1-02『元英雄と、魔女』2

 知らず、大輝は生唾を飲み込んでいた。

 雰囲気が違う。

 さきほどまでの人当たりのいい親しみやすさは影を潜め、目の前に立つ少女からはどこか隔絶された空気を――そう、言うなれば《遠さ》が感じられる。


「悪い話じゃないと思うの」


 紅い瞳で、鳴見熾は言う。わずかだが口調まで変化している。

 一瞬だけ眼が黒くなっているところを大輝は見たが、おそらくそちらが元来の色味だ。数は少なかったが、そういった――いわゆる《魔眼》と称されるものを持つ者は大輝が送られた異世界にも存在した。

 大抵、何か異常で特別な能力を発揮した。

 熾の瞳も、そういった類いのものである可能性が大輝にも想像できた。


 ただ――それ以上に。

 単純に、熾の紅い瞳は美しいと思った。


「……大輝?」


 気づけば見入っていた大輝は、まさか今のが魔眼の効果か、などと冗談で考えつつも、首を振って熾に答える。


「あ、ごめん。ちょっと見入ってた」

「……?」

「ああいや、ほら。熾の眼ってなんか、目立つよね」


 目を惹くという意味で言ったつもりだが、今の言い方では誤解を生むかもしれない。

 付け足すように大輝は、フォローのつもりで言葉を重ねる。


「ほら、あの、なんか綺麗だし。宝石みたいっていうか。いいよね、赤。いいと思う」

「…………はあ?」


 熾は呆れたように、首を傾げて目を細める。

 いきなり話を変えすぎた。

 引かれたかもしれない、と焦る大輝に、熾は続けて。


「何、急に。綺麗とか、別にそんなんじゃないんですけど。いや本当、そんなこと言って私の機嫌を取ろうったって甘いんだから。契約は、ちゃんとしなくちゃなんだから……」

「……………………」

「な、何さ。なんか言ってよ! なんでまっすぐ見てくるわけ……?」

「…………いや、喜んでくれてよかったよ」

「別に喜んでないんですけど。ちょっと嬉しかっただけです。ありがとうですっ!」


 素直な子だった。お礼を言える子だった。

 大輝は、かなり絆された。


「ああもう……魔眼を出しとけば雰囲気出るかなって思ったんだけど、まさか裏目とは」

「そんな理由だったの、あの魔眼?」


 ちょっと、それは聞きたくなかった気がする。

 大輝のテンションは少しだけ下がった。


「おほんっ!」

 と熾は咳払いし。

「やるじゃん……。契約の前に相手に取り入ろうとするその手練手管は、さすがに異世界を経験してきただけのことはあります。ええ」

「そうでもないけど……」


 熾の目の色は、もう黒に戻っている。やはりこちらが本来らしい。

 そして、やはり本当に、ただ雰囲気作りのためだけに目の色を変えていたらしい。


「その分だと、大輝も魔術師と契約することの意味はわかってるみたいだね」

「いや、わかってないよ。だいぶ何もわかってない。勝手に説明を省かないでほしい」

「ああそう……。おほんっ。ええとね、つまり大輝には、この事件が解決するまでの間、私に協力してほしい――そういう意味で契約を結んでほしいという提案なんだけど」

「いろいろと話が飛んでるんだよな……。まず、熾の言う《この事件》って何?」


 察するに、さきほど見た血の魔法陣と関係していることなのだろうが。

 それだって詳しいことはわかっていない。たまたま、あの場所に行き遭っただけだ。


 ――夜道の風は涼しい。

 そういえば、どこに向かって歩いているのだろう。なんとなく、言われるがままに熾に従って歩いてはいるが、大輝は目的地を聞いていなかった。

 方向としては、放課後に大輝がいた繁華街方面――大きな駅の近くの側に向かっている感じで、つまり来た道を戻っている。あまり補導されたくはないのだが……。


「――ごく簡単に言うと、この街に侵入した魔術師の撃退。それが私の仕事なわけよ」


 熾は言った。そういえば、仕事で来ている、というふうなことを言っていたか。


「魔術師にも魔術師のコミュニティがあってね。さっきはたくさんって言ったけど、とはいえ魔術師ではない人と比べれば、いないも同然の数なわけ。現代の魔術師は大抵、表の仕事を持ってるものだし、まあそういう世知辛い資本主義社会を生き抜くための、魔術師同士の互助組織みたいなものがあると思えばいい。――ご近所付き合いでも可」

