1-19『元英雄と、この世界』4
「はあ、そうですか。つまりなんですか、大輝先輩は、まだ会ってたった二日しか経っていない女の子、それも中学生の家に簡単に泊まりに行ってしまうんですか、そうですか」
「うぐっ」
痛烈な批判が黒須大輝の胸を抉った。
そこだけ抜き取られてしまうと反論の余地がないからだ。
大輝にも大輝の言い分があるけれど、その言い分は大半が言えないことばかりで構成されている。
つまり詰みだ。
罪と言い換えてもいい。
「あり得ません。信じられません。失望しました。近寄らないでほしいです」
「いや、あっ、と。その、……えぇと」
――ここまで一方的にやり込められている大輝も珍しい。
隣に座る熾はそんなことを思ったが、そんなことを思っていられる立場でもなかった。
正直、大部分が自分のせいだ、という自覚が熾にはあるのだから。
わざわざいっしょについてきた理由は、もちろん護衛が第一だが、第二は弁解の手助けでもあるのだ。
「ま、まあまあ。ええと、凪さん? その、そんなに怒らなくても――」
「――貴女に名前で呼ばれる筋合いはありません。黙っていていただけますか」
「はい、すみません……」
肩を縮こまらせる熾であった。
横合いから、おいマジかコイツなんの役にも立たねえ、という視線が突き刺さり、熾は心中で呻いていた。でも仕方ないのである。
なんか、大輝の妹さん、こわい。
土台、中学校の同級生とすらロクにコミュニケーションの取れていない熾が、大輝の妹とはいえ年上の女子を相手に、説得を完遂するほうが無理な話なのだ。
少しでも期待した自分が馬鹿だった――大輝は、心中で熾に零点をつける。
最初は自信満々だったくせに。
任せておいてよ、得意だし、とはいったいなんの話だったのか。
――現在、大輝たちがいるのは昨日も訪れた喫茶店《のどか屋》である。
昼頃になって、大輝の負傷はほとんど完治していた。ナノマシンとやらの効果を大輝は強く実感することになる。
大輝にしてみれば、異世界で見た治癒魔法よりも驚きだった。
大輝のいた異世界には治癒の魔法があり、腕のいい治癒魔法師なら命に関わるレベルの外傷さえ、凄まじい速度で治してみせる。
万能ではないし、毒や病には効きづらいこともあったのだが、ある意味では現代の地球を超える医療技術が異世界にはあったわけだ。
ただ、それも《魔法》と聞くと、なんとなくそんなこともできるのだろう、という気になるものだ。
むしろ《科学》と聞かされるほうが驚いてしまう。
ナノマシンすげえ、と。
その後は十野に言われてあった通り、自分で二度目のスタンプを腕に押した。
これによって、体内に入れたナノマシンが分解されてなくなるのだという。
一般に広く公開すれば多くの命を救えそうな技術だが、熾曰く『それ以上に犠牲者が出る』らしい。
「十野さんもその辺りは弁えてる。大輝も勝手に漏らさないでね」
「……ああ、心得てるよ」
「十野さんはこの街に常駐してくれてるから、今後もお世話になるかもだし。顔は繋いでおいて損のない人だよ。今回もまだ頼りにしたいしね。こっちに首は突っ込まないけど、逆に学會の事情もこっちに及ぼさないでくれる……十野さんは、本当に貴重な人材だよ」
「まあ、得難い人材っぽくはあるよな……」
異世界より、地球のシステムのほうがなんだか複雑に思える大輝だが――ともあれ。
――その後、大輝は妹の凪に連絡を取り、いっしょにお昼を食べようと《のどか屋》に呼び出したというのが、ここまでの大まかな顛末である。
あるのだが。
「連絡もなしに無断外泊して。呼ばれて来たと思ったら女の子がいっしょ。そりゃあ別に大輝先輩が誰と何をしていようと――ナニを、していようと!」
「なぜ強調……あっすみませんなんでもないです続けてくださいごめんなさい」
「……所詮、妹の私になんか関係ないというのであれば、返す言葉もありませんがっ!」
そう言う割に、凪は大輝の無断外泊がいたく気に入らない様子である。
注文したパスタを不機嫌そうにつつきながら、さきほどから説教が止まなかった。
「まあ、機嫌直してくれよ。ほら、ここはオレが持つから……」
