1-10『元英雄と、魔術師』2

「この街に入った魔術師は、ひとりだと聞いていたんだがな……」

「入るだけなら、別に自由だと思わないっスか? あたしはあくまでお仕事なんスよ」


 それは余裕から出た言葉なのか、それとも魔術師業界では当然の常識なのか。

 どう捉えていいのかが、大輝にはよくわからなかった。


 魔術師というモノの力を計る基準を、今の大輝は熾以外に持っていない。熾がどれほど強いかによっても揺らぐ程度で、すなわちほぼ何も知らないも同然だと言えよう。

 本人の自己申告では強いという話だった。

 それを信じるかはともかく、熾を知っているらしい目の前の魔術師――愛子憂も、その強さを評価するようなことは言っていた。


 一方、魔術師とは大輝のいた異世界の魔法使いたちとは違い、特段、戦闘という行為に比重を置いていないらしい。確かに現代日本で優先される能力ではないだろう。

 総合してだいたい、大輝が見た熾の実力を平均とするのであれば。


 ――おそらく、逃げるだけなら難しくない。ただし条件つきで。


 大輝はそう判断する。

 いざ戦いになったら話にならないことは前提だが、闘争ではなく逃走という舞台においてならば、光明を見出すことも決して不可能ではないはず。


 少なくとも、目の前の魔術師に鍛えている様子はない。

 だぼっとした格好で体の線はわかりにくいが、どう悲観的に見積もっても、素の体力で大輝を上回るということはないだろう。


 もちろん、おそらくは初対面の攻防で熾が使っていたであろう通り、なんらかの魔術によって身体能力の底上げを図ってくる可能性は考慮している。

 けれどそれを加味しても、身体能力が高いことと身体運用に優れていることはまったく別だ。大輝に分はある。


 ゆえに問題があるとすれば、魔術という概念の未知性。

 仮に走る速度が上でも、たとえば結界を使って出入りできない空間を作る――といったことが彼女に可能であるなら意味がない。

 そして、その予測が大輝にはできないのだ。


 ――何より。


「あんた、なんのためにオレの前に顔を見せたんだ?」


 大輝はそれを素直に訊ねた。

 返答があっても、それを信じるかは別の話。ただ何を言うか自体も考慮の材料になる。


「オレどころか、熾ですらあんたの存在にはまったく気づいてなかった。不意打ちしようと思えばできたはずだ。姿を晒したのは、オレなんて脅威じゃないという余裕か?」


 肯定される可能性を大輝は低く見積もっていなかった。魔術師だというのなら、ただの一般人に過ぎない大輝を脅威として認識することは、まあないのだろう。

 それでも、もし違う返答があるとするなら。

 情報を引き出そうとする大輝を見つめ、果たして憂は言った。


「――ところでキミ。大輝くん。高校生っスよね。何年生っスか?」


 想像を超えすぎた返答が戻ってくる。

 ちょっと面喰いながらも、大輝は答えた。


「……、二年だが」

「おー年下。やったっス。あ、あたしは十八なんスよ今年。高校行ってたら三年生!」

「……年齢で言えばオレも十七だ」

「えー、嫌っス。そこは年下でいてほしいっスー。学年違うんだからいいじゃないっスか」

「なんの話なんだ……」

「呼び方の話に決まってるじゃないっスか! 『あんた』なんて悲しいっスよ」

「…………」

「ここは親しみを込めて、あたしのことは《愛子ねえ》って呼ばないっスか?」


 なんの話をしているのだろう。


 年上なのに、その砕けきった妙な敬語をやめる気はないらしいが。

 少し考え、それから思いついたことを大輝は口にする。


「……特定の呼び方をさせることを条件に発動できる魔術でもあるのか?」

「へえ……。こう言っちゃなんスけど、素人とは思えない頭の回転じゃないスか」


 感心したように憂は目を丸くする。


「あるんだな」

「言っとくっスけど、別に今それを大輝くんにかけようとしてたわけじゃないっスよ? それは勘繰りすぎってもんス。ただ、そういう条件起動の魔術は少なくないっスね」

「なら、あんたをそう呼ぶのはやめておくよ。……憂」

「あははっ、名前っスか! 男の子に下の名前で呼ばれるなんて、なかなかないんで正直ドキドキっス。単にこの業界、年下とかいないんで憧れてただけなんスけど。まあ、名前呼びも貴重でキュンときたんで、今回はそれでオッケーっス!」


