1-06『元英雄の、日常』2

「歳いくつだ!」


 学校から離脱し、人目につかない場所まで離れたところで、ツッコみたい様々な想いを飲み込みに飲み込んだ大輝から、最後の最後で漏れた言葉がそれだった。

 たぶん、いちばんどうでもいいけれど、いちばん気になったからなのだろう。


「え、急に……?」


 素直に引っ張られてきた熾は、立ち止まった瞬間の言葉に面食らって大輝を見上げる。

 ちょっと疲れた大輝は、呼吸を整えながら。


「はぁ……いや、悪い。あまり女性に年齢を訊くのも憚られるな。で、いくつだ?」

「ぜんぜん憚ってない……いや別にいいけどさ。私、今年で十五だよ」

「……中三……ふたつ下……」


 だからといって問題になるようなことは何もないはずだが、というかそもそもそういう問題ではないはずだが。

 それでも、思っていたより下だったことに大輝は驚いていた。


 ただ、言われてみれば、別に中学生に見えないということはない。

 いやもう、知ったからかなんなのか、中学生にしか見えない。

 細いし小さいし脆そう。


「何。まさか今さら、子ども扱いするって?」


 薄く笑うように熾は言う。大輝は首を振った。


「いいや、別に態度を変える気はないよ」

「へー、そう?」

「中学生も高校生も、どっちも子どもだろ」

「……かもね」


 軽く肩を揺らして熾は笑う。

 たぶん、大輝と熾とでは言葉のイメージが違うのだが、特に訂正はしなかった。


「それより本題だ。なんでわざわざ学校に来た?」


 改めて大輝はそう訊ねる。あれは今後が気まずい。

 だがこれといって重く構える様子もなく、あっさりと熾は答えた。


「なんでって、むしろなんで来ないと思ったの。迎えに行くに決まってるでしょ」

「……決まってるのか……」

「いやまあ、待ち合わせでもよかったけどね。校門とかで。でもほら、そういえば昨日、連絡先とか交換し忘れちゃったし。ならついでに、中も確認しておこうかなって」

「ついで……」

「必要ではあるでしょ。護衛対象の近辺は知っとかないと。慢心して大輝を狙われましたじゃ話にならない。どうすんの、もし学校にいるところを狙われることがあったら」


 そう言われると正論であるような気もしてくる。

 魔術師、という者たちの実態を大輝は何も知らないのだから。

 情報源が熾以外にはない以上、大輝自身、基本的には熾の方針に逆らわないと決めている部分はある。


「……まあ、わかった。それならいい。ただできれば今回限りにしてくれると助かる」

「いいけど……なんでそんなに気にしてるの?」


 どうもその辺は、本気で理解していない様子の熾。

 少し考えて、大輝は言った。


「逆の立場で考えてみてほしいんだが、熾はどう思う? 自分の学校にオレが来たら」

「危ないから勝手に出歩かないでほしいと思う。居場所は常に知っておきたい」

「そういう意味じゃない。今回の件がなかったとして、だ」

「……なら別にいいんじゃない?」


 熾はあっさりと言った。

 いいんだ……。大輝はこめかみを揉む。


「え、なんかダメだったかな? 籠目星かごめぼし中の生徒会の者ですけどー、って言ったら普通に入れてくれたけど。大輝のクラスも教えてくれたし」

「へえ。熾、生徒会とか入ってたのか」


 なんだか意外だった。魔術師という肩書きとは、イメージが異なる気がする。

 少し感心しながら言った大輝に、けれど熾はおどけるように「てへ」と舌を出して。


「まさか。私が課外活動まで真面目にやってるわけないじゃん。そんな暇ないよ」

「その何が『普通に入れてくれた』なんだ……。思いっきり嘘じゃないか」

「まあまあ。嘘も放題、って言うでしょ?」

「言わないよ。言うとしたらその人が嘘つきだよ」

「そりゃ、嘘つきに都合のいい理屈だし。言うとしたらもちろん嘘つきだけでしょ」


 しれっと言ってのける熾に、大輝はこめかみを押さえざるを得なかった。


「……にしても、そうか。それ、籠目星中の制服か」


 籠目星中――と言えば市内にある、確か結構な私立のお嬢様学校だったはず。

 イメージと違うのか、ある意味で似合っているのか。大輝的に微妙なラインだった。


「そう。私、これでも成績はいいんだよ?」


 ちょっと自慢げに熾は言う。さらに続けて、


「でも大輝こそ、御社みやしろ高校って言ったら県内トップクラスじゃん。勉強できるんだね」

「……褒めてくれたとこ申し訳ないが、異世界旅行の影響で成績は超下がってる」

「あー……」

「いや、てかそんな話はいいんだよ。話戻すけど、熾だってオレがいきなり学校に来て、それを友達に見られたり、噂とかされたりしたら困るだろ? そういうことだよ」


 言い含めるような大輝の言葉。けれど熾は、やはりけろっとした様子で。


「いや、別に私、学校に友達とかいないし」

「……それは」

「ああ、いいのいいの。私、魔術師なんだから当然でしょ。そういうものなんだよ」


 特に強がりだという様子はなく。

 ただそれが、本当に当たり前だとばかりに。


「そりゃ表の世界とも、それなりに折り合いはつけて生きなきゃいけないけどね。だから成績もそれなりに取ってるわけだし。でも結局、誰かその先の人生で関わり続ける相手がいるわけでもなし。これでも学校では目立たず騒がず、波風立てずに上手くやり過ごして暮らしてるから。大輝が訪ねてきたくらいじゃ、誰も気にしないよ、私のことなんて」