「大輝先輩は、女の子は適当にご飯でも奢っていれば機嫌が取れるとお思いなのですね」
「あのいえ、そんなつもりは毛頭……」
「確かにっ! 安くてチョロい面倒な妹如きっ! ええ、ええ、喫茶店の千円のパスタで誤魔化しておけばいいんでしょうね。そうなんでしょうとも。……兄さんのばかっ」
「本当、本当そんなつもりじゃないんです。本当です」
大輝はおろおろしていた。それはもう、おろおろしっ放しだった。
当然ではあるが、たとえ記憶にない――異世界に向かう前は存在しなかったはずの妹であろうと、こうして素直に兄と慕ってくれる凪を無碍にできる大輝ではないのだ。
兄だという自覚――いや、記憶は、大輝にはない。
はっきり言って記憶にない他人なのだ。
だとしてもそうなっている以上、大輝は彼女を妹として扱うし、気も回すのだ。言い換えれば、大輝は妹にめちゃくちゃ甘いし、弱い。
とはいえ。
「……冗談ですよ、兄さん。いえ本気ですけれど、そこまで怒っていません。大輝先輩がどこで何をしていようと、私に口を出す権利なんてないんですから」
幸運――というのもおかしいだろうが――凪のほうも、自分に甘い兄を都合よく扱って振り回すほど、傍若無人な性格ではなかった。
むしろ彼女は、常に兄を立てている。
まさに理想的な妹、ではあるのだろう。
性格もよければ器量もよく、素直に兄に懐いている。わがままなど滅多に言わず、ちょっと心配症ではあるが、束縛など考えもしない。
無論、それは逆を言えば、だからこそ大輝も凪を無碍にできないとも言えるのだが。
「ただ……それでも連絡くらいはしてほしかったです。心配なんです、大輝先輩は。すぐどこかへ、ふらっといなくなってしまいそうな、そんな感じがするんです」
「いや、そんな……」
大輝は手を振ったが、隣で熾が内心『わかる』と頷いていることには気づかなかった。
そもそも事実、大輝は異世界に消えていた実績があるのだが。
それは大輝が自らいなくなったわけではないし、そもそも凪が知るはずもない。大輝としては不服な評価だった。
が、言えない危ないことに首を突っ込んでいることは事実なのだ。
現状を考えれば、ある日どこかで殺されたり、あるいは捕らえられたりして、家族の前から唐突に姿を消す可能性はゼロじゃない。
反論しづらく、どうしても言葉尻が濁った。
「――それよりも」
と、そこで凪が熾へ視線を向ける。
年上の美人の女子、という時点で割と苦手な熾は、ひょわ……と息を呑んだ。
弱い。
「確認します。――そちらの方は大輝先輩の彼女ですか」
「…………はぅえ?」
まあ。普通に当然の質問だよな、と大輝は思うのだが。
翻って熾のほうは、まさかそんなことを訊かれるとは一ミリも想像していなかったのである。
こんなことすら予想できないのが、鳴見熾という名のぽんこつ中学生だった。
「うぇえっ!? あのやっ、そっ! え、あ――ちちちがっ、うぁえと……っ!?」
よしんば予想していなかったとしても、さっと否定すればいいだけの話。
そして、それすらもやっぱりできないのが、鳴見熾という名のぽんこつ魔術師だった。
ぽんこつはその顔を、それはもう真っ赤にして混乱状態だ。
視線を隣の大輝と、正面の凪の間で彷徨わせ、両手をわたわた、口はあわあわ、使い物にならない狼狽っ振り。
「……?」
反応があまりに初心すぎて、訊いた凪も逆にわからなくなっていた。
――どうなんだろう。
図星だったのか、本当に違うのか、露骨すぎて逆にわからない。
仕方なく大輝に視線を向ければ、兄は呆れた様子で凪に首を振っていた。フォローするどころか、もはや大輝にフォローされている。
何しについて来たのか。
「……違うんですか?」
「凪も自分で言ってただろ。会ったばっかりの中学生と付き合うほど手は早くないよ」
そもそも大輝は、精神年齢的には二十歳過ぎなのだから。
そんなことは考えてもいなかったし、だから当然のことを言ったに過ぎなかった。
過ぎなかったのだから当然、予想もしていなかった。
「……………………そうですが。なんでもありませんが。ただの知人ですが」
あまりにもあっさり否定されたことが、なんとなく気に喰わなくて、熾が拗ねるなど。
