S-02『吸血鬼憑きの少女曰く』

 ある日、幼馴染みの顔を見たら気持ち悪くなってしまった。


 何を――とかそういうデリカシーのないことは訊かないでいただきたい。

 人の顔を見てそんなことをするほうがよほどデリカシーがない……と言われては返す言葉もないが。

 わたしもびっくりしたのである。


「っ……唯架、だよな?」


 その日、学校へ向かう前の待ち合わせ場所にやって来なかった彼――黒須大輝に、いざ文句のひとつでも言ってからかってあげようと、放課後に待ち伏せてみたのだけれど。

 わたしを見て、妙に意味ありげな顔をしながら近づいてくる大輝。

 彼が近づいてくるにつれて、わたしの中に強烈な抵抗感と吐き気が込み上がってきたのである。

 ――理由がさっぱりわからなかったが、明らかに大輝が原因だとはわかってしまった。


 そのせいで、つい悪気なく言ってしまったのだ。


「ご、ごめん……近寄らないでくれるかな。すごく……気持ち、悪い」

「――――――――――――――――」


 大輝は固まっていたけれど、それを気遣える余裕はなかった。

 とにかくこの場から離れないと、彼の目の前でとんでもない姿を披露してしまうことになる。

 それだけは乙女的に避けたかったから、わたしは逃げ出すように校門から走り去ると、出てきたばかりの校舎に舞い戻って、お手洗いの個室へと駆けこんだ。

 以下省略。


 ようやく落ち着いてきた頃に、いくらなんでもさっきの言い方はない――と思ったものだけれど、そのときにはもう手遅れだった。

 謝りたくても、なにせ近づけないのだから。


 こういうとき、相談できる相手がいることは果たして幸か、それとも不幸か。


『あらまあ……彼、どうも聖性を帯びているようです。驚きですねえ』


 わたしの中に存在する、もうひとりのわたしは、この件に関してそう所感を述べた。


 まあ、もうひとりのわたしという表現はあまり正確ではない。

 別に二重人格や精神分裂的なものではなく、彼女は普通に、ぜんぜんわたしではない別人と言うべきなのだから。


「……せいせい?」

『聖なる性質ということです。それこそ宗教的な聖人なんかが持つ性質ですけど、なぜか彼にはいきなりそれが発生したみたいです。時代が時代なら祀り上げられてましたよ』

「何言って……」

『懐かしいですねえ。昔はたまにいたんですよー、そういう人間が。たいてい厄介な方々でしたけど、私も後天的にそうなる人間は初めて見ました。結構びっくりです。はあ』

「…………」


 なにせまあ、何を言っているのかわからない。

 ただ、わたしが持たない知識や記憶を当たり前のように持っている以上、それがわたしではないことだけは明らかだろう。


 ――彼女の正体は、いわゆる吸血鬼であるのだという。


 本人がそう言っているから、たぶんそう。

 ただし実体はなかった。調べたところ、吸血鬼には霧に変身する能力がある――なんて伝承も存在するらしいけれど、彼女は霧というわけでもない。

 というより霧ですらないというか、なんというか。


 つまるところが、幽霊の類い。

 彼女は吸血鬼の幽霊で、わたしはそれに、物心つく前から憑りつかれていた。


 もっとも彼女曰く、


『いや、幽霊ってわけじゃないですよ、失礼ですね。……失礼ですかね? 失礼だと思うほうが幽霊に対して失礼かもしれません。失言でしたね。ともあれ、いわゆる幽霊という概念はつまりが残留思念……言ってみれば精神体なわけですが、私は魂魄だけが存在しているという状態なので種類としては別個なのです。幽霊に怒られてしまいますよ』


