第9話 三途の川から逃走中
「私ね……あるとき目が覚めると、真っ暗な世界にいたの。どうしてこんなとこにいるのか、思い出せなくて……。頭の中に靄がかかってるみたいだったわ。
わかるのは、地面が揺りかごみたいにゆらゆらしてることだけでね……。時々、水の中に何かが入る音がしたわ。鉛みたいな体を起こしたら、自分が舟に乗ってることがわかったの」
「それって、三途の川のこと?」
「そうよ。舟を漕いでた人はそう言ってたわ。でもねっ! この人、すごく厭味ったらしくてね……」
急に語気を強める。
「『罪を悔い改めろ』って説教したり、『お前はこの先一生、石を積み上げなければならない』とか言うのよ。しかも、私の言うことぜんっぜん聞かないの!
それでね……あんまりにもネチネチ言ってくるから、途中で逃げてきちゃったのよ」
……え?
「逃げて、それからどうなったの?」
「ええと、そしたら川に落ちてね。私泳げないからどんどん沈んじゃって……気がついたらこの世界に戻ってたの」
…………。
「もしもーし?」
「え……あ、ごめん」
「ちゃんと聞いてるのっ?!」
いけないいけない。会話中に考えこんでしまうのは僕の悪い癖だ。おかげで色々と損をしている。
「うん、ちゃんと聞いてる。それで、僕に雇ってほしいってのは?」
「とりあえず以前の生活に戻ろうと思ったんだけどね。どこで何をしていたのかも思い出せないし、思い出せたとしてもこんな体だし。
そしたら……何て言ったらいいかわからないけど、普通とは明らかに違う感じの人がいたの。多分幽霊なんじゃないかと思って、勇気を出して話しかけたら、やっぱり幽霊だったわ。
でね、その人が言うのよ。『霊は下界に降りて、人間の役に立たなくてはいけない。あなたも守護する人間を見つけて、立派な霊になりなさい』って。それからその幽霊、通りすがりの人間の中にすぅ~って入っていったの」
……その入られた人は大丈夫なのかな? 僕みたいに「くっつかれる」より、遥かに重症だよね。乗っ取られてるのかな?
「でもね、私はそうする気になれなかったの。やりなさいと言われると中二心が溢れてくるの。だから私、一日中遊んでたの。
けど、ある時別の幽霊にばったり会って、こんなことを言われたの。『いつまでもニートみたいな生活をしてると、除霊されてしまうぞ。除霊されると、体も記憶も消されで、全く新しい霊魂になってしまう。言うなれば完全な死だ。悪いことは言わないから、早く誰かを守護しなさい』って。」
ようやく話が一段落した。というか、よくここまでたくさん喋れるよな。
「私は人間の役に立つよりはニートみたいな生活をしたいと思ったけど、それじゃダメらしいの。霊魂の存在理由に反するとかで。
まぁ、最初のうちは無視してたけど、ある日、ネットカフェで誰かが巻き終えた後のソフトクリームを倒して遊ぼうと思ったのに、指がすり抜けたの」
なんて迷惑な奴だ。うまく巻けずにSNSで質問してる人がたくさんいるんだぞ。
「疑問なんだけど、幽霊なんだからすり抜けるのが普通なんじゃないの?」
「そういえばそうね。けど私は最初からいろんなものに触れたし、そっちが普通なんじゃないかしら」
そうなのか、幽霊は物理接触が可能なのか。
「で、消えるのが嫌で守護する相手を探しだしたと。その相手がなんで僕なの? もっとすんなりOKしてくれる人にした方がいいんじゃない?」
「だって、レイくんしか私に気づく人がいなかったんだもん。それに……何かある気がしたの。この学校にも……レイくんにも」
「何かって?」
「良い予感と悪い予感が渦を巻いて、周りを巻きこんでいる感じ……かな?」
なんとも曖昧な説明だ。これじゃ手がかりにもなりゃしない。
けど、彼女の語り口には、どこか真実味があった(だからこそ余計に怪しいのだが)。
「それで、就職云々ってのは……」
「就職ってのは人間に取り憑くことよ。けど取り憑くって言ったら怪しいじゃない。だから就職にしたの」
それ、僕が最初に指摘したことじゃないか……。何が違うんだよ、どストライクじゃないか。
とりあえず、わかったことを、まとめよう(偶然生まれる575は、現代人の心のオアシスだ)。
幽霊は何かを守護する決まりになっていて、ユキが守護できるのは僕しかいなかったというわけだな。
……ってどういうことだ。少しは靄が晴れると思ったのだが、さらにそれを覆う靄が出てきたらしい。
そもそも、なんで僕はこんなに幽霊に深入りしているのだろう。あんまり他人に深入りするのは好きじゃないのに……。
「お前のことはよくわかった。でも、僕には好きな女の子なんていないから」
「じゃ、今度はレイくんの好きな人のこと、ばっちりと教えて貰うわね」
だから人の話を聞け。僕もさんざんお前の話を聞いてやっただろ?
腹が立ったので無視していると、ユキは口角を奇妙に吊り上げた。
「ふふふ……私を甘く見てもらっちゃあ困るわ」
ユキは徐に立ち上がると、不敵な笑みを浮かべながら言った。
「教えてくれないなら探すまでよ。私の千里眼で、キミの運命の人を探しだして見せるわ!!」
……はぁ。
こうなると何を言っても無駄である。もし反論しようものなら1日中屁理屈をこねるに違いない。あと、千里眼なんていつ身につけたんだよ……。
僕は彼女との対話を諦めて、ついでに昼食も諦めた。もう午後の授業の時間なのだ。
最初のうちは、幽霊という非日常的な存在に少し惹かれた部分もあったが、やはり必要な時間が削られてしまうのは御免被りたい。
「まずはダイイングメッセージを探さないと……」
誰も死んでないって……
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