第3話 かんしょうかい
いよいよ柏崎と四人の子供達による共同生活のスタートだ。
「ここでの一日は向こうの一分だからあっちのことは気にしなくてもいいよ」と少年に教えてもらったが、柏崎の脳内にはとうに外への未練なんぞさらさらなかった。(考えたくもなかった。)
自分が外から消えたところで世の中困ることなんて微塵もないだろうし、むしろこれでいいのだ。
それに、非現実的な空間に子供としていられている“最高に心地よいこの時間”を自ら手放そうだなんて、思うわけがない。
なんたってここは理想郷なのだから──。
年を重ねていくにつれ多くの人が純真な子供心はなくしてしまう。
大人げない年配の、動物の糞尿マーキングよりも遥かに汚い爪痕や、臭い足跡による害も多く被ってきたが、同世代や年下が大人らしく立派な成果を残していく様も、置いてけぼりの傍観者として、必死で追いかけることもせずにただ眺めてきた。
少しでも這い上がろうとする僅かな希望すら抱けぬ程自ら深く掘ってしまった墓穴の中、度々補給される消費期限ぎりぎりの防腐剤を完全に放棄する事もできぬ毎日。
戻れない。戻せない。変えられない。この先だって何一つ、生きた証も残せない。
そんな己の“
“こんなんならいっそ生涯新鮮で健やかな、子供の精神肉体のままでいさせてほしい”
と、切実に願う本心しかなかった。
だからこそ彼はここでの現状に十分満足してしまったのだ。
そして、もう晒せまいと表向き封印していたかつての振るまいも、これを機にもっと
新たな世界、新たな家。安らぐ木々の香りにゆったりと癒されながら、子供達と共に初めて迎える夜。
子供達の暮らしている大きめの木造家屋は元々大家族が住んでいた家らしく、居間もかなり広かった。子供5人分の布団をばらばらに置けるだけのスペースも余裕であるが、4人はいつもくっつけて並べてるとのこと。
(きさらぎ曰く“居間の窓が大きすぎて怖いから” だそうだ。)
風呂上がり、そんな大きすぎる窓から見える雲ひとつない星空に心惹かれ、柏崎は外に出た。
窓際の小さなベンチに座り、夜空を静かに見上げる彼の前に、数分後少年がそっと現れ隣に座った。
「ほんものの空じゃないよ」
「え?そうなの!? 気付けなかった」
「ふふっ。でもきれいだなぁ。やっぱりほんものは」
ついさっき“にせもの”と言ったばかりなのに今度は“ほんもの”と言う少年。
「どっちだよ!」
柏崎は笑った。
少年は彼の左肩にコツンと自分の右肩をくっつけ、寄り添うように彼にもたれ掛かると、目線のみを彼に向け意味ありげに尋ねてきた。「外で君が見てた夜空はきれいだったかい?」──と。
「……どうかな。いつも余裕がなくってさ、空なんて見れてなかったから分からないや。きれいなときもあれば、にごってる時もあるんじゃない? 天気はコロコロ変わりやすいから」
苦笑いする柏崎を真剣な眼差しで黙って見つめる少年。そしてこれまた意味ありげに何かを含ませたような口ぶりで、少年は言った。
「ふ~ん、ほんものなのににごるんだね。
けどそっか、ほんものだからか。
にごってしまうんだ。にごりたくなくても。
……そうだったや。思い出した」
「な──…」
“なんでそう思うのか”と聞きかけるも途中で呑みこんでしまう柏崎。
本当は少年の言葉の真意をすぐにでも確かめたかった。だがせっかく子供時代の姿に戻れている今、“戻りたくない世界”に絡みそうな余計な話をするのも避けたかった。
「…な、なんだよ、ワケわかんない。黄昏れちゃってさ。年齢にふさわしくないぞ」
「関係ないよ、そんなの。君に言われたくもない」
「あぁ…。たしかに」
「はは…っ」と柏崎一人空笑いした後、二人の間に流れる微妙な沈黙。
「あ! そういえば」
あることを思い出し先に破ったのは柏崎だった。
「そういえば、君の名前、聞いてなかったな。今更でごめん」
「セブ」
「それは知ってるよ。みんな君をそう呼んでたから。でもあだ名だろ?
