1-09『元英雄と、魔術師』1

 ――本当に大輝のほうが、私よりも先に気づいた……。


 心中で、鳴見熾は魔術師としての思考を働かせる。

 現在、時刻は午後六時を少し回ったところ。夜というにはあまりに浅く、まだ繁華街は多くの人間でごった返している。

 魔術師が動き出す時刻としては、いかにも早かった。


 先導する大輝の足取りは、決して速くない――普通に歩くより緩慢なくらいだ。

 顔色は目に見えて悪く、ときおり嘔吐えずくような素振りさえ見せた。

 無理はさせたくないが、この案内は契約によって縛られている。耐えてもらうしかない。


「こっ、ちだ……ああ、くそ。昨日よりだいぶキツい、な……」

「……うん」


 重い足取りで、大輝は歩を進めていく。

 だが熾はまだ魔力の気配を感じられていない。


 ――だからこそ、それに気づく大輝が異常だと言えた。

 可能性としては考慮していた。だから契約を結んだのだし、実際に大輝が熾に先んじて気づいたのなら、それは喜ぶべきことだ。

 けれど、それでも驚きは存在した。


 今の熾は、この地区一帯の魔術的な管理権限の一部を委任されている。

 大輝が記憶しているかは確認していないが、熾はあくまでも名代として侵入者を追っている立場であり、この市の魔術的な管理者ではなかった。それは別の魔術師の肩書きだ。


 本来、このような管理権限の一部委任は、ほとんど不可能に近い行為だ。

 管理者である魔術師の不在に際し、こうして代行が任じられることがないわけではないが、普通それで管理権限を預かることなどない。

 可能なのは、あくまで熾が持つ固有の特性のためだ。

 ゆえに熾は現在、管理者の権限の一部を行使することが可能であり、そのひとつに市内全域の疑似的な監視権限も含まれている。

 カメラのように写真や映像が見られるわけではないのだが、不審な魔術行使の気配ならば感じ取れる。昨夜もそれで場所を知ったのだ。


 