 ぺろりんと舌を出して、親指を立てる憂だった。

 愛子という苗字のほうが名前っぽくて呼びづらかっただけなのだが。

 まあいい。

 小さく首を振って、大輝は改めて問い直す。


「それで、さっきの質問には答えてくれないのか?」

「ん、顔を見せた理由っスか? 別に大した話じゃないっス。だって普通に気になるじゃないっスか。あの魔女が――失敬、あの鳴見の娘が一般人を連れ回してるんスよ? 絶対おかしいじゃないっスか。何かあると思うじゃないっスか。――だからっス」

「……それだけか?」

「そっスよ。それだけっス。ちょっとキミと、お話してみたかっただけなんス。へへえ、そう言うとちょっと照れちゃうっスけど」


 表情のころころ変わる奴だった。熾もそうだが、でもタイプが違う。

 ただそれ以上に、今の発言にはどうにも気にかかる部分がある。それは、


 ――こいつ、オレが異世界帰りだってことを知らないのか……?


 という点だった。

 いや、普通に考えればもちろん知らない。知っているのは熾だけだ。

 ただ敵の魔術師がそれを掴んでいる可能性は、熾と考慮に入れていたことでもある。そこが引っかかった。

 となれば、相手の魔術師が大輝の異常性を知らないか、あるいは。

 ――愛子憂は、その情報を提供されていない。


「仕事で来たって言ってたな。いったい、なんの仕事だ?」


 考えながら問う大輝に、憂は頷き。


「言ったじゃないスか。あたしは運送業っス。移動のお手伝い。誰にも見つからず安全に安心に、ついでに安価に、依頼人が行きたい場所まで送迎するお仕事っスよ。あ、料金の後払いは応相談ってことでよろしくっス。なんなら名刺をあげるっスよ?」

「――――」


 見えてきた気がする。


 彼女の言う依頼人とは当然、この先にいるであろう渡会空也のことだろう。

 彼を熾の捜索から隠しながら街の中を安全に移動させる――その手伝いを彼女が仕事として請け負った、ということらしい。

 それを信じる根拠は現状、こうして会話が成立していること。襲う気がないことだ。


「つまり……あんた自身は渡会空也って奴の計画に直接は加担してないんだな?」

「別に、依頼人が渡会空也だとは言ってないっスけど……まあ言ったようなもんか。その通りっスよ。つか、そもそも魔術師が、自分の研究を自分以外と分け合うワケないっス」

「なら……オレを害する気も、ないと?」

「最初からそう言ってるじゃないっスかー! 魔術師差別っスよ、それー。いやあたしも意味深に名乗りはしたっスけど。魔術師だからって危険人物扱いは酷いじゃないっスか」


 嘘の可能性は……低い、と大輝は思う。

 基本的に、憂の側に言葉で騙すメリットはないからだ。


「じゃ、今度はこっちの質問の番っス!」


 言うだけ言ったとばかりに、憂はそう語った。

 どうしたものか。大輝は未だに行動を迷っていたが、今のところ憂が目に見えて危険なわけではない。

 熾が帰ってくると信じるなら、話をしておくのは悪くない選択だろう。


「……答えられることなら」


 そう言った大輝に、憂は笑顔を見せて。


「もちろん、キミのことについて知りたいんスよ! なんなんスか、キミ? とてもじゃないけど一般人とは思えないっス。にもかかわらず、キミの背景はごく平凡……」

「――オレについて調べたのか?」

「調べたってほどじゃないし、調べるほどの情報がそもそもないじゃないっスか。なんの変哲もない一般家庭生まれの高校生……だってのに今は魔術師と行動している。どういうことっスか? よければ、おねーさんに教えてほしいっス」


 そう言われても、と大輝は思う。


「……ごく普通の高校生だが」

「えぇー、それはナシっスよ、ズルいっスよー! あ、じゃあ、あたしが当てたら教えてほしいっス! うーん……まあパッと思いつくのは天然の異能者とかっスけど」

「…………」

「その程度であの鳴見熾が連れ回すもんスかね。魔術師じゃないのは明らか。弟子を取るってタイプじゃなさそうだし、魔力も感じない……《学會がっかい》関係じゃないんスよね?」

「……悪いけど、何を訊かれているのかすらわからない」

「だぁ! なんなんスか、もう、本当にワケわかんないっスよ! やっぱたまたま一般人から湧いて出た能力者が正解じゃないっスか? それも超強力な! ――どうっスか!?」


