幕間1

S-01『異世界渡来の聖剣曰く』

 私は剣だ。魔を斬り、王を斬り、主人のあらゆる敵を斬り裂く最強の剣。

 星の要請に応じ、神が指導し、そして精霊の手によって鍛造された聖なる剣。

 私はその始まりから永き間ずっと、主となる者を待ち続けた。


 待って、待って、ずっと待った。

 およそ数えきれない回数、星が巡る間を待ち続けた。


 仮の主になる者なら、その間も何度かいた。

 私はそのたびに、力量のある人間の戦士の手によって、眠りの場である岩の台座から抜かれ、その者の力となるべく振るわれた。

 だが、誰も私の本当の主ではなかった。

 いつまで待っても、私の主人は現れてくれなかったのだ。


 聖剣の管制人格として、主を見極めその力になるため生み出された疑似人格――精霊の手によって構成された、言うなれば霊工精霊。それが私の正体である。

 だから、確かに私の本体は剣であるが、厳密に言えば私自身が剣というわけではない。

 もっとも剣と私が基本的には不可分である以上、似たようなものではあるのだが。


 長い時を、眠り続けていた。

 いつしか主となる者を待つことすら忘れて。

 そんな存在は、本当はこの世界のどこにもいないのではないかと、そんな怠惰な絶望の中に沈んでしまっていたのだ。


 ――結論を言えば、その推測は決して間違ってはいなかった。


 そう。私の主は本当ににはいなかった。

 長い諦観から私を引き抜いた主は、こことは違うから現れた青年だったからだ。


 ようやく巡り合えた。

 ようやく出会うことができた。


 その歓喜を、言葉で表現することなどとてもできない。

 幾星霜の時を越え、私はようやく自分の生まれてきた意味を見つけられたのだから。

 引き抜かれたその瞬間に――否、彼がこの世界にやってきた直後には、私はすぐに彼の存在に気がついていた。

 私の中の機能が、それを預けるに足る者が現れたと叫んでいた。


 実際、彼は歴代の担い手たちと比べて圧倒的に弱かった。

 私の機能の全てを引き出すことができるのは彼だけだった――歴代の担い手たちはそのわずかな片鱗を引き出せたのみだ――けれど、それでも彼は圧倒的に弱かった。

 なにせ剣を振るうどころか、これまで一度も手に執ったことすらないというのだ。彼の住んでいた世界は、剣など持たずに済む安全な世界なのか、と当初は驚いたものだった。


 でも構わない。

 それを支えるのが私の役目で、それができることが私の幸福だった。

 少しずつ、少しずつ私の本領を引き出し、強くなっていく彼を支えられたのだから。


 そして一方で、彼もまた私に様々なことを教えてくれた。

 いろいろなことを、話してくれた。


 言葉も通じない異世界にいきなり飛ばされてしまったときの気持ち。

 寄る辺のない彼の力になってくれる仲間たちへ思うこと。

 ひとりではないと知ったときの嬉しさ。

 その手を届かせてあげられなかった者たちへ抱いた後悔。

 初めて魔物を相対したときの恐怖。

 拭いきれないほどの血で染まってしまった手に、いつしか何も感じなくなっていたこと――。


 彼は、その全てを言葉にすることに意味を見出す少年だった。


 剣の契約で繋がっているから、お互いの思考は言葉にせずとも通じ合う。

 もちろん戦闘時以外、必要がなければ切っていたけど、それでも不意に繋がってしまうことはあった。

 だからわかった。

 彼の心に、じかに触れた私が、きっと誰より彼を知っている。


 本当は逃げ出したいと思っていたこと。

 なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのかと運命を呪ったこと。

 聖剣の勇者だと持て囃された一方、酷い裏切りに晒されたことに対する恨み。

 自分とは違う立場にある者を、必ずしも悪と言い切れない困惑。

 それでも、この世界に住まう人々の目に見出した希望を、自分の力で守ろうと決意したこと。


 そう。私は彼から教わった。

 永い時を微睡み、倦怠の中に凍っていた私を彼が掬い上げてくれた。

 彼を助けるつもりで、私のほうが知らないうちに彼に救われていたのだ。


「――お前のお陰だな、ティア」


 彼は言った。フィニスティアというのが剣の銘だったのだ。


「お前のお陰で、オレみたいな奴でも戦えてる。だから、ありがとうな、ティア」


 今はもう使う者のいない旧い言葉で《嵐を断つものフィニスティア》――すなわち天災を止める救星の象徴として名づけられた私を、彼はティアと呼んでくれた。お礼を言ってくれた。

 とんでもない。私に生きる意味を、存在の価値をくれたのは彼のほうだ。


 だからそう返すと、彼は軽く肩を竦めて笑って。


「そうか? そう言われると照れるけど。でもティア、最初はずっと淡々と喋るだけで、なんか機械みたいな感じだったし。今はだいぶ感情豊かになったからな。礼は今のうちに言っておこうと思ったんだよ。相棒だろ?」


