1-04『元英雄と、魔女』4

 契約が終わったあとは、少しだけ体を休めてから、大輝は帰路につくこととなった。


 熾はこの《隠れ家セーフエリア》に泊まることを勧めたが、大輝は固辞。

 明日も学校だし、家族への言い訳も思いつかない。

 何より口には出さなかったが、熾とふたりきりは落ち着かない。


「この場所は結界もあるから、安全なんだけどなあ……守りやすいしさ」


 しゅんとした様子で熾は零していた。

 理由はわからないが、どうも泊まっていってもらいたかったらしい。


 とはいえ、強く食い下がるまでは熾もしなかった。代わりに家まで送っていく、という部分は譲らなかったし、こちらには大輝も反論できない。

 女の子を家まで送るならともかく、逆に送られるなんて悲しい話だが、飲むしかない。


 ――その帰路の最中、熾は大輝に忠告を語った。


「今後、この件が片づくまで、基本的にはひとりにならないで。学校には通ってもらって大丈夫だし、放課後からは私と行動を共にしてもらうことになるけど、私がいないときは極力、人目につくところにいてほしい。大抵の魔術師は、それでまず何もできないから」


 ひと気も減った夜道を歩きながら、熾は言う。

 こうしていられるのは、それこそ彼女がいっしょにいてくれるからなのだろう。


「へえ……そういうもんか。正面から襲ってきたりはしないんだな」

「そりゃそうでしょ。警察沙汰になったら面倒なんてものじゃないんだから。ある意味、魔術師を敵に回すより厄介でしょ、手配でもされたら。コンビニにも気軽に行けない」

「そういうの、魔術でどうにかなるもんなんじゃないの……?」


 なんだか世知辛いというか、なんというか。

 現代の片隅にひっそりと潜む魔術師――という格好いい形容の価値が暴落していく。


「それは魔術に夢を見すぎ。いや、むしろ異世界の見すぎなのかな? そりゃ、絶対ないとは言い切れないけど、魔術師って基本、大輝が考えてるほど大した能力はないの」

「へえ……。オレが異世界で知り合った魔法使いだと、いちばん強かった奴は一軍を敵に回しても正面から打ち砕けるレベルだったけど。そういう感じじゃないんだな」

「そんな漫画みたいなのといっしょにしないでくれない?」


 呆れたように熾は言う。

 熾も充分、漫画みたいファンタジーな存在だと大輝は思うが。


「探せばそういうのも、ごくごく少数ながらいるとは思うけど。でもまあ、それは例外だと思っていい。ツチノコ並みに希少だから。普通はそこまで好き勝手できないよ」

「まあ、いたらとっくに、世界でニュースになってるか」

「できるかどうかと実行するかどうかは、また別の話だと思うけどね」

「なるほど、納得した」


 ――もし自分が、異世界での戦闘能力を持ったまま地球に戻っていたとしたら?


 大輝はそれを想像し、そして、別に今と変わらないという結論を出した。

 そんな力は隠しておくに決まっている。目立っても、なんの得もないのだから。


「とはいえその分、搦め手に長けてたりするから。何をもって厄介とするかは、それこそ時と場合によるって感じ」

「それはわかる。たとえば家族を人質に取られたりしたら……従わざるを得ないな」


 大輝の経験にも、謀略を武装とする敵との戦いはあった。

 確かに、それらは純粋な戦闘能力以上に、時に厄介に働くものだ。


「なんだか不安になってきた」

「今のとこは大丈夫。私は敵の情報をある程度は掴んでるけど、向こうはこっちのことを何も掴んでない。正体のわからない相手に追われるのって、結構キツいものだよ」

「まあ、その理屈はわかるけどさ」

「さして武闘派の魔術師ってワケでもないみたいだし。いや、武闘派の魔術師なんてのがそもそもレアなんだけど。戦闘能力とか、現代においては基本ゴミみたいなものだし」

「……ゴミ……」

「だって、いらないでしょ。使い道がなさすぎるよ。せっかく魔術が使えるのに、用途が戦いなんて才能の無駄遣いもいいとこ。そんなのはせいぜい、魔道の研鑽の副産物程度に捉えておくのが、現代の魔術師のセオリーって話だよね」


