


「……ふへへ……」


 まあ、楽しそうだから、いいとしよう。大輝はそう判断する。

 視線をそちらから戻すと、斎のほうまで何やら楽しそうに腹を抱えていた。


「く……、くふっ、あはは……っ。面白……っ!!」

「……もしかしてオレ、何かおかしなことを言いましたか?」


 訊ねる大輝に、斎は首を横に振って。


「ああ、ごめんごめん! 別にそんなことないよ……あはははっ。あたしこそ、変なこと訊いちゃったけど気にしないでね……くくくっ」


 ひとしきり笑ってから、斎はふぅと息をついた。それから、


「いやあ、ごめんね? 熾ちゃんが変な男に引っかかってないか気になっちゃって」

「……オレを試してたってことですか?」

「そこまでは言わないけど……でもまあ、うん。大輝くんなら大丈夫そうだ」

「変な男じゃない、と思ってもらえたわけですね」

「いや、むしろ想像より変な男だったけど。逆にオッケー、的な?」

「…………」


 あまりにも釈然としなかったが、反論はしなかった。

 まあ、熾は熾なりに、周りの人にかわいがられているということなのだろう。

 それなら大輝には、特に言うことはない。


「じゃ、はいこれ」


 考える大輝に、斎が再び何かを手渡した。


 今度は折り畳まれたコピー用紙だ。

 開いてみると、住所や地図などが印刷されている。


「それがその鍵の部屋の位置。この近くだから、あとで行ってみるといいよ」

「……ありがとうございます」

「うん。諸々のことは、あとは熾ちゃんにやってもらってね。あたしはもう行くから」

「もう帰られるんですか?」

「言ったでしょ。仕事があるんだ、あたしもね。いろいろ地方を飛び回ったり忙しくて」


 いろいろ地方を飛び回ったりする魔術師の仕事とは果たしてなんだろう。

 大輝には想像もつかない。あるいは魔術どうこうとは関係ない仕事なのだろうか。

 斎は残ったコーヒーを急ぐように流し込んでから、熾に視線を向け。


「あ、そうだ熾ちゃん」

「……へ? あ、うん……何?」


 我に返るように顔を上げた熾へ、斎はひと言。


「――《追放連盟》って知ってる?」


 その言葉が発された瞬間、場の空気がわずかに緊張したことに大輝は気づいた。

 その手のことに大輝は敏感だ。

 斎にとって、それが何か意味のある問いかけだということはすぐに察した。


「……そりゃまあ、聞いたことくらいはあるけど」


 果たして熾は、そんなふうに答えた。

 斎はすぐに肩を竦め、薄く笑って熾に頷く。


「そっか。それならいいんだけど」

「……あれって都市伝説の類いじゃないの?」

「だといいけどね。この辺りにいるって噂が流れてるんだよ。だから一応、手を出さないよう言っておこうかと思って。それだけ。――じゃね」


 言って、今度こそ斎は席を立った。

 去っていく彼女の背中を、大輝は熾とふたりで見送る。

 何やら嫌なタイプのフラグを立てられた気分だ。大輝は言った。


「こういうのってあとでだいたい遭遇するよな」


 嫌そうな顔をして熾は答える。


「……大輝でもそういうのわかるんだね」

「いやまあ。このところ悪質な魔物が出るんですとか言われると、だいたい退治しに行く羽目になったもんだから」

「それ自分から行ってるじゃん……そういうこと、やっぱ頼まれるんだ」

「頼まれはしないけど」

「けど?」

「まさか勇者様には頼めませんがしかし民が困っておりましていやはやどうしたものか、的なことを言われる」

「ちゃんと頼まれるより悪質なだけじゃん……」


 かもしれない、と大輝も思った。

 それも政治なのだろう、と思えば大輝も腹は立たなかっただけだ。あくまで大輝が自主的に、という体が必要なこともあったのだろう。

 仲間にはたまにお人好しを叱られたが、言ってみれば――それも仕事だと思ったのだ。


「そんで、どうする? なんか帰っちゃったけど」


 大輝の言葉に、熾はこくりと頷いて。


「だね。まあ、本当に顔を見たかっただけなんだと思うよ」

「……好かれてるんだね」

「どうだか。いいように遊ばれてるだけでしょ」


 そのふたつは矛盾していない。大輝は小さく笑った。

 熾の周りの世界が、少しでも優しいものであることが嬉しいのかもしれない。


「行ってみる、部屋?」


 ちょこんと小首を傾げて、熾が大輝に言う。

 少し考えてから、大輝は彼女に頷いた。


「そうだね。せっかく貸してもらったことだし、寄ってみようか」

「ん、オッケー。そんじゃ飲み終わったら行ってみよっか」


 軽く答えて、再びカップを持つ熾。

 そんな彼女に、大輝はふと思ったことを訊ねてみた。


「ところで、熾」

「ん? どしたの、大輝」

「いや。……なんか、機嫌いい?」

「…………、大輝のばか」


 気のせいだったのかもしれない。

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