本当の名前はなんなの?」
「すぐ分かるって。もうちょっと考えてごらん」
「セバスチャン?」
「はずれ」
「むずい…!ヒントちょうだい!」
「はーあ、がっかり。季節ですよ」
「う~ん…。
もしかしてセプテンバー?」
少々ふて腐れた様子で頷く少年。
「ごめんごめん。そっかぁ。君もマーチとおんなじなんだな。でも俺、誰かをあだ名で読んだことなんてないからさ、“セプテンバーくん”って呼ばせてもらっても」
「長い。セブね。はい呼んで。セブ」
「えっ……」
「恥ずかしがらずに、さぁ!」
「──っ、こういう流れはよせよ。
余計に言えなくなるだろ」
「ふふ! 冗談。呼べるようになったらでいいよ」
とても穏やかで心休まる一時。
少年が“にせもの”と言った空は、時間が経つにつれ現実世界の空のように暗さを濃くしていく。
椿、きさらぎはもう夢の中。マーチは暗闇での行動も平気らしく、布団の上で足を組み優雅に読書をしている。
部屋に戻った柏崎と少年は同じかけ布団の中に入り、背中合わせになって互いの心地よい呼吸音と温度をささやかに楽しんだ。ほどなく互いに眠りに落ちそうになってた頃、また沈黙を破ったのは柏崎の方だった。少年と出会った時から気になっていたある疑問を、ふとこのタイミングで思い出してしまったからである。
「あの……。まだ起きてる…?」
「なんとかね」
「ごめん。聞きたかったこと今思い出しちゃってさ。
“どうして君達は俺の名前を最初から知ってたんだろ”って。
なんでか俺もはじめて会った気はしなかったんだけど……。
でもごめん。正直に言う。俺は君達の名前、ちっとも分からなかったんだ。それどころか君達の
こんなこと言うのって失礼すぎるけど、きっと俺だけが君達を忘れてしまったんだ。俺だけが……。
……本当ひどいやつだよな。こんなにしてもらってんのに。
でも教えてほしい。君らとの思い出を。そしたら俺も思い出すかもしれないから」
頭を抱え軽く髪をかきむしりながら柏崎は話を続ける。
「いつ会ってどんなことを一緒にしたのかも何も思い出せないんだ。一生覚えていたいって思うような出来事だったかもしれないのに」
子供達を覚えていない自分のポンコツ頭をひたすら殴ってやりたいと思う柏崎。
だがそんな彼に少年が返した言葉は意外すぎるものだった。
「君は僕達を忘れてないよ。今この時だって」
「さ。もう寝て」
柏崎のつむじにおやすみの口づけをして、少年はふたたび彼に背を向けた。
意味深な返しで聞いた側をもやもやさせるのはこの少年の特技なのかもしれない。
モヤモヤぐるぐると騒がしい頭を数発たたき、脳内の切り替えに努める柏崎。
“考えたいし、絶対考えなきゃいけないけど、今はだめだ。考えない! 考えるな。
あー考えたくもないものまでどんどん混ざってきた……”
「 おやすみ…っ!」
少年と再び背中合わせになると、彼は共有している布団半分を頭のてっぺんまで伸ばし、隠れるように中にうずくまった。
翌朝、子供達はやけにハイテンションだった。柏崎が起床するやいなや、椿ときさらぎは彼の後ろをテクテクとついて回る。
朝食を食べ、歯を磨き、口をゆすいだあと、ようやく彼は真横と真後ろでまだかまだかとニコニコしている二人に尋ねた。
「今日は何かあるの?」
椿ときさらぎはそれぞれ一人ずつ彼の片腕を両腕でつかみ、せーのと口をそろえて言った。
「「ウェルカムアニバーサリー!!!! 」」
「お遊びに付き合うってこったよ。一日中」
いつの間にか背後にいたマーチがぼそっと彼に通訳した。
子供らと柏崎の共同生活、二日目のはじまりだ。
“ウェルカムアニバーサリー”はいわば柏崎の歓迎会。皆で一緒に外に出て、この世界の“良き日常”を遊びながら知っていってもらうための体験イベントだった。
子供達は主役の彼への自己紹介がてら、各々持っている珍しい特技も一人一人披露してくれた。
セブときさらぎは体に羽をつけており空を飛べたため、三人が二人の腕や足、背中につかまり全員で空中飛行することもできた。
椿は穴堀りが得意だったため、彼女が自身の特殊なグローブで掘っていくトンネルを潜り進んでいく、未知で“ハラハラドキドキ”な地中冒険も楽しんだりした。
途中きさらぎと椿が合作したという土の隠れ家にも入れてもらい──…。
「二人ともすごいな!なんで作ったの?」
「一応ふたりの新居用……にかな?」
「なわけないでしょ」
ガーン……
かくして帰り道は放心状態となってしまったきさらぎを男子勢のみで担ぐ作業も追加された。
柔軟な細身で、かつ俊敏なマーチはずば抜けてかくれんぼが上手く、においや音に敏感な椿でさえ時間内に彼を見つけることはできなかった。
(今までも見つけられたことは一度もないとのこと。)
「純くんの特技はなに?」
不意に投げかけられた質問。
「え…、俺は……」
“自分には何もない。”