 異世界で戦闘能力を誇っていた大輝としては、なかなか刺さる言葉だった。

 ただ言い換えれば、熾は自身が修めた魔導の副産物で、あれだけの戦闘能力を発揮していたということになる。

 今の大輝は、そのにすらまるで及ばないというわけだ。


「言う割に、熾は結構、格闘の訓練してるよね、アレ。強かったじゃん」

「護身術なんて女子の嗜みでしょ」

「護身、術……?」


 そんなレベルじゃなかったと思う――じとっとした視線で大輝は訴えた。


「そんな呆れたような目で見られても知らないから。私からすれば、魔力も使わず生身であれだけ対抗してみせた大輝のほうが、ずっとおかしいよ」

「……昔取った杵柄っていうかね。もうぜんぜん、イメージ通りに身体が動かないけど」

「ふぅん……? 異世界にいた頃の大輝って、どのくらい強かったんだろ」


 なんの気なく熾は呟いた。大輝は軽く肩を竦めて、


「……どうかな。所詮は聖剣っていう、言ってみればズルありきの能力だったわけだし。別にオレ自身に特別な才能があったわけじゃないから、あんまりピンと来ないな」

「はあ……。にしても、聖剣かあ。どんな剣だったのか聞いてもいい?」

「どんなって……どうかな。名前ほど派手な剣じゃなかったな。大人しい奴だったが」

「大人しい剣ってのもよくわかんないけど……剣士にはわかる的な話なの?」

「ん? あ、そうか。いや実は、オレが持ってた剣には意志があってさ。喋るんだ」

「――喋る剣なの!?」

「いい奴だったよ。懐かしい……今頃は何やってんだろ。また刺さってんのかな」

「いや、そんな旧友を懐かしむような流れで『刺さってんのかな』て」

「割と旧友みたいな印象だけどね。なかなか尖った奴だったよ……フォルムが」

「フォルムが……」

「剣のような、いや、まさに剣そのものと言っていい奴だった」

「だって剣そのものだし……え、だよね? 剣そのものの話をしてるんだよね……?」


 ――とまあ、割と打ち解けた様子で、ふたりは雑談を繰り広げた。


 意外にも――というのは大輝の印象だが――熾はそれなりに聞き上手だった。

 異世界のことをいろいろと訊ねてきた彼女に、懐かしみながら大輝は語る。


 本当に、懐かしいと思った。

 まだ一年しか経っていないというのに、なぜだかもう遠い過去のように感じられる。

 けれど記憶は鮮明で、話してみればつい昨日にも感じられた。


 それはきっと、異世界でのことを誰かに語って聞かせるのが初めてだったから。

 楽しいばかりの記憶では決してない。

 だが、隠さなければならないことでもなかった。


 だから。

 ほんの少しだけ、家に辿り着いてしまうことが惜しくなるくらいには――。


「――っと。そこの角を折れたらウチだ。悪かったな、遠くまで」


 ほんのわずかに芽生えた思いを、おくびにも出さず大輝は言った。

 熾はこくりと頷く。


「ん。んにゃ、むしろ近所で楽だったよ。あ、一応、家に入るまでは見届けるね」

「お気遣いどうも……。なんだか立場は逆であるべきな気がするけど」

「そういうの意外と気にするんだね。それなら、この件が終わったら最後は大輝に家まで送ってもらおうかなー?」

「本当にお望みなら別にいいけど……っと、あれ」


 道を曲がると、その正面に大輝の実家がある。

 そしてその家の前に、見知った人物が立っていることに大輝は驚いた。


「――ずいぶんと遅いお帰りですね、大輝先輩」

「凪……」


 妹の名を口にして、大輝は決まり悪そうに首筋を押さえていた。


「はい、凪です。――そして、そちらはどなたですか?」


 凪は嫋やかな笑みで、つかつかとふたりに近づいてくる。

 熾は小声で、


「え、何? 隣の家の後輩系幼馴染み的な?」

「どういう発想だよ」

 大輝もまた小声で応じる。

「いや……オレの妹だ。一応。黒須凪」

「……へぇ……」

「あ、腕にヒビ入ってることは秘密で頼む。余計な心配をかけたくない」

「――内緒話ですか?」


 正面までやって来た凪は、そこで立ち止まると拗ねたようなジト目を大輝に向ける。

 こういうときは、下手に誤魔化さないほうが楽だ。大輝は肩を竦めて、


「そう、内緒話だよ。凪には秘密の」

「むぅ……」

「んじゃ、送ってくれてサンキュな。また」


 それだけ言って、あとは煙に撒こうと大輝は凪を押し戻していく。

 凪は不満そうな目を大輝に向けていたが、逆らえないのかずるずる押されていた。


 ――仲、いいなあ……。