 いやぜんぜんわからない。

 わたしが生まれる遥か昔の時代から存在していた(本人談)らしく、わけのわからない知識を彼女は大量に持っていた。

 それが、なんの因果か今やわたしの内側にいる。


 とにかく、物心がつく前からわたしは彼女と共にあった。

 さすがに記憶はないけれど、彼女曰く、わたしが生まれたその瞬間からいっしょにいたということらしい。


 今になって思う。

 何をしてくれているのですかと。


 なにせ生まれたときからそうだったから、わたしにとっては彼女がいっしょにいるのが当たり前すぎて、小さい頃は疑問すら持っていなかった。

 誰もがそうだと思っていたわけではなく、むしろわたしだけだということは彼女が教えてくれていたけれど……あんまり慰めにはならない。

 いきなり憑りつかれるより、心はマシかもしれないけれど。


『まあ申し訳ないとは思っていますが、選択肢がないんですよ。自分で消えることが可能だったら考えますけど、それはできませんし、私があえて唯架を選んだ、というわけでもないんです。その辺りは、どうにも自動的と言いますか。ままならないところですねー』


 ともあれそういうわけで、わたしは朝妻唯架だが、彼女は唯架わたしではないのである。


 その証拠というのも妙だけれど、彼女には(誰がつけたのか)きちんと名前があるとのことで、そこから取ってわたしは《クー》という愛称で彼女を呼んでいる。

 なんだかすごく長い名前なのだが、本当にまだ幼い頃、一度しか聞かせてくれなかったため、今はもう覚えてない。

 何度かせがんだのだが、クーは『私の名前は覚えないほうがいいです』の一点張りで、二度と口にしてはくれなかったのだ。

 なんだかんだで、人生と同じ長さの付き合いだ。

 最も距離の近い友人、家族のひとりと言えるくらいにわたしは思っている。

 そんな相手の名前を知らないのも寂しい話だけれど、その辺りクーは頑固だった。


 まあ、そんな感じで。

 生まれたときから自分ではない誰かと体を共有している、という不可思議を、おおむねわたしは幸運として受け取っている。

 自分だけの友人なんて、恵まれた話なのだし。


『すみませんね、そのゲロ、私のせいです』

「華の女子高生に向かってゲロとか言わないでよ」

『その女子高生液は私のせいです』

「一周回って最悪の着地点に落ちてる」

『唯架めんどくさい……』


 クーの態度はいつも同じだ。気怠げで、事実怠惰で、浮世離れしている。

 その反面、やたらと世俗に浸ろうとする部分が彼女にはあり、吸血鬼のくせして流行に敏感な女子なのだ。

 わたしはそうでもないけれど、彼女のお陰で知識は増えるから、学校での女子トークに役立っている。……それって女子力で負けてるのかも。


「で、クーのせいっていうのは?」


 幼馴染みの男の子。黒須大輝くん。

 自分で言うのもなんだけど、昔からすごく仲はいい。

 恋人ってわけじゃなかったけど、周りにそう思われることは少なくなかった。

 その辺、お互いどうでもいいよね、って感じなのが馬の合う部分だったと思う。わたしは雑な人間だから、彼の雑さが心地よかった。


 そんな彼が、ある日いきなり、見るだけで体調を崩してくるとかなんのトラップだって話である。

 わたしはそこそこ重いほうだけど、それと比べても正直、比較にならない。


『いやほら、私、吸血鬼じゃないですか』

「え? うん、それが?」

『吸血鬼は魔性の存在なんです。悪いものなんですね。あ、属性的な話ですよ。私は悪い吸血鬼ではないです。悪い吸血鬼ではないですが、吸血鬼は悪いものなんですよ』

「はい?」

『そういう決まり、ルール、法則、設定……そんな理解でいいです。悪いものなので、正反対であるいいもの、つまり彼の持つ聖性に当てられてしまうわけですね。唯架の気分が悪くなったのはそれが原因です。私の影響ですよ』

