1-20『元英雄と、この世界』5
食後、そのまま凪とは別れることになった。
どうせなら今日一日、どこかで凪と時間を使おうと大輝は思っていたのだが、当の凪は大輝の申し出を固辞。
食事を終えると、先に帰っていると店を発った。
「事情はわかりませんが、しばらく鳴見さんといるということなんですよね? なら私のことはいいですから、きちんとそちらを優先させてください」
凪は言う。
どちらが年上かわかったものじゃないな、と大輝も思わされてしまった。
「……いいのか?」
「いいかどうかは私が決めることではないと思いますけど。先輩がいいと思っていることなら、妹はそれを信じるだけです。でも、ちゃんと連絡くらいは入れてくださいね?」
「ああ、まあそうだよな……すまん、今日はちゃんと、家に帰るからさ」
「……わかりました。お父さんとお母さんには、私から上手く言っておきます」
物わかりのよすぎる妹に、大輝としても少し――いや、かなり申し訳なく思う。
理由は話せないが事情があってしばらく熾と行動することになったんだが心配しないでくれ――その程度のことしか言っていないし、大輝自身も怪しすぎるとは思うのだから。
それを飲み込んでくれたということは、それだけ信頼してくれているということ。
同時に、もちろん心配をかけているということもわかっている。
異世界から帰ってきて以降の印象で言えば、凪は兄をかなり慕っているし、そして気にかけてくれている子だ、と大輝は思う。
思うところは、少なからずあったはずだ。
「……どう思う?」
と。そんな健気な妹を熾に観察させていた自分は、悪い兄だと思いながら大輝は問う。
凪が去った店内で、食後のコーヒーを啜っていた熾は、曖昧な表情で答えた。
「どうもこうもない、って感じだけど。正直、普通としか」
「……普通、か」
「うん。少なくとも私から見て、変わったところは見つけられなかったかな。肉体は一般人並みだし、魔力もない。まあ魔眼まで使ったわけじゃないし、異海や学會の人間を見て判別できるわけじゃないけど……さすがに、それは可能性としては考えにくいから。まあ天然の異能者だっていうならわからないけど。少なくとも、そういう気配はない」
「気配、ってのは――」
「なんとなく、だけどね。そういう裏側の人間って、まあ特有のきな臭い感じがあるものなんだよ」
「わかる気もするが……アテになるのか?」
これまで会った地球の妙な人々を思い出し、大輝は首を傾げる。
確かに変わった人間が多かったが、一般人と並んでいて見抜けるほどの自信はない。
熾も軽く肩を竦めて、その問いには首を横に振った。
「んにゃ、あくまで直感だね。隠すのが上手い人だっているし、逆に怪しいなって人間が必ずしもってわけじゃない。単に私の所見として、彼女は一般人だった。それだけ」
「まあ、……ならそうなんだろうな」
単純な確率で言うなら、そもそも地球人は99%以上が一般人であるらしいのだから。
これは単に、可能性を潰しただけに過ぎない。そうだろうとは思っていた。
「――おかしいのはオレのほうなんだろう」
「…………」
単に結論として言った大輝へ、熾は難しい顔を向ける。
別段、何かマイナスの意図を込めた言葉ではなかったのだが、そう受け取られたことに気づいて、大輝は首を振る。
「ずっと思ってたんだよ。――この地球は本当にオレが生まれた世界なのかって、オレはこの一年、確信を持つことができなかった……いや、逆だ。疑いを持ってしまった」
言って大輝は、コーヒーを啜る。
記憶にある味――異世界では楽しむことのできなかった味だ。ここは地球だ。
だが、大輝がもともと暮らしていたのと同じ地球かはわからない。
最大の理由は、言うまでもなく妹――黒須凪の存在。
大輝の世界に凪は存在しなかった。
だが、この世界には彼女が存在する。
「初めは混乱した。でもすぐに気づいたんだ、混乱してるのはオレだけだってことに」
「……でしょうね」
熾は頷く。
「パターンはふたつあった。ひとつは、大輝に存在しないはずの妹が急にできたという場合。彼女のほうが異物であるというケース――でも」
