1-21『元英雄と、この世界』6

「……熾の話?」

「うん。ちょっとした昔話。なんかね、大輝には言ってもいいかなって……思ったから」


 きっと、それは取るに足らない感傷だ。益体もない、安い共感。

 ならば言わないほうがいい。鳴見熾の事情は、なんの関係もない一般人へ安易に伝えていいものではない。わかっている。

 


 熾にとってそれは一種の禁忌タブーであり、己を己とするために必須の重要な戒律ルールなのだ。

 それを。理由すらもわからず破ろうとする自分に、熾は自嘲を隠せない。


 ――それでも。


「私さ、……


 熾はそれを言葉にした。すると決めた。

 大輝はわずかに目を細めると、


「……それは」

「うん。そう呼ぶなって、前に大輝に怒っちゃったよね。だけど、大輝は聞いてなかったかもしれないけど、たとえば渡会は私をそう呼んだし――魔術師は私を、そう呼ぶんだ」


 大輝も、あの愛子憂という運び屋が、熾を魔女と呼んでいたのなら聞いている。

 言葉の使われ方としての《魔女》と《魔術師》の差が、いまいち大輝にはわからない。

 ただ、それを熾が快く思っていないことだけは確かなはずだ。


「魔術師にとって《魔女》は蔑称だから。大輝も見たと思うけど、私が使う魔術――適当に《純黒くろ》とだけ呼んでるけど、アレはなんだよ」

「魔術じゃない、ってことか……?」

「違う。魔法は空想、この世には存在しないモノを言う。逆を言えばこの世界に実在する技術である時点で全部、魔術であることに違いはない。でも同時に魔術は技術でもある。勉強して、訓練して使えるようになるもの。だけど私は《純黒》に限って、なんの儀式も準備も必要じゃない。念じるだけでいい。――術式を魂に刻み込まれているから。だからそんな反則は、技術まじゅつじゃなくて空想まほうだって、蔑んで分けるために《魔女》と呼ばれる」

「……嫉妬みたいなものか」

「それも、まあ……ゼロではないかもしれないけどね。本質じゃないよ」


 役に立つのだからそれでいい、と考えるなら、そもそも魔術など学ばなくていい。

 それ以上に便利な技術など、現代にはいくらだって存在している。効率的じゃない。

 それでも魔術師たらんとするのなら、扱うものはやはり魔術でなければならないのだ。


「で、ここからが本題なんだけど。魔女は基本的に先天性の症状なの。何かしらの理由で生まれたときから、魂に魔術がひとつ刻まれている。本来、後天的再現は不可能な症例。不治の病――魔女は生まれた段階から、魔女であることを義務づけられて生きている」

「病……」

「言ってみれば呪いだからね。人ではなく世界に呪われて出る病状。だけど、それを後天的に人間へ刻み込もうとする実験が、かつて行われていたんだ。――私は、その成功例。しかも世界で唯一の。うん……だからそういう意味では、大輝と少し似てるのかも」


 片や、世界で唯一の異世界経験者。

 片や、世界で唯一の後天的な魔女。


 そういう意味では確かに、ふたりは似たような立場にいるのかもしれない。

 世界のどこを探しても、同じ立場の人間が存在しないという意味で。


「もともと魔術師ではあったんだけどね。魔力を持ってたから。だけど、まあ……実験の被験者に選ばれてね。それはほとんど不可能に近い、ううん、不可能でしかなかったはずなんだけど。なんの因果か、奇跡に奇跡を重ねるみたいな偶然で、私だけが生き残った」

「…………」

唯一の成功例フィニッシュドプロダクトであり、後天的な魔女症例アーティフィシャルウィッチケース。それが私。症例番号ケースナンバー013サーティーン。よりにもよってで、私は魔術師としての未来を全て閉ざされてしまった」

「父、親に……?」

「まあでも、幸運ではあるんだと思う。言うまでもないかもしれないけど、私以前の十二人はみんな死んでるわけだし。再現性もなくて、結局そのまま実験も凍結された。だから十四人目以降の被害者が出ることもない。……私ひとりが、あの場所から助け出された」