 そう言われても。

 大輝は答える。


「よくわからないが、オレに何か特殊能力を求められても困る。何もできない」

「そんなに隠さなくてもいいじゃないっスかー! なんかできんスよね? 手からビーム出すとか、時間を止められるとか、幽体離脱して女風呂を覗き放題とかー!」

「……しいて言えば、足は、クラスでも速いほうだと思う」

「なんなんスかこの人っ!」


 何やら期待に応えられなかったようで、ちょっと申し訳なくなる大輝。

 いや、別に申し訳なく思う必要などないはずだが。それでも、少なくとも憂が期待するような奇天烈な能力など、大輝には何ひとつとして備わっていない。

 あるのはただ、かつて異世界に行ったことがあるという記憶だけなのだから。


「はあ……。じゃあ本当にただの一般人なんスか? つまり、アレっすか。単なる魔女のお気に入りって話……? それはそれで、驚きではあるっスけど」

「……だから、熾を魔女とは」


 再び呼び方を止めようとした大輝に、今度は強く、憂は言った。


 大輝は少し面食らう。

 まさか、そこで逆に反論を受けるとは思っていなかったのだ。

 憂は首筋に手を当てて、小さく溜息を零すと、大輝に視線を向け直して。


「鳴見熾は、当人がなんと言おうと、魔女なんスよ。これは単なる事実っス」

「ただの……事実?」

「魔女と魔術師は違うモノっス。ただ女性であるだけで、魔術師が魔女と呼ばれることはない――たとえば、あたしが魔女ではないように。そこには明確に理由があるっス」

「…………、」

「あんまお節介って柄じゃないし、義理も何もないんスけどね。それでもキミが、本当に目をつけられただけの一般人だってんなら――鳴見熾に近づくべきじゃ、なかったスね」

「……どういう意味だ?」

「言葉通りの意味っスよ。ま、それも今さらの話だし……うん、やっぱりお金にならないお節介は苦手っスわ。もう遅い。間に合わない。似合わんことするモンじゃないっスね」


 ふぅ、と自嘲するように息をつく憂。

 その表情は、さきほどまでとどこか色味が違って。


 目を細める大輝に、――憂は、小さく言った。


「キミ、もうお家に帰りな。今日までのことは忘れて、普通の生活に戻ったらいいよ」


 それは、予想していなかった言葉だった。

 大輝は目を細める。少なくとも、憂はこちらを気遣っているように思えたのだ。


「あたしにゃなんの義理もないっス。でもまあ、キミ、いい奴っぽいから。そういうのが魔女の食い物にされるのを、止めてやるくらいの良心なら……まあ、あたしのじゃ価値としちゃ一円の値もつかないだろうけどさ。だからこそ、ここで適当に使っとくっスよ」

「……心配してくれてるのか?」

「さっきも言ったけど、あたしは仕事で来てるんス。運びの仕事。それ以外に携わる気はない。慈善じゃない。だから、あたしはキミに何もしない。だけど、もし依頼人がここに戻ってきて、キミに口封じをしようとしても――やっぱりあたしはそれを止めない」

