第2話 そして人類は救われる
一体なぜ僕は女の子の幽霊とニートについて話すことになったのか。それを知るには15分ほど前に遡ればいい。
僕は昼休みにはいつも教室にいたが、その日は周りの人の話し声が気になったので屋上へ出た。
屋上は何年か前まで立ち入り禁止だったそうだが、今では開放されてすっかり無法地帯となっている。お菓子の欠片や隅に転がっていたり、携帯用の枕やタバコのケースが給水塔の下から覗いていたりしている。
マンガの世界じゃなくても屋上は開いてるんだなぁと思ってると、遠くにセーラー服の後ろ姿が見えた。彼女は柵の上に腰掛けて、ただ何をすることもなくじっとしていた。少し現実離れしたその姿を見つめていると、なんと彼女は柵の向こう側へ降り、歩き始めたのだ。
僕は慌てて駆け寄って止めようとしたが、もし人生を戻せるならあのまま放っておくだろう(幽霊なら飛び降りても平気なはず)。そのせいで、僕は哲学ではなくニートについて考える羽目になったのだから。
彼女は僕の足音を聞いて振り返った。そして僕の顔を見つめて「あなたもしかして、私が見えてるの?」と言った。そりゃ見えるだろうと思ったが、なんとなく思いついて写真を撮ってみると、彼女は写らなかった。それで幽霊だと思った。
僕が驚いていると、彼女は「私は幽霊なの。今日はあなたに伝えたい大事なことがあるわ」と口火を切り、一気呵成に捲し立て始めた、というのが事の顛末だった。
「これが人生の最期よ。けど、あなたは死について答えたわね。同じ立場で話したいから、あなたにはまず死を疑似体験してもらおうかな?」
「……は?」
「私だけ死んでて、あなたは死んでないのよ。公平じゃないわ。だから、まずは頭の中の妖精を呼び出してみましょう!」
そう言うと、いつの間にか手に持っていたバールのようなもので、僕の頭を殴った。
「いってえ!!」
まさか本気で殴るとは思っていなかったから、僕は何の防御もしなかった。しかし、そのまさかが起こってしまった。
「……あれ、おかしいわね。そろそろこの辺に白いモヤモヤが」
「出るわけないだろ! アニメや漫画の見過ぎだ!」
「魂が分離した方が好都合なのに……」
「無茶言うな。魂や霊魂は、マンガや宗教にしかないよ」
素材は金属ではないらしく、勢いの割りに痛みは少ない。けど、粉落としや湯気通しをしたラーメンよりは明らかに硬い。
そんな物でこれ以上殴られたらたまったもんじゃない。僕は今まで考えた哲学を総動員させて、魂の存在を全力で否定した。
しかし、僕が説得し終えると、彼女は、焦点の合わない目をした。
ふと風が吹き、地面に落ちていたパンの袋が転がった。
それとは対照的に、彼女の長い髪やひだ付きのスカートは、まるで動くことを忘れたかのように止まっていた。
先程まで僕らを射していた太陽光も、いつのまにかすっかり雲の影に変わっている。
影に覆われた屋上は、どこか不気味だ。
そんな中、彼女は小さく紡いでいた口を開いた。
「……じゃあさ、君は、人が死んだらどうなると思う?」
今までと違う、ゆっくりとした口調。質問自体は昨日考えたことと同じだが、幽霊に質問されるとどことなく凄みがある。なんせ目の前にいるのは、僕の説の前提を否定する存在だからだ。「死後を見た人はいるのか?」イエスだ。
「ふふ……いきなり難しかったかな?」
春先のタンポポみたいな笑顔で、それでいて、小さな子供をあやすような口調で言った。なんとなく余裕ぶられて腹立たしい。
「いや、偶然僕も昨日までそれを考えていたんだ」
どういうべきか迷ったが、思ったままを口に出した。
思ったことが正しいとは限らないし、とんでもない間違いになることだってある。
特に、今の状況は、ほんの小さな刺激さえ危険な気がした。幽霊に対して死の話をするのは、浪人生に受験の話をするようなものだ。
「私は、死は永遠に人を救うものだと思うの。
例えば、難病に罹って、寝ても覚めても、一日中苦しみ続ける人に安息を与えるような」
「その難病の例は、ただの殺人だと思うけど」
「そんなことないわ。
人間には死を選ぶ権利があるし、だれかから死を貰う権利だってあるわ。
死んではいけないというのは、生き残った人間の勝手な都合よ」
「そうかな……」
僕は彼女の言葉をどう受け止めたらいいのかわからなかった。彼女の説は間違ってない気がするが、実際に目の前で言われるともやもやする。
自分の中にある純粋な炎のようなものが、天から降った水にさらされたような気がした。儚く上がってくる煙をうまく吐き出せず、ただわだかまりが残った。
「人は、死によって救われるの」
そこで、僕はふと疑問に思った。
そういえば、彼女自身はどうなんだろう。幽霊ってのは、成仏出来てない霊魂のことだったような。
ということは、彼女は死んだのに救われてないってことなんじゃ……。
「えっと……それはつまり……」
言いかけて口籠る。あまり良くない想像が頭を走り回る。抑えようにも、とめどなく加速し、増長していく。
僕は無理矢理別のことを考えようと、下に落ちていた視線を上げた。すると、彼女の笑顔が見えて、ますます混乱した。
こうなってくると、もう悪いほうにしか考えられなくなる。僕の悪い癖だ。
僕はただ、彼女の口が開くのを待った。綿のように柔らかく、ゆったりと空気に満たされることを願った。
「だから、あなたが今不幸でも、将来はニートになって死んで救われるのよ」
……とはいえ、この空気はちょっと柔らかすぎないか? もうちょっと掴みどころがほしい。まぁ、彼女が言っていたことをまとめるとそうなんだけど、あまりにも酷い。
このままニートの話をしても迷うだけだ。僕は核心に迫ることにした。
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