1-17『元英雄と、この世界』2

「え。あの……それってどういう?」


 大輝は目を白黒させて問う。

 魔術師も大概だが、未来の科学技術を持っている、というのはまた分野が違う。

 いつの間に地球は自分の知らない魔境になったのか。

 初めから、知らない世界があったのか。


「こちらを」


 だが大輝の問いに十野は答えない。

 代わりに手渡されたのは、さきほど左腕に押されたのと同じもの。手のひら大で筒状の何か――という程度にか表現できないものだ。

 デカいハンコ、が近いかもしれない。


「……これは?」


 という問いには十野は答える。


「今、体内に注入した治療用のナノマシンを溶かすためのものです。入れっ放しにすれば今後は傷を負っても治せる、などと考えることのないように。責任は一切持ちません」

「……入れっ放しにするとまずいんですか?」

「入れるだけでまずいとも言えますが」


 入れてから言うな。

 大輝の顔はわかりやすく蒼褪める。――何コレ魔術より怖い。


「未来の技術であっても、決して万能ではない、ということだと思ってください。今回のものはまだ弱いタイプですが、腕のヒビ程度に使うのは過剰ですね。贅沢と言えます」

「あのこれ本当に大丈夫なんですか?」

「一回使う程度なら問題ありません。そもそも治療のためのものです、そこはご安心を」

「……ならいいですけど……」

「とはいえ、あまり濫用することはお勧めしませんが。代金を頂く限りは、そして在庫のある限りはご提供しますが、……貴方も、改造人間にはなりたくないでしょう?」

「本当に何入れたんですか!?」

「大丈夫ですって。――一生で十回以内くらいなら」


 ――もしかしてこの人、わざと不安を煽る言い方をしてるんじゃないか?

