1-24『元英雄に曰く』3
息を切らせて、黒須大輝は指定された立体駐車場へと辿り着く。
なぜこんな場所を指定したのか、という点について、大輝は特に疑問しなかった。別にどこでもよかったのだろう。
魔術師ならば、結界とやらでどうとでもできるのだから。
ひと気のない夜の駐車場は、無機質な鉄の檻に似ている。
そんなことを思いながら足を踏み入れていった。
周囲の様子を警戒しつつ、上の階層へと進んでいく。妙な感覚だった。おそらく、何か得体の知れない空間へ飛び込んだのだろう――直感だがそんなふうに思う。
そうして大輝は、最上階のひとつ下の階まで到着した。
熾に連絡はしていない。伝えるなという指示があったからだ。
彼女はある程度、魔術の気配を察知できるようだが、この事態に気づいて現れてくれるというのは望み薄か。
「――ようこそ、黒須大輝くん」
ふと、声がした。
とはいえ声がするより先に姿を認めていたから、別に驚きはない。
見知らぬ男性だった。
老齢にも見えれば若くも見える、異様な雰囲気の男だ。
「お前が、凪を攫った犯人か?」
「ふむ。その問いは肯定しておくほうが話は早く済むだろうね。もっとも君の妹を攫った実行犯は私ではないし、そして彼女はここにはいない。私はただ指示を出しただけさ」
「……仲間がいるってことか。つかそれ、つまり憂のこと言ってんだよな」
「はは。そういえば君は彼女に会っていたね。うん、あれで彼女は、得難い能力を持っているからね。それに少しばかり頼らせてもらったんだよ。まあ安心したまえ、ここにいる君の敵は私だけだ。そして重ねて安心したまえ、君の妹は、もう解放される手筈だ。君がここに来てさえくれれば、それ以外のことなどどうだって構わないんだよ」
「それを信用しろと?」
「君に人質として突きつけたいなら、この場にご招待しているとも。なにせ私は、見ての通りの紳士でね。せっかく招いた賓客との会話に、余計な雑味を必要としないんだ。この最高の場に、余分な人間が入り込むのも面白くない。招待状の数は、最低限が基本だよ」
それを余裕と見るかは怪しいところだ。いざとなったら、やっぱり人質を解放するのはやめた、とでも言ってしまえばいいだけの話だ。何も保証などされていない。
ただ少なくとも、彼はほかでもない自分に用があるのだろう、と大輝は判断する。
「……あんたは?」
だから彼は、目を細めて魔術師に訊ねた。
燕尾服姿の男は薄く笑い、誇るようにその名を答える。
「渡会一也という名の、しがない魔術師だよ。その節は息子が世話になったね」
「息子の敵討ち、とは言わないよな。殺したのはオレでも熾でもない」
「――殺したのは私だからね」
当たり前のように渡会は言った。
反応しない大輝に、彼は妙な言い訳をするかのように。
「うん。まあ仕方なかったのさ。出来の悪い息子ではあったが、それでも血を分けた実の息子を手にかけるのは私も心苦しかった。ただ奴は、知っていてはならないことを数多く知ってしまっているからね。当初の予定では、威力偵察さえ済めば解放してやっても別によかったんだが、予想外の収穫があったし――それに何より、君たちに敗けた」
「…………」
「魔女に敗けるなら仕方がない。だが、どうだろう。仮にも神秘を司りし魔術師が、君のような一般人に敗北するなど、生きていたところで恥晒しだとは思わないかね?」
「御託はいいよ」
端的に大輝は言う。
「そんな話はどうでもいい。まさか雑談を聞かせるためにオレを呼び出したってわけじゃないんだろ? 凪がいねえなら帰ってやろうか」
口数が多いのは余裕がある証拠だが、同時に遊びを入れる性格だということ。
ただ、それは必ずしも隙になるとは限らない。特に目の前の男はおそらくそのタイプの人間だろう。
余裕を見せるのは、それが崩されないことを確信しているから。
「人質がいないなら、別にここにいる理由がねえんだけどな、オレは」
「強気だね? さすが、――異世界を経験したことのある人間は肝が据わっている」
「…………」
言葉に口を閉ざした大輝に、渡会は満足そうな笑みを見せた。
「ようやく私との会話に、乗り気になってくれただろうか。そうとも、人質などと無粋な真似はこの場に相応しくない――これは記念すべき会談なのさ! この世でただひとり、異世界を経験した者、それが君だ、黒須大輝。これを奇跡と呼ばずしてなんと呼ぶ?」
「……あんたは」
「そう、なんのことはない。私はただ異世界の話を聞いてみたいだけなのさ! 異世界はどんな場所だった? どんな人間がいてどんな神秘がありどんな悲劇が好まれていた!? その唯一の生き証人はこの世で君だけなんだ! これほど興味をそそられることはない」
口数多く、上機嫌に渡会は語る。
大輝は目を細めた。たったそれだけが目的だと?
