第8話 好きな人がいないのは変?

「さてさて、どの子が好きなのか、そろそろ白状したらどうかなー」


 翌日。4時限目の授業が終わるやいなや、またもや間髪いれずに質問された。


 今日はずっとこの調子だ。昨日は「続きは寝言で」と言えばやめてくれたが、今日は「寝言なんて言ってなかったわ」と文句を言い出したのだ。まるで見ていたような言い方が少し怖い。

 作戦という防波堤がなくなった以上、彼女の波状攻撃を防ぐ術はなくなっていた。


 僕は仕方なく、椅子に座ったまま、机に乗った彼女の顔に向かって答える。

 すっかりここが指定席になってきたな。慣れてしまう自分が少し怖い。


「いや、本当にそんなんじゃないから。振られて屋上に行ったわけじゃないから」

「もぉ~、意地っ張りなんだからっ! 早く教えなさいよ。男の子は大抵、好きな女の子が数十人くらいいて、頭の中で取っ替え引っ替えしてるものなのよ!」


 いやいや……ありえないでしょ。ちょっといやらしい妄想くらいはするけど、そこまで女の子に興味はない。好きな女の子がたくさんいるなんて、病気なんじゃないかな。


 好きな子に意地悪したり、担任の先生に恋したり、文化祭や体育祭の後で告白したり、君を自転車の後ろに乗せてゆっくり下ったり、そういう経験がスタンダードだというのはわかるし、スタンダードを定義した方が雑談しやすいのもわかる。

 

 でも、そういう経験のない人間を変な目で見るのはおかしいんじゃないか?


 恋というのは、自分が幸せになるためにするべきだ。そして僕は、恋以外にも幸せになる手段を持っているだけなんだ。

 でも、誰かを好きになりたいと言う欲求は一応あるし、普通の人みたいに初恋をしたい。そうすれば誰かに「好きな人はいるの?」と聞かれて、後ろめたい気持ちにならずに済むのに。


「ん~……その表情は心当たりがあるって顔かなーー?」

「……な、何?」

「怪しいわね」


 瞳の奥から怪訝そうな光を放ちながら、僕に詰め寄ってくる。吐息がかかりそうな錯覚に陥る距離だ。


 性格はメチャクチャだけど、声をかければ100人中95人が振り向きそうな美少女であることには間違いなく、そんな子と顔が近づくと、少し緊張してしまう。


 この距離は危険だ。

 このままだと「哲学的問題」が生じてしまう。


 それは、今この瞬間に「目を逸したら、好きな子がいることになる」という奇妙な命題が出現していることだ。

 しかし「目を逸す」というのは「好き」という気持ちのたった一面だ。そんな僅かな例だけを取り上げて結論を出すのは早いだろう。

「人生なんて、同じことの繰り返しだ」という言葉が間違っているのと同じだ。


 だが、完璧な理論は、理論を理解できない人間によって崩されてしまう。

 それが最大の問題だ。結局みんな、理論じゃなくて、自分の都合で考えるんだ。


 僕が教室を離れて屋上へ行ったのは、そういった哲学的問題を避けるためだった。

 教室にいると、噂話が耳に入ってくる。誰それは感じが悪いとか、浮気してるだとか。みんな、その人の一面を見ただけで、勝手な結論を導いていた。


 そんな噂を聞いていると、僕も加害者になったような罪悪感に囚われる。

 本当は止めるべきなのに。あるいは「そういえば芸能人のあの人も浮気してたよね」と話をそらすべきだ。それができないのは、自分に勇気がないせいなのだ。


 この矛盾を解決するのは難しいが、対策はある。相手を当事者にしてしまえばいい。傍観者は失敗しないから好き勝手に言えるのだ。ユキも恋愛する立場になれば、僕の辛さがわかるだろう。


「じゃあさ、もし僕がユキのことが好きって言ったらどうするの? 気になる女の子はユキで、毎日ユキのことを考えてるって言ったら付き合うわけ?」


 うまく論破したつもりでユキの方を睨む。するとユキは、少し顔を赤くしながら早口で言った。


「べ、別に私は好きとかじゃないわ! 守護霊になりやすいのがレイくんだっただけで、好きで憑いてるわけじゃないんだから!」


 ほら見ろ、自分が対象になった途端に掌返しやがった。恋愛の話をするやつは大抵こうだ。痛いところを突かれたせいか、ユキは僕から目を逸している。

 次からはこの矛盾をついていこうと思っていると、ユキは作戦を変えてきた。


「……わかったわ。じゃ、私のことを教えてあげる。その後で好きな人のことを教えるってのはどう?」


 彼女は疑問形に見せた命令をすると、長いまつげを柔らかく下瞼へと着地させ、ゆっくりと話し始めた。

 自分が幽霊になった理由と、僕を選んだ理由を。

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