 と、大輝は思わず視線を細める。

 楽しんでいるわけではなく、あくまで釘を刺しているだけだとは思うのだが。

 割と珍しく不安そうな大輝。その姿を楽しんでいるのは、やはり十野のほうではなく。


「あっははっ! なんか珍しい感じだ」

「……笑うなよ、熾……」


 不安そうに狼狽える大輝を見て、熾は面白そうに口許を押さえていた。

 ちょっと拗ねた大輝が唇を尖らせてみせると、熾は漏れる笑いを噛み殺しながら。


「ごめん、ごめん。大輝、戦いのときでもすごく冷静だから、そんなに慌てた姿を見るの初めてって気がしてさ。いや、むしろちょっと安心」

「……熾にいきなり唇を奪われたときも、だいぶ焦ったけど」


 これは大輝なりの反撃だったのだが、意外にも熾には通じなかった。


「何、気にしてるの? 意外と初心だね大輝」

「…………」

「まあ私みたいなのに勝手に奪われたんだから怒るのもわかるけど。でも、こっちも魔術師だから。必要なら別に躊躇わないよ。魔術って結構、性的な要素も含んでるんだよ?」


 むしろからかうように、そんなことを言われてしまった。

 いつもは恥ずかしがるのだが。

 どうも熾は、それが《魔術のため》という大前提がある限り、大抵のハードルは感じなくなってしまうらしい。だから平然としているのだろう。


 反撃の糸口を失い、閉口する大輝。

 それを切り開いたのは、なぜか意外なところから飛んできた急襲で。


「おや、彼は貴方の愛人ではないのですか」


 しれっと放たれた十野の言葉に、


「ぼあ……っ!?」


 熾は秒で真っ赤になった。


 ――なんで、それは効くんだろう。

 大輝は思ったが、口にはしないことを選んだ。


「いえ、貴女も若い乙女ではありますし、私も貴女の親ではなし。中学生だからといって口出しする気はさらさらありませんが」


 十野は淡々とそう続け、熾は大輝をチラチラ見ながら、何やらもにょもにょしている。


「ふぇあ、いぁ、そぅゆぅのじゃ、にゃにゃ……」

「ただまあ仮にも医療に携わる者として言わせていただけば、――避妊はしっかりと」

「だっ、ちっ、――だから、そそ、そんなこと、私、しな……っ!!」

「え、避妊しないんですか?」

「そそそっちじゃないっ! そうじゃないっ! そういうのは、まだ、しないもんっ!」

「まだ?」

「言葉の綾ぁ!!」

「――っ」


 十野が顔を背けて、肩を震わせる。

 その表情は見えなかったが、なんだろう。大輝は苦笑せざるを得ない。


 硬い人かと思っていたが、今のはどう見ても熾をからかっていた。

 ていうか、やっぱりさっき、自分もからかわれていたのかもしれない――そう思わされてしまう。


 十野はすぐに顔をこちらに戻す。

 その表情は、さきほどまでと変わらない真顔で。


「説明を続けます」

「ちょっと! まだ話は……なんで無視!?」


 熾が面白いことになっているが、放置したほうがかわいいので、大輝は十野に言った。


「……さっき笑ってましたよね? 仲いいんですか?」

「なんのことだか」

 十野は微塵も揺らがなかった。

「わかりかねます。さて、そう説明も難しくはありません。使い方はわかりますね? キャップを取って、奥の面をさきほどと同様、腕に押しつけてください。使用後、器は回収しますので勝手に処分しないよう」