 所詮は借り物の権限だから、もちろん本来より感度が悪いことは考えられる。

 それでもここまで近くで魔術の発動が察知できないとなると、残る可能性はあまり多くなかった。


 ひとつは誤報。大輝の勘違いであり、魔術など誰も使っていない。――なんて可能性を今さら考えるのは馬鹿らしいため、熾はもうそれを除外した。

 ならば残る可能性は、侵入者側がなんらかの手段で感知結界を掻い潜っている、だ。


「…………」


 さきほど店で大輝が言った《この街に自分を邪魔する術者がいるとは知らなかった》という説を、熾は思い出していた。


 先に言ってしまえば、向こうがこちらの存在を知らない可能性は非常に低い。


 その理由は単純なもので、侵入した魔術師――渡会空也の動向を、熾がまだ補足できていないからだ。

 言い換えれば、相手は《隠れる》という選択肢を取っているということ。

 ――魔術師に捜索される可能性を、考慮に入れた上で対処しているということだ。


 彼がこちらの感知に引っかかったのは、侵入の際の一度きり。現在、出払っている管理者がそれを察知し、対処を熾へ依頼したという形だ。

 詳しい原理は熾も知らなかったが、ただ外部の魔術師が入るだけなら、管理結界は動作しない。あくまでも《対処を必要とする魔術師》にしか機能しないシステムらしい。

 術式が高度すぎて熾の理解を超えている――現代の魔術師が気軽に再現できるレベルにない――のだが、とにかくそういう仕組みである、とわかっていれば充分だ。


 ともあれそれを考慮するに、渡会空也はこの街へ来るまで、隠れるという発想を持っていなかった可能性はある。

 大輝の指摘で思いついたのは、そういう理屈だった。


 ただ結局は対処できているのだから、あまり関係ない思考だったかもしれない――。


「そろそろ、だ……」


 駅から離れる方向へ進んだ大輝は、やがて神社の近くでそう言った。

 熾も顔を上げる。

 境内へと続く大きな通り。すぐ近くには大きな道路があり、そこには自動車や人が行き交っていたにもかかわらず、参道の先にはまったく人の気配がなかった。

 これは異常だ。


「……見つけた。結界が張られてる」


 魔眼を発動した熾が、参道を見て言った。

 逆に、大輝は結界とやらの気配は何ひとつ感じ取れない。

 異世界ではともかく、地球の大輝は魔力に対する知覚を保有していなかった。それはそれで歯痒い。


「神社に結界って……あり得ない。怖いものなしか、こいつ。バカじゃないの……?」


 どこか呆れた口調の熾に、大輝は問う。


「……それは、魔術師的には妙なことなのか?」

「どうかな……目的次第。ただ、場所に意味がありすぎるのは、基本的には怖いものだと思う。どうしたって使う魔術が土地に引っ張られちゃうの。特に結界魔術なんて、制御に失敗したら、文字通りにあの世行きってこともある。私ならそうそうやりたくないね」

「引っ張られる……どういう意味だ?」

「なんて言ったらいいのかな……。たとえば私が、火を熾す魔術を使うとするでしょ? 普通に使えば、それはもちろん《火を熾した》、ただそれだけの意味でしかない。だけどもし同じ魔術を神社で使ったら、たとえばそれが、忌火いみびとしての性質を帯びたりするの。使う私にそのつもりがなくても、発動する魔術が土地に流されるってこと。実際はもっと複雑なパラメータがあると思うけど、どっちにしろ、普通の人間はまず把握しきれない」