――それは嘘だ。
それで騙せると思っているのなら、さすがに異世界経験者を舐めすぎだろう。
「オレに話を聞くってのは、あんたの大目的じゃないはずだろう」
大輝の指摘に、すっと渡会は目を細める。
だが大輝は構わずに続けた。
「だってあんたは、この街に来るまではオレのことなんて知らなかったはずだ。オレは異世界に行っていたことを誰にも言ったことがない。初めて教えたのは熾が相手で、それはもうお前が――少なくとも渡会空也がこの街に来たあとの話だ。お前らは、オレの存在を知っていたからこの街に来たんじゃない。それを知ったのは、昨日の話だろ」
「……それでは問題かね? ほかの目的など擲ってもいいだけの価値が君の話には――」
「お前、さっき自分で言ってたろ。こちとら一般人なんだ。オレの話を悪事に使われると想像すると、怖くてなかなか話しにくい。聞きたいならその理由も教えてくれないと」
「――気に入った」
にやりと、渡会一也は酷薄に笑む。
「お前に気に入られてもな。悪いが、妹を人質に取られたって時点で、お前に対する好感度はゼロを通り越してマイナスなんだよ。もう少しオレの機嫌を取ってみてくれ」
「は……これはこれは。熾くんなどよりよほど肝が据わっている。君のその態度からは、私に対する恐怖をまったく感じない。強がりでないのは無知だからか?」
「……まあ確かに、魔術師って言われてもな。お前に何ができるのか知らないし。あまり怖いとは思わないよ。熾曰く、魔術師ってだいたい大して強くないって話だしな」
「熾くんから見れば大抵の魔術師など脅威にならないさ。魔女の強さは次元が違う。私も彼女と正面きって争うなど考えたくないね。とはいえ、だ――《
パチリ、と渡会が指を鳴らす。
その瞬間、大輝は全身を床へと叩きつけられた。
「っ――がっ!?」
「それでも君のような、魔術師ならざる人間を縊るくらいは、わけがないよ?」
目に見えない糸が手足に結ばれ、それを下へ思いっきり引っ張られたような感覚。硬いコンクリートの床へ、大輝は全身をしたたかに打ちつけられてしまう。
痛みに顔を顰めながら、それでも渡会を前を見上げる大輝に、渡会は興味深そうな顔を隠すことなく、顎に手を当てながら小さく零した。
「脅威を理解していないわけでもない。かといって捨て鉢の反骨でもなし。興味深いが、それ以上に解せないな。面白い……君の思考が読めない。これは稀有な感覚だよ」
「……」
「ああ、すまない。ちょっとした確認なんだ。もう立って構わないよ」
まるでなんでもないことのように、ごく普通に渡会は言った。
実際に、彼にとってはなんでもないのだろう。
目の前の大輝が、どんなつもりで言葉を選んでいるのか。ただそれを調べるためにやっただけ。それ以上の意味などないのだ。
逆を言えば、それによって相手がどう思うかなど考えてすらいないということ。
渡会の言う通り、すぐ直後には大輝の体は自由になっている。
これで脅す気はなく話がしたい、などと本気で言っているのだから、価値観が根本から違っていた。
「すまないね。ええと、なんだっけ。ああそうだ、私の目的だったっけ?」
そのままなんでもないことのように、彼は本題に戻っている。
言われた通り、すぐに自由になった大輝は立ち上がるが、倒された事実などより、その意味を本当に理解できていない精神性のほうが、むしろ恐ろしく思えた。
魔術師とは、そういう生き物だというのだろうか。
「ううん、それさっき話してしまったんだよなあ。同じ話を二度するのは億劫だ。だから今回は、なぜ私がこの街に来たのかのほうを語ろうか」
淡々と続ける渡会。少し間を空けて、大輝は問い返した。
「……理由?」
「うん。というのもだ。実はある日、私の元へ魔王が訪ねてきてくれたんだよ」