 機械みたいという表現の意味はいまいちわからなかったけれど。

 それでも、肉体もない私だけれど、相棒と言ってもらえたことは嬉しく思った。


 そう、嬉しかったのだ。

 本当にこの私に、人間のような感情があるかはわからない。

 私がそう認識していても、単なる機能の発露――疑似人格としての真似ごとでしかなかったのかもしれない。

 けれど、それでよかったのだ。


 私の全ては彼のために存在する。

 それが彼のためになるのならなんだって構わない。


 だから。

 

 役目を忘れ、不遜で不相応な願望を。所詮は剣の機能の一端でしかない私が、間違って持ってしまったのだ。

 それを裏切られることなんて、欠片も想像しないで。


 だって私の役割とは、すなわち聖剣の適合者に世界を救わせること。

 魔王を打倒させること――そこまでだったのだ。

 それさえ済んだら、私と彼との契約だって満了する。


 けれど考えていなかった。

 魔王を倒し、平和になった世界でも、彼とともにいられると思い込んでいた。


 ――それはもう、私の役割などではなかったのに。


 果たして彼は魔王を打倒し、その権利を完全に遂行しきった。

 全てを使い切ったのだ。

 そのとき、彼はもはや世界に――星にとって必要のない存在になり果てていた。

 英雄となったはずの彼は、けれど以降の世界にとってなんの価値もない、どころか邪魔な存在と見做されてしまった。

 少なくとも、この星はそういう判断を下したのだ。


 不要なものは排除される。

 魔王が不要とされた世界において必要であった救世の権限者は、魔王なき世界において不必要な異端者だ。

 そして星の意志は、自らを蝕む可能性のある者を決して認めない。


 選択肢もなく一方的に呼び出され、それでも故郷ですらない星のために戦った勇者へ、功績の報酬として与えられた結果は追放だった。

 使い終わっていらなくなったものは、元の場所へと戻される。当然とばかりに。

 あまりにも酷い――それは最低の裏切りだった。


 それは違う。

 そんなものは嘘だ。

 そんなことが許されていいはずがない。


 彼はこの世界で生きていくことを決めていたのだから。

 私はそれを知っていた。その未来を共に分かち合おうとする仲間だっていたのだ。

 だから、それに気づいた瞬間、私は自身に与えられた権能の全てを費やし、彼との縁を手放すまいと無我夢中に引っ張った。

 相棒と呼んでくれた主は、裏切れなかった。


 だが。

 どこまで行っても私は星の意志に組み込まれ、それを反映する側の道具だった。


 大本たる星の決定には逆らえない。その機能は与えられていない。

 私は彼をこの世界に引き留めることができなかった。できたのは、なんとかついて行くことだけ。


 結果として私は彼の世界へ共に跳んだのだが、それは星に対する反逆にも等しい行為である。

 私の機能は制限されてしまい、何より彼の世界では、私という存在を保つことすら不可能だった。そのままでは私は消滅してしまう。

 主を奪われかけた私が、私という存在を担保するためには、この世界に適応する憑代としての肉体うつわが必要だったのだ。

 それも、彼と存在の近しい、私との適合性を持つ器が。


 だがそんなものは存在しなかった。

 しなかった。しなかったが諦めることもできなかった。


 どこの世界でもいい。誰だって構わない。

 どこかに私の望みを叶えてくれる者がきっといるはずだ。

 いてくれなければ困る。

 でなければ、彼に別れさえ告げられない――。

 残る全ての機能を費やし、彼との縁を辿り、受け入れてくれる憑代を探した。


 ――そして、たったひとつだけ、可能性のある者を見つけたのだ。


 そう、だった。

 この世界の言葉で表現するのなら、つまりが仮定イフの存在だ。

 ないに等しい可能性の地平を切り開く剣の機能と、私という肉体を持たない仮想人格、そして彼と結んだ縁の糸。

 その全てが揃って、ようやく手が届いた奇跡だった。


 黒須くろすなぎ

 我が主である黒須大輝だいきの――けれど、実の妹。仮想の家族。

 もしもこの世に生を受け、妹として生まれ育っていたらというイフの結晶。


 吸血種の王は、凪を指して並行世界から連れてきたと表現したが、正確には違う。

 私に並行可能性へ干渉するような機能はないのだから、そんなことはそもそもが不可能だ。


 彼女は並行可能性ありえたイフではなく、いわば現行不可能性ありえないイフから生み出された魂だから。


 黒須凪は生まれてくることができなかった。

 決してあり得ない命は、だからこそ、あり得ざるものとして世界の記憶に刻まれていたのだ。

 あるいは、生まれる前に死亡した凪の魂の残響が、わずかに残っていたのかもしれないが――いずれにせよ、私がこの世界に存在することがあり得ないように、凪という人格はあくまであり得ざる可能性の仮想実験シミュレート――という疑似的な人格再現でしかないのだ。

