S-03『無題/記録1』
魔物が出たので退治してほしいという依頼を聞いたとき、正直に言ったら舌打ちしたいくらいの気分だった。
なぜ行く先々で面倒ごとが舞い込んでくるというのか。
とはいえ、断るわけにはいかない。
あたしはこれでも王国の宮廷魔法師、それも今では筆頭という肩書きを持っている。依頼を持ってきた無辜の国民たちに文句はないのだ。
ただ、この忙しいときに出てくる魔物に八つ当たりしたくなっただけの話。
とある地方の村だった。
あの旅では世界中を巡ったけれど、それでも立ち寄ったことは一度もない。にもかかわらず正体を知られているのだから、有名すぎるのも考えものだ。
……いやまあ、言ってくれないほうが結果的には困るんだけど。
だから別にいいのだけど。実際、そういうのはあたしの仕事と言ってもよかった。
宮廷魔法師――というからには本来、いるべき場所は宮廷である。
そのあたしがここに通りかかった時点で、村の人々からしてみれば望外の奇跡と言えるのだろう。
事実、普通ならまずあり得ない話だ。この手の問題は、それこそ地方の騎士団にまずは話が向かう。
情勢上、とはいえ手が足りないのが現状だろう。
魔王の討伐からおよそ一年。
平和になったはずの世界には、それでも数えきれないほど多くの問題が残っていた。魔王の影響から外れた種々の魔物たちもそのひとつだ。
本来、魔物は人間以外を襲わない。それが常識だった。
しかしその表現は正確ではない。
厳密には、本来の魔物は人間以外も襲う、というのが因果として正しいのだろう。魔王の影響で人類ばかりを狙っていたほうが異常なのだ。
強さはない。低級のそれなら一般人でも数人で囲んで対処できる。
だが魔王の楔から逃れ野生と化した魔物たちは、強さの代わりに厄介さを得た。
ただでさえ足りていない農作物や家畜を襲い、自然環境に悪影響を及ぼしている。
魔王の影響で獲得していた無尽蔵の魔力がなくなって、自力補給を余儀なくされたせいだと王国では睨んでいる。
その残党狩りは、世界全体にとっての急務であった。
「お礼はします」
村の代表は痩せ細った姿で、あたしに頭を下げた。
あたしは答える。
宮廷魔法師筆頭――否、聖剣の英雄の仲間としてあるべき答えを。
「いいえ、必要ありません。頭をお上げください。今までよく耐え忍んでくれましたね。その精神に感謝と敬意を。そして、遅れたことへの謝罪と挽回をどうかお許しください」
すらすら口から零れる英雄らしい言葉には、あたしも思わず自嘲が出る。
嘘というわけではないが、まあ本心とも言いがたかろう。魔王を倒した後でさえ、ここまで忙しく働かされるなんて最悪もいいところだ。
あたしにそんな時間はないのに――。
「魔法師様!」「英雄様……!」「ありがとうございます!」
口々に告げられる過大な感謝の言葉に、あたしは苦笑いを隠しながら、そそくさ仕事に向かうことにする。
こんなもの、さっさと終わらせてしまうべきなのだから。
そう。あたしが王国の要請すら無視して――このご時世ですら、それができるくらいの権力があたしにはあり、王国にはそれに従わざる得ない負い目があった――こんなふうに旅の日々を続けている理由は、たったひとつしかない。
それは、――勇者を探すことである。
ダイキ=クロス。どこか奇妙な響きの名だが、それも当然。
彼は、この世界とは異なる世界からやって来た……もとい、あたしが呼び出してしまった異邦人なのだ。
わたしは、彼と長い旅をしてきた。
ダイキは勇者だったからだ。長きに渡り現れることのなかった、聖剣の適合者。勇者の資格を持つ救世の英雄。
それを探し出すことが、当時はまだ下っ端だったあたしの、宮廷魔法師として任じられた使命だったのだ。
正直できる気がしなかったし、今でもなぜできたのかさっぱりわからないが、それでもあたしは、あるいはそういう運命だったとでも言わんばかりに召喚に成功。
うん、まさかいくつも案があった適合者探しの中で、いちばん可能性が低いと思われていた――だからあたしのような新人の仕事だった――召喚の儀が成功を引き当てるなんて、当のあたしですら予想外の展開だったのだ。
実際、彼は何を間違ったのか、なぜか全裸で眠っているあたしのベッドの上に現れたのだから驚愕なんてレベルではない。宮廷に性犯罪者が潜り込んだのかとすら思った。
まあ冷静に考えれば間違ったのは術を構築したあたしのほうだろうが、当時はそこまで頭が回らなかったのである。反省反省。――ともあれ。
あたしは彼と旅に出て、ついに目的である魔王の討伐を成功させた英雄となった。
その感謝の念は、言葉に変えられるようなものではない。
一方的に呼び出し、何ひとつ関係のない世界の命運を背負わせるなんて、これほど悪辣な話もないというのに。
それでも彼は、あたしたちのために――世界のために戦ってくれた。
世界を救ってくれたのだ。