「――なんだって?」
あまりに現実味のない言葉に、大輝は思わず目を見開いた。
その反応に、我が意を得たとばかりに渡会は目を輝かせて昂奮する。
「そう、驚きだろう! まあ実際には精神体と呼ぶべき幻想に過ぎなかったが、それでも異世界からの来訪者だ。意志の疎通は困難を極めたが、それでも彼が異世界においては、かつて魔王と呼ばれるべき存在であったことはなんとか読み取った。私はその手のことに長けていてね? 異世界の存在は、来訪者によって確かに実証されたのだ!」
「……、馬鹿な」
「それが君の世界と同じ場所から来たのかまでは私にはわからない。もしかして見覚えがあったりするのかな? ぜひ会って確かめてもらいたいところなんだが、それは少しだけ待ってもらいたい。そのうち、仕事を終えて上から降りてきてくれるだろう――」
渡会の目がわずかに天井へ向く。
その視線を大輝も追ったが、それ以上に今の言葉には違和感があった。
「仕事……?」
「ああ。もうそろそろ終わる頃だろう。どうせ彼女では、彼に太刀打ちできまいからね」
「――熾……っ!」
大輝は歯噛みした。おそらく間違いない。
助けに来るどころではない。彼女は大輝よりも早くこの場所に来ていたのだ。
そして――おそらくは何かと戦闘を繰り広げている。
「なにせ魔王だ。いかな魔女といえど、それに勝ち得る者を敵にすれば殺すことは可能ということさ。彼女が存在していては、王権がそちらを選びかねないからね――灼くんには申し訳ないところだが、その権限は私が貰おうと思っているんだ」
――話が変わった。
こうなっては下らない雑談などしてはいられない。
大輝は睨むように前を見据える。
「おや。話す気になってはくれないのかな? まさかとは思うが、熾くんを助けに行く、などとは言い出さないでくれよ? そんなことは君には不可能なのだから」
魔王に勝てるはずがなく、それ以前にまず目の前の渡会にすら大輝は届かない。
ここより上に行くなど自殺行為なのだ。そんなもったいないことをされては、あまりに始末に負えないというもの。
そんな無為な選択肢を、渡会は選んでほしくなかった。
「別に、魔女など死んだっていいじゃないか」
だから彼は語る。
「君には何も関係ない。そんなことより、私に異世界での思い出を聞かせてほしい。君の世界に《魔王》の権限を持つ者は存在したのかい? 魔術の進歩はどの程度だった? 一般人でも、見た不思議を言葉にすることくらいはできるだろう? 教えてくれれば相応の礼はするつもりだよ」
その財産を、何者にも代えがたい貴重な記憶を。
言葉にして引き出すことが何より優先だ。
無論、魔術師ですらない青年が、碌な言葉を語れるとは期待していない。
大輝から引き出せる異世界の知識など、何かのヒントになればいいという程度に渡会は捉えていた。
語る言葉には確かに価値があるだろうが、それはあくまでおまけ。
本命は彼自身――黒須大輝という検体それ自体である。
なにせ異世界を経験したことがあるという、この世で唯一であろう検体だ。
すぐにでも殺して丁重に保存してやるべきだろう貴重な逸品。計り知れない価値を秘めている。
こんなものは、単に魔女が死ぬまでの時間潰しでしかないのだ。
そもそも彼は息子とは異なり、異世界そのものは根本的には目的じゃない。
「……まあ、そうだな」
と。果たして黒須大輝は、静かに言葉を紡ぎ始めた。
語る気になったのだろうか。それなら手間をかけた甲斐もある。
妹を預かったと伝えただけで、のこのこ死地へ飛び込んできた愚かな一般人だが、役に立つならそれでいい。
期待に胸を膨らませる渡会へ、静かに、黒須大輝は異世界を語った。