「わ、わたしは吸血鬼じゃないのに?」

『そうなんですけど、そこは繋がってる以上、唯架の属性も魔性になっているわけです。あれ? これむしろお祝いすべきでしょうか? 唯架、魔性の女デビューですよ』

「知らない間に魔性の女になっていたのか、わたし……」


 じゃなくて。いやいや、そんな響きに浮かれている場合ではなさすぎるけれど。


『要は大輝くん、ニンニクみたいなものなのです』

「それ本人には言えなすぎるんだけど」


 顔を見ただけで体調を崩して戻した挙句に「お前ニンニク」とか。

 申し訳なさすぎる。ごめん大輝……。


「もうちょっとマシな表現はなかったの? 聖水とか」

『それはさきほど唯架が出した――』

「殴るよ」

『自分をですか? それくらいならニンニクでいいかと思ったのですが』


 しれっと言うクーだった。

 こいつわたしをからかってるだろ。


「てか、クーは別にニンニク平気で食べるじゃん。なんならむしろ好きじゃん。わたし、いっそ苦手であれよと思ってる派なんだけど。臭いがアレだし」

『美味しいのが悪いんです。それに、唯架だって休みなら平気で食べるじゃないですか』

「美味しいのが悪いんだよ。それに、わたしはきちんとケアには気を使ってるんだから」

『……まあ、では十字架と表現しておくとしましょうか』


 十字架、とクーは言った。言わんとせんことはだいたいわかった。

 要するに大輝は、吸血鬼の苦手な聖なる属性を持ってしまったのだろう。

 そして逆に、わたしのほうはクーの影響で吸血鬼の属性を持っている。


「あ、てことはクーも大輝が苦手ってコト?」


 訊ねたわたしに、けれど彼女は否定を返した。


『いえ。私はこれでも真祖……あー、要するに超スゴい系の吸血鬼ですからね。その手の弱点は持ってないんです。私が唯架の体を借りれば、そういう意味では避けられますね』


 ときどき私は、クーに体を貸してあげる。

 普段、基本的にはクーはどこかで眠っている。頭の中でいきなり声をかけてくることもなく、こちらが呼び出して声をかけなければ私は普通の人間と変わらないのだ。

 ただその間も、クーは私が見聞きしたことを共有しているらしい。

 感じようと思えば、料理の味や手に触れたものの温度まで、感覚をしっかりと分け合うことができる。


 ただまあ、それでもたまには自分で動きたくもなるだろう。

 そう頻度は多くないけど、ときどき私はクーと立場を入れ替えて、自分の体の使用権を彼女に預けてあげていた。

 まあ、その程度には信頼関係があるということ。

 そのときは、私は意識的には普段と変わらず物を見て、触れている感触もあるけれど、自分では身体を動かせない――そういう状態になっている。夢を見ているのと似たような感じだ。