 と熾は思う。自分を見る目が、露骨なまでに胡乱げだった。

 そんな魔術師の目の前で、


「ほら、入るぞ。てか、まさか家の前で待ってたわけじゃないだろうな?」

「そんなわけありません。ちょっと夜の空気を味わっていただけです」

「何言ってんだか……」

「先輩こそ、なんなんですか。どういうことですか。説明を要求します、私」

「なんで拗ねてる……」

「拗ねもします。せっかく中間のお祝いに、夕食を作って待っていたんですよ。とっくに冷めてしまいましたけど!」

「悪かった。じゃあ、温め直して頂くよ」

「もう先輩の分なんてありませんっ」


 そんな会話を繰り広げながら、大輝はアイコンタクトを熾に向ける。


 ――まあ、お兄ちゃんっていうのも苦労するがあるんだろう。

 なんて、ひとりっ子の熾は雑に理解し、軽く手を振りながらふたりを見送る。


「……まったくもう。いつも心配ばっかりかけるんですから」

「大袈裟すぎだ、もう高校生だぞ。ていうか、そろそろ機嫌直してくれ……」

「もうっ」


 凪はまだ不服な様子だったが、それでも自ら玄関の戸を開くと、大輝に向き直って。


「お帰りなさい、兄さん」

「ん。――ただいま」


 恭しく、家族を迎え入れるのだった。



     ※



 そして。

 大輝が妹と家に入ったのを見届けてから、ようやく鳴見熾はふぅ、とひと息つく。


 ――


 本当に、一時はどうなるかと思ったが、契約まで漕ぎつけたのだから上出来だ。

 大輝は深く考えていないようだったが、後悔するとしても――もう遅い。

 魔術師相手に《契約を結ぶ》という行為の重さを、彼はちっとも理解していなかった。


「さて……早いとこ済ませちゃわないと」


 夜は長い。そもそも魔術師は夜の生き物だ。

 熾にとっては、まだまだこれからが活動の時間。


 ――少女の双眸が、すっと血の如き真紅に染まっていく。


「…………」


 しかし、それにしても驚いた。

 まさか本物の異世界経験者と遭遇するなんて。


 魔物、などというモノが出てきた以上、彼の言葉が真実である可能性は無視できない。

 それがわかった以上、熾は

 多少、強引な手を使ってでも契約に持ち込みたかったのだが――。


 ――


 正直、あのときは熾もかなり焦った。

 大輝は、ただの雰囲気作りで魔眼を発動したのだとなぜか信じ込んでくれたが――当たり前だがそんなわけがない。


 気が昂ると、勝手に発動してしまうことは事実だ。

 だが少なくとも契約を持ちかけた際は、熾は意図して魔眼を起動していた。


 ――けれど彼には効かなかった。


 否、より正確に言えば、と表現したほうが事実に近いだろう。

 はっきり言って、熾には意味がわからなかった。


 ただまあ、その後のフォローの甲斐あって、無事に契約は締結された。それならいい。

 あとは仕込みだ。

 熾は、自らの内に秘める魔力を励起する。


「…………」


 ただ。

 大輝と話すのは――ちょっとだけ楽しかった。


 異世界のことを聞き出す、という目的はあったにせよ、会話していて楽しい相手だったことは事実だ。

 思うように話を運べないときでさえ、なんだか面映ゆく感じられて。

 よくわからないけれど、なんだか、くすぐったい気分になる。

 誰かとあんなふうに話すのは、とても久し振りのことだからだろうか――。


「――いけない、いけない。集中しなくちゃ」


 かぶりを振って、意識を整える。

 こんな無様、同業の知り合いに見られたら笑い者だ。

 仕事は、プロとして全うする。


「……それにしても」


 ふと、さきほどの光景を熾は思い出す。

 あの少女――凪といったか、彼女にはずいぶんと不審がられていたようだが。


 まったく、本当に仲のいい兄妹だ。てっきり、長年連れ添った恋人同士なのかと勘違いしそうになるほど。

 それくらい、なんというか――あの少女の目には慈愛が感じられた。

 だから勘違いしたとしても、無理はないと思うのだ。

 なにせ、


な……ふふっ」


 さして特徴のない兄のほうはともかく。

 妹のほうは、に、ときたものだ。勘違いだってするだろう。


「……実は血が繋がってないとか。まあ……それは訊きづらいか、さすがに」


 そんなことを考えながら。

 ――魔術師の夜は、さらに深みを増していく。

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