「あ――はい、わかりました」

「そうですね……昼には大丈夫だと思います。なんとなく治ったな、と思ったときに使用する程度で構いませんよ。――忘れさえしなければ」

「絶対忘れません」


 怖すぎる。からかっているのだとしても脅しには充分だ。

 十野は軽く頷くと、それから自身の鞄からクリアファイルを取り出し、中にある用紙を一枚、大輝に手渡してくる。


「これは……あ、口止めの契約書とかですか?」


 訊ねながら表面を返す大輝に、十野はしれっとした表情のまま。


「いえ、アンケート用紙です。使用感など記入してくだされば今後の参考にしますよ」

「そんな普通な……」

「契約なら鳴見さんに機能しているので問題ありません。迷惑をかけたくなければ素直に従うことをお勧めします。アンケートは任意ですが、ご協力いただければ割引しますよ」

「あ、はい。じゃあ書いときます」

「――よろしい。それでは私はお暇します。ぶっちゃけ眠いので」


 最後に本当にぶっちゃけると、十野はてきぱきと荷物を纏めて立ち上がる。


 行動が迅速な人だった。基本的に無駄なことをしない。

 長い異世界生活のせいで、大輝にも似たようなところはあるのだが、十野は明らかにそれ以上だ。

 熾は特に驚いた様子がない。さきほどまでは唇を尖らせていたが、帰るというのを引き留めるつもりはないらしい。

 まあ眠いと言われては、返す言葉もなかったが。


 挨拶もなく、ぱぱっと帰ろうとする十野を、大輝は玄関まで追った。


「――見送りなら結構ですよ。貴方は安静にしていてください」


 十野はそう言った。どうせ車なのだし、確かに送っていけるわけでもないが。


「えっと、ありがとうございました。助けていただいて」

「お金は頂くので構いません」

 十野はサバサバ言う。

「あまり魔術師なんて危ない連中の事件に巻き込まれたくはないのですよ。恩にも仇にも感じないでください」

「……ならそれでも、お礼を言う分には自由だと思ってもらえたら」


 大輝が言うと、十野はほんの一瞬だけ、わずかに興味深そうに目を見開く。

 が、直後には普段通りの鉄面皮に表情を戻し、小さく頷いた。


「では、言葉として受け取っておきます」

「……どうも」

「はい。――黒須大輝さん」


 ふと十野は、大輝の名前を呼んだ。

 初めはそんなことをするつもりはなかったのだろう。なぜだか大輝はそう直感した。

 その意思を曲げて、十野は大輝に言葉を向けているのだと。


「鳴見さんのこと、できれば見守っていてあげてください」


 果たして、十野はそんなことを言った。

 大輝の目が少しだけ揺れる。

 薄く笑って、それから大輝は。


「はい。そのつもりです」

「……男の子ですね。そういう顔は、私は嫌いではありませんよ。――お大事に、少年」


 それだけを言い残し、あとは普段通りの表情に戻って十野は去っていく。


 最後だけ、わずかに微笑む表情を見せて。

 なんだか大人な感じがして、少しだけ大輝もドキッとさせられた。わずかに苦笑し、扉を閉めて部屋へ戻る。

 視線を向けてくる熾に、大輝は言った。


「いい人だったな」

「どうかな。あんまり、表面の態度だけで人を判断するのはお勧めしないけど」


 微妙に十野の口調が移ったようなことを熾は言う。

 自分でもそれに気づいたのか、はっとした顔で彼女は首を振り。


「……まあ《学會》の人ではあるから。スタンスは中立でいてくれてるけど、十野さんは魔術師同士の話には首を突っ込んだりしないよ。大輝はいいかもだけど」

「さっきも聞いたけど、結局その学會ってのはなんなんだ?」

 熾は言う。

「そんで、その元締めというか、親玉みたいな組織のこと」

「……っていうと」

「この世界を、大きく三つに分けた内のひとつ。三界って言ってね。三つの世界。まあ、本当に異世界に行ってた大輝に言うのもなんだけど、そういう考え方があるんだよ」


 聞いたこともない話である。

 ピンとこない大輝に、熾はこう続けた。


「科学の世界、つまりは基本的には普通の世界。表の世界とか一般人の世界って言ってもいいけど。要は魔術師とか、そういう外れ者とは無縁な大半の世界が、まずひとつ」


 一本、指を立てて熾は言った。

 つまりが、ほとんどこの地球の文明社会を指している言葉であるのだろうが。


「三つに分ける、なんて便宜的な話でね。事実上、この世界のほとんどがその科学の世界だと考えてもらって大丈夫。人口割合で言ったら99%――九割九分が学會、社会というシステムの世界。まあ、ほとんど地球……人間の文明全体を指してると思っていい」

「なるほど……ちなみに、ほかの二つってのはなんなんだ?」

「ひとつは《魔戒まかい》――つまり、。0.9%くらいの世界。私たち魔術師の世界で、中でも最大の機関になる欧州の《魔術律戒まじゅつりっかい》がその代表――だから略して《魔戒》。戒律――つまりルールが支配する魔術師たちの世界。私も、その中には入ってる」

「熾も、その……魔術律戒ってところのメンバーってコトか?」

「そうじゃない。学會も同じだけど、要は支配的な一大組織の名前を象徴として使ってるだけで、別に誰もが組織に所属しているわけじゃない。魔術師だからって、全員が組織としての《魔戒》に入ってるわけじゃないのは、一般人が別に《学會》の人間とは限らないのと同じだね。組織を指すときは、日本だと《律戒》とか《総會》って呼び分けるし」

「ああ……まあ、なんとなくわからんでもない」


 科学の世界である《学會》――それを支配するのが《学術総會》、あるいは《総會》。

 魔術の世界である《魔戒》――それを支配するのが《魔術律戒》、あるいは《律戒》。


 おそらくはそういう認識でいいのだろう、と大輝は大雑把に納得した。


「じゃあ、もうひとつ大きな組織があるってことか」


 そう言った大輝に、けれど今度、熾は首を横に振った。


「違う。最後のひとつは組織じゃない。これはあくまで世界の分け方だからね」

「うん……?」

。理解を拒む異元の大海」

「異能……」

「そいつは《異元大海いげんたいかい》って呼ばれてる。略したら《異海》。どうしようもなく何者にも支配されていない異邦の海。そういう概念――つまり、異能者たちの世界。理解できない外れた者たちを、その発生源であるとされる概念の名前で総称した表現って感じ。地球の人口で見たら0.09%以下。組織や集団ではなく、そういう人たちもいる、っていう話」