「なんか釈然としないね、それ……」

『申し訳ないとは思いますが……魔性に寄っているとはいえ、別に唯架が吸血鬼になっているわけではありませんからね。普通の人間には耐えがたいレベルなんでしょう』

「……参ったな。そもそもどうしてこんなことに。大輝、何か奇跡でも起こしたとか?」

『それは因果が逆でしょう。奇跡を起こすから聖人になるのではなく、聖人だから奇跡を起こせるだけです』

「ああ……まあ、そりゃそうか」

『というか、彼は別にそういう感じでもないと思いますよ。なんとなくですが』

「ふぅん……。これ、どうにかならないの?」


 私は表情を顰めて訊ねる。

 大輝にはとても申し訳ないことをした。

 けれどあの感覚はもう、がんばれば耐えられるなんて次元じゃない。見えない縄で胃をじかに引き絞られているような不快感なのだ。

 さすがに、数少ない異性の友人をこのまま失うというのは……ちょっと嫌だ。


『そうですね……』

 クーは少しだけ考え込んで。

『思いつく対抗策で言うと、まずひとつ目に気合いで耐える案などいかがでしょう』

「そういう精神論じゃない知識を求めてるんだけどなー……」

『いきなりは無理でしょうが、訓練すれば次第に慣れることは可能だと思いますよ。まあ難易度は高いですし、精神的に慣らす訓練は控えめに言っても地獄でしょうね』

「うぐぅ……ほかには?」

『彼のほうにどうにかして聖性を抑えてもらう、ないし消してもらう』

「え、できるの?」

『まあ聞いたことありませんが、それを言うなら今この事態が、そもそも私の知識にないですからね。……とはいえ、彼自身そもそも自覚はなさそうですし、望み薄でしょう』


 我慢する作戦が現実味を帯び始めていた。


 ちょっと、いやだいぶ気が重い。

 とはいえ、このままという選択肢もないわけで。

 表情を顰める私に、クーはふと言った。


『単純に、私が消えるという手が使えれば影響も消せたと思いますが』


 その言葉には、ますます顔を歪めざるを得ない。

 思わず唇を尖らせながら、わたしは言う。


「そんなあっさりと、わたしに友達の二択を突きつけないでほしいんだけど」

『そうですか。嬉しいことを言ってくれますね』

「あんまり嬉しそうに聞こえないけど……」

『感情表現は苦手なのです。感情がないわけではありませんよ。――まあ、いずれにせよ私を滅ぼす方法とか、なかなかこの世になさげなので、そもそも無理なんですけど』

「じゃあ最初っから言わないでよ」


 これでクーは結構、世捨て人系というか。俗世の流行にはしゃぐ割には、そもそも生に執着がない感じの言動が多い。

 付き合いが長い分、そういうのにはもやもやした。


 まあ吸血鬼といえば不死身と相場は決まっているし、死なない分だけ、生きようという意思は人間より希薄なのかもしれない。

 ……その辺り考え出すと、そもそもなぜ不死身なのに幽霊になっているのかとか、その状態は生きているのか死んでいるのかどっちなんだとか、いろいろ疑問が溢れてしまう。

 結果、わたしはあまり細かいことは気にしないことにしていた。


『……まあ、最終手段は一応、あります』


 そんなところで、どこか言いにくそうにクーは言った。

 私はきょとんと首を傾げて問う。


「あれ。なんか方法、思いついてたんだ? その割には後回しだったけど」

『正直に言ってお勧めしがたい方策ではあります。できれば言いたくなかった程度には』

「ど、どういうこと……?」


 基本的に、わたしに対しては協力的でいてくれるクーのこの態度。

 あまりいい予感はしなかった。

 目を細めるわたしに、彼女はそれでも変わらない口調で。


『――唯架が、魔術を覚えて自己防衛する、という方法です』

「ま、まじゅちゅ……? わたしが?」


 予想していなかった言葉に、上手く舌が回らなかった。

 そんなわたしへ、クーは肯定の気配を覗かせ。


『ええ、まじゅちゅです。まじゅちゅを使って聖性に対する防御を構築し、近くにいても影響されないようにするのです。要するに、唯架がまじゅちゅしになるわけですね』

「わーブッ飛ばしたーい」


 からかいやがって。許せねえぜ、このやろう。

 ……野郎ではないけれど。


「いやいや。わたしに、そんなクーみたいに魔術なんて使えないでしょ。人間だよ?」


 確かに、クーには人知を超えた能力がいくつか備わっている。

 詳しいことは何もわからないが、そういうのはクーだからこその特別だろう。

 そう疑問するわたしに、けれどクーは否定を返した。


『いいえ。おそらく唯架の想像とは違う話です』

「……どういうこと?」

『ここで言う《魔術》とは、いわゆる吸血鬼の特殊能力的なものを指して言ったものではなく、人間が技術として振るうものの意味での魔術です』

「よく……わからないけど」

『魔術は実在するということです。それを操る、魔術師と呼ばれている人間も』

「そ、そうなの!?」


 さすがにわたしも驚いた。

 そんなこと、これまでクーも教えてくれたことがなかったし。


「魔法使いって本当にいるんだ……。ああいや、でも吸血鬼もいるわけだしなあ」

『魔法使いと呼ぶとまたニュアンスが変わってきてしまうのですが、まあいいでしょう。話を戻しますが、なろうと思えば唯架は魔術師になることができます。私と繋がっている時点で、魔力を保有しているわけですからね。少なくともその素養はあります』

