第45話 もうひとりの自分
目を覚ますと、白い空間にいた。
それは今まで見たどんな白とも違っていた。辺り一面雪で覆われた感じではなく、本当に何も感じない虚無の空間だ。何もかもが無感覚で、自分がどこにいるのかさえわからなかった。
僕はその空間の中で、取り残されたようにぽつんと立っていた。
「また、会ったわね」
どこかから女の子の声がした。ユキの声ではない。それは遥か遠くから聞こえるようでもあり、自分の内側から聞こえるようでもあった。
僕はその声をする方向に歩くと、足に何か抵抗を感じる。水があった。僕はその中へ進んでいく。浅い川の中を歩いていく。
まわりに細かな塵が舞っている。塵は差し込んだ光を鋭く屈折させ、乱反射させ、あたりをより一層白く見せている。
これは夢だ。僕はそう言った。口にすると現実のように感じるが、本当に夢だ。
けど、もし「死後の世界だ」と言えば、本当にそうなる予感もあった。
「本当に良かったの?」
声は続ける。一体誰の声だろう。
僕は今までに出会った人々の声と照合してみたが、誰一人ヒットしなかった。そして、言っている内容にも心当たりがなかった。
良かった? 何のことを言っているのだろう? 頭の整理がうまくできない。
時間と場所が宙吊りになっている。僕はどこからこの世界に来たのか。今はいつなのか。
答えを知りたくて、声の方へ向かって歩き続ける。
それは、イヤホンで聴くお気に入りの音楽が時折見せるような、何か宿命的な感じのする声だった。聞けば聞くほど、心が満たされていくような感じだ。
やがて、人の影のようなものが現れる。
折り紙の説明書みたいに、真っ白な空間に点線が浮かんでいる。
「君は……誰?」
「私はあなた自身」
声はそう言った。話すたびに、点線の傾きが少しだけ変わった。
「私はあなたの影であり、あなた自身でもある。
そしてあなたの守護霊でもあり、あなたが追っていた平衡思念でもある。
数分前までは生徒会長でもあったわ。私は人から人へ移ることもできるの」
……どういうことだろう。
こいつが生徒会長の心を操って、幽霊部をなくそうとしていたのか?
それが僕の心に移って、今は僕の心を操ろうとしているのか?
「僕自身ってことは、僕のTSっ娘?」
僕は混乱して、つまらない冗談を言ってしまった。
「もちろんよ。私はありとあらゆる存在だから、TSっ娘でもあるの」
冗談に乗ってくれた。なかなかノリのいいヤツだ。
「君はここで何をしているの?」
「あなたに呼ばれたのよ」
「僕に? どうして?」
「あなたは混乱してる。夢と現実の間の出来事に振り回されて、分別がつかなくなってる。そんなとき、私はいるの。正確には、あなたが私を求めているの」
僕が彼女を求めている?
僕は彼女を見る。点線だけの存在の彼女を。
「君は平衡思念でもあるの? どうして平衡思念はこんなひどいことをするの?」
「バランスをとるため。人類がこの世界から溢れ落ちないように留まるためよ。
古代人は、地球は平らで、地の果てに行くと端から落ちると考えていたの。あれは、ある意味では本当のことなの」
「バランスが必要なんだね?」
「そうなの。進化論は知っているわね。強者ではなく適者が生き残る。王者のライオンは絶滅危惧種になった。
同じなのよ。平衡思念は、強い作用を調節している」
「僕は平衡思念を倒さなければならないと思っていた。けど、千聖さんは生徒会長を糾弾しなかった。
僕には何がなんだかよくわからないんだ。どうすれば問題が解決するのか」
「言ったでしょう。私はあなた自身でもあるの。
私を倒すことは、あなたを倒すことと同じなの」
彼女の言葉を反芻する。「私はあなた自身」。
……平衡思念も、僕自身という事なのだろうか。そんなはずはない。
ヤツラは僕の意思とは無関係に行動し、僕の大切な人を苦しめていた。
「平衡思念があるせいで、みんなが迷惑してるんだ。目に見えない問題を、弱い人に押し付けてる。ももかは学校の問題を押し付けられてるし、ユキは霊界の問題を押し付けられてるのかもしれない」
「確かにその通りよ。心の弱い人が私を呼び寄せると、弱さを他人に押し付けてしまう。けど、あなたは違うわ。あなたは弱さを自分で引き受けることができる人なの。
人間は都度、色々な重りを押し付けられるわ。大抵の人は重りを背負い過ぎちゃうけど、あなたはその重りの性質を見極めて分解し、処分している。だから引き受ける余裕があるの」
その指摘に僕は心あたりがあった。哲学だ。
デカルトも「困難は分割せよ」と言っている。
「あなたは敵が見えるようになった。私がいなければ、あなたは行き場のない怒りを抱えるしかなかった」
「……でも……何も解決してない。押し付けられた人はどうすればいい?」
「何が問題かがわかれば、問題を解いたも同じ」
点線が揺らめく。笑っているのだろうか。
「全然解けてないよ。解けてるとしたら、ここが夢の世界だからだ。目が覚めたらまた同じ問題がおこる」
「思い出して。平衡思念を呼び起こすのは心の不均衡よ。心の均衡を乱す原因がわかれば、問題は起こらない。
あなたのいう哲学的問題もそうでしょ? 何を誤解したのかという問題がわかれば解けたと同じで、なぜ誤解したのかまで考える必要はないの」
そういえばそうだ。どの言葉を誤解したかがわかれば、問題は解かれている。
けど、それを他人に理解させるにはどうしたらいいのか。
「もう、自分を許してもいいの。私はここに必要ないわね。他にも待っている人がいるの」
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