1-18『元英雄と、この世界』3

「自分が異世界経験者だとは誰にも話さないから大丈夫、なんて単純なことじゃないのはわかってるよね? そもそも、事実として私には言ってしまってるわけだし」

「いや、まあ、……そういう言い方をすればそうだけど」

「その時点でセーフだったのは運の問題でしょ。最初に話したのが私じゃなかったら今頃どうなってたかわからないし、――話さなくても問題が起きるのは昨日の通り」

「っ――そうだ、あの……渡会って奴は」

「――死んでたね。いや、殺されてた、が正しいか」

「……っ」


 あまりにもあっさり告げられる言葉に、大輝は息を呑む。


 死に実感がなかったのではない。地球ではともかく、異世界では見慣れてしまった現象だ。

 昨夜、目の前にいた渡会空也という存在から、何か決定的なものが失われてしまったことが大輝にはひと目で理解できた。間違いなく彼はあの夜、死んでいる。

 それでも大輝が息を呑んだのは、やはり地球という場所においては見慣れていないからであり――それを、中学生の少女があまりにもあっさり口にしたから、なのだろう。


 大輝にとって、これまで《地球》とは――この世界とは日常の象徴であり続けていた。

 なんの前兆も承諾もなしに、いきなり放り込まれた戦いの中で、いつか帰りたいと願う場所。

 それに成功して取り戻された、なんでもない、けれど大切な日々の生活。


 それが今――否、数日前から恐ろしい勢いで壊されている。


「タイミングのよさから考えて、あの場にいたかはともかく――昨日の戦いを誰かが見ていた可能性は高いよね。ていうか、そいつが黒幕だったと考えるのが妥当かな」


 淡々と、推測を重ねるように熾は言う。

 昨夜、命を落としたひとりの人間に対する感慨などなく、彼女はただ事実だけを見る。


 ――理屈はわかる。命さえ危うかったのだ、敵に同情するほうがおかしいと、きっと誰だって言うだろう。大輝だって、その理屈がわからないわけじゃない。

 けれど。

 やっぱりそれは、ただの中学生が簡単に割り切れることでもないと思う。


「道理で違和感があったわけだよ、ずっと。渡会空也は操られてただけなんだろうね」

「……そうなのか」


 大輝は言った。ほかに言うべき言葉を飲み込んで。

 たぶん、何かが正しいとか間違っているとか、そういう話ではないのだから。


「うん。大輝は繋がったからわかってると思うけどさ。私の本来の魔術適性は《接続》にあるから。だからなんとなく読めたんだけど……渡会の目的は、あくまで自分が異世界へ行くことなんだ。あいつは、それだけをずっと願っている魔術師だった」

「…………」


 大輝は、その気持ちには共感できない。

 異世界に行きたいと願ったことはないのだ。少なくとも、自分で願って行ったわけでは絶対にない。それだけは確かだ。


「でもさ。だとすれば私に――この街に喧嘩を売る理由は、なかったはずなんだよ。そのズレは無視できない。彼は何者かに、思考の矛先を誘導されていたんだと思う」

「誘導……。魔術で洗脳されてたとか、そういう話か」

「そうならむしろ楽だったよ」

 熾は首を振る。

「魔術の痕跡が残っていれば、難しいけどそれを辿れる可能性もあった。でも、そういうことじゃない。そんな気配は、少なくとも私は感じられなかった。渡会は思考を誘導されたんだ」

「……」

「周到だよ、裏にいる奴は。思えば最初からおかしかったんだ。渡会はずっと、こっちの探知を掻い潜ってた。その方法があったんだ。なのに、この街に入った最初のときだけ、渡会は探知に引っかかってる……わざと気づかせたんだ。渡会は撒き餌だった……」