「お、おお。なんかファンタジーな話になってきたね」


 目を丸くするわたしだったが、それに対するクーの反応は重い。


『いいえ、現実の話です。ファンタジーならそのほうがよかったほどに』

「クー……?」

『お勧めしないと言ったでしょう。魔術を知ることで、それに引かれやすくなる。認識は引力を持つものです。この街にだって魔術師は存在します。ですが、それと関わり合いになることを私は唯架には勧められません。端的に言って《危険がある》ということです』

「そ、そっか。魔術が使えるなんてバレたら、確かに大変だよね……」

『どちらかと言うと逆の危惧ですが。そうですね――たとえるなら魔術師はやくざです』

「やくざ」

『そして魔術師になるということは、やくざの証である刺青を入れる、ということです。その際、刺青を見て絡んでくるのは一般人ではなく、同じ魔術師やくざということですよ』

「なるほど……」

『まあ私もついていますし、身を守るすべを習得するくらいなら、正直そう大した危険はないと言ってもいいのですが。ある意味、私がついているからこその危険もないわけじゃありませんからね。そして何より、魔術師になる以上どうあれその価値観が――これまで唯架が築いてきた十五年の人生そのものが、決定的に向かう先を曲げて変質します』


 安易に手を出していいものではない、とクーは言っているのだろう。

 それは理解できた。心配してくれる思いを無碍にはしたくない。


「わかった。ちゃんと考えてみる」

『ええ。最終的に唯架が望むのであれば私が指導します』

「……あれ? でもひとつ思ったんだけどさ。クーが魔術を使えるなら、それをわたしにかけてくれれば大丈夫ってコトなんじゃないの? 別にわたしが覚えなくても」

『それが可能か不可能かで言えば可能です。ですがその方針は、貴女が魔術を覚えること以上に推奨できません。というか端的に言って、やりたくありませんね』


 どういうことなのだろう。

 首を傾げるわたしに、クーは言う。


『まず第一に、私の使う魔術は人間のそれとは違います。効果が大きすぎる。ただそれはどちらかと言えば些細な問題です。第二に、これが最も問題ですが、私の魔術にかかるということは、それだけ私という吸血鬼からの影響を受け入れるという意味なのです』

「……、えっと」

『本末転倒ということですよ、唯架。貴女の目的は、黒須大輝が発する聖性の影響を防ぐことですが、その影響を受けてしまう根本の原因は私です。その私から受ける影響自体が増えては逆効果でしょう。その場凌ぎにはなりますが、長期的に見れば悪化しますよ』