「…………」


 そんなことはないはずだ。大輝は思う。

 たとえ熾が、彼女の言う通り、学校では目立たない地味な生徒なのだとしても。何かが起きれば注目されるし、本当に誰も意に介さないなんてことはあり得ない。

 その程度のことは、まだ異世界生活のリハビリ中である大輝ですら簡単にわかる。


 ――けれど。


「んー。でもそっか。大輝、実は意外と学校でも人気者だったりするってことかな。あ、意外ってことはないか。でも、そこまで気が回ってなかったよ。もうしないね?」


 この世界でずっと生きてきたであろう熾には、それがわかっていなかった。


「まあ……わかってくれたならいい」


 大輝は首を振る。昨夜から彼女に感じていたズレが、徐々に視覚化された気分だ。


 考えてみれば初めから不自然である。

 彼女は確かに、この街には魔術師の互助関係があると言っていた。つまりこの街には、熾以外にも魔術師が存在するということだ。

 誰かから仕事として請けて、外部の魔術師を追っているとも言っていたのだし、おそらくその誰かは熾より年上――成人だろう。


 ――なぜ、まだたった十五歳にも満たない少女が、ひとりで追っているのか。


「さて。そんなことよりも、大輝! ……聞いてる?」


 考え込む大輝を、熾が呼んだ。


「あ、――悪い。なんだ?」

「なんだ、じゃなくて。そんなことより、私からも訊きたいことがあるんだけど」

「訊きたいこと?」


 仕事のことか、それともまた異世界のことか。

 頷いて質問を待つ大輝を、熾はじとっと睨みつけながら。


「う、で。……なんで、そのままなの」

「ああ、これ?」


 言って大輝は、ひらひらと左腕を振る。

 慌てて止めたのは熾のほうで、彼女は焦りながら、


「ちょ!? 何してんのもう、動きが荒いって! てかなんで病院に行ってないかな!?」


 どこか怒りも見える様子で熾は指摘する。

 この問いには、今度は大輝のほうが不思議そうな様子で。


「……なんで行ってないってわかるんだ? 午前中に行ったかもしれないだろ」

「行ってたらギプスで固定くらいしてるでしょ……。骨にヒビ入ってんだよ?」


 直接の原因は熾の拳だったが、だからこそ彼女は心配していた。

 魔術を使った以上、プロ野球選手が金属バットでフルスイングした程度の威力は余裕で出ている。

 けろっとしている大輝がおかしいのだが、――彼もまた驚いた様子で。


?」

「…………は?」

「しまったな。そうか、骨折ならそりゃそうだよな……。オレも抜けてた」


 大輝が何を言っているのか、熾には理解できない。

 昨夜、熾が施した固定と麻酔は、もうとっくに解除されている。だというのに。


「まあ大丈夫だよ。この程度は寝てれば治る。思ったより痛みもないし」

「……それ本気で言ってるの?」

「骨を折ったなんて、親に言いにくいしさ。治療費もかかる。オレは、この程度の傷なら異世界のときの経験で慣れてるから、別に問題ないよ。命に関わるわけじゃなし。むしろこれからのことを考えれば、包帯なんて巻いて動きにくくなるほうが問題だ」