「言っても別に、地球と大した違いはなかったよ」
「……なんだって?」
目を剥いた。
「そんなはずがない。馬鹿なことを言わないでくれ。それは、魔王の在り方からしても瞭然だ。地球と共通する理を持ちながら、けれど根本が異なっている――それが異世界の在り方だろう。そうではなかったのか」
「確かに魔王がいたり、魔物がいたり、精霊がいたり魔法があったりしてたけどな」
「ならば、」
「――でもそんなもん大した話じゃねえだろ」
世界で唯一の異世界経験者は。
けれど、自らの経験の価値を理解してはいないようだった。
「馬鹿げている……いかな魔術の徒ではなくとも、それほどに愚かでは始末に負えん」
だが渡会の言葉に、大輝は実に簡単そうに言葉を返す。
「いや、だってそうだろ。異世界だぜ? そりゃそんくらいあんだろ。知らんけど」
「――何……?」
「でも結局、そこに人間が住んでたってコトには変わりないんだ。こっちの世界となんも違わない。異世界にいたのは人間だよ。人間が、がんばって必死に生きてたってだけだ」
「誰もそんな話はしていない……!」
渡会一也は、そんなことを一切問題にしていなかった。
価値観が違うのだ。黒須大輝と渡会一也は、重視する価値がまるで違う。
「それがわからないってんなら――」
そうだ。大輝にとって、異世界の価値とはそんなものではない。
戦いがあった。そこで暮らす人々を守るために、彼は勇者として立ち上がった。
それが決定的な差異。
気楽な客でも無責任な観測者でもなく、彼はその世界の内側で――英雄として剣を手に執ったのだ。
その経験の、その思い出の価値は、こんな男に踏み躙られていいものじゃない。
だから。
「――お前には、何を言ったって無駄だよ。バカ野郎が」
言葉の直後、大輝が床を蹴った。
前へ――渡会へ向かって彼は一直線に進む。
思わず渡会は舌打ちしたくなった。
そんな感情任せの突貫が、魔術師に通用するはずがない。
境内での戦いを見て、凡人としては冷静に物事を考えられる青年だと期待していたのだが、失望させられた。
まだ手は下したくない。
殺すなら、できるだけ部品は綺麗に保存したい。
仕方なく、渡会はさきほどと同じように彼を無力化しようとして、
――ふと気づく。
「――《
仮にも魔術師である空也を下した人間が、この場で感情任せに突っ込んでくるなどあり得るだろうか? この突貫にも、ともすれば何か策があるのではないだろうか。
いや。いいや、そもそも。
そもそもどうして、彼に策があるのかないのか自分に読めないというのだろうか?
その思考は、さすがに熟練の魔術師たる警戒だった。
古より、魔術師とは決して強者の歴史を歩んできてはいない。常に隠れ潜み、大多数の神秘知らざる者たちに迫害されてきた、少数の弱者なのだ。
だが弱者の勘を、けれど呪文の詠唱のほうが速いと渡会は即座に破棄して。
「《
――けれど、たとえ棄てなかったところで結果は変わらなかった。
もう、とうに遅きに失している。
魔術が発動しなかった。
完成したはずの術は、けれど大輝を対象として指定することができずに不発に終わる。
「な、に――」
驚きは一瞬。それは即座に理解へと変わる。
なぜなら渡会もまた幾度となく、その異能の助けを借りていたからだ。
「ぐ……、愛子……っ!」
いったい誰が彼に力を貸しているのか。
それを理解したときにはもう、回避も防御も間に合わないタイミングだった。
強化も施していない魔術師の反応なんて、彼にとってはあまりに遅すぎるのだから。
――次の瞬間。
かつての英雄の拳が、魔術師の顔面を打ち抜いた。
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