「なるほど。なんとなくわかった気がする」


 私は、クーの影響を受けて、魔性の女(おいおい)になっている。

 その上さらにクーの魔術を受けては、わたしの魔性に磨きがかかってしまうのだろう。

 罪な女だ。……わたしじゃなくてクーのほうが。


『まあ、しばらくは無難に、彼に近づくのを避けたほうがいいでしょう』


 クーは言った。

 本当ならすぐにでも謝りに行きたいのだが、そうするしかないのか。


「仕方ないのかなあ……」


 嘆くわたしだったが、クーはどうやら違うことを考えていたようで。


『体調の件がなくても様子は見たいところですね。彼にいきなり聖性が芽生えたという、その時点で異常事態です。身の安全を守る意味でも、距離を取って経過を見たいですね』

「それって、……大輝が危ない目に遭ってるってコト?」

『そうは言いません。どちらかと言えば、もう終わった事態の結果でしょう』

「……大輝に何かあったあと、ってことなのか」

『端的に言えば』

「そっか。まあ無事なら安心だけど。でもクー、もし大輝が危ない目に遭いそうだったらクーが助けてあげてくれないかな? わたしの体は使っていいからさ」


 心の中の友人に頼んでみると、クーは息をついて。


『はあ……。別に私は、彼に対してなんの義理もないんですけれどね。まあ唯架の将来の伴侶候補と思えば、融通を利かせるに吝かではないですか』

「伴侶って。またからかってる? 別にわたしたち付き合ってないんだけどな」

『その割には共に行動することが多いですが。付き合ってもない男の部屋に、当たり前に入り浸ってることのほうが、むしろ不健全な気がしますけどね』

「吸血鬼に不健全って言われた……。別に、たまに本とか読みに行ってるだけじゃんか」

『確かに頻度は多くありませんが』

「気が楽なんだよ、大輝は。余計な話とかしなくていいし、趣味合うし。気を使わなくていいし。幼馴染みだし」

『……彼のことが好きなのでは?』

「そりゃ嫌いじゃないけど。でもわたし、恋愛感情ってあんまりわかんないよ」

『そういうものですか』


 納得したのか、どうなのか。クーはそんなふうに言った。

 実際、別に強がりや照れ隠しのつもりはない。そう思っているのは事実だ。

 最終的には付き合うことを選んだかもしれないけど、少なくとも今はそんなことは考えていない。

 それは大輝も同じだろう。


 というか、今となってはもはやそれどころではなくなってしまった。


「寂しいけどしばらく我慢するかー。……どうしようかな、その間に嫌われてたら」

『それは嫌なんですね……』

「そりゃ嫌われたら普通に嫌でしょ。いやまあ、大丈夫だとは思うけどさ」

『そうですか? ついさっき、なかなか酷いことを言ってましたが』

「ぐむ、それはそうなんだけど。でもあのときは本当に喋るのもキツかったし。大輝にはいつか謝るけど、でも謝れば大輝は許してくれるよ」

『意外と自信ありますね、唯架……』

「え、だって逆の立場ならわたしは許すし。……なんかおかしい?」

『…………、いえ』


 何やら返答の間がおかしかったが、追及していてはキリがないのでわたしは流した。

 魔術を学ぶかどうかは、とりあえず保留にしておくとして。

 しばらくは、大輝と過ごす時間がなくなってしまうことは諦めるとしよう。

 わたしはトイレの個室から出て、家に帰ることにした。




 ――その翌日である。


「なんか黒須家にいきなり妹が生えてるんですけどー!」


 いつの間にか、黒須家に住む人間がひとり増えていたのである。なんだそれは。


「てかなんか影響強くなってるし……絶対これ、あの偽の妹のせいだよね」

『……彼は受け入れているようですが』

「問題はそこ! あれ、あの感じ、大輝は絶対に妹じゃないってことわかってるよね? わかってるくせに、なのにいっしょに住んでるよね、知らない女と。……何それ」

『……唯架?』

「なんか……むかつく」


 自分でもちょっと驚くくらい、なんだか友達を取られた気分で気に喰わなかった。

 けれど症状はまったく改善されず、むしろ悪化しているくらいで。

 わたしは大輝と話すどころか、近づくことすら難しい。目の前、とかじゃなければ割と平気なのだけれど。


 クーは私にこう言った。


『たぶんですけど。どうもこの世界の理屈とは違うモノが憑いてますね、アレ』

「この世界とは、違う……」

『直感ではありますが。彼も以前と少し雰囲気が違うでしょう?』

「まあ、……それは確かに。なんだか、少し距離を感じる気はする。てっきり、私が嫌なこと言っちゃったせいかと思ったんだけど、……違うよね?」

『おそらくは』

「むぅ……なんだか、近寄りがたくなっちゃったな。なんか忙しい感じだしね……なんていうか、今までできてたことを忘れてるみたいな、そんな感じする……」


 ちょっとした嫉妬とか、それ以上の申し訳なさとか、気遣いとか、警戒とか。

 いろいろ諸々の気持ちの間で揺れたわたしは、物理的にも精神的にも、大輝と距離ができてしまい。


 ――気づけば、なんと丸一年も彼と話さなくなってしまうのだった。

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