 大輝は、息を呑むほかなかった。

 自らの父親に、ほぼ死ぬしかなかった事件の被験者とされた者の気持ちなど、想像することすらできる気がしない。

 生き残っているだけでも、確かに熾は幸運だったのだろう。


「私に、魔術師として生きる以外の道はなかった。だけど魔女である以上、私が魔術師として評価を受けることは絶対にあり得ない。いろいろあって、今はここで生きてるけど」


 何を言えばいいのだろう。言葉など、どこにも見つけられない。

 自分が悲しむのも怒るのも筋が違うとは思う。割り切ったように語る熾へ、今さら安い慰めを吐くのもおかしい気がした。

 けれど、ほかに何が見つけられるでもない。


「それだけ。……なんとなく、大輝には知っておいてほしかったから」


 熾もまたそれは同様だ。


 どちらがより不幸かなど、比べ合うことに意味はない。

 できるとすれば、それはどちらも今は幸福なのだと笑い飛ばすことくらいだろう。


 自分がなぜこの話をしたのか、終わった今も熾にはわからなかった。

 それを聞かせたという事実が、下手なことを知ったというマイナスを大輝にもたらすことはあれ、プラスの意味を持つことになるとは熾もあまり思えないのだ。


 それでも。

 固執していた魔術師らしい在り方ではなくとも、熾は言おうと思った。


 ――だって私は、過去なんて関係なく、この街で笑って生きているから。


「そっか」


 と、大輝はそれだけを呟いた。

 伝わったのかはわからない。わからないけれど、それでよかった。

 熾は笑う。


「うん、そうなんだ」


 大輝も笑った。


「お互い、いろいろと苦労するな」

「本当だよね。まあ、別にどうだっていいんだけどさ。私は、私だから」

「…………」

「大輝はどう?」

「うん。……まあ、そうだな。オレは、オレだよ」


 小さく息をつくと、大輝は肩を竦めてみせながらわずかに笑う。


 その顔に。

 思えば初めて見るかもしれない、気の抜けたような青年の笑みに――。

 ――少女は、ほんの少しだけ見惚れて。


「なあ、熾。ひとつ、言っておこうと思うんだけど」

「……え? あ、ああうん。何?」


 ぼうっとしてしまったせいだろう。

 続く言葉に、防御がまったく間に合わなかった。


「オレ、熾のこと好きだよ」

「――――――――、へ?」


 言われた言葉の意味が受け止めきれず、目を丸くして少女は固まる。

 肘を突きながら青年は苦笑し、次いでわずかにからかうように。


「そう照れるなよ。こういう言葉は素直に受け取っといてくれ。でないと、言ったオレのほうが恥ずかしくなる」

「あ……、え? あぁいや、そんな、あっさり……」

「まあ、伝えておいたほうがいいのかなって。別にオレは、熾に巻き込まれたからここにいるわけじゃない。オレはちゃんと、オレの意志で熾を手伝うことにしている」

「……大輝……」

「それは言っておきたかった。悪いけど、この先も熾の仕事について回るって決めたからな。オレにも目的ができた。そのためには熾の協力がいる。まあ、なるべく足手纏いにはならないよう努力するが、ある程度は我慢してくれ。なにせ、熾はオレがいなくても平気だろうが、オレは熾がいないとあっさり死ぬぞ」

「な、……何それ」


 熾は噴き出すように笑う。

 いきなりとんでもないことを言い出すと思ったら、まさかそれ以上が続くなんて。


「ほら、一応そこは言っとかないと。基本、頼りにならんからな、オレ。迷惑をかけないとは言えないだろ? むしろだいぶ迷惑かける」

「よく言うよ。昨日だって大輝が助けてくれなきゃ私、死んでたかもなのに」

「そうだったか?」

「ばか。……ありがと」


 さすがに熾だって、大輝がなぜそんなことを言い出したのかくらいはわかっている。

 異世界での過酷な日々から生還し、ようやく普通の生活を取り戻した大輝を、再び命の危険と隣り合わせの場所へ引きずり出したのは自分だ――少なくとも熾はそう思う。

 それを気にするなと、彼は言ってくれているのだ。


 熾のことが好きだから手伝っているのだと、自分にも目的はあるのだから気にする必要なんてないのだと、きっと大輝は伝えてくれているのだ。

 胸が、少し暖かくなる。


 ――そっか。

 と、だから熾もようやく気づいた。


 自分が何を言いたかったのか。

 どうして大輝に、自分の過去を話したのか――だから。


「私からも、大輝に言いたいこと、あるよ?」


 熾はそう口にした。

 無言で続きを待つ大輝に、熾は笑って。


「――できれば、私もしばらく大輝といっしょにいたいな」

「え……」

「もちろん強制はできないけどさ。大輝が別の世界に行きたいって言うなら、その方法を見つけられたら……それは止められないけど」


 それでもきっと、大輝が自分を好きでいてくれているくらいには。

 自分だって、大輝のことが好きだと思えるはずだから。


「でも、私ほら、あんまり友達いないからさ? 初めてできた友達とは、あんまり別れたくないなって。……ん、まあ一応、言っとく……的な」


 言っている間に恥ずかしくなって、最後にもにょもにょしてしまったのはご愛敬。

 言われた大輝のほうも、まさかと思うような言葉に目を丸くしていた。


「……熾、ときどき恥ずかしいこと言うよね」

「なんでそういうこと言うかなあ!?」


 慌てふためく少女の姿に、かつての英雄は笑みを零す。


 実際、それは考えていなかったことだ。

 ここにいてはならないと考えるばかりで、この場所にいてほしいと思ってくれる者の存在に気がついていなかった。

 ただ少なくとも、自分が異世界に行っていたことを知る彼女だけは、自分という大輝を知っている。

 この世界でも鳴見熾だけは、この黒須大輝を知ってくれているのだ。

 それは確かに無視できない。


「熾。――ありがとな」


 笑って告げた少年に、人工の魔女は薄く微笑み。


「なんのことだか」


 と、小さく答えた。



     ※



 夕方になって、大輝は家路につくことにした。

 さすがに二日も家を空けられない。大輝の身分は高校生だ。


「んーまあ、大輝の家には防御の結界を張ってあるし、ある程度は大丈夫だと思う。敵がどう出るかもわからないけど、その辺りは私のほうで調べておくよ」


 とのことだった。

 だから陽が沈み危険が増す前に、さっさと家に帰ってしまおうという話だ。


 凪にもこれ以上は心配をかけたくない。異世界から戻ってきて以来、家にいるのも気があまり休まらなかったが、初めて早く帰りたいと思えている。

 早々に自宅へ着き、大輝は玄関の前に立つ。

 ――ドアの取っ手に、何か張り紙がしてあるのが目に飛び込んだ。


 なんの気なくそれを手に取った大輝は、書かれている文字を見て目を見開く。

 鍵を取り出すはずだった手に力が籠もり、大輝はそのまま踵を返して駆けだした。

 その紙には、こんな言葉が記されていたからだ。




『黒須凪は預かった。無事に帰してほしければ、指定する場所までひとりで来い』

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