 それを、私というエネルギーと合わせることで一個の魂として成立させた。


 どこかの可能性には、黒須凪は存在するのかもしれない。

 だが、その黒須凪が、ここに在る彼女と同じ存在とは限らない。

 彼女は、これまで大輝と共に育ってきた妹である――


 彼女は言った。家族と、兄と共に過ごせるのなら、なんだって構わないと。

 なぜ家族の中でも兄――父や母ではなく大輝に固執するのかは私にもわからない。私の影響を受けているのかもしれないが、そもそもが奇跡的な存在だ。

 私が彼女なくしてこの世界に存在し得ないよう、凪もまた私がいなければ存在することができない以上、契約を交わすことに異論はなかったし、初めから選択肢もなかった。


 そうして、期間限定のあり得ない人間が、私と共に初めからあったことになった。

 私が大輝を連れ帰るまで、たったそれだけの時間しか許されていない、架空にして仮想の魂。


 だが。それでも私の主は大輝だ。

 死ぬとわかっている人間を生み出すなど、全ての生物が行っていることだろう。

 選択肢は選ばない。

 選べなかったが、選べたとしても変わらない。

 それが必要なら、私は何度でも同じことをするだろう。なぜなら私は、大輝がもう私の世界を選んだことを知っているのだから。

 そのためにできる、全てのことを私はする。


 凪は言う。

 それでもいいと。


「たとえわずかでも、この時間は私には得られなかったはずの報酬ですから。兄さんと、大輝先輩といっしょに過ごせるなら、それで構いません」

「……先輩って」

「先に生まれた人はそう呼ぶのが常識みたいですから。それに、兄さんと呼ぶのも素敵だと思いますけど、それだと名前で呼べないじゃないですか。ちょっと面映ゆいですしね。いっしょに生きてきたということになっていても、それに実感はないですから」

「理由、それだけ?」

「……いつか私が消えるとき、私のことを兄さんが覚えているかもしれないでしょう? それなら、深く傷を残したくはありません。妹が消えたら、きっと悲しむから……」


 彼女には、自分があり得ないものだという自覚がある。

 世界から引き出した常識という知識はあっても、仮想された過去の記憶が周囲には発生していても、これまで生きてきた実感を彼女は所有していない。

 私と、とてもよく似ている。


 凪という存在はその感情さえ仮想なのだ。

 という仮定の下に、彼女という存在は起因しているから。

 本当は、そんな主体さえ存在しないのに。


 ――それでも、私は彼女を利用することを決意した。

 全ては大輝を取り戻すため。彼を連れて再び元の世界へ戻れるなら、それ以外のものは全て些末に過ぎない。

 私にできる、それが唯一の行いだった。


 何より。この世界は、大輝に聞いていた話と違ってずいぶんと


 今の大輝を無理やり連れ帰ることはできない。大輝には自分から、向こうに帰りたいという強い意志を持ってもらう必要がある。

 私の存在は、同時に凪の正体に繋がる。大輝に伝えることはできなかった。それで帰還の意志が揺らいでも困るからだ。


 ゆえに私は、策を講じることにした。

 凪というイフを世界の内側に受け入れさせた段階で、この世界は初めから黒須凪という人間を前提とするものに書き換わっている。だがその改変は、私と縁を持つ大輝に対して効果を発揮しなかった。

 ――ならば、それを逆手に取ろうと思ったのだ。


 ちょうど知った、並行世界という概念を利用しようと私は思った。

 その考え自体はこの世界で一般的なようだから、大輝もきっと知っているだろう。

 故郷に帰ってきて、ここでもいいと思われるようでは困ってしまう。

 いや。大輝が本当に望むなら私は構わなかったが、それでも、少なくとも大輝が、あの世界に残してきたものを清算せずにこちらを選ぶことはないだろう。

 ならば。


 私は凪の存在を通して、この世界が大輝の故郷ではないと思わせる誘導を考えたのだ。


 そうと知れば、彼はいずれこの世界から出ていくことを選ぶ。そういう性格だと、私は誰よりも知っていた。そうするしかない。

 ただひとつ予想外だったのは、こちらの世界に魔術の概念があったこと。

 私の世界とはずいぶん違うようだし、そもそも大輝はこちらの世界にはないと言っていたのだが、彼が知らないだけだったとは私も考えていなかった。


 結果、大輝は当然のように事件に巻き込まれていった。

 凪と肉体を分かつ今の私では、ほとんど大輝の力になれない。ごくわずかに自然治癒力を高めるくらいが精々だ。

 まして凪が一度、この世界の魔術師に攫われる羽目になったときは、どうしたものかと思ったが、なぜか監視もなくあっさり投げ出されたため、問題は起きなかった。


 ここは危険だ。

 大輝は幼馴染みすら怪物という、とんでもない世界に生まれている。

 何度も危ない目に遭っているようで、まったく気が気じゃない。できる限り急ぐ必要があるだろう。


 迷いはない。

 ――私の意味は今だって、大輝の道行きを助けることだけなのだから。

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