1-03『元英雄と、魔女』3

 大輝の危惧はともかく、正確に言えばそこは熾の自宅ではなかった。


「まあ、ゲストハウスというか隠れ家というかね。仕事の間なら自由に使っていいことになってるんだ。今は私が鍵を借りてるってこと。贅沢だよねえ、羨ましい……」


 そんなふうに熾は語っていた。

 要するに、ここは熾が(鳴見家が)権利を持つ部屋ではないということらしい。


 冷静に考えれば、初対面の男をいきなり実家に招くはずもないだろう。

 いや、ここなら招いていいのかと問われれば、それも怪しいと大輝は思うが。

 考えないことにする。


「その、魔術師のチームってヤツの持ちものなのか、ここ」

「正確には、その中のひとりが提供してくれてるって感じかな。チームって言ったけど、別に厳密に組んでるわけじゃないんだよね。その辺りは面倒なトコなんだけど」

「ふぅん……魔術師って儲かるのか?」


 かなりお高そうなマンションの一室を、そのためだけに提供できるのだから、なかなか裕福なんだなあ、と雑に考える大輝。庶民的な発想だった。

 それに、熾は苦笑を返して。


「魔術師は職業じゃないでしょ」

「え? あー……ああ、そういうことになるのか」


 ゲーム的な《ジョブ》のイメージが大輝にはあったが、言われてみれば確かに微妙だ。

 魔術師であることをマネタイズする方法は、パッとは浮かんでこない。


 無論、考えればいくらでもありそうだが、身分を隠しているらしいことや、法に反するような手段を除くと考えれば、大輝はすぐには思いつかない。

 それこそ、マジシャンでもやったらどうだろう? なんて間抜けな発想くらいだ。


「魔術師はだいたい貧乏だよ」

 熾は目を細めて、どこか遠くを見て言った。

「まあ普通に例外もあるけど。家柄が古かったりとかね。海外だと富豪も多いらしいって聞くし」

「……ちなみに熾は?」

「魔術って、お金がかかる趣味みたいなものなのかもね……フッ」


 だいたい察した。世知辛い世の中である様子だ。

 大輝は広いリビングルームを見回す。部屋には大きなソファと、広めの低いテーブルが設えてあり、さらに壁には大画面の薄型テレビまである。モデルルームのようだ。


「普通にいいとこだね、確かに」

「ね。まあ助かるからいいんだけど――さて」


 熾は大輝の目の前に立つと、向き直って真面目な表情を作る。

 大輝も居住まいを正し、熾の言葉を待った。


「――契約を、始めるとしましょうか。まずそこ、座って」


 ソファを勧められ、大輝は素直に腰を下ろす。

 熾もまたその隣にちょこんと収まった。

 明るい場所で見ると、彼女はかなり華奢だ。


「ええと。契約書にサインでもすればいいってことかな」


 その辺り意外としっかりしている、のだろうか。

 こうも改まる辺り、口約束で済ませるつもりではないらしい、ということは大輝も察していたが、それだけではなさそうだ。

 くすりと、熾は微笑を浮かべる。目は黒のままだった。


 こういうとき――魔術師としての表情を出すとき、熾はやけに気取ってみせる。

 普段の砕けた雰囲気は鳴りを潜め、さすがに魔術師らしい神秘性があった。


「魔術師は、人間の法では縛れないわ」

「……、」

「まあ厳密に言えば普段は普通に縛られているけれど」

「それ言わないほうが格好よかったのに。同じこと思ったけど」

「……おほんっ。まあとにかく、魔術師を縛るのは、魔術師が自ら定める法のみです」


 と、いうことらしい。言わんとせんことは、大輝にもなんとなく察しがつく。

 魔術師たちには、魔術師たちの間で通用するルールがあるのだろう。大輝がいた異世界でも、確かに力ある魔法使いたちには、それ相応の対処法が必要になった。


「私たちが結ぶのは魂の契約。絶対に遵守しなければならない法を、お互いに、魔術的に定義する。――再確認させてもらうね。大輝には、その覚悟があると思っていい?」

「……ああ。問題ない」


 大輝なりに、考えて出した答えではあった。後悔はしない、と思う。

 彼の内心をどう想定しているのか。熾は深く追及せず、ただ静かに一度の首肯を行う。


「なら、手を出して」

「どっちの?」

「……右でいいから」


 言われた通りに大輝が右手を差し出すと、熾はその手首を掴んで引き寄せ、そして。


「え、ちょ――熾」

「動かないでじっとしてて。少し、痛むからね」


 直後、熾は大輝の親指に歯を当てると、その皮膚を強く噛み千切った。


「――いっ、つ……」

「左のほうがよかったかもね。そっちは魔力で麻酔してるから、痛みは感じなかった」

「……そういうの、やるなら説明してほしかった……」

「魔術師相手に甘えたこと言わないでほしい。うん、やっぱり右がいいね。契約は痛みを伴ったほうが実感がある。――大輝は、魔術師を相手に契約を結んでいると自覚して」


 言って熾は、続けて自らの親指も噛んだ。

 指の先から赤い体液が、どこか艶めかしく流れている。


「別に自分でやったのに……」


 大輝は言った。熾は軽く小首を傾げて、


「そう? ああまあ、大輝なら大丈夫だったかもね。こういうの、慣れてないとなかなか踏ん切りがつかなかったり、下手だったりするものだからさ。つい、ね」

「まあ、じゃあ美少女に噛んでもらえたってことで納得しておく」

