1-23『元英雄に曰く』2
魔王――。
それこそファンタジーものの創作くらいでしか聞かないような言葉だったが、今の熾はとても一笑に付すことはできない。それに値する存在感を、目の前の鎧は放っている。
ただ、気にするべき発言はほかにもあって。
――ある世界……?
それは、この世界ではない別の世界を前提としている発言だ。つまりは異世界を。
異世界から怪物を召喚せしめる技法は、確かにもう渡会空也が見つけている。けれど、それは彼の才能――魔術的な適性と長年の研究、そして鍛錬があって結実したものだ。
たとえ父親だとしても、そう簡単に真似ができるとは思えなかった。
親子ならば専攻する魔術の分野は似たようなものになる、それはあり得る。
だが個人の才能――魔術的な適性の向く先まで完全に同一ということは考えにくい。
では、なぜか。
「確かに」
疑問する熾に、渡会は言う。
また心を読み取られたようだった。
「私では空也のように異世界へ扉を開くことなどできない。少なくとも今はまだ。ああ、その意味では確かに、奴は最後に大きな成果を私へ残してくれたとも。不肖の息子だったが、いやはや……まさか届かせるとは思っていなかった。初めて褒めてやりたい気分だ」
「…………」
ふざけた発言ではあった。彼は間違いなくその手で息子を殺めている。
だが、それを気にしていられるほど、熾にも余裕はないのだ。聞くしかなかった。
黒の鎧は、最初の一撃以降、動く素振りがない。
渡会が止めているということだろうか。
彼はこちらの疑問には全て答えるとばかりに、訊くより前から答えを語る。
「彼は、彼のほうからこちらの世界に来てくれたんだよ。とはいえ、本当に《彼》なのかどうかは私も知らないのだが、ともあれそのお陰で研究は大幅に前へ進んだ。いや、彼の存在がなければ、私はこの計画をとても実行になど移せなかっただろう」
「……これが、自分から……この世界、に?」
「驚いたかな? そう、彼のお陰で異世界の存在は証明された。されていたのさ。不肖の息子はそれを知らなかったが、それでも役割は果たした――ああ、本当に最高の成果だ」
――渡会空也が、異世界へ繋がる魔術を編み出したことを言っているのだと思った。
だが、直後に熾は悟ってしまう。違う、そのことではない。
だって、それが必要なら、あんなに簡単に息子を殺してしまったはずがない。
ならば渡会一也の言う《成果》とは、ほかでもなく――。
「く……っ」
歯噛みする熾に、渡会は時間切れだと示すような一瞥を流す。
それから、鎧へと命じるように、言った。
「私は賓客に対応してくる。――あとのことは任せた」
直後、黒の鎧が再び稼働し始めた。
まるで機械の電源を入れたかのような、意志らしきものを感じない自動的な対応。
だがその《魔王》は明らかに熾を敵と捉えており、その対処に全力を出さざるを得なかった。
下の階へ去っていく渡会を、熾は止めることができない。
「く、ま――待て!」
「――――」
止めようとする熾だが、黒の鎧がそれをさせない。
振るわれる大剣。重さを感じさせない身のこなしだが、目に留まらぬほどの速さというわけではない。
咄嗟に《純黒》を展開して防御する熾だったが、――ふと思い出す。
――そういえば、あのとき戦った触手の怪物には通用しなかったはず――。
ガギン、という硬質な音が響いた。
《純黒》の盾が剣を止めたのだ。それでも念を入れて、熾は道を塞ごうとする黒の鎧から距離を取った。
渡会は止められなかったが、簡単に勝てるなら倒して追えばいい。
そして――もし目の前の《魔王》が容易に勝てる相手ではないのなら。
「――――」
鎧は言葉を発さない。
ただ自分の剣を止めた《純黒》を一瞥すると、
「……っ!?」
彼の大剣が、何やら黒い靄のようなものを纏わせた。
光を遮る闇が、霧状になって具現化したように怖気のする魔力。それが覆った大剣を、鎧が再び盾に向かって振り下ろした。
結果、熾の目の前で《純黒》の盾が両断される。
ガラスの砕けるような音。念を入れて正解だったと、熾は冷や汗を流しつつ笑う。
「ったく……どいつもこいつも、簡単に破ってくれちゃって……、いや」
力任せの一撃。それは本来なら熾の《純黒》には通じない。
