第2話 しょうねんしょうじょ



「馬鹿なことはしないでよ。僕の目を見て。

 ね? 落ち着くんだ」


「……っ!」


 視界が回復した柏崎は自分が少年からじっと直視されていることにようやく気づき、とっさに身じろぎした。



「す、すみません……」



“はじめて会う子供。でも、なんでだろうか。変な既視感がある。

少年のこの綺麗な。どこかで会ったことあるような感覚にもなるんだよな……。”



 柏崎は目の前でほほえむ出会ってばかりであろうその少年に、この謎の感覚の理由をすぐ尋ねたくなったが堪えた。

向こうは子供、自分は一応(大層無様ではあるが)大人。

気まずくはあるが、まずは大人らしい対応をとらねばならないと思ったからだ。



「あの……先程はすみませんでした。お、お怪我は…ございませんか?

すみません、おr…いえ私のせいで……」


「ついてこれる?」


「え?」


「僕について来れるでしょ 」


 柏崎の他人行儀な体裁を一切無視し、彼に手を差しのべる少年。



“あぁ、警察に行くのか ──”



 そう察した柏崎。

同時に彼の中でチクタクと始まる“避けられそうにない社会的死へのカウントダウン”。

自ら招いてしまった自業自得の更なる生き地獄。



「なんなりと……」


 差しのべられた少年の細い手は社会的死への導線。

柏崎はためらいがちに手を伸ばすも、恐怖や絶望によるものなのか、はたまた別の何かによるものなのか、彼の掴む力は少年の手が赤くなるほど無意識に力んでいた。







 少年に連れられしばらく歩くと、柏崎が子供の頃に何度か遊んだことのある、草木と雑草の生い茂る狭い空き地に着いた。今もたまに駐車場として使われている空き地だ。


「ここが入り口だよ。さあ入って」


 進む先なんてありそうにない茂みを指さし通るように促す少年。

交番ではない景色に内心少し安堵していた柏崎。だが“何かよからぬ子どもの遊戯に付き合わされるのでは……”と嫌な予感がした彼は、誘いをやんわりと断ることを決めた。

もし付き合ったって“こいつつまらん”と即座に落胆されるのが目に見えている。



「いや、あの……嬉しいけど、俺もうおじさんだしさ……その、仕事もあるし……」


 よそよそしくまごつく柏崎にやれやれと言わんばかりに大きなため息をつく少年。


「はいはい。小さな世界はどっちやら。早く入ってよ。“おとなさん”」


 少年になかば強引に、けれど優しく背中を押され、柏崎はしぶしぶ茂みへ中へと足を踏み入れる。

そして非常に信じられないことだが、茂みの中には本当に道が拓いており、奥へ奥へと続いているようだった。



“すごすぎる……。

どうなってんだ、ここは──。”


幼い頃に絵本やアニメでみたような、ツルや葉っぱ、樹木でできた緑のトンネル。


さらに奥へと進んでいくと土の地面はなくなり、今度は踏み場含め全方位植物で作られた、大蛇の脱け殻のようにうねった緑のトンネル。

柏崎は運動不足を痛感しながらなんとか転ばぬように前へ進んでいく。

「だいじょうぶだよ。すぐ後ろにいるから」と何度も声を掛けてくれる少年の存在がなんともありがたかった。


トンネルを抜けると、柏崎は言葉を失った。

眼前に広がっていたのはこれまた童話の舞台のような、美しい自然溢れるメルヘンとファンタジーの世界。

いまにも姫と動物達が歌いはじめそうな、カラフルで情緒的な森の光景だった。



「うわぁ…!!」


 思わず感嘆の声をあげてしまう柏崎。


ありえないような夢の場所に自分は来たんだという“わくわく感”から、彼の中で長年眠っていた幼心が踊り出す。

さっきまで体裁を気にして躊躇っていたくせに、もう子供みたいに無垢な反応を示す柏崎を見て、少年の口元にもかすかに笑みが浮かんだ。




 でこぼこしている土の道を歩いていると、広い空間に出る。そこではたくさんの少年少女が地べたに座っていた。見渡すと大人やお年寄りもかなりいる。

彼らの多くは新しく入ってきた柏崎にさほど関心を向けなかったが、何人かの若者は彼を目で追っていた。

だが普段なら過剰なまでに反応してしまうそれらの視線だって、今の柏崎にとっては大した影響ものではない。


“こんなところにも人が住んでたなんて……! しかもこんなにいるとは!”


 彼の気分は新