「なんか俗っぽくて夢が壊れるな……」

「魔術師だって、普通に日本国民だしね。納税の義務だってある」

「まあ、言われてみればそうかもしれないけど」

「話ズレたかな……。そういうわけで、この街にも私が一応、所属してることになってる魔術師のチームがあるわけ。ここは、いわばそのチームの縄張りなんだ。外様の魔術師の侵入や、まして魔術的な儀式の無断行使は認められない。それは取り締まらないと」

「……なるほど」


 相手が魔術師となれば、普通の警察や司法に委ねづらいこともあるのだろう。

 それを取り締まるためには、その土地に住む魔術師が自ら動かなければならない。


「で、この街に今、ひとりの魔術師が無断で立ち入って、しかもなんらかの魔術的実験を行っていることがわかってる――あの血の紋様、大輝も見たでしょ」

「……あれは」

「人間の血液だよ。言うまでもないかもしれないけど」

「魔術師が――人を殺してるってことか」


 気づけば、大輝は両手を強く握り締めていた。

 収まっていた左腕の痛みが鈍く戻って、大輝はそれを自覚する。

 ――確かに、それが事実であれば放置しがたい。


 と思った大輝に、熾はあっさり。


「え? ああ、いや。それは違うけど」

「ち、違うのか……いや、それならそれに越したことはないけど」

「そんなことになってたらとうに大事件でしょ。失踪に見せかける方法はあるし、いざとなればそういう手に出る魔術師だってもちろんいるけど。でも、そんなのコスパ悪いし」

「……コスパて……」

「あれは術者本人の血液。自分の血液を媒介にして、何かの魔術を行使しようとしてる」

「本人の? いやでも、ひとり分の血の量って感じじゃ」

「そうでもないよ。血を操れるんだから、薄く伸ばすことだってできるだろうし。それか魔術で、増血なり造血なりしたのかも。それくらいできるんでしょ、たぶん」

「…………」


 ――魔術って言っておけばなんでもアリなのか?

 ちょっと呆れかける大輝だったが、自分だって異世界で似たようなものは見てきた。

 今さらツッコミを入れるのも、野暮というものかもしれない。


「まあ何が目的かは知らないんだけど、今はその実験段階ってところなんだと思う。今のところ、理論だけで成功はしてないみたいだね。それだけ難易度の高い儀式をしている。で、まあ察しはつくだろうけど、難しいってことはその分――おそらく効果も大きい」

「つまり、だいぶまずい事態ってことか」

「まあ、最大の問題はだってことで、内容はどうでもいいと言えばどうでもいい。いずれにせよ止めるからね。ま、そういう話。私が探してるのは、そいつ」

「……話はわかった」

 小さく頷き、だが大輝は続けて首を振り。

「でも今の話で、オレに協力できることが想像できない。契約を結ぶとして、熾はオレに何を求めるんだ?」

「さっき自分で言ってたでしょ? ――

「……言ったが」

「あとから私が来たから誤解してるのかもしれないけど、この犯人、姿を隠すのが異常なほど上手いんだ。そういう才能があるんだと思う。実際、さっきもとっくにいなくなったあとだったでしょ? 現状、後手後手ってこと。でも大輝は、私より早く辿り着いた」