だが《隔絶》の影を操る熾だからこそ、目の前の黒い靄が本質的に、熾の《純黒》と同系統の力なのだと悟っていた。
力では破れない防御なのだから。
それを打ち破る以上、あの黒い靄には意味が――込められている概念がある。
「……《
呟き。呪的な意味を持つ魔術師の言葉が、自己を律して魔術を成す。
熾の右腕が、黒影によって幾重にも覆われていく。そして形成されたのは、少女の体に倍する巨大な純黒の腕だった。
重さのないそれを、熾は魔王に向けて思い切り振るう。
魔王はそれを正面から受け止めた。
大剣を振るっての迎撃。纏わせた靄と、熾の影とが正面から激突して干渉し合う。
黒い鎧同士のぶつかり合いと言ってもいい攻防だ。
その軍配は、このとき魔王の膂力に上げられた。大剣が振り抜かれ、熾の巨腕が真正面から弾き返されてしまう。
けれど、それは熾も想定していた事態だった。
本命はこの次。
巨大な腕に隠れて、魔女は次の攻撃を備えていた。
「――《
大剣を振るい切ってしまった鎧の、無防備な胴体へ幾本もの棘が床から伸びる。
それは鎧の防御力など完全に無視して体を貫き、魔王をその場へと縫い留めた。
棘が貫いた亀裂から、黒い靄がわずかに流れている。
――空洞だ。鎧の中に本体と呼ぶべきものは存在していない。
あるいはこの黒い靄それ自体が、言ってみれば魔王の本体なのかもしれなかった。
漏れ出た黒い靄が熾の棘を覆い、そのまま砕く。
鎧は自由を取り戻した。
大剣に纏わせずとも、靄だけで充分に熾の《純黒》を突破できるというわけだ。
「いわば《破壊》の力……って感じかな? 知らないけど」
なるほどそれは、確かに魔王らしい能力なのかもしれない。
触れるものすべてを破壊する黒の靄。
ならばこれは、どちらの理が相手を飲み込むのか競い合う概念のぶつけ合いだ。実に魔術師らしい勝負だとも言える。
それなら勝算はあるはず、と熾は思う。
だが一方、まずい事態でもあった――どうすればダメージを通せるというのか。
鎧を砕けばいい、という程度の単純な話ではないだろう。もしこの靄そのものが本体だというのなら、ダメージを与える方法が考えつかない。
逆に、魔王のふざけた攻撃力ならば、一撃でも通せば熾に致命傷を与えられるだろう。
「……厄介な」
地球の、人間の魔術師相手には半ば無敵に近い能力を熾は持っている。
だがその優位は、異世界で通用する理屈ではないようだ。異世界の存在は、総じて魔術師に対し、特攻と呼んでもいいような能力を持っている。
魔力を冒し、魔術を侵蝕する毒然り。
あるいは触れるもの全て破壊する黒き靄然り。
魔術師では相性が悪すぎる。
――ならば、短期決戦で決めるしかない。
「《
苦い表情で熾が紡いだのは、魔術を成立させる詠唱。
あまり好んで使いたい手ではないが、熾にだって当然ながら、魔術師として操る魔術はあるのだから。
戦いの場において、好みを優先するほどの余裕は彼女にない。
「――《
直後、魔王の足下から業火が吹き上がった。
それは彼女が父親から教わって、最も得意としていた魔術。
不浄を清める浄化の
――いいかい? 熾はね、悪い魔女を殺すのが役目なんだよ――
――うん。わかった、お父さん。わたし、お父さんのために――
「――――っ」
直後、業火の中から、黒い靄が一直線に熾へと迫った。
「なっ――」
不定形な靄は、範囲を伸ばすことができるらしい。咄嗟に横へ飛んで躱すが、その隙を敵は見逃さなかった。
――業火の中から、熾に向かって大剣を放り投げてきたのだ。
咄嗟に立ち止まることで直撃は避けられたが、進行方向を塞がれた。
靄と大剣の投擲。
そのふたつで熾の行動を縛ったのである。
無論、それは本命の行動を確実に通すための行為。魔王には十全な判断能力がある。
みしり、と。
駐車場の床を砕かんばかりの勢いで、地を蹴った魔王が熾に迫る。
回避するすべはない。
――破壊を纏った鋼鉄の拳が、魔女の脇腹を正確に貫く。
「う、ぶ――っ」
ばぎり、と音が響いた。
赤い血が、口元から地面に滴るのを、少女は見た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます