4章 哲学的問題

第27話 哲学論vsニート論

 家に帰ると、部屋に戻って、いつも通りベッドに座る。

一方、ユキはベッドの上に半身を投げ出してだらけている。そのせいで、見えちゃいけない部分の肌が若干見えそうになっていた。


 って、そんなことを気にしている場合じゃない。ユキが憑依霊か守護霊なのか考えないと。

 もし憑依霊なら、幽霊に『自分は死んでいる』ということをわからせて、存在を消す。守護霊なら、彼女の願い(僕とももかが付き合う)を叶えたら成仏するはずだ。


「顔が悪いけどどうしたの?」


 具体的な方法を考えようとしたところ、横槍が割り込んでくる。


「顔じゃなくて顔色でしょ」

「一緒でしょ。顔のいい人が落ち込んでても顔色は悪くならないでしょ。ほら、ここに」

「そんな顔のいい人いたかな」

「もうっ、そこはお世辞でいいでしょ。ま、レイくんにそんな余裕がないのもわかるわ。なんせ、恋人候補がいきなり三人に増えたんだもの」

「恋人候補? 何のこと?」

「ふふ、誤魔化さなくてもいいわ。愛樹ちゃんと千聖ちゃんのことよ。レイくんはももかちゃん相手だと照れて素直になれないけど、あの二人の前だと自然に振る舞ってる感じするから、気があうのかもね」

「いやいや、僕があの二人にどんなことされたか、ちゃんと見てたの?」


 愛樹は何度か蹴られ、千聖さんには変態呼ばわりされて散々だ。ほぼ人権侵害的なことをされてるのに恋人候補だと? 僕は真性のマゾか。


「ちゃんと見てたわよ。愛樹ちゃんとは激しいスキンシップをとってたし、千聖ちゃんとはレイくんの全身を舐め回すように見てたわ。これは脈アリね」

「違うよ。幽霊部のことを考えてたんだ」


 反論しても屁理屈が長引くだけなので、僕は話題をそらした。しかし、逸らした方向が安全なのかどうか、確証は持てない。


「なあんだ、そうだったのね。それならそうと言いなさいよ」

「言わせてくれなかったじゃないか」

「そんなことしてないわよ。私はいつでもレイくんが話しやすいように気を遣ってるわ。例えば最初に会った時も、レイくんの質問にゆっくり答えてあげてたわ。好きな人が誰か聞いたときも、レイくんが言いにくそうにしてたから恥ずかしさを紛らわせてあげようと思って代わりに喋ってあげたわ」


 ……それは話を聞いていることになるのだろうか?


 けど、ユキの話が逸れているのはありがたい。 

 幽霊部が追っている屋上の幽霊の話をしたら、ユキは何かしらショックを受けるかもしれない。可能性はわずかだが、ユキと初めて会ったのが屋上である以上、無関係だという確信が持てない。


 ユキが本当に守護霊かどうかは、僕によるらしい。僕が良い行いをしていれば守護霊の声が聞こえるし、悪いと憑依霊の声が聞こえるそうだ。

 しかし、僕の行いの良し悪しはどうやって決まるのだろう。無意味な同語反復で、哲学的問題でもある。

 屋上の幽霊のことも、守護霊かどうかも確かめることができない。この世界は複雑だ。

 思考が行き詰まっていると、ユキが口を開いた。


「ねぇ……そうやってるときって、何を考えてるの」

「何をって?」

「ほら、レイくんって話の途中で急に視線が宙ぶらりになったり、心ここにあらずになったりするでしょ。何か考えることがあるなら私も一緒に考えてあげるわ」


 自分の思考パターンに口を出されて内心癇に障る。同時に、ユキが初めて相手のことを考えた発言をしたことに驚いた。


「大したことじゃないよ。正しいことってのが何なのか考えてるだけ」

「正しいことって?」

「哲学的問題が生じないこと。要するに、抽象化しても矛盾がないこと」

「正しいことが大事なのね」

「そうだよ。正しいというのは、曖昧なものがないってことだ。曖昧なものがなければ悩んだりせずに、すっきり生きられる」


 そう答えると、ユキはいつになく真剣な顔をした。何か怒らせるようなことを言ったのか少し心配になる。

 

「今日はそのことについてはっきり聞かせてもらうわ。ニートになるには考えが必要だけど、恋愛に考えは必要ないのよ。恋愛は曖昧だからこそ面白いんだから。よし、今日はレイくんの哲学的問題を私のニート的問題で論破するわ」


 怒らせたわけではなく、変なスイッチを押しただけのようだった。まぁ、それはそれで大変なのだけれど。


「まずね、性格は自然にできるものじゃないわ。そういうふうに考えるきっかけがあったはずよ」

「……大したことじゃないよ?」


 僕は哲学を始めたきっかけを話した。

 図書室でよく一緒になる病弱な女の子がいたこと。体育の授業中に盗難があったこと。授業をサボって図書室にいたその子が疑われたこと。何も言えなかった自分のこと。


 あの時の僕が反論できなかったのは、先生や級友が言っていたことの意味がわからなかったからだ。どこか矛盾していることはわかっていたが、具体的にどこなのかがわからなかったせいだ。それを理解するには哲学が必要だと思った。

 

 哲学の論証は正確だ。ひとつひとつの定義や論理展開を誰もが納得できる形で厳密に行う。僕の周りの出来事全てを正確に定義できれば、僕はもうあんな目には遭わずに済むと思った。


「~~~~~~!!」


 いつの間にかユキが涙ぐんでいた。そんなに泣く要素があっただろうか。


「素晴らしいわっ。現実に挫折して、内面に引きこもるなんて。正にニートの鏡! やっぱり、レイくんには素質があるのよ」


 なんか明後日の方向から賛辞を浴びてしまった。褒められてるのか馬鹿にされてるのか判断が難しい。


「私も哲学やってみようかしら。哲学なら、本当に正しいことがわかるのね」

「いや、そういうわけでもないんだ」

「そうなの?」


 哲学に通暁しても、本当の正しさは解明できない。

 ベルクソンは「本当の時間は時計では測れない」と言ったが、本当の時間が何だったのか、客観的な証明はできなかった。カントは「物体より認識が大事」と言ったが、認識は人によってバラバラだ。

 わかったのは、人間は解決できない問題を本質的だと思い込むということだった。世界の仕組みは難しいのだ。


「……難しい話ね」

「そうだよ、難しいんだ」


 けど、難しいと言った割にはユキの顔は楽しそうだった。嫌な予感がした。


「でも、要は恋愛をすればいいんだわ。それで万事解決」

「いやいや。一言もそんな話してないでしょ」

「したわよ。恋愛で、哲学で定義できない正しさを見つけるのよ」


 どうやったらそういう結論になるんだろう。相変わらず無茶苦茶だけど、ユキのその脈絡のない前向きさが、今はありがたかった。


「そのためには、まず幽霊部の問題を解決ね。幽霊部を認めてもらえれば、ももかちゃんはレイくんを好きになるはずよ」

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