「ああ――、そうだ」


 大輝は、そういえば言っていないことがあったと思い出して、熾に伝える。

 ――あの夜、出会った女性のことを、彼女にはひと言も教えていない。


「あの渡会空也をこの街に手引きした魔術師になら会ったぞ」

「そう! あいつの能力を見るに、やっぱり協力者がいたと考えるのが――オイィ?」


 突如として。

 熾のチョップが大輝の脳天に落とされる。


「おいおいおいおいおい」

「痛い痛い痛い痛い痛い」

「何。え、何? 今だいぶ聞き捨てならないこと言った気がするんですけど?」


 べしべしと大輝を連打する熾。

 言うほど痛みはないが、それでも攻撃を防ぎ――そこで、ふと大輝は気づく。

 なんだか本当に体の痛みが軽減され始めていた。

 十野のナノマシンの効果だろうか。


「どうしてですか。どうしてそんなことを大輝が知っていますか。なぜですかぁ」

「……熾から丁寧語が漏れるタイミング、だいたいわかってきたよね……」

「そ、そんなことどうでもよくてっ!」

「ああ。いや、昨日の夜、熾と別れたあとに魔術師を名乗る奴が俺のところに来て」

「――結界に入ってくる前にもう一戦してたってコト!?」


 驚愕に目を見開く大輝だが、別にそこまで大層な話ではないと思っている。

 実際問題、憂は個人の思想や思惑があって渡会に協力していたわけではないのだろう。

 少なくとも彼女の言った仕事という言葉は、嘘ではないはずだと大輝は捉えていた。


「まあ最終的には通してくれたしさ。確かに魔術師を自称してたけど、アレは十野さんと同じ感じで、たぶん依頼されて渡会に協力してただけじゃないかな。黒幕ってわけじゃ」

「いやそういうことはもっと早く言ってっ!」


 ぷんすかと怒る熾。ただまあ、大輝だって別に隠していたわけではなく。


「割と最速で伝えてるよ。今までそんな暇なかったし」

「そう……かも、しれないけど」


 熾と合流してすぐに戦闘になり、終わったと思えばすぐ熾が倒れてしまった。

 その後は治療があって、ようやく落ち着いて話せる段階なのだから、おかしいということはない。

 熾もそれはわかっているのだろう。不服そうにしつつも納得した。


「む、ぐぅ。まあ確かに私は倒れてたわけだけど。――で、そいつの名前は?」

愛子あいこうれい。当人は運び屋だって名乗ってたけど……あ、そういえば名刺を貰ってたよ」


 ポケットに突っ込んだままにしていた、憂の名刺を大輝は見せる。

 熾はそれを一瞬だけ眺めると、わずかに首を振って言った。


「……知らない名前だ。調べてはみたいとこだけど」

「あ、でも、今ふと思ったけど偽名ってこともあるんじゃ?」


 訊ねた大輝に、熾は肩を竦めて。


「あり得るけどね。仕事してるんでしょ? なら通り名としては通用してるんだし、それならそれで出てくる情報もあると思う。……あの場所に、人がいた、かあ……」

「オレも、向こうが姿を見せるまでぜんぜん気配を感じなくて驚いたよ」

「気配とかわかるわけ?」

「んー……まあ、なんとなくは」

「それもおかしいような気がするけど。でもまあ、ということは街の探知を掻い潜ってる理由は、そいつにあると思っていいのかな。なら黒幕についても知ってるよね……」

「あ、そうなるのか」


 考えてなかったな、と大輝は思う。

 憂は憂で、重要なことは隠していたわけだ。


「呼び出して訊いてみるか?」

「来るわけないでしょ。万が一に来たとしても答えるわけないし、意味ないよ」


 そういうものなのだろうか。

 だとすれば、いつ憂に報酬を渡せばいいのだろう。ふと悩む大輝に、熾が言う。


「どういう魔術師だったわけ?」

「……どうだろう。気配を隠すのが上手いってことはわかったけど。ああ、あとこっちを動けなくする魔術も使われた。なんか、足が地面に貼りついたみたいになるヤツだ」

「そんなことがあったの?」

「まあ、足の裏以外は動いたからなんとかなったんだが。魔術ってそこが怖いよな。いつ発動するのか読めないせいで、対応しづらい」


 熾の《純黒》などが、まさに典型だ。

 ただ念じるだけで発動する不可思議には、どうにも振り回されてしまう。

 思い出して肩を震わせる大輝に、けれど熾が首を横に振った。