「……なるほどな」


 と大輝は言ったが、正直に言えば熾の言葉の意味は何もほぼわかっていなかった。

 聞いても理解できそうにないが妙なことになるってのはわかった、という意味である。


「まあ逆を言えば、完全に制御できれば引っ張られないし、そうなれば神社という土地の強い力を一方的に利用することもできるけど……メリットにしては安い、と思う」

「よく、わからんが……ええと、渡会、だっけか。そいつの目的には合わないんだな?」

「そう訊かれると、そもそも渡会の目的がわからないんだけどね。でも、仮にそれが目的だったら、最初からあんな路地裏じゃなくて、神社でやってるはずだとは思う」

「……練習だったとか?」

「神社で練習すればいいでしょうが」

「最初から神社でやったら、邪魔されるって考えた、とか」

「なら家で練習して来いって話でしょ。あまりに行き当たりばったり過ぎるでしょ」

「道理だな。理屈に合ってない……つまり」

「ああ、なるほどね。――って言いたいわけだ」


 大輝は頷き、横目に熾を見て。


「オレの考えは、熾から見て的外れか?」

「いや、あり得ると思う。向こうも追われてることはわかってるんだし――何より」


 熾もまたその視線を大輝に向ける。

 意味するところは明白だった。


「昨日と違って、今日は大輝がいっしょにいる」


 相手方の魔術師――渡会空也もそれがわかっているのだとしたら。

 可能性は低い、と熾は考える。

 だが大輝の存在がバレている可能性もゼロではない。


「――行こう」


 熾が答えを出すより早く、大輝は言い切った。

 逆に、だからこそ熾は答えに迷う。それでいいのだろうか。


「本当なら、ここで待っててもらいたかったんだけど。なんなら今から帰ってもいい」


 当初はその予定だった。

 大輝にはさっさと安全な場所へ引っ込んでもらう。だが、


「……これが罠で、オレがいることを向こうがわかってるんだとしたら」

「結界の入口で別れるという判断自体が、渡会に誘導されているかもしれない――か」


 あり得ない――と断じることができない程度には、大輝の発言には妥当性がある。

 難しい表情で、熾は目を閉じる。

 だが次に開いたとき、彼女は意を決していた。


「わかった。――いっしょに行こう。少なくともギリギリまでは」


 実際、なるべく近くにいるほうが守りやすいことは事実だ。

 計算の上では、確かに熾も大輝を最後まで連れ歩くことを考えてはいたのだ。魔術師としての、理性的な判断では。


 レーダーとしての役割だけではない。

 釣りの餌にもなれば交渉の材料にもなる。

 いざとなったら、人質にだって。


 大輝という人材を活用する方法を、利用し尽くす手段を、魔術師としての鳴見熾は想定していた。

 契約など裏を返せば、使、程度の意味だ。


 そんなことは、わかっている――けれど。


 ――


「まあ、心配するな。いざとなったら逃げるくらいのことはしてみせる……」


 黙る熾に、何を思ったのか笑顔で言う大輝。

 熾はわずかに微笑んで、それから首を振って答えた。


「そんな青い顔で心配するなとか言われても無理だっての。立場が逆。大輝のことは必ず守ってみせるから心配しないで、って私が言ってみせるとこでしょ」

「信用してるよ。仮に死んでも化けては出ないでおく」

「ばか。……まだ昨日会ったばっかでしょ。恨みなさいよ。てか死ぬとか言わない」

「できることとできないことがある。二つの意味でな」

「……ほんと、ばか」


 二度ほど大輝を罵倒し、それから熾は前を向く。


 馬鹿は自分のほうだ。単に、後ろ暗い気持ちを大輝に見抜かれたくなかっただけ。

 ――魔術師にあるまじき体たらくだ。

 それではいけない。自分はあくまで魔術師だと、鳴見熾は改めて自覚する。


「着いてきて。警戒しながらね――そういうのは得意なんでしょ」

「ん、ああ……任せてくれ。何も見えない闇の中で魔物と戦った経験もあるんだ」

「想定より得意すぎる……なんかもう慣れたけど」

「いやあ。最初は感覚でどうにかしたが、厄介なのも多くてな。特に気配を完璧に殺してくるタイプの魔物はしんどかった」

「そんなのどうやって倒したわけ……?」

「……言ったら絶対に引かれるから言いたくない」

「はい?」

「ま、なんだ。動きを止めれば、見えなかろうと剣は当たる。そういう話だ。食事時とかオススメなんだが、真似はしないほうがいいな。魔物は味にこだわりがなくてよかった」

「何言ってんのかわかんないけど……そろそろ無駄話は終わり。警戒して行こう」


 何かしらの異世界ジョークなのだろうが、要領を得なかったので流して。


 黙って、熾と大輝は参道を進む。

 人の気配がまったくないこと以外の異常を、少なくとも大輝は自覚できなかった。