 本気で言っていた。

 大輝が本気で言ってるのだと熾にはわかった。


 ――


 思わされたのだ、熾は。

 魔術師であるはずの人間が、ただの一般人であるはずの相手に対して――恐怖の感情を覚えさせられた。

 それがどれほど異常なことか、大輝には自覚があるのだろうか。


 ないのだろう。

 何を勘違いしているのか、彼は熾に対して平気さをアピールする。


「うん、ほら、やっぱり。昨日よりだいぶ治ってる気がする。だいぶ動かせるよ」


 実際に大輝は、本当になんの損傷もないかのように、折れた腕の肘から先をぐるぐると回した。

 さらには負傷箇所である肘と手首の真ん中辺りを、右手で普通に、殴った。


「――何してんの!?」

「ああ。いや、さすがに叩くと普通に痛みがあるなって」

「あ……当たり前でしょ、何言ってるわけ!? ば、ばかなんじゃないの……!?」

「大袈裟だって、軽くに決まってるだろ。オレだって加減くらいわかってる」

「加減、って」

「それに、今朝は牛乳も飲んだしな。カルシウムは摂った」


 だからなんだというのだろう。熾は大輝を睨み、それから息をついて首を振った。


「……わかったから、それ以上やらないで。怪我が悪化したら、嫌だよ」


 熾は、大輝の腕に優しく触れ、ゆっくりと下げさせる。

 それから、念のため誰も見ていないか辺りを見回し、人がいないことを再確認すると、昨夜と同じ魔術を再び発動した。


 漆黒の、光を反射しない影のような糸が、瞬時に大輝の腕をぐるぐると巻く。

 熾は医者ではないから、この固定にどれほどの意味があるのか、詳しくはわからない。


「痛みは止めないでおく。とにかく、無理はしないようにして、大輝」

「ん、ありがとな、熾。これ、すごいよなー。叩いても中まで衝撃がいかな――」

「だから! 叩くな! 折れてる腕を! ――ばかっ!!」

「え? お……おう。別に、そんな問題ないんだけどな……痩せ我慢でもないしさ」


 大輝はあくまで、理性的に問題ないと判断しただけだと言いたげな様子。

 実際、思っていたよりは軽傷なのかもしれない、と熾も思う。思うが、だからってこのあまりに雑な扱いでは心配にもなる。当人より熾の心臓に悪かった。


 昨日の戦闘で、熾は大輝を冷静だと評価した。

 だが、それは少し違うのかもしれない。

 冷静なのではなく、単に危機感が欠如しているだけな気がしてきたのだ。


 やはり強引でも契約を迫っておいてよかった。

 危なっかしくて見ていられない。


「大輝って、本当に異世界で戦ってたんだよね……?」


 よくそれで生き残れたものだ、と熾は思う。

 それに大輝は、今さら疑われるのかと少しショックを受けながら。


「だから、なんだけどな。自分の怪我の具合いは、それでわかるようになったというか」

「なんか無茶ばっかりしてそう」

「あはは……」


 大輝は笑って誤魔化した。――否定はできなかった。

 単にそれは、生き残るのに必要だっただけ。それだけでしかないと大輝は思うが。


「さて! それより、今日のお仕事を始めるとしよっか!」


 話を戻すべく、熾は改めて大輝に向き直ると、少し調子を明るくして言った。

 大輝も頷き、魔術師へ問い返す。


「ああ、わかった。オレは何をすればいいんだ?」

「ん――と言っても、夜までは特にすることもないかな。時間でも潰してよっか」

「……やる気を出したところだったんだが」

「仕方ないでしょ。魔術師が動くのは基本的には夜。なので陽が沈んだら、見回りをして痕跡を探すことにします。動きがあれば、私か、あるいは先に大輝が気がつくはず」

「そうなったら、いよいよ乗り込むわけだな。なるほど了解」


 うん、と頷く大輝に、熾は釘を刺す。


「言っておくけど、大輝の仕事はあくまで探し当てるまで。手は出さないでよ」

「わかってるよ。どういうことになるか知らないけど、オレが役に立つことはないだろ」

「……わかってるならいいけどね。いざとなったら大輝は逃げてよ? 絶対だからね」

「なんか、急に信用がなくなってないか……? 大丈夫だよ、指示に従う。無能な味方は敵より厄介だからな。熾の邪魔にならないよう、引っ込んでるのがオレの仕事。だろ?」

「そういうのは弁えてるのになあ……。大輝って、なんかちぐはぐ」

「そうか? ……まあそうかもな、確かに」


 大輝は軽く苦笑する。


 失った力を、惜しいと思ったことはない。

 でもそれは、この現代社会において、なんの役にも立たない力だと思っていたからだ。だから大輝はかつての力に固執しなかった。

 では。

 翻って、今はどうだろう?

 年下の少女に全てを任せるしかない無力を、自分はどう捉えているのか――。


 大輝にはわからなかった。


「……ま、それじゃあ行くか。夜までどこで時間潰す?」


 訊ねた大輝に、熾はぱちくりと目を見開いて。


「そういえば、考えてなかったかも。……大輝はどこか行きたいとこある?」

「いや、オレも特にはないかな。適当に歩きながら探そう」


 言って大輝は歩き出す。

 とてとて後ろをついて来る熾に、彼は振り返って。


「せっかくのデートだしね。よければエスコートさせてもらうけど」


 それは、大輝としてはあくまで冗談、形式的な誘いの範疇。

 仮にも異世界で、年齢プラス分の経験を得た、年上としての礼儀のつもりだったが。


「……………………………………………………………………………………ふぇっ?」


 生憎と、友達のいない――イコール異性との交流経験など微塵もない、ぼっち魔術師の女の子を真っ赤にする程度であれば。

 それはもう、過剰と言っていいレベルの火力を持つ言葉だった。


「あ、あっ、あ、――で、でっ、ででっ、でぇ……!?」

「ごめん、ごめん熾。オレが悪かった。赤い赤い。顔が。顔っていうか目が。魔眼が」

「ああっ違っ、えと――ぅえとっ? 私、そういうつもりじゃなくて、その……っ」

「わかってるわかってる。冗談。悪かった。オレがデリカシーなかった。許してくれ」

「あ、じょ、冗談? そそ、そっか、そだよねっ。あはは……っ」

「……ええと」

「違うよね、そうだよね……相手が私とか、ないもんね……。だよね……、うん」

「熾」

「あ、ご、ごめん。ちょっと気になっただけで。ぅあぇと――何かな、大輝っ?」

「――オレでよければ、やっぱりデートしよう」


 熾は爆発した。

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