本当に考慮の外側である。
――そりゃあ確かにそういう関係じゃないけど、いっしょに死線を潜り抜けた仲なんだから、もうちょっとくらい言い方とかあるじゃん……なんて。
そんなしょうもない理由で熾がむくれるなど、大輝にはわからなかったのである。
ゆえに大輝は首を傾げる。熾に丁寧語が出るのは、概して怒っているときや焦っているときなのだが、今のはなんだろう。
相手が年上だからだろうか、とズレた思考。
――なんとなく察したのは、その場では凪だけだった。
「兄さん」
「え、――あ、おう。何かな?」
「ばか」
「……えっ……?」
呆れた視線を向けてくる妹(記憶にない)と、急に不機嫌になった友人(魔術師)。
異世界生活の経験値をもってしても、対処の方法が大輝にはわからなかった。
仕方がない。こういうときは、話題を変えてしまうのが最善だ。
下手に謝ったりしても逆効果なことが多い――ということならば、これは大輝も異世界で学んでいたのだ。
主に、仲間のひとりでいちばんの古株だった魔法師の少女がそうだった。
気の強い少女で、大輝が異世界で初めて出会った人間であり、同時に旅の最後まで付き従ったくれた少女でもある。
異世界の常識がなく、また強さから無茶をしがちだった彼を何度も叱り、諫め、導いてくれていた恩人と言ってもいい。
――今は何をしているんだろう。まあ、元気にやってるとは思うけど……。
ふと思い出して懐かしくなったが、ともあれ、ここは当時の対処法を流用しよう。
「おほんっ。ところで、さっきチラッと言ったけど改めて。こちら、オレの友人の鳴見熾さん。それで熾、こちらがオレの妹の黒須凪――一回、家の前で顔は合わせたよな?」
ふたりは同時に大輝を見て。
「知ってるけど……」
「さっき聞きましたよ、大輝先輩」
「うん。うんまあそうなんだけどさ、ほら。せっかくなら仲よくしてほしいなって」
凪は周りから好かれる性格で、友人も多いはずだが、なにぶん大輝を優先しすぎる。
一方、熾は基本的に周囲とは無干渉没交渉を貫いており、親しい友人がほぼいない。
そのふたりが、友人同士になれれば素敵だろう、というのは大輝の本心なのだ。
伝えることのできない事情もあるとはいえ、それとは別に関係を築くことはできる。
「……そうですね」
と。凪がそう言ったのは、おそらく兄の意を汲んだからだ。
苦笑せざるを得ない。気を使われているのは、いったいどちらなのか。
「何かのご縁ですし、ええと――鳴見さん。よかったら連絡先を交換しましょう」
「ふぇ? あ、あのえと、……よろしいのですか?」
「え? え、ええ。もちろん構いませんけれど……嫌でしたか?」
「あ、そんな滅相もないです。すみません、こういうの慣れてないので……ええと、何を言えばいいんだっけ。住所だっけ……」
「違いますが……」
「で、ですよね……そうですよね。あっ、えっとじゃあ、スマホ渡しますね……」
「――――――――――」
凪が『マジ?』みたいな目で大輝を見てくる。
マジだよ。
その子はマジ。
ごめんね。そういうの慣れてないの。
――大輝は視線でそう答えた。
連絡先を交換し、自分のスマホを何か貴重なものを見るようにキラキラした目で眺める熾を横に、凪は大輝に向かって言う。
「……兄さんっていつも変わった方とばかりお友達になりますよね」
「それは、ほかに誰を想定して言ってるの……?」
「いえ。まあ、具体的なものではなく、なんとなくの印象なんですけれど」
そう言って凪は、優雅な様子でコーヒーを飲む。似合っている。
落ち着きすぎな妹から、大輝は横の落ち着かない魔術師へと視線を移した。
「ね、ね、大輝、大輝っ」
熾ちゃんは、それはもう嬉しそうな表情で。
大輝の袖をくいくい引っ張って、スマホの画面を突きつけてくる。
「連絡先。連絡先を交換しちゃったよ……すごくない? これって快挙だと思うな。えへへ」
――よかったねえ。
まったく皮肉ではなく、心の底からの本心で大輝は思った。
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