「そんなことないよ。魔術の発動には必ず準備がいる」


 その言葉に驚いて大輝は訊き返した。


「え? でも、昨日は――」

「私の術は例外。普通、魔術には準備が必ず必要なの。それが詠唱だったり儀式だったり陣や神殿の構築だったりあるいは生贄だったり――形が違うだけで前兆はある」

「そうなのか……」

「そいつが魔女だって言うなら話は変わるけどね。まあ単に大輝が見逃しただけでしょ」


 話し振りからして、憂が魔女だというのは考えにくい気がするのだが。

 となれば、熾の言う通り前兆を見逃していたのだろうか。大輝に知識がないのは事実だから、違うとは言い切れなかった。

 その辺り、今後は留意すべきかもしれない。


「……とにかく。この一件はまだ終わってない。解決できてない」


 熾は言う。それから大輝を、まっすぐに見据えて。


「そして大輝ももう、部外者とは言えない。渡会がスケープゴートだったことを加味しても、目的に有用な能力だったから目をつけられたと考えられる。――意味、わかるよね」


 少し考えてから、大輝は答えた。


「渡会の裏に黒幕がいるとするなら、そいつはオレが異世界帰りだと知っている。そしてオレを狙いにしてくる――その可能性は低くない、ということか?」

「そう」

 熾は頷いて語る。

「もちろん、大目標は私のほうなんだとも思う。それはそれで不可解ではあるけど、まあ私を欲しがる魔術師は珍しくない。戦力差を考えなければ」

「……熾は魔術師にモテるわけか」

「見方次第かな。これでも高嶺の花だし。――ともあれ、少なくとも今回の黒幕は昨夜の戦いをなんらかの方法で見ていた可能性が高い。それは渡会にも気づけなかった、大輝の素性を悟られているかもしれないという可能性に繋がってくる」

「異世界に関する知識を欲しがってるかもしれない、ってことか……素直に聞いてくるんだったら、別に教えたっていいんだけどな」

「聞くだけで満足できるなら、そういう道もあったかもね。それよりも問題なのは、逆に今、私たちはその《黒幕》に関する情報を何も持っていないということ。これが厄介」


 難しい顔で熾は考え込む。

 実際、街の警戒網に引っかかったのは渡会空也だけだ。それ以上の情報はない。


「対処が受動的にならざるを得ないのは問題だね。ホームにいる有利を活かせない」

「ああ……。昨日みたいに待ち構えられると、確かに厄介だよな」

「結界の内側で待ち構えられると、相手に有利な状況になるからね。面倒だよ」

「……敵の予想はつかないのか? この街に来て、わざわざ熾に喧嘩を売ってるってことは、言ってみれば熾に恨みがある可能性とか考えられるわけだろ?」


 訊ねる大輝だが、熾は難しい顔でそれを否定する。


「そうとも限らないかな。私の背景は調べればわかることだし、恨みで動いてるわけじゃないのかもしれない。――あと、恨みだとしても結構買ってるからなー」

「そうなのか……いったい何してたんだ今まで」

「いいじゃないですか別にそんなことは私は清く正しく生きています」

「誤魔化した……」


 ――言いたくないなら無理には訊かないが、熾も剣呑な生活を送っているものだ。

 呆れるべきか、違うのか。迷いながら、大輝も考えてみる。


「渡会を操って隠れていた黒幕、ねえ……意外と、渡会の身内なのかもな。たとえば父親とか。ほら、確か二代目とか言ってたろ? てことは父親も魔術師なんじゃ……」

「――――――――、?」


 推測とも言えない大輝の言葉に、熾が目を見開いた。

 大輝は目を細め、熾に向かって確認する。


「……また的外れだったか?」

「違う。それ……今回はビンゴかもしれない。確定はできないけど、でも可能性は高い。うわ、そっか、どうして思い浮かばなかったんだろ……。それ充分にあり得るよ」

「マジか」


 大輝が持っている、渡会空也に関しての情報などほとんどない。

 だから思いつきを言ってみただけだったのだが、今回はそれが功を奏したようだ。


「そうだ、魔術によらない洗脳……。人間をひとり誘導してるんだから。ある程度、長い時間をいっしょに過ごした関係である可能性は低くない。実際、視た感じ渡会は父親からかなり色濃く影響を受けてる。むしろ第一の容疑者と言ってもいい……」