そう答えようとした矢先、無性に泣きたくなる柏崎。彼が泣き虫なのも今に始まったことではない。
結局耐えきれず、うつむいた彼の足元にはぽつんとひとつ、死にぼくろのような涙の染みが滲んだ。
“年甲斐なくまた醜態を晒している”自身を恥じ、うなだれたまま微動だにしない柏崎の体。
「いっぱいあるよ」
彼の肩にそっと手を乗せ、少年はいつもの柔らかな口調で彼に語り続ける。
「君のすごいところ、たくさんあるじゃないか。カンペキな顔に体。それにほら、そうやって傷つきやすいけど、とってもやさしい心も」
「も、もう…いいから。ごめん」
柏崎の顔は感涙と照れにより一層赤くなっていくが、逆に声色は一層暗くなっていく。
「やさしいのは君達だよ。俺はやさしくなんかない。いつだって自分のことで精一杯で、今だってこんなだし。
人も世も汚れまみれ。……なのに君達は信じられないくらい本当に綺麗で、心身共に若さにも満ち溢れてて……。すごく……うらやましいよ。でもそれもすごくはかない」
涙がじくじくと止まらなくなり、自分が恥ずかしくて仕方なくなった彼は子供達に背を向けた。
“あっち”の思考の強度が増し、
“いい年して相変わらずみっともないな”とも思わずにはいられない。
「すずめの涙」
少年が突然彼に言い放った。
「君はすずめの涙だよ。悪い意味じゃなくて。
だって、たとえ僕たちが一生分の涙を流したって君の涙の一滴かそれ以下だもん。
でもね、僕たちにとっての君の“ソレ”は、生涯の
ずずっと鼻をすすりながら鼻声で柏崎は言葉を返す。
「……よくわかんない。詩人みたいで……。それに君たちの一生分の涙が俺の涙の一滴なわけないだろ……。俺、今日だけでもこんなに泣いてるし……」
グズグズ落ち込んだままの面倒臭い彼の前に歩み寄り、すっとかがんでやる少年。彼の顔を下から覗き指先でそっと涙を拭ってやると、少年はまたとても優しい
「君は今も唯一の光なんだよ」
「……!?」
同性への言葉らしからぬセリフに動揺し、つい目を開け少年と視線がかち合ってしまう柏崎。
幼稚で惨めな
意図していなかった展開が続き、あまりの気まずさに再び目を伏せ、更に赤面しうなだれる柏崎。
「指……洗った方がいいって」
片腕でゴシゴシ顔を拭いて照れ隠しする彼の後ろ姿を、子供達は無邪気にクスクス笑いつつも終始おおらかに見守ってくれていた。
泣き虫ゲストのウェルカムアニバーサリーは案の定泣き虫ゲストの涙で一旦幕を引き、時はあっという間に夕食の時間へ。
今晩のメニューも昨晩と同じ、木の実や野菜がこんもりと入ったスープとパン。すべて子供達が自ら探し回り収穫したり栽培したもので作られている。
肉等はなく毎回質素ではあるが、“どれも味を感じられる夕食”を摂れるのも柏崎にとっては久々であり、彼のへこんでいた腹や心は、今夜もすっかり癒され満たされた。
(昼に食べたチーズのパンも美味かったが、夜の米パンはそれ以上に絶品だったという余談もついでにご報告。)
共同生活二日目の夜。
この日の柏崎は昨晩のように“仮”の夜空を見上げには行かず、すぐ布団に入った。たくさん動き回ったということもあり、眠気も昨晩より早く迎えられていた。
“小さくなった少年”が昨日よりもぐっすりと眠れている姿を囲って見つめる子供達。
まるで幼い我が子をほほえましげに見守る親のように。
「よかったね」
椿が少年、セブに言った。
「うん」
そしてこの時、まだ彼らは知らない。
この夜が長引き、はりぼての曇りなき月光が彼らの世界の
静まり返った真夜中、大柄な二人の男女が子供らの住み処に侵入する。
浅い眠りについていたセブは怪しい気配を感じすぐさま布団から飛び起きるが、時既に遅し。見知らぬ男が眠る柏崎の首筋に既に腕を回しナイフをあてがっていた。
「何し――…!」
「しっ! 黙りなさい。犯罪者」
知らぬ間に背後をとっていた男の仲間らしき女がセブの体を羽交い締めにし、ざらついたゴムグローブを着けた手で彼の口を塞ぐ。
「“トリシマリ”よ。罪人を捕らえに来た。その
「――させない……っ! !
はな…せっっ!!」
相手の腕を爪でかじり、自身より確実に3倍はあるであろう対象になんとか立ち向かおうとするセブだったが、生憎やはり子供の体。
大きい上に鍛えられた大人の力には敵わず投げ飛ばされる。
「誰だ!あんたら!!」
(油断し眠ってしまっていたものの)物音で五感が一気に目覚めたマーチも参戦するが、彼の細く柔軟な肉体と適応力をもってしても、筋肉質で本能的な侵入者らの素早い攻撃をすべてかわし反撃するのは困難だった。戦闘経験の差も大きくものをいい、結局眠ったまま柏崎は連れ去られてしまう。
「純大ーっっ!!!!」
セブの叫びも虚しくはりぼての闇夜に散った。
すずめの涙 かさのゆゆ @asa4i2eR0-o2
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