1-16『元英雄と、この世界』1
目が覚めた瞬間、
「おぎ……っ!?」
昨夜、体を酷使しすぎたせいだ。全身に妙な気怠さを感じる。
ただそれ以上に、さすがに無理をしすぎたのだろう、左腕が猛烈に痛かった。
見れば、よく眠っていられたものだと逆に感心するくらい、昨日と違って左腕が腫れている。大輝は苦笑しつつ、これが当然の代償かな、と割と素直に納得した。
いや、命を拾ったと思えば安い買い物だ。二度と使えないなんてレベルでもなし。
まあここまで痛めては、さすがに《病院には行きづらい》などと言っていられないだろうが。
「……治療費、出してもらわないといけないよな……」
両親に苦労をかけるのは心苦しい。
別に、その程度が何かに響くことはなかろうが。
なにせ体感では、もう何年も家を空けていたのだから。
いくらその時間経過がなかったことになっていても、少なくとも大輝にとっては本当に久し振りの印象なのだ。
……いや。本当にそれだけなら――本当に両親が相手ならば、気を遣わずに済んだかもしれない。
家族を相手に、迷惑をかけることなんて当たり前なのだから。――けれど。
「あー……言いづれえよなあ。本当の親子かわからないのに、金を出せとか……いや高校行ってるし生活費も出させてるし、今さらなのはわかってんだけどさあ……」
大輝はこめかみを押さえた。
彼のいる部屋の戸が空けられたのはその瞬間で、いきなりの音に大輝は目を見開く。
「――大輝っ!?」
「うぉわぁびっくりしたあ!?」
いきなり部屋へ駆け込んでくる人影に、大輝はビクッと体を固める。
それに構いもせず、姿を見せた少女――鳴見熾は、安心した表情で布団の上の大輝へと飛びついた。
「よかったあ、元気だ……っ!」
「うおっ……と!」
驚きながらも、大輝は胸に飛び込んでくる小柄な少女を優しく抱き留める。
割と全身に響いたのだが、それを言うほど大輝も野暮じゃない。
どうやらずいぶん心配させてしまったようだ。
それは大輝も同じだったが、見る限り熾は元気そうだ。
「ああもう、心配ばっかさせてっ! あんなとこ飛び込んでくるなんて聞いてないよ!」
「いや、まあ……そうだな、心配かけて悪かった。オレのほうは問題ない」
「問題ない、じゃないよ、もう! 腕めっちゃ腫れてんじゃんっ!」
「痛い痛い痛い痛い痛い。そうだよ腫れてるんだよ。腫れてるのになんで叩くの」
ぺしぺしぺしぺしと弱々しい殴打を繰り返してくる熾。
無茶をしたことは怒りたいが、助けられたことには間違いがない。
そういう想いをどう表現していいのかわからず、結果としてぺしぺし叩くしか熾にはなかったのだ。
「それより、熾のほうこそ大丈夫なのか?」
大輝は話題を変えて彼女に問う。
熾も落ち着いて、こくりと頷きながら言った。
「あ、うん。それはもう。
「……まあ心配なさそうではあるけど、あの傷がひと晩でどうにかなるの逆に怖いよ」
大輝は正直な本心を言った。
言葉の通り、熾は完全に本調子に見える。昨夜の傷や毒の影響がほぼ見受けられない。
だとすればそれは異常だったし、逆に恐ろしく思うのも当然ではあるだろうが。
「いや、さすがに完治ってわけじゃないけどさ」
熾は肩を竦めて言う。
「まあそのために呼んでおいたわけだから。えっ、てかなんで大輝は治療を受けてないわけ……?」
「…………」
問いには答えず、その代わり、大輝は昨夜の顛末を思い出す。
※
ぐったりした熾を背負い、参道を戻っていった大輝は、その先で車を泊めて待っているひとりの女性と出会ったのだ。
憂の言葉通り、そこには確かに助けが待っていた。
「――、貴方が黒須大輝ですか?」
停車した車の運転席から、顔を出した女性が言った。
長めの茶髪を流す、妙齢の女性だ。美人だがやけに目つきが鋭い。
「あ、はい。あの、貴女は――」
「――鳴見さんは後ろに。貴方は助手席に乗ってください。すぐに出します」
何を問うまでもなく、さくさくと彼女は話を進める。
大輝は逆に面食らってしまった。ほんの一瞬だけ硬直する大輝に、突き刺すような声。
「早く!」
「――わかりました!」
決めてさえしまえば大輝の行動は迅速だ。