 毎年ここには初詣に来ているが、新年はいつも出店と人波でごった返している場所だ。それを知っているせいで、なんの気配もない参道が普段より不気味だった。

 一方、なぜか進めば進むほど、気分の悪さがわずかに和らいでいくのを大輝は感じる。


 ――普通、こういうのって近づくほど気分が悪くなりそうなもんだが……。


 それとは真逆の感覚だ。

 意味はわからなかったが、別に近づいたら気分がよくなるわけでもないのだから、行かなければならないだけマイナスだ。ロクなものじゃない。

 やがて、そう時間も経たずに境内に差しかかる。


「う……ぁ、ぐっ」


 大鳥居の直前で、大輝は凄まじい気持ち悪さを感じた。

 ただ、さきほどまでとは性質が違う。

 何かに引っ張られるような気持ち悪さとは逆に、今度のそれは生理的な嫌悪感に似た不快さだ。この先に嫌なものがある、という直感。


「……さすがに、このレベルになると大輝でもわかるんだね」


 その原因を知っているのか、熾は言った。


「この……感覚は? さっきまでのとは違うん、だが……」

「これは魔力の気配だよ。ここ、かなり濃いね……別の結界が入り混じって、だいぶ酷いことになってる。魔力って人間に対しては害になるから、近づくと体調に影響するんだ」

「そうか……ところで、熾はそれ、オレの左腕に注がなかったっけ?」

「少量なら麻酔になるもの、なーんだ?」

「毒じゃねえかよ……」


 そういうことは先に言ってほしかったと思う。

 少なくとも、異世界では魔力に嫌な思い出はないのだが。違うものなのだろうか。


「うん、――ここまでだね。大輝はここで私が帰ってくるのを待ってて」


 神社の奥のほうを見つめながら熾は言う。

 大輝は正直その方向を見ることすら嫌悪感がある。魔術師だと平気らしい。


「まあここ、ある意味で安全だから。なにせ誰も入ってこないし」

「……かもしれん、ね……ああ、でもちょっと慣れてきた」

「魔力には慣れないほうがたぶんいいけど……。まあ、下手人がこの先にいることだけは間違いないから、大輝には被害は及ばない。ちょっくら行って止めてくる」

「……ああ、了解した。大人しく、帰りを待ってるよ」

「そうだね――三十分かな」


 と、熾は言った。

 目を細める大輝に、少女は続ける。


「三十分。それで私が戻ってこなかったら、死んだと思って大輝は逃げて」

「……熾」

「負ける気はないよ。これでも私、結構強いんだから。でも絶対とは約束できないから」

「勝ち目がなさそうなら、さっさと逃げてくればいいだろ……」

「あはは、そういうパターンもあるかもね。まあ最低三十分。負けるにしてもそれだけは命懸けで持たせるから、それで戻ってこなかったら大輝は逃げて、のどか屋に行って」

「のどか屋、って……なんで」

「説明する暇はない。とにかく私の名前を出して、今はいないけど、あの店のマスターにどうにか連絡取ってもらって。そうすれば、あとはどうにかしてくれるはず」

「……、わかった」


 非常に納得はしづらい。後半の指示など意味不明だ。

 けれど、この状況ではそう答えるしかない。生還を信じるのみだ。


「ま、あんま大袈裟に捉えないで、悠々とここで待っててよ。話し合いで片がつく可能性だってないわけじゃないしね。ともあれ、これで大輝との契約は完遂されるよ」

「……行ってらっしゃい」


 少し迷って、大輝はその言葉を見送りに選んだ。

 熾は軽く苦笑を零すと、それから頷いて、返事を言った。


「ん。――行ってきます」


 そう言って、熾は鳥居の奥へと向かっていく。

 と、鳥居を潜ったその瞬間、熾の姿が煙のように


「結界、に入った……ってことか」


 内と外との隔絶。似た景色なら、大輝にも異世界で見覚えがあった。

 個人の術者が利用するようなものはあまり見た記憶がなかったが、通底する部分もあるだろう。


 見送る、という行為にはどうにも慣れる気がしない。

 異世界では、大輝はどちらかと言えば見送られることのほうが多かったからだ。

 だからせめて、自分が見送られるときと同じ言葉を送ったのだが、やはり待つのは不安になる。


「今さらになって、見送る側の気分を味わうことになるとはね……」


 小さく、自嘲するように大輝は呟いた。

 何もかも今さらの話だ。

 黒須大輝の異世界物語は、とうに幕を下ろしている。


 未練も後悔も、何かの役に立つことはない。ならばせめて、成し遂げた結果だけを胸に宿しておくのが理性的な判断なのだろう。少なくとも慰めにはなる。

 まして、ここで戦う力があればと願うのは贅沢も甚だしい話だ。

 そんなものは初めからないのが前提で、かつて持っていた経験があることのほうが異常なのだから。

 魔術師同士の戦いに、黒須大輝が介入できる余地など、存在しない――




「――せっかくなら見ていけばいいのに、欲がないんスねえ。ちょっと意外っスわ」