「…………」

「キミは何か勘違いをしている。魔術師に真っ当な倫理観を求めるべきじゃない。まして魔女に至っては、人間だとすら思うべきじゃない。――そういうものなんスよ」


 きっと、彼女は正しいことを言っているのだろう。

 大輝はそう思った。直感じゃない。

 そうだったらいいなという、これは願いだ。


「……いい奴だな、憂」


 だから大輝は言った。憂は、実に嫌そうに手を振って。


「ああもう。ここでそう思うような奴だから言ってんじゃないっスか……。ちゃんと話を聞いてなかったんスか? キミが殺されようと、見捨てるってあたしは言ってんスよ」

「いや、聞いていた上で言ってるんだ」

「じゃあ馬鹿っス、キミは。――そういう奴は死ぬっスよ」


 憂の言葉は冷酷に響いていた。

 事実、この忠告を無視するなら彼女は本当に見捨てるだろう。最後通牒だ。


「……わかってるよ」

 それを知っていて、だから大輝は言葉を作る。

「だいたい優しい奴から死ぬんだ。どこの世界も変わらない――オレは、そんなこと嫌ってほど知ってる」

「……何を言って――」

「オレがいい奴だなんて勘違いだ。本当にそうだったら、オレだけ生きてるわけがない。でもさ――もう、そんなのオレは懲り懲りなんだよ」


 異世界において、大輝はあまりにも強かった。

 人間と呼ばれる生物の中では、あるいは最強であったのかもしれない。

 それは、翻せば自分より弱い者たちが先に逝くのを、何度も見てきたということだ。

 自分より弱い敵を、何度も殺し続けてきたということだ。

 それが、だって必要だったから。

 求められた。元の世界に帰りたかった。

 必要とされたし必要としていて、だから選択の余地などなかった。――そしてその全てはもう、二度と辿り着けない場所へ置いてきた。


 ――もう充分だろう。

 そう大輝は思う。見事、元の生活へと戻ってきたのだ。

 それなら、かつてできなかったことを追い求めたって構わないじゃないか。

 それくらいは、許してほしい。


「ありがとな、忠告してくれて。でもオレはここで熾を待つよ」


 鳴見熾のことを、きっと自分は何も知らない。所詮まだ、会って一日の関係だ。

 目の前にいる憂のほうが、自分よりもっと詳しく熾について知っているのだろう。

 彼女の言っていることは、きっと正しい。それでも。


 ――契約をした。

 助ける代わりに助けてほしいと、彼女から請われたのだ。

 たとえ大した役には立てなくても、たとえ契約のための方便でも、それでも――彼女はあのとき大輝を助けてくれたし、そんな彼女に、恩を返せるのならそれでよかった。


「熾は、きっと帰ってくる。だからオレは――」

「――だから、言ったじゃないっスか。、って」


 愛子憂は透き通る表情で言った。

 なんの感情も見えない――それは魔術師としての瞳。


 彼女は確かに大輝へ忠告をくれた。

 けれど彼女の言う通り、だから愛子憂は優しい人間であるなどといった考えは、まったく的外れである。

 なぜなら彼女は、魔術師だから。


「鳴見熾は戻ってこないっスよ。この先で確実に殺される――いや、もう死んでる」

「……なんだって?」


 大輝は、目を見開いた。

 そんな彼に、憂は淡々と事実を語るように。


「確かに鳴見熾は強いっス。魔女と呼ばれるだけはある。だけど、魔術師の同士戦いに、絶対なんてものはないんスよ。――だからこそ、鳴見熾は確実に殺される」


 矛盾したような言葉。だが重みは確かに感じた。

 少なくとも、憂は彼女の認識における事実を語っている。


「この先にあるのは魔女を殺すための舞台っス。そのために設えられた特別な舞台。その上に乗った段階で、鳴見熾はもう詰んでる。生きて戻ってくることは、ない」

「……罠があったってコトか」

「わかってて乗ったんだから同情の余地はないっスよ。だから言ったんス、帰れって」


 魔女に対する同情など、愛子憂は持っていない。

 だから、その憐憫は魔女ではなく、巻き込まれた青年に対してのもの。


 ――それがわかるから大輝は言った。


「そうか、わかった。教えてくれてありがとう。――行ってくる」


 迷いなどなく、判断は一瞬。

 その切り替えに、むしろ憂が面食らった。


「――は……? なに、を……言ってんスか、キミは……」

「このままだと熾が殺されるんだろ。なら助けに行くに決まってる」

「……、イカれてんスか頭?」

「オレに言わせれば、見捨てるほうが狂ってる」

「…………」


 本気で言っているのだと、憂にはわかった。

 だからわからない。戦力差も、魔術師の脅威も理解しない愚か者なら、まだわかった。

 だが、彼はそれがわからないほど馬鹿ではない。魔術師たる自分に、彼は一度も警戒を解かなかった。

 それは、魔術師の脅威を理解している者の態度だ。


「……させないっスよ」


 と。だから愛子憂は言う。

 言わざるを得ない。


「止めてくれる、ってことか?」


 振り向いて問う大輝に、憂は首を振って。


だけっスよ。――それは、あたしの仕事、っス」

「…………」

「逃げるならいい。追うのはあたしの仕事じゃない。待っててもいい。口封じも仇討ちも管轄外。だけど入るのは許さない。――足止めは、あたしが請けた仕事っス」

「……運び屋さんじゃなかったのか?」

「だから運んでるんスよ。入ろうとする者を、外側まで」


 見逃しては、くれないだろう。

 それほど甘い相手じゃない。ならば、大輝にできることとは何か。


「――――っ!」


 瞬間、即座に大輝は駆け出した。

 とにかく、まずは鳥居の先――結界へと侵入することが先決だろう。

 位置関係で言えば遥かに有利なのだ、相手をするより逃げたほうがいい。


 だが、――それは相手が、魔術師でなければ通用した手法だ。


「……っ、な――」


 足が――動かない。

 まるで靴の裏が地面に張りついたかのように、まるで離れなかったのだ。


「いつ、の、間に……っ!」

「――その考えがもう、魔術師ってものをわかってないっス」


 気づけば、憂の姿がすぐ目の前にある。


 ――逃げるだけならできる、などとあまりに甘い。

 大輝は痛感せざるを得なかった。魔術師は、理解の範疇を遥かに超えている。


「く、待――っ」

「――舐めたこと考えるから、そうなるんス」


 そして。

 憂の右手が、大輝に対して振るわれた。

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