だからあたしは当然の報酬として、その後の人生を彼のために費やそうと決めていた。
だって、彼を呼び出したのはあたしだ。
王国の命令だったとはいえ、あたしが失敗していれば彼が来ることはなかっただろう。
なら、その責任の所在はあたしにある。
それは清算しないといけない。
あたしには、もう彼を元の世界に帰してあげることができない。
だから、せめて平和になった世界で彼のために時間を使いたかった。どんなことをしてでも、彼には、あたしが奪ってしまった幸福な日々を返してあげたかったのだ。
――だというのに。
彼は、魔王を倒したその直後に、忽然と姿を消してしまった。
「…………」
どこへ消えたのかわからない。
元の世界に帰ったのか、それともこの世界にまだいるのか――あるいは、まったく違う世界へ再び飛ばされてしまったのだろうか。
決まっていることは、そのいずれであったとしても、あたしには彼を諦める権利がないという一点である。
どんな手を使ってでも、再び探し出して、今度こそ彼に告げるのだ。
言えなかった、全ての言葉を。
伝えられなかった、あらゆる想いを。
言葉にできない全部を、言葉に込めて彼に渡す。
そうしなければならない。魔王を倒すためにあった旅の道は、その日から、今度は彼を探すためのものへと切り替わったのだ。
問題はない。
この世界ではただひとり、わたしだけが彼を見つけることに成功した魔法師なのだ。
一度できたことが、二度目にできないという理屈はないだろう。
一生を懸けてでも再び彼を見つけ出す。それはもう決定していること。それ以外の選択肢などあたしにはない。
だからこそ、ぜんぜん関係ない魔物の討伐などさっさと済ませたかった。
村を出たあたしは、すぐさま、その魔物が見つかったという洞窟へ向かった。
――だが。
「どこにも何もいないんだけどぉ!」
ねぐらにしているという浅い洞窟の中に、件の魔物の姿はまるで見当たらなかった。
実に面倒臭い。
ただでさえ厄介な類いの魔物だというのに、その姿すらないとは本当に困らせてくれるものだ。お前なんかに使っていられる時間はないというのに。
でも。
「移動した痕跡すらない、ってのがおかしいよね……。魔力の残り香が洞窟の周りだけで切れてる。この辺りを移動はしたけど、どこかへ向かった跡がない……もう、なんで?」
割と予定外の事態だ。
ねぐらを変えて移動したなら、それを
だが、その調査があたしに教える結果は、ここから移動していないというもの。
魔物はこの場所にいるはずなのに、けれど姿がどこにもない。
意味がわからなかった。
「何コレ? まさかこの場所で忽然と消滅したとでもいうワケ? そんなはず――」
自分で言った言葉に、自分ではっとした。
突然の消滅。
――否、突然の転移。
その現象にあたしは確かに覚えがあるのだから。
慌てて周囲を、より詳細に調べてみる。どんな些細なものも見落とさないように。
そして。
「……うん、間違いない。わずかだけど術式の痕跡がある。でも、読めない。なんか根本的に理屈が違ってる。意味不明。いや、いやでも、これ……もしかして!」
ここにいたはずの魔物――《魔法師喰らい》。
その姿が消えているのだ。まるでこの世界からいなくなってしまったかのように。
「飛ば、された? もしかして、異世界に……? いや、いや違う、逆なんだ。異世界のほうから呼び出された。――だとしたら!」
この痕跡を辿って術式を読み解くことができれば、魔法を創り出せるかもしれない。
あのとき、ダイキも忽然といなくなった。
あたしは辺りを探し回ることで精いっぱいになってしまったけれど、もしダイキも異世界へと再召喚されたのだとするなら。
「見つけられるかもしれない……ダイキと、もう一回、会えるかもしれない……っ!」
誰も見ていない洞窟の中でよかった。
目尻を濡らすモノを見られるなんて英雄的には失格だろう。
首を振り、前を向いて立ち上がる。
諦めるなんて言葉は、初めからあたしの辞書に載っていないのだから。なんて、これは彼から聞いた、彼の世界の定型句らしいけれど。
「待ってて、ダイキ。絶対見つけるから。今度こそ、二度と離したりしないから……!」
あたしは洞窟内のわずかな痕跡を、記録に残すことにした。
それは執念だ。
そう、なんのかんの言ったって、どんな理屈をつけたって――あたしの中にある、いちばん熱くて強い想いは、あたし自身のエゴなのだ。
もう一度会いたい。
もう一度あの笑顔を見たい。
ぶっきらぼうで優しい声をもう一度聞きたい。
弱いくせにまっすぐで、強くなっても揺るがなかったあの瞳を、もう一度だけいいからこの目で見たい。
もう二度と離れることがないよう、彼の手に触れて、ぎゅっと掴んでいたい――。
そのために、あたしは今も旅をしている。
もはや魔王の存在しない――彼が救った世界の中で。
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