 突如。背後から響いたその声に、大輝は戦慄した。

 弾かれるように振り返る。

 熾の不意打ちも察知した大輝が、声をかけられるまでまるで気がつけなかったという異常。

 そもそも、この結界の中に人の気配はないはずで――、


「……誰だ」


 特に力強くもなく、淡々と大輝は言う。

 異世界生活を経た大輝の性格は、常に冷静で波が起きない。

 どれほど驚いても、だ。


 果たして振り返った先――ついさっきふたりで歩いてきた参道に、気がつけばひとりの女性がいた。

 いや、女性というよりは少女だろうか。

 同年代か、あるいは少し上か。


 下はデニム地のパンツルックで、ところどころダメージが入っている。

 一方、上は暖色系を基調としたなんとも言いづらい薄手の柄物セーターを、だぼっと着込んでいた。

 大輝の勝手なイメージで言えば、芸術系の大学生みたいな印象が近いだろうか。


 背はそう高くない。大輝と熾の中間くらいか。

 わずかに脱色された髪色で、にへらっとした、なんだか脱力するような笑みをその表情に浮かべている。

 とても警戒心を抱けそうもない――それこそ紛れ込んだ一般人のような印象だった。


「うはは、そう睨まないでほしいもんスね。男の子に睨まれるのは怖いっスよ」


 ひらひらと手を振って彼女は言う。

 無論、見た目の印象より、ここに至るまで気づけなかった事実を大輝は重視する。


「もう一回訊く。誰だ? ――熾の敵、ってことでいいのか」


 重要なのはその一点。

 侵入者は男性の魔術師のはずで、少なくとも変装を疑えるようなレベルではない。間違いなく別人だ。魔術師が変身できるのならわからないが。


 情報を訊ねるのは時間稼ぎという点が大きい。この状況で、急に知らない味方が現れると考えるほど、大輝は世界を楽観しない。

 とはいえ、どうしたものだろう。


 熾は結界の内側に入ったばかり。

 どれほど好都合に最速を見積もったところで、まず十分は戻ってこないと見るべきだ。

 逃亡するべきなのか。

 目の前の女性を相手にして、自分にそれが可能なのか。


「いやいや、敵だなんてとてもとても。こわーい魔女にケンカを売るなんて、あたしにはとてもできないっスよ。むしろ、よくあんなバケモノといっしょにいられるもんスわ」


 彼女はポケットに手を突っ込んで、肩を揺らしてそう嘯く。

 信用する気はさらさらないが、敵じゃないと言ってのけるのも気がかりである。


「……この状況で現れて、熾のことを知っている奴が敵じゃない、って?」

「ああ、そりゃ立場ってもんがあるっスからね。あたしも仕事で来てるんスよ。あの魔女さんだって同じなんスよね? まあ、魔女に出張られるなんて不運な話っスけど――」

「――なら熾を魔女とは呼ぶなよ」

「…………」


 ふと大輝が言った言葉に、目の前の女性は目を丸くした。

 だが、それは言うべきだろうと大輝は思う。


「そう呼ばれたくない、と言っていた。本人が嫌がることをするのは、敵だけだ」

「……っぷ、く――あはははっ!」


 真面目腐った大輝の言葉に、直後、女性は腹を抱えて笑い出した。

 酷く愉快そうに笑われているというのに、なぜだろう。嫌な気分にならない。


「そ、それこの状況で、本気で言ってんスか。あっはは! キミ、超いい奴じゃないっスか! なんそれ、面白すぎ……あっはははっ!」

「……そんなに笑えるのか」

「あはは……いやいや、申し訳ねっス。気を悪くしないでくれると嬉しいっスね。単に、ちょっと感心しちゃっただけっスよ、おねーさんは。キミのこと好きになれそうっス」

「そうか。ならいい加減、誰なのか教えてほしいところなんだが」

「あたしはしがない運送業っスよ。依頼されたものを、依頼された場所へと届ける運び屋さんっス。名前は愛子――愛子あいこうれい。愛子、のほうが苗字っスよ?」

「――黒須大輝だ」

「あっはは、ご丁寧にどうもー。キミ、本気で面白いっスね。律儀っていうか」


 くつくつと楽しそうに、彼女――憂は笑っている。

 気の抜けるようなやり取りだった。

 ほんの一瞬だけ、このまま何ごともなく済むのではないかと思うほどに。


 けれど。

 やはりそれは、甘い考えというものなのだろう。

 憂は言う。


「それに免じて、じゃあわかりやすく、もうひとつ教えといてあげるっスかね」


 瞬間、――大輝は何かを感じた。

 言葉にはできない、あるいは直観にも似て、けれど確実に何かが変わったという感覚。

 その発生源は、言うまでもなく目の前の女――愛子憂で。




「――魔術師、と。そう名乗ったほうが、おにーさんは嬉しいっスか?」




 それが決して油断のできる存在ではないことを、大輝は痛いほど思い知っている。

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