言われた通り、熾を後部座席に寝かせ、自分は助手席に座る。運転席の女性はすぐさま車を発進させ、前を見たまま大輝に声をかける。
「状況は」
熾のことを訊いているのだろう、と決めつけて答えた。
「……、太い触手に殴られて、地面に叩きつけられました。その触手には魔力に働く毒があって、熾はそれに侵されています」
「答えが早くてよろしい。――座席の下に鞄があります。中から首輪を取り出して、鳴見さんに嵌めてください」
「首輪!? あ、いえ、わかりました」
足下にあった鞄を探ると、注射器や薬剤などよくわからないものが大量に入っている。
大輝はその中から、言われた通り黒い首輪を手にすると、後部座席へ身を乗り出して、横たわっている熾の首へつけた。
再び前へ向き直ると、運転席の女性は端的に説明してくれる。
「体内の魔力を強制的に抑える首輪です。そのくらいのことは彼女も自力でするでしょうが、意識が希薄な今、念は入れておきました。毒の回りが収まるかは賭けですが」
「……なるほど」
なんだか怖そうな人だったが、説明はしてくれるらしい。
必要がないと黙り込まれるか気がしていたが、そういうわけではなさそうだ。
ならばと大輝は、気になっていることを彼女に訊ねた。
「その……貴女は?」
「
「は、はあ……」
「ちなみに医師の類いでもありません。少なくとも、免許はありませんので悪しからず」
そんなことを、さも当然とばかりに言ってのける見知らぬ女性は。
しかし、なぜだろう。どうしてか少し、疲れているように大輝には見えた。
※
そのまま十野が運転する車は、昨夜も行った例のセーフハウス、高級マンションに到着した。
十野はそのまま熾の治療に入り、大輝はそこに一泊したという形だ。
「……結局、十野さんってのは誰なんだ? 魔術師の仲間のひとりじゃないのか」
首を傾げて訊ねる。
問いに、熾は非常に悩むような表情をして。
「んー……説明するのが難しいな。私の仲間っていうか、そういう同じ立ち位置の人じゃないことは間違いない。まあ、腕は確かだから、呼んどいた治療医というか」
「医者じゃない、って聞いたんだが……」
「そう、だね。どちらかと言うなら、科学者って呼んだほうが近いんだとは思う」
「……ふぅん……?」
熾の答えは要領を得なかったが、何かを隠しているのではなく、本当に説明が難しいのだろう。
とりあえず、一筋縄ではいかない相手なのは間違いないと大輝は捉えておく。
「ていうか、大輝も治療してもらいなよ」
熾は言う。
「なんでしてもらってないの。私はむしろ、そもそもそのために十野さんに連絡取っといたつもりなんだけど」
「……まあ熾のほうが重傷だったし」
それは事実で、ここに着いて以降、十野は熾の治療にすぐ取りかかっていた。
大輝が傷の治療を受けられるような暇はなかったし、そもそも、大輝もそのあとすぐに寝てしまっている。
そうやって回復を図るのが、結局はいちばんいいと思ったのだ。
――まさか十野が、ここまであっさり傷を治すとは考えていなかったし。
「それに、治療してもらえって言ったって……」
呟いたところで、ふと声がした。
「――私は、ふたり分の治療費は預かっていませんよ」
さきほど熾が開け放った襖の向こうから、件の十野胡桃が姿を見せたのだ。
それで当然だとばかりに告げる十野だったが、ふとふたりの様子を見て目を細めて。
「そういう関係でしたか? 邪魔なようならお暇しますが」
「うぉえっ!? あっ、や、違っ――何言ってるわけ!?」
なにせ布団の上にいる大輝に、ほとんど抱き着く体勢の熾だ。
その客観的な評価はさすがに想像がつく。顔を真っ赤にして慌てて離れた。
「別段、そう責められるほどおかしな発言をしたつもりはありませんが――それより」
一方の十野は淡々としたもので。
特に興味もないとばかりに話を変え、ふたりに問う。
「いるんですか、治療。大した怪我じゃないなら普通の病院にかかることをお勧めしますが。なにせ保険適用外ですので、ありていに言って高くつきます」
まあなんというか、いわゆる闇医者的なお話なのだろう、と適当な想像をする大輝。
