正しい時の運行

『メティス』は移り変わるノゼリーナの座標軸を即時的に観測してモニターに映す。暗い研究室の中で、そこだけ薄明りを灯したモニターに、文字列が走っていく。

 その数値は真っ直ぐではなく、蛇行して、時には不思議な位地に現れ、予想困難な経路を辿る。これは最初のタイムリープ時にも起きたことだったが、その因果関係については僕では解明できない。

 そしてその紆余曲折は、最初の時よりも大きかった。


 想定ギリギリを下回ったくらいのエネルギーが、どんどん削られていく。

 僕は実体のないモニターにかじりついて、その行方を固唾を飲んで見守る。

 今や時の座標を移動途中のタイムマシンにエネルギーを補給する術はない。

 ただ、今のままでは確実に、指定座標に辿り着くまでにエネルギーが尽きてしまう。


 辿り着かなければ、どうなるのだろう。

 前例がないのだから、今までの推定上の論議くらいでしかないが、戻ってこれる確率なんて夢物語ほどもない。

 どうにかしなければ。でも、何ができるだろう。


 僕は、タイムマシンが取る座標軸の推定移動経路を確認する。

 近くまでは来るのだ。その先が拗れていなければ辿り着くほど。

 でもその最後の回り道を越える力が残っていない。

 今のままでは100%ダメだった。

 打開する策を必死に考える。


 それなら、投げてしまえば?

 ありえないほど粗雑な案が浮かんだ。

 最後の山を回らずに、そこからガイド以外の道を通って、この座標に向かって放り投げる。

 そんな雑で確実性のない案は普通に採用に足りないだろう。不確定要素が多すぎる。

 だけど、時間は迫っている。それ以外の道は思い浮かばなかった。

 100%失敗ならば、せめても抗わずにはいられない。ほんの少しでも可能性がある道へ。

 天方ノゼリーナならば、そうしただろう。



 投げる。その地点を誤らず、息を殺してその瞬間を待ち構えて。

『メティス』は不安定に揺らいでいた。ほの灯りが、暗い部屋の中で蛍の光のようにぼんやりと光る。エネルギーが本当に残っていないのだ。

 読み取れなくなったモニターを、頭の中に再生しながらカウントダウンする。

 この身も魂も、全部ノゼリーナのものだ。彼女の一番のコンピューターにだってなってみせる。


 今だ。


『メティス』の最後の力を振り絞って、タイムマシンを投げ上げる。


 その瞬間。


『メティス』は明るく光った。

 光を取り戻したモニターには、僕が送って取りこぼしただけと同じ量のエネルギーが蓄積されていた。

 不可解すぎる事象に目を瞬かせる。だけど、思考が動き始める前に空が光った。


 タイムマシンの扉が、研究室の高い天井に現れていて。

 輝く空から少女が降ってくる。

 今度こそ受け止めたくて慌てて走ったけれど。

 無理が祟って疲労困憊の僕は、やっぱり彼女の下敷きになった。

 でも、捕まえた。

 鳩尾に受けた衝撃に息が止まってむせ返ったけど。

 彼女の身体は、ちゃんと僕の腕の中に納まっている。



「……っ、ったた……」

 呻く僕からノゼリーナは急いで飛び退く。そして、心配そうに僕を覗きこんだ。

 そして、視線が合うと目を見開いた。

 僕は、苦笑する。本当に格好つかないな、昔も今も。

 でも今は、君のために出来る限りをやっているっていう自信だけはある。

 花谷ジャンザリは、生まれた時から君だけのためにある。

「……おかえり、ノゼちゃん。また、会えたでしょう?」

 ノゼリーナの瞳から、ぽろぽろと涙が滑り落ちた。手を伸ばして拭うと、涙はもっともっと溢れた。

「……春人」

 その手はぎゅっと大事そうに抱きかかえられて、彼女の嗚咽が暗く静かな空間に響いた。



 花火が上がるように。

 静かに音もなく色とりどりの光が研究室の天井に向かって浮かんでいく。

 タイムマシンが消えた後は、ただ暗いだけの高い高い天井へと集まった光は、火薬の玉が花開くかのように弾けた。

 そして、そこに現れたのは、美しい装飾を施された空中に浮かぶメッセージウィンドウ。


『Congratulations! 二人ともまだ終わる運命ではないよ。

 ―――千年前のご先祖様たちへ、愛をこめて』



 僕とノゼリーナは、思わずそのメッセージをポカーンと見つめた。

 そう、介入はあった。

 エネルギーは確かに枯渇していたし、僕のしたことは行き当たりばったり。

 だけど、つまり、それは。それこそが、正しい時の運行だった?


「……っふ、っはは、ねぇ、ジャンザリ?」

 ノゼリーナが笑う。その目は涙を忘れたように眩しいほどにキラキラと輝いている。

「全てが、時の運行上正しい『運命』だったのね。私が春人に会いに千年前に行くことも。春人が千年後に私の元に生まれてきたことも。そして、千年後へと血を繋いでいくことも。その子孫に助けられることも。全部が』


 それは何よりも運命と奇跡の物語。

 だけど、僕は今その物語の真ん中で彼女と奇跡を見つめている。

 降ってきた物語なんてものじゃなく、確実にこの手で掴んできた物語を。

 千年後の子孫、なんて言われるとちょっと照れるけど。


「また会えて、よかった」

 心底ほっとして、身を起こしてノゼリーナを抱きしめる。

 これが運命でよかった。

 でなければ、僕はまた千年でも二千年でも、君を追い求めたから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る