「凪は、ごく普通の人間だ。そんなことができるはずもない……する意味もない」
赤の他人が大輝の妹の振りをする。あるいは、自身がそうであると思い込む。
その時点で動機も原因も謎だし、手段に至っては不可能としか思えない。
「その場合、一個世界規模での認識改変が必要になる。実際には、彼女を知る範囲だけでいいんだろうけど……まあ同じ話か。そんな魔術、人間に使えるとは思えない」
「その上、そもそも凪は魔術師ですらない」
「ならケースふたつ目――」
――この世界にとっての異物は黒須大輝のほうである。
熾はそこまでは言葉にしなかったが、少なくとも大輝はもうほとんど確信していた。
「
この世界では、
それだけのことなのだとすれば、なんら不思議なことではないのだ。
「並行世界――いわゆるパラレルワールド」
それは可能性の世界。
以前、熾が大輝との会話の中で触れた通り、その存在は魔術的な分野においてすでに実証されている。一般人でも、その概念くらいは知っているものだ。
そして大輝は、自分がその並行世界へ戻ってきたのではないかと考えていた。
「オレは、異世界から帰ってきたつもりで、また別の異世界に来てたってことなんだ」
異世界――という言葉を、大輝は《地球とはまったく異なる世界》という意味の言葉として使ってきた。
だから地球に帰ってきた時点で、そこは
考えもしなかった。
まさか《地球ではあるが、大輝が生まれたのとは違う地球》もまた異世界ではあるなどと――そんな発想を、持てというほうが無理な話だ。
「まあ、それでも……疑ってはいたけど同時に信じてもいた。さすがにそれは酷いんじゃないかって、ちょっと泣き言も言いたくなるだろ? だから考えないようにした。実際、それ以外は本当に、オレのいた地球となんにも変わらないんだ」
存在しないはずの妹、という決定的に近い証拠を真っ先に突きつけられてなお。
考えすぎだ、何かの間違いかもしれない、妹がいたっていいだろう――仮にも異世界を救った英雄としては、弱気に過ぎる思い込みで自らを誤魔化していた。
あるいは、仮にそうだったところでどうしようもない、と自らを肯定した。だが。
「――熾に会った」
「…………」
「オレは魔術師に会った。熾だけじゃない、もう三人もオレは魔術師を知ったし、未来の科学技術を持つなんて人にも会った。異能者、なんてものいるんだろ?」
「……私が、大輝に確信させちゃったのかな? この世界は、大輝の世界じゃないって」
大輝は、異世界に飛ばされる前の地球で、魔術や異能といった超常の存在を見たことが一度もないのだから。それは、異世界から戻ってきて初めて知ったものである。
本来、それ自体はおかしな話ではなかった。
魔術師は隠れ潜むものだからだ。
魔術師でなくとも、基本的にある種の異常を持つ者は表に出てこない。だからこそ裏の人間と呼ばれるし、それを自認してもいる。
だが――大輝の世界には、本当にそういった者たちが存在しなかった可能性も、ある。
ならば自分の存在は、彼をきっと苦しめた――熾は唇を噛んで大輝を見つめる。
けれど大輝は、ふと目を見開いて、それから小さく笑った。
「ん……ああいや、別に熾のせいじゃないだろ? オレの世界にも魔術師とかがいた可能性だって別にあるんだし。そもそもまあ、この一年でなんとなく確信してたしな。自分を誤魔化そうとはしてたけど、それができるほどオレは器用じゃなかった」
都合のいい可能性を妄信し続けられるほど、彼が異世界で得た経験は薄くなかった。
そういうことではない。
熾のような魔術師や、あるいは異能者、未来の科学技術保有者などといった存在が大輝に突きつけたものは、すなわち可能性である。
「……無理なら仕方がなかった。開き直るしかない。オレは、この世界で生きていこうと思っていた。だけど、可能性があるかもしれないなら、――話は変わってくる」
「大、輝……?」
「本気で探せば、ほかの世界へ渡る手段が見つけられるかもしれないってことだよ。その可能性を提示されたんなら……だとしたら、オレはそうするべきなんじゃないのか?」