とりあえず、ただの高校生である自分に、高額な医療費は払えそうにない。
「オレは別に大丈夫で痛ったあ!?」
断ろうとした大輝の腕を、熾は軽くはたいた。
「なんで断る!」
「いや、だってオレ、そんな金ないし――」
「そんなもん私がどうにかする! とにかく大輝は、さっさと十野さんに診てもらえ!」
命令されては仕方がない。
それに、家族に怪我がバレなくて済むなら好都合ではあった。
バイト先を考えるか――なんて考えつつ大輝は立ち上がる。
「ではこちらへ」
言って、十野は即座に奥のリビングに引っ込んだ。
なんというか、サバサバした人だ。
そんな感想を得ながら大輝は後を追う。その後ろを熾も歩いてついてきた。
「座ってください。まずは診ます」
そう誘導された通りに、大輝は中央のソファに腰を下ろす。
一昨日、熾と契約を結んだあの場所だ。
なんとなく思い出す大輝の腕に、十野が触れた。
「骨折ですか。見たところほかに大きい負傷は見当たりませんが、魔術的な障害でも?」
「え? ――あ、いえ。オレは別に魔術師ではないので、そういうのはないかと」
「……そうですか。すみませんが私に魔術のことはわかりませんので。まあともあれ物理的な損傷だけなら話は早いですね。腕を出してください。どちら側でも構いません」
「はあ……」
普通、怪我をしたほうを出すのではなかろうか。
そう思って左腕を差し出した大輝に、なぜか十野は細い目を向けて。
「……では、じっとしているように」
その言葉の直後、右手に持っていた金属製のスタンプみたいな何かを、振り下ろすように大輝の左手へ押し当てた。
「あ痛った!?」
それ自体にほぼ痛みはなかったが、いかんせん骨に響いて大輝は声をあげる。
そんな様子を、当たり前みたいな顔で見ながら十野はひと言。
「右腕を出せばよかったでしょう」
「なら先にそう言ってほしかったです……」
「言いましたが」
「いや、そうなんですけど……」
なんとなく釈然としない。
憮然とする大輝に、手を離して十野はひと言。
「終わりです」
「え。えっ、これだけですか? 固定とか――」
「必要なら施しても構いませんが、午後にはどうせ取ることになりますよ」
「はい?」
とんでもない言葉に、大輝は目を瞠った。
だが十野はやはり表情をほとんど動かさない。
「ただの損傷ならすぐに快癒します。もっともその分の代償はお忘れなきように。貴方は魔術師ではないそうですが、これも魔術ではありません。万能だと勘違いしないよう」
「……何をしたんですか?」
「貴方の体内に、ナノマシンを注入しました」
「――――」
何を言っているのかあまりに謎すぎて、大輝は思わず十野をまじまじと見てしまう。
視線を向けられた十野は、まったく表情を動かさないままで。
「照れます」
「照れてないじゃないっスか……」
なんだか憂の口調が移ってしまった気分だ。
意味がわからず、大輝は視線を向ける先を熾へ移した。
彼女は肩を揺らして苦笑して。
「――十野さんは《
最近、そういえばどこかでそんな単語を聞いたような気がする。とはいっても、
「いや待ってくれ、意味がわからない。学会の人だから、それがなんなんだ?」
「たぶん、想像してる単語とは言葉が違うよ。私が言ったのは《
「学術総會……?」
聞き慣れない言葉に大輝は首を傾げる。
熾は小さく笑うと、指を立てて大輝にこう続けた。
「そういう組織があるんだけど、この場合は三界のひとつを指してると思うほうが、話が早いかな。そうだね、――ごくごく単純に要点だけ言えば、つまり」
熾の視線が、十野へと向けられる。
それにつられるよう視線を移した大輝の耳に、届いた言葉は。
「十野さんは、現代よりも遥かに未来の科学技術を持っているってコト」
その、聞きようによっては魔術師などより遥かに不思議な存在である十野胡桃は。
絶句する大輝に視線を流し、まるでなんでもないことのように。
「正確には、私が持っているわけではありませんが」
熾の言った言葉が、ほぼ事実であることをあっさりと認めた。
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