【後日談】花谷ジャンザリは後藤春人に嫉妬する

 まるで沼の底にでも沈んでしまったかのように、泥のように眠った。

 限界を超えていたのは、身体も、頭も、魂も、きっと。

 生まれて初めてと言えるほど寝込んでしまった僕の隣に、ノゼリーナはずっといてくれたようで。

 朦朧と意識が浮上する度にそれを確認して、天上なんかよりもずっと幸せな夢を見ているようだった。


 そうして二日もすれば、もう完全復活。

 今度は僕のいない間に、自分の面倒をみるのもいっぱいいっぱいだった生活力がないノゼリーナの後片付けに追われて。

 今まではそれが当たり前だったのに、僕の隣に並んで自分にできる事を探している彼女にものすごく幸せを感じた。


 ノゼリーナは、『メティス』に残ったタイムトラベルのデータを確認し分析している。持ち前の好奇心を発揮して事実解明に励むノゼリーナの姿は、僕が知っている彼女らしい。

 何も変わらない日常なのに、ノゼリーナは僕を見てくれる。

 遠いどこかでもなく、果てのない謎なんてものでもなく、隣にいる僕を。

 それがものすごく嬉しいし、ほんの少し物足りない。



「ねえ、ジャンザリ。あの時のメッセージウィンドウね、データとしては残っていないけど。発信元を明らかにせずに、あれだけ詳細なものを指定座標に、それも装飾の演出付きで再現するとなると、現在の技術では困難だと思うの。発信元を明らかにしないというのがまず難しいよね。

 それにあの演出ね、多分視線を感知してからメッセージを開封していたし、消去もメッセージを読み終わった事を感知していそうなタイミングだったと思うの。つまり、高度なセンサーも搭載してたのね」


 ノゼリーナが研究室で、複数展開したモニターを眺めながら話しかける。


「そうだね、メッセージの内容をうのみにするならば、千年後でしょう?再現に千年かかるかは別として、今よりも高次の技術は使用されていそうだよね。

 ほとんどスリープしていたと言えども、天方家のセキュリティーを全くものともしなかったし。履歴にも全く残っていないという事は、情報が感知網に抵触していない。現行で考え得る送信方法ではなさそうなのかな」