事実、少なくとも渡会空也は、異世界への経路を繋ぐことに成功している。
それはまだ異世界から魔物を呼び寄せるだけで、とてもではないが人間が安全に渡れる技術ではなかったけれど。
それでも、今後その魔術を発展させられる可能性の一端だ。
「大輝、は……この世界から、自分はいなくなるべきだって思ってるってこと……?」
熾は問う。
その声が自然と震えてしまった理由は、彼女にはわからなかった。
心のどこかに、それを嫌がっている自分がいるのだと熾は気づけない。だから何も言えなかったし、そのまま大輝が続ける言葉を聞くしかなかった。
「……たとえばオレの両親は、オレの親じゃない。オレはあの人たちの息子ではないし、だからもちろん、凪にとって本当の兄ってわけでもない。別の世界の人間だからだ」
一瞬、大輝の遠回しな言葉に、何を言いたいのか熾はわからなかった。
だがすぐに気づく。
思えば予兆はあったのだ。
大輝は、やけに家族に対して遠慮がちな態度を取る。腕の骨が折れてもそれを隠して、病院へ行くことすら避けたがるほどに。――自分にお金をかけさせたくなかったのだ。
本当の家族ではないから。
「いや、待って、大輝……さすがにそこまで気にしなくても」
「そうか?」
「仮にここが大輝にとって並行世界でも、それでも同一人物で、同じ人間だよ? 大輝にとっては、やっと会えた家族なんでしょ? そりゃ、妹は知らないかもだけど……」
「……そうだな」
言い募る熾に、大輝は笑みで返した。
「そうなんだよ、熾。その通り。オレにとっては以前と変わらない。向こうだってそう思ってる――だからなんだ」
「だ、だから、って」
「誰も、オレがいることをおかしいとは思ってないってことだ。……わかるだろ?」
「――――っ」
熾は息を呑んだ。
その通り。大輝が異物だとして、けれどそれに誰も気づいていないのなら。
「――元からこの世界にいたはずの黒須大輝は、どこかに消えてしまったってことだ」
大輝には、それがわからなかったのだ。
入れ替わりに異世界へ消えたのか。あるいは別の並行世界へ押し出されたか。それとも自分という大輝が来たせいで、この世界の大輝は消滅してしまったのか――わからない。
わかるのは、とにかく自分がこの世界の
「それは……ダメだと思うんだよな、さすがにさ」
大輝は、乾いた声で呟く。
無論、それは大輝の責任ではなかったし、何より全てが手遅れだ。
奪った時間を返す方法などこの世に存在しないだろうし、そもそも大輝が消えたところで、元の黒須大輝が戻ってくるなどという保証もない。
もうどうしようもない。
「どうしようもない……それはわかってるよ。わかってるけど、それでも、もしかしたらどうにかできる可能性だって残ってるだろ? それは……オレには、無視できないよ」
「……大輝は、どうするの?」
熾は、それを訊ねる。
彼の意志を聞きたいと少女は思った。
青年は答える。
「どうかな……わからん。ああは言ったけど、今すぐにオレが消えられるわけじゃない。ヒントを持ってそうだった渡会とは……話す機会がなくなったしな。しばらくはこのままこの
少し、無言の間があってから。
「それなら、もし別の世界へ行く方法が見つかったら?」
「……どうするかな。並行世界って無限にありそうだし、元の地球を探すよりは、慣れた異世界に戻るほうがいいかもしれない。もともと、向こうで生きるつもりだったんだよ。まさか帰ってこられるとは思ってなかったから。いや、厳密には帰れてないんだけど」
「…………」
「急ぎながらも気楽にやる、ってとこかな。だから、しばらくは熾の手伝いをいっしょにやらせてくれよ。何かヒントが見つけられるかもしれない」
「……ねえ、大輝」
彼の言葉を聞いて、魔術師の少女は。
その理由はわからない。
けれど気づけば、そう口にしていた。
「少し、私の話を聞いてよ」
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