1章 私を雇ってくれませんか?

第1話 人類は皆ニートになる

 夏。照りつける太陽がコンクリートに反射して、空と地面の両方から僕を射抜く。トーストされているパンのような心地だ。


 こういう日は冷房の利いた室内で文明に感謝しつつ昼寝をするのが正しい過ごし方だと思うし、実際そうしたかった。しかし、僕は今日も屋上へ出る。無機質で何もなくてただただ暑い空間は、死について考えるのにうってつけだからだ。――ただ一つの点を除いては。


「さっそく問題よ、人は最後にはどうなるかしら?」


 僕に向かって一見哲学的な問いかけをする少女。顔立ちは整っていて、どちらかといえば美少女に入るんだと思う。

 雪のように白い肌に、腰まで流れる透き通った黒髪。まんまるの瞳を縁どる睫毛は長くて薄く、夏の日差しに融けてしまいそうな儚い雰囲気を漂わせている。その雰囲気は彼女の現状をよく現していた。

 

 そう、彼女は幽霊なのだ。彼女の姿は僕以外には見えない。

 しかし、そんな儚げな見た目とは対照的に、彼女はよく喋った。健啖家という言葉が浮かんだが、あれは大食漢という意味である。

 性格もあけっぴろで、初対面の僕にも遠慮なく失礼な発言をしてくる。漫画に出てくる幽霊は自分の死んだ理由とか成仏する方法とかを探しているが、彼女の興味は別の方向を向いていた。


 性格だけでなく、彼女の考えも僕とはまるで違う。先程の問いへの答えもそうだ。「人は死んだらどうなるか」僕は人が死ぬことの意味について答えたが、彼女の答えはまるで違っていた。彼女は「人は最後にはニートになる」と言った。こんなものが哲学なのだろうか?


 そんな僕の疑問など露知らず、彼女は自分の答えに満足して柵の上から伸ばした脚を機嫌良くバタつかせている。動かす度に、制服のスカートの奥が見えそうになる。僕は少し恥ずかしくなって、辺りに目をそらす。

 ここは特別棟で、音楽や美術などの移動教室にしか使わないし、ましてや屋上だ。柵の向こうは旧体育館で、今はほとんど使われていない。人なんて来ないはずなのに、何故か周りの視線が気になった。なぜ存在しないものが気になるんだろう?

 僕は気を取り直して、さっきの答えを追及する。


「そんな風に考えて、何か良いことがあるの?」

「世の中の仕組みが理解できるからよ。正確には運命と呼ぶべきかしらね」

「……みんなニートになる運命だっていうのか?」


 僕の発言を受けると、彼女は目を輝かせ、饒舌に語りだした。どうやらいけないスイッチを押してしまったらしい。


「そうよ。人間、就職活動続けていると、一周回ってやっぱりニートに帰ってくるの。

 もちろん、数々の難しいステップをこなしてからの原点回帰よ。

 自宅警備員からはじまり、徐々に難しくして、近所の人への挨拶も出来るようになって……、でも再びニートに戻る。

 ニートは深いわっ! みんなわかってないと思うけど、ニートになる原因の多くは、若者を育てる力を喪失した社会にあるのよ!

 寛容さや余裕を失い、人を「勝ち組」「負け組」に峻別し、働く人への尊厳を忘れてしまった社会に!

 そんな慈悲のない社会と繋がるより、ニートになる方が人間性を大切にしてるといえるのよ!

 経済よりも人間性を求める社会の行きつく末は、ニートなの!!」


 夏の嵐のように一気に捲し立てると、彼女は真っ白い両手の指を合わせて、うんうんと頷いた。

 いや、僕は全然納得してないんだけどなぁ……。

 まぁ、僕が解る解らないに関係なく、彼女は上機嫌そうだから、どちらでもいいのだけど。機嫌よくないと、なんかひどい目に合わされそうだし。


 でも、ニートになる感覚はなんとなくわかる。

 僕はこの学校に入る時、勉強したいとか、部活を頑張りたいとか、恋愛したいとかの模範的欲求を抱くことはなかった。ただ単に自宅から一番近いから楽だなと思っていた。そのせいで周りの人間に引け目を感じていた。


 今後、やりたいことが見つからなかったら、僕も彼女の言うニートになってしまうのかもしれない。僕は自分が大人になった時、どんな仕事をやっているのかまるで思い浮かばなかった。そんな人間に仕事ができるのだろうか。

 それに、何もやりたくないと言う気持ちは誰にもわかってもらえない。たとえ打ち明けても、怠けていると思われるだけだ。周りから異端者扱いされた僕はこの社会での居場所をなくし、最後には自宅から出られなくなってしまうかもしれない。


 そんな気持ちが自分のせいではなく、彼女の言うように社会のせいだとしたら、まぁ少しは救われるかもしれない。けどいずれにしろ、そんな人生を僕の責任において歩まないといけないのは事実だった。

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