第28話 三段論法の欠点
「れいくーん、大変だよぉーー!!」
翌日の放課後。
部室に着いた僕を襲ったのは、耳をつんざくような叫び声だった。
いつものおっとりした様子とは違う、悲壮感のある剣幕。何かの事件かもしれない。
「隠してたお菓子が無くなっちゃったの!!」
どうでも良いことだった。
呆れながらももかに腕を引っ張られて中に入る。そこには、空っぽになったダンボール箱が地面に転がっていた。
……これ、昨日千聖さんがお菓子を取り出した箱じゃないか。何が『私のオゴリ』だ。ももかのを盗み食いしただけじゃん。
「ごめんなさい、昨日アイス食べ過ぎて晩ごはん残しちゃった罰だよね……」
よよよと泣き崩れる。いや、違うからね。
昨日あったことを教えたいが、僕も一応食べたのでなんとなく言いづらい。主犯は千聖さんだけど、僕も共犯だ。仕方ないので、僕が疑われないような真実を伝えよう。
「実はね、昨日千聖さんと部室で話してるときにね、突然戸棚がガタガタって揺れたんだよ」
「えっ? そ、それって……」
「その後、戸棚を開けたらお菓子箱の中身が消えてたんだよ」
「そうなんだ。う~、まさか部室にも幽霊が出るなんて~~、残ってればよかった~」
実際、千聖さんが戸棚を開けた時に音はしたし、お菓子がなくなったのは戸棚を開けた後だ。嘘は一つも言っていない。
「お、二人して部室前でエロいことしてるな」
後からセクハラオヤジのような言葉がくる。もちろん、千聖さんだ。
「ち、ちがうよ~、これは、その、えと……」
千聖さんの冗談になぜか赤くなってしどろもどろに答える。そんなにあたふたしたら、誤解されそうだ。
「ただの雑談ですよ」
「私の中では、かわいい女の子との雑談は内容にかかわらずエロいと定義されている」
何ですかその理屈。
「おっと、そういえば昨日、ももかのお菓子を頂いたぞ」
ぶっ?!
千聖さん、そこは抑えて抑えて! せっかく幽霊のせいにしたのに!
「あれ? ちぃちゃんが食べちゃったの?」
「いや、主に食べたのは玲だ。『ももかのお菓子』だと教えたら、肉食動物なみの勢いで食いはじめたんだ」
「いやいや、ももかのお菓子だなんて聞かされてませんよ?!」
まぁ、デコレートされた箱を見てうすうすは感づいたけど……
「ちぃちゃん、嘘はよくないよ」
「そいつが嘘をついている可能性もあるぞ。ほら、怪しい表情じゃないか」
「れいくんは嘘を言うような人じゃないもん」
ももかが真っ直ぐな瞳で主張する。さっきまで騙してた分、こう言われると弱い。
ももかは騙されやすいが、騙した相手に罪悪感を持たせることがある。それが今の僕を苦しめている。
しかし困ったな。こういう時にユキなら何て言うのだろうか……ってなんでアイツを頼りにしてんだ僕は。
昨日のカミングアウト以来、ユキとの距離感を近く感じているのかもしれない。
「どうなんだ、玲。嘘か本当か、どっちだ?」
たじろぐ僕を、千聖さんが挑発的な目でにらみつけてくる。仕方ないので、論理哲学の初歩である三段論法を応用してみよう。
1:食べるということは、お菓子を口に入れることによって喜びを感じること。
2:僕はお菓子を口に入れても喜ばない
3:ゆえに、僕はお菓子を食べていない
……全然論理的じゃない文章が出来上がってしまった。
三段論法はいつだってそうだ。前提である1番がおかしいのだ。
1番の主張は、3番の主張が正しいことを前提にしているからだ。
「知能の高い生き物は保護すべきだ」という主張はクジラの保護を前提にしているし、「糖質制限は早死にする」という主張は糖質信仰を前提にしている。論理的主張というものは、この世に存在しないのではないか。
「もう! れいくんをいじめるのはやめてっ」
必死に言い訳を考えている僕を、こんなにか弱い女の子がかばってくれている。
この状況、かなりダメだな。
「……そういえば、玲が来てから幽霊部の研究活動はしてなかったな」
「そうだよね。歓迎会もまだだったかも」
ももかと千聖さんが向き合って考えこむ。
二人とも何を考えているのか、怖くて想像する気になれない。
千聖さんは僕を貶めようとしてるだろうし、ももかは僕を楽しませようとしている。結果的にはどちらも気疲れするので一緒だが。
「では、間を取って幽霊を歓迎しよう」
何の間をとってるんですか……。
「わーいっ! 幽霊呼ぶやつは、ずいぶん久しぶりだね」
ってももかも賛成?! 過去にやったことあるわけ??