 僕はそんなノゼリーナの隣に並んで言葉を返す。


 長年彼女の助手を務めてきて手にした知識にも技術にも彼女は満足気だ。

 ノゼリーナと普通に話が出来るようになるまでは途方もなく長かった。

 彼女と同じものを見て、同じ事を考えられるためには凡人じゃダメだったのだ。

 でも、そうしたいと思ってきたから、その為の努力は全く苦ではなかった。

 僕は僕のために努力してきた。何も知らずに。

 それは、春人ができずに後悔してきたことなのだと。あの時知った。


 後藤春人が憧れたものは、真っ直ぐに自分を信じて夢を叶えようとする人で。

 一番恐れていたのは、人に流されて自分のためには頑張れない、自我の弱さ。

 訴えることもできずに、打開しようともできずに、ただ自分が生きている意味を探していた。


 でもまだ、僕と春人は同じではない。

 彼は僕にとって、まだ夢の中のようで。

 あれは、僕だったのだろうけど、全てを上手く飲み込めない。



「ねぇ、ジャンザリ」

 ノゼリーナは、くるりと身を翻して僕の隣まで数歩進み、声を潜めて僕の耳元に唇を寄せる。好奇心に輝く瞳は活き活きとしていて、楽しくて仕方ないといった風だった。

「ジャンザリが春人だったなら、、もし止めなくても時の運行上は問題なかったのかな。私とあなたの子孫が繁栄していくというならば」


 彼女は、ただ謎を解き明かすのに夢中なのだ。自分がどれだけ赤裸々な話をしているのかなんて自覚はない。

 こちらが照れてしまいそうでもあるけど、胸の奥に引っかかる。

 ノゼリーナは、自覚していたのか。

 そういう事まで思い描いていたっていうのは、春人にとっては喜ぶべきで、僕はその事実に嫉妬した。


 僕は、人生の大半でノゼリーナだけを見てきた。

 春人が知らない、ノゼリーナの天才と奇人の両面性も知っている。

 ノゼリーナの側にいられるために、できる事は全てしてきた。

 だけど、僕だけじゃダメだったっていう事実が、どうしようもなくむしゃくしゃする。


 君がそんなつもりなら。


 胸の中がぎしりと重く暗いもので占められた。

 無邪気なノゼリーナの頬を掌ですくう。真っ直ぐ見据えた瞳が揺らいで、その頬がうっすらと紅潮する。

 君は、誰を見てるの。

 問いかける視線に、ノゼリーナが小さく息を飲んだ。


「それは違うね。後藤春人に直属の子孫はいない。彼は生涯独り身だった。彼の遺伝子はこの世界のどこにも残っていない」


 その言葉が、ノゼリーナに自分が何を言っていたのかを思い知らせたのだろう。

 掌から逃れられずに上を向いたままの赤い顔で、視線が彷徨った。

「だから、君を手に入れられるのは僕だけだよ、ノゼリーナ」

 奪うように重ねた唇は、拒否されなかった。


 もっと、もっと。

 ノゼリーナの知らない深みが欲しい。

 そういう僕だって、経験なんてものは春人だった頃の遠い遠い昔にしかないけれど。

 矛盾している。僕は確かに春人だった。

 だけどノゼリーナに愛された春人に嫉妬もしている。

 意識と心が大混乱しているのかもしれない。

 本当は、僕だけの君が欲しいんだ。



 息が乱れて、体温が上がる。

 受け止めるだけで精一杯のノゼリーナを抱きしめる。熱に浮かされて潤んだ瞳を捕まえたまま、僕は懇願する。

「春人よりも、僕を見て。僕は生まれた時からずっと、君だけを想ってる」

 そしてまた、唇を重ねる。


 ノゼリーナの手がゆっくりと持ち上がり、その手は僕の肩を抱いた。

 拒否される気がしていた。それは、記憶なのか、僕の劣等感なのか。

 唇を解放して、荒く息を吐きながらノゼリーナを見つめる。

 彼女は、陶然として力が籠らない顔で笑った。

「私の未来は、……あなたのものでしょう?運命だって、それを証明してるのだから」

 吐息がちな弱々しい声音はひどく艶っぽかった。

 それなのに、満ち足りた思いに涙が零れた。


 どこかで勝手に、越えられないと思ってて。

 どこかでまだ手が届かないと思ってて。

 なんだ僕は、前世はるとと全く変わってないじゃないか。



「………ごめん」

 ノゼリーナに縋るように抱きしめる。胸の内に渦巻く熱も高揚もあるけれど。

 今は触れられそうにもない。余りにも、大事すぎて。

 勝手に嫉妬して、勝手な事をする自分に呆れていた。


 それなのに、ノゼリーナは不思議そうに首を傾げた。

「もう、運命だから」

 整いきれない息を落ち着かせながら、熱に浮かされた顔を緩ませて微笑む。

「私はすでに、ジャンザリのものだよ」



 嫉妬より濃い葛藤が胸にドスンと居ついてしまった。

 未来は、既に保障されている。

 それでも世の中には多少の体裁なんてものがある訳で。

 結局、据え膳が食えない僕は、昔も今も変わらず意気地がなかった。



 越えたいと思う気持ちはまだ何処かにあって。

 でも、越えてみせるって気持ちの方がずっと大きくなった。

 僕はノゼリーナのために生まれて、ノゼリーナのために生きている。

 そしてこれからも、それは変わらないのだから。

 越えられないものなんか、あるはずがないのだ。

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千年の恋 ちえ。 @chiesabu

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