「たまたま、……だと思うんだが」

「偶然でもなんでも、早めに見つけるに越したことないから。でしょ? それに、大輝も私といたほうが間違いなく安全だと思う。――たぶん、もう目をつけられてるから」

「え?」


 寝耳に水な熾の言葉に、大輝は驚いて目を丸くする。

 だが熾はごく当然だとばかりに、彼に告げた。


「だって、発動してたでしょ、あの魔術陣。向こうも当然、察知してる」

「いや、でも……」

「言っておくけど、あんなふうに失敗した魔術陣があとから起動するなんての、普通なら絶対あり得ないことなの。そして、それには間違いなく大輝が関係してる」

「なんで……ああいや、そうか。あのとき、あそこに魔物が現れたのは……!」


 察しを得た大輝に、こくりと熾は頷き。


「あのとき大輝、怪我したでしょ。――いや腕じゃなくてね? 地面を転がったとき」

「あ、ああ。まあ、ちょっと擦り傷ができたくらいだけど」

「――それは言い換えれば、って意味になる」


 大輝は、地球における魔術の理屈を、ほぼ何も知らない。

 わかるのは、彼がいた異世界の術理とは根本から異なっているということだけだ。

 だが。それでも熾の言葉が、重い意味を含んでいることは察しがついた。


「理屈はまだわからない。あの陣がなんのためのものなのかすら私は知らない。だけど、あの陣が大輝に反応したことは間違いない。現に、異世界の魔物とやらがあの場所に出現していた。より正確な表現をすれば――が」

「…………」

「ただの擦過傷程度であの反応だからね。術者が、次はもっと大量に大輝の血液を欲して何もおかしくない。……や、違うね。大輝は今、確実に命を狙われている」

「命、を……」

「さっきはコスパが悪いって言ったけど、それは逆を言えば、って意味でもあるの。だからね、それが契約」


 鳴見熾は、まっすぐに黒須大輝の目を見つめていた。

 彼女の黒の双眸が、不安に揺れて潤んでいる。

 赤でなくとも綺麗だと、彼は思った。


「……大輝が目をつけられてしまったのは、私の責任だ」

「いや、……そうは思わないけど」

。大輝、その優しさは、美徳じゃない」


 真摯な言葉だ、と大輝は感じた。

 強く、けれど真剣な口調。お前が言うな、と反論されることを恐れずに、必要なことを彼女は言葉にしてる。

 ならば自分は、それに応えなければならない、と大輝は思った。


 だから告げる。


「大輝……?」

「悪いのはその魔術師とやらだろ。そこを履き違えて、熾を責めても意味がない。むしろこれからやって行くのに、妙なしこりを残すのも馬鹿らしい。だろ?」

「そ、れは……そうかも、しれないけど。――ていうか、これからって」

「やろうぜ、契約っての。大丈夫、これでもそこそこ修羅場には慣れてるんだよ。なにせ異世界で勇者をやってた経験がある。履歴書でも書こうか?」

「……何それ」


 小さく、そこで熾は笑った。

 張りつめていた表情とは違う、少女らしい顔で。


「カッコいいじゃん」

「英雄だからな。元だけど」


 冗談めかした応酬に、ふたりは顔を見合わせて笑い合う。

 こんな冗談を言うのは初めてだ、と大輝は思った。

 妙な事態に巻き込まれたというのに、なぜだろう。ここ一年で――この世界に戻ってきて以来、初めてというほど気が楽だ。


「さて! そうと決まれば、早いほうがいいよね。ちょうど着くところだし」

「着く……そういや熾、オレたちどこに向かってるんだ?」

「あれ、言ってなかったっけ。でも、もう時間が時間なんだし、行き先はひとつでしょ」


 言って熾は、前方の建物を片手で指し示した。

 その先を大輝が視線で追うと、見つけたのは一軒の高級マンションで。


「あそこの最上階ね。角部屋だから、意外と景色いいよ」

「……えっと? だからつまり――そこが、いったいどこだって?」


 何か妙な違和感と予感に包まれ、恐る恐る大輝は訊ねた。

 果たして熾は、ごく当たり前と言った様子で、彼に向かってこう答える。


「え。だから、私の部屋だけど」

「……こんな時間からご家族に迷惑では――」

「誰もいないから大丈夫」


 ――いや、それは大丈夫ではない。

 と大輝は思ったが、今さら帰るとも言い出せなかった。

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