「……よく、わからないが……」

「まあいいんじゃない? ほとんど日本でしか使わない表現だし、正確かって訊かれると割と微妙なラインだと私は思うから。異海の人間なんてツチノコみたいなもんだよ。私も会ったことない。まあ日本には血で継がれる異能者の家系が七つあるからアレだけど――さておき、覚えておくべきは、組織としての《学術総會》と《魔術律戒》だね」


 そう言って、熾は大輝に向き直ると真面目そうな表情を作る。

 話についていけている自信のない大輝だったが、聞いておいたほうがいいとは思う。


「まあ《魔術律戒》の人間は日本には少ないからとりあえずはいいかな。そう名乗る魔術師がいたら関わらないほうがいい、とだけ言っておく。《学會》に関してはさっき会った十野さんみたいに普通の人間も多いけど、これはなにせ組織が大きい。一般に知られてる組織だって元を辿れば関係があったりするし、部署ごとにぜんぜん話が変わってくるから難しいんだ。全容なんて私も知らないし――ただ、大輝もその身で味わってるでしょ?」

「……未来の科学技術、ってヤツか」

「そう。大元を辿ると《学會》の元締めである研究者……なんでも《未來博士》なんて、割とまんまな肩書きで呼ばれてる人がいるらしいんだけど。その人が異能者なんだって」

「それはまた別の世界の話なんじゃ……」

「だから適当なんだよ、その辺。ともあれその《未來博士》氏は、おそらくは歴史上で彼しか持っていない異能――《超遠未来視》の能力者なの。事実かどうか知らないけど」

……?」

「言葉通りだよ。数百、数千、数万年――あるいはそれ以上という単位の、遥かに未来の歴史を彼はその《眼》で観測できる。学會の未来技術は、いわばその逆輸入品だね」

「なんだか、めちゃくちゃ壮大な話になってきたな……」


 途方もないスケールの話に、大輝はいっそ感動する。

 一方、熾のほうは肩を竦めて嘯いた。


「いや嘘か本当か知らないけど。めちゃくちゃだとは私も思うし」

「えぇ……」

「そりゃそうでしょ。実在するとしても、そんなウルトラ重要人物が表に出てくるわけがないし、確認のしようがない。ただ事実として学會には人知を超えた技術が、ある」

「…………」

「問題は彼のその超遠未来観測は、未来の技術と同時に、人類の滅亡を捉えていること。そしてその原因が、多くの場合は魔術師や異能者だとされていること、かな」


 もはや眩暈がしてくるような規模の話だ。

 異世界がどうのと、なんだか自分の肩書きがしょっぱく思えてきてしまう。


「は。まあ実際には科学技術での自滅もあるんだろうけど、それは自分たちが制御してるという驕りがあるんでしょ。ともあれ、そういうわけだから仲悪いんだよ、魔戒と学會」

「……はあ」

「だから結論としては、学會の関係者にも近づくな、だね――そういうお話」

「さっきと同じじゃん……」


 というか、自分から近づくはずもないのだが。

 細い目を向ける大輝に、熾のほうは真面目な様子で言う。


「言っとくけど大輝なんて超危ないから。当然でしょ、さっきの話聞いてたよね、三つの世界――大輝は、そのいずれにも該当しない残る0.01%以下の超貴重人材なんだよ? というか、たぶん……いや間違いなく、世界にひとりしかいないケース」

「……オレが……?」

「大輝は、自分が思ってるより狙われやすいってこと。それくらい、この世界は知られていないところが危険だってこと――そういうの、ちゃんと今から自覚しておいてよ」


 熾の言葉は、つまりはそこに終始する。


 ――おそらくは、世界唯一の異世界経験者。

 その価値に大輝が無頓着であるのは、あまり看過できる事態ではないのだから。

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