 そのときだった。

 ふと、大輝のズボンに入っているスマホが、ぶん、と鳴った。


 取り出して見てみると、そこには《黒須凪》の表示名。大輝は表情を顰める。


「そっか、しまった。無断で外泊したもんな……」

「――どしたの?」

「あ、いや。妹から連絡があって。たぶん、帰ってこなかったことを怒ってるんだ……」


 難しい表所を見せる大輝に、熾は小さく苦笑する。

 異世界帰りであり、それに相応しいだけの能力を見せる大輝だ。そんな彼が、こうまで普通の高校生らしい悩みを見せるのが、なんだか逆に珍しく思えてしまう。


「ああ。じゃあお昼は、外で食べることにしよっか」


 ゆえに熾は、そんな提案を大輝にした。

 首を傾げる大輝に、熾は名案だとばかりに言う。


「ほら、今日は土曜日だし。お昼ごはんでもご馳走して機嫌を取ってあげれば?」

「……簡単に言ってくれるよなあ」

「いいじゃん。外泊の件については私もきっちり擁護してあげるから。あ、任せておいてよ。もちろん余計なことは言わないよ。そういうのは得意だし」


 むふん、と熾は胸を張る。上手く誤魔化してやろう、という心積もりらしい。


 ――本当に得意か?

 大輝は割と疑わしく思ったが、指摘まではしない。

 それはそれでいいのかもしれない。


「じゃ、そうするか……」


 小さく呟く大輝に、熾は柔らかな笑みを向け。


「にしても、仲のいい兄妹だよね。こないだ見たときから思ってたけど」

「……そうか? そう見えるならよかったけどな。ああ……いいことではある、はずだ」


 小さく、どこか自嘲すら垣間見える様子で大輝は呟く。

 熾は目を細めた。その態度は、なんだか妙に大輝らしくないものだ。


「……どうかしたの? なんかヘンだよ。気になってることがあるなら言って」


 だから熾は言った。

 大輝は、少しだけ驚いた顔を見せながらも、直後に小さく微笑み。


「……少し恥ずかしいな。熾には、もう隠しごとができないのかもしれない」

「あ、いや、そんなに便利な魔術じゃなかったんだけど――えとそのっ」


 昨夜、魔術を通じて大輝と共感を働かせたことを言っているのだろうが。

 実際のところ、そこまで便利に相手の考えていることを読み取れる術ではないのだ。

 だがそれを言うということは、逆を言えば熾はすでに、大輝の表情を読み取れるようになっていると伝えるようなものになる。

 それは、むしろ熾のほうが恥ずかしかった。


「――おほんっ」

「あれ。今なんか誤魔化した?」

「とにかく! なんかあるなら言ってよ。パートナーじゃん、私たち」


 それはそれで恥ずかしい台詞を自覚なく吐く熾に、大輝は頷き。

 ぽつり、零すようにこう呟いた。


「……みんな言うんだ。昔から仲のいい兄妹だね。素敵な家族だねって……オレに」

「…………」

「両親も言う。凪は昔からお兄ちゃんにべったりだって。ああ、そう言うんならそうなんだろう。実の親だ。そのはずだ。なら正しいはずだ――

「覚えが……? 待って、大輝……それは」

「オレだけが知らないんだ。オレだけが、黒須凪という妹を、知らない。――いや違う、本当は知っている。凪という音は。それがということなら――オレも両親から聞いた覚えがあった。異世界に行く前に」


 その言葉を真っ当に理解することが、熾にはできなかった。

 頭の回転が間に合わない。ただ大輝が何か、とても重要なことを言っているのだろうと察しているだけ。

 ゆえに必然、次の言葉には驚愕せざるを得なかった。


 大輝は、熾に告げる。


「――異世界から帰ってくる前の世界オレに、黒須凪なんて妹はいなかったんだよ」

「そ、れは……」

「本当は言う気もなかったんだ。それどころじゃないし、せめて面倒が片づいてから相談するか考えたかったんだけど。でもさ、熾――魔術師としては、どう考える?」


 答えられない。

 答えようがない。


 いくらなんでもそんな事態は熾だって想像していない。――けれど、大輝は言う。




「――オレは、いったいどこにいるんだ?」

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