「……………………何それ大輝って実はドMさんなのかな本当そういうことを簡単に女の子に言わないでほしいんだけどでも褒めてくれたことはありがとうです、じゃなくて!」


 もしかして、熾は人に褒められ慣れていないのだろうか。

 目の前で耳を赤くしつつ叫んだ少女を見て、大輝はふとそんなことを考えた。


「手、ほら。出して、指。それで私のと合わせて」


 熾が親指を立てて伸ばしてくる。大輝は自身のそれを熾に合わせて。


「これでいいか?」

「うん。さっき似たようなことちらっと言ったけど、血液は魔術の媒介として強いの」

「なんとなく理解している気がする」

「充分。――じゃ、いくよ」


 言葉の直後、ふっと熾の瞳が紅に染まる。

 薄い笑みの下、口角を歪ませ、赤眼の魔術師は言った。


「契約内容を確認する。私が言葉にするから、大輝はひと言、承諾の旨を言葉にして」

「わかった。了解」

「――汝、黒須大輝。貴方は、自身の身の安全を担保できる限りにおいて、私、鳴見熾の職務に協力し、力となる。そして鳴見熾は、その限りにおいて、黒須大輝の身の安全を、命に代えてでも保証する――オーケー?」

「オーケー」


 同意を口にした瞬間、触れ合う指先に強い熱を感じた。

 同時、何かが吸い取られるような、力が抜けるような感覚を大輝は味わう。


 ――それも一瞬。

 すぐに熾の指が離れていき、いつの間にか目の色を戻した熾が、ふっと笑って言った。


「はい、これでお終い。簡単なモノでしょ?」

「……そうだな。もっとこう、なんか複雑な模様とか出てきたりするのかと」

「あー……まあ普通はもうちょっと手順がいるんだけどね。私の場合は、この眼のお陰である程度、段取りをすっ飛ばせるんだ。ま、効率的にできるなら問題ないでしょ」


 そういえば、熾の魔眼にどんな効果があるのか、大輝は聞いていなかった。そして今の説明では、どういうものなのかイマイチ理解しがたい。

 訊いたら教えてくれるものなのだろうか? 試してみようかと考えていた大輝の指に、


「――あむっ」


 気づけば、柔らかな感触が触れていた。

 熾が傷口に唇を当てたのだ。


「えっ」

「ん……れろ。んっ、オッケー。血は止まったね」

「…………」

「……どしたの大輝、固まって」


 何を言おうか、流してしまおうか、大輝はかなり迷った上で。


「いや。……なんかえろい」


 言った。


 熾はしばらくぽかんとした表情で大輝を見上げていたが、やがて言葉の意味を理解すると、真っ赤な表情になったぶんぶんと手を振った。


「うぇえっ!? あっ、や、違……っ!? ふ、普段そうしてるから、うぁ、えとっ!」

「わかってるよ。ちょっとからかっただけ。――なんか気持ちよかったし」

「そういうこと言うなよぉっ!!」


 べしべしと、熾は大輝の肩をはたいた。

 華奢な熾だから威力はない。一撃で大輝を吹っ飛ばした膂力は感じられなかった。


「まったく……。大輝は、ときどきいじわるを言うよね。酷いと思う」


 拗ねるように唇を尖らせる少女から、魔術師という雰囲気は感じられない。

 まあ、親しみやすいほうが大輝としても嬉しかった。

 軽く笑いながら、大輝は言う。


「あんまり魔術師って感じしないな、熾は」

「えぇ……? それ褒められてないよね。そういうの相手によっては地雷だよ」

「ああ、悪い。まあ確かに、最初にオレに契約を迫ったときはかなり雰囲気あったよな。なんというか……そう、魔女って感じがし――」

「――


 なんの気なく、告げた言葉だった。

 熾にはどうも雰囲気を重視する感じがあるから、むしろそのためのフォローのつもりで言った言葉だ。だから。

 たったそれだけの言葉が、そのときの雰囲気を熾に戻すとは想像していなかった。




「――




 紅い眼光が、大輝の体を縛り上げる。

 感情が昂って、そのために抑えきれず赤が――警戒色が表出しているのだ。


 忘れていたわけではなかった。

 けれどそれでも、思い出した、と言わざるを得ない。

 目の前にいるのは、決してただの少女ではないのだと。

 ――その気にさえなれば、大輝程度は簡単に殺すことができる魔術師なのだと。

 大輝は、胸に刻まざるを得なかった。


「……悪い。気を悪くさせるつもりはなかったんだ。言っちゃいけないことなら謝る」


 だから素直に頭を下げた大輝に、熾ははっとした様子で顔を上げて。


「――あ、ご、ごめんっ! 私こそつい、過剰な反応しちゃって……ごめんね?」

「いや。よくわからないが、今のは気に障る表現だったんだろ。これからは使わないよう心掛けるから、一回目は見逃してくれると助かる」

「うんっ、あの、ホントいいから! そんな、ぜんぜん気にしてないよっ。あはは……」

「……そっか。なら、これで手打ちってことにしてくれ。ありがとう」


 ほっと、大輝は肩を撫で下ろす。


 久し振りに――それこそ、地球へと戻ってきてからは初めての感覚。

 熾と戦闘になったときですらついぞ思い出すことのなかった、背筋の凍るようなそれ。

 殺意ではなく、それさえも通り越した、死の気配。




 ――




 それを、忘れることがないようにしよう、と大輝は思った。

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