混乱する僕を他所に、千聖さんは『ちょっと待ってろ』と言いながら奥の部屋へ行っ
てしまった。
「あっちのお部屋は、誰も入っちゃいけないって」
僕が覗こうとすると、ももかに注意される。うーん……気になるなぁ。
そうだ、ユキに行ってもらえばいいんだ!
「ユキ、ちょっと見てきてよ」
僕の依頼に対して、ユキは眉根を吊り上げて抗議した。
「ダメよ。女の子の秘密を覗くなんて」
「そんな大層なもんじゃないって。……っていうか、ユキは最初『女の子の着替え覗き放題』とか言ってなかったっけ?」
「そんなはしたないことするわけないでしょっ!! 私は公明正大な守護霊で通ってるんだから」
……これでは詐欺じゃないのか。覗き放題だと言うから付いてくるのを了承したのに、それをダメだなんて。
いや、別に僕が覗きたいというわけじゃない。単純に、契約違反を咎めているだけだ。
「ちぃちゃんは黒魔術師でね、降霊グッズとか除霊グッズとか、霊に関するものをいっぱい持ってるの。れいくんも興味あるでしょ?」
覗きに対して葛藤している意識が、現実に引き戻された。
っていやいや、別に葛藤なんかしてないぞ、うん。
あと黒魔術師ってなんだ。現代にそういう資格があるのかな。ユーキャンとかで取得できるのだろうか。
「そうだね、特に除霊に興味があるよ」
この契約不履行の幽霊を除霊する方法なんか特に知りたい。
「除霊って……れいくん、幽霊にとりつかれてるの?」
高熱の子供を看病する母親のように心配そうな目で見つめてくる。
いつもの幽霊に興味がある目じゃなく、僕自身に向けられた目だった。
だが僕は、ユキのこと考えると頭がモヤモヤしてしまい、掴み所のない返事をしてしまった。ユキが良い霊かどうかは憑依者の僕によるので、ユキを悪い霊だとみなすと自分を貶めることになる。
「いや、なんとなく……調子、悪くって。霊のしわざなのかなー、なんてね」
僕の曖昧な言葉を聞いて、ももかはなぜか胸をなでおろした。
「それなら大丈夫。れいくん、元気になってるから」
僕は一瞬、ももかの言葉を理解できなかった。
「最初に会ったときは、ホントにとりつかれてるみたいだったけど、今は元気そう。きっとこの部屋のおかげだよ。ここ、ちぃちゃんがパワースポットにしたんだから」
「パワースポットって作れるものなの?」
「うん。パワースポットっていうのは、霊界から霊的エネルギーが出るところだから。穴さえ開ければどこでも出てくるよ」
「……ど、どうやって作るの?」
決して疑わしく思わないように誓いを立てつつ訊く。
最近はユキのせいで、他人の言うことを信じるのが難しくなっていた。
「作り方はわからないけど、証明ならできたよ。この前の降霊のとき、魔法陣の上においてたチョークがわれちゃったんだよ~。こう、御札を出したら、ぱきっーーーて」
それはイカサマだと思ったが、ももかの輝く瞳を見ていると、とても口にできない。
それに、ももかの演劇のように大袈裟な手振りを見てると退屈しないし、なんだが心が弾んでくるような気がする。
「千聖さんの家って行ったことある? もしかして部屋中がオカルトグッズまみれなの?」
「う~ん、それがね――教えてくれないの。何度か遊びに行こうとしたんだけど、散らかってるとか、何もないとか言われて、はぐらかされちゃうの」
「そうなんだ」
散らかってるのと何もないのって、矛盾するような気もするけど。
しっかし……あっちの部屋だけでなく、家も秘密なのか。
そうなると俄然、興味が湧いてくる。いつかみんなで突撃するのも面白いかもしれない。
以前の僕ならこういう集まりは無意味だと決めつけ、だんまりを決め込んでいた。
でもももかには、それを凌ぐというか、包み込むような暖かさが伝わってくる。
一方、ユキはいつのまにかいなくなっていた。
どこだろうと思って見渡すと、机の下に潜って小動物みたいにこちらを伺っている。
……やっぱり幽霊が怖いのか。幽霊が幽霊を怖がるって、何度見てもシュールだよな。
「よし、準備できたぞ」
千聖さんが丸めた紙とろうそくと紫の箱を持ってやってきた。
一体何が始まるんだ?
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