ニートは死んでも治らない
しき
プロローグ
ニート・異世界・宗教の共通点
人は死んだらどうなるのだろう。
僕はそれについて考えようとして思い止まる。「考えるな、見よ」ある哲学者がそう言っていた。
死について考えるのではなく、死を見る。それが死後の世界へ近づく唯一の方法だ。
僕はこれまでに見てきた死を思い出す。死んだ個体はいずれも朽ち、やがて消滅していった。それが僕の見た全てだった。
天国へ行った死人を見たことはなかった。見た人はいるのか――いないだろう。
なぜ人々は天国を想像したのだろう。きっと、死を怖れたからだ。
真の恐怖は想像から始まる。死後を想像するから恐怖し、恐怖するから想像する。本来の目的を忘れるまで、この循環は繰り返されるのだろう。
そうして宗教が作り上げた死後の世界は、基本的には現世と同じだ。学校や会社に相当する機関がある。
霊たちは学校で学んだ知識を活かして、霊界を管理したり、人間界に干渉したりする。まっとうに就職できない霊は悪霊となって、人間に悪さをする。宗教は、悪霊にならないために現世での勤勉を要求する。
――現世と同じでは夢がない、そう思った人間がいた。そこでできたのが異世界だ。
神様が、棺の中身から死者の趣向を判断して、理想の異世界へ送り込むんだ。ライトノベルをたくさん詰め込んでもらえば、美少女に囲まれて魔法や剣で大活躍するのも夢ではないだろう。死に希望が見えてくる。
さて、一見異なる異世界と宗教だが、共通点が2つある。
1つ目は目的の希求だ。どちらも現世で生きる目的を探している。
キリスト教は強制労働させられる人間に対し、死後の楽園という目的をもたらした。苦しんだ人間は楽園へ行き、楽をしている貴族は地獄の業火に焼かれる。当時の労働者たちはそんな想像をたよりに生きていた。
現代を生きる僕たちも、先の見えない勉強をさせられる世界を脱するために、異世界を想像する。世界に明確な悪がいて、悪を倒せば平和になる。その明確な目的は、僕たちには魅力的に映った。
2つ目はステータス画面だ。信者はステータスを見ることで、自覚していなかったすごい能力を発見する。
宗教は「あなたは気づいていないけど、極楽へ行く能力があります」と言い、異世界は「魔物を倒す能力があります」と言う。極楽や魔物という現世に存在しないものに対する能力を自覚させる。そうすればどんな無能でも特別になれる。
以上をまとめると、死は目標達成能力の代償だと言えよう。
将来の目標や努力の方向を見失ったとき、人は死を考える。所謂ニート状態だ。現代において、死はニートを救済する有力な手段である。死は彼らに目的や努力の結果を与えるからだ。
そんな現代だからだろうか。死後の世界にもニートが生まれるようになり、あまつさえそいつは僕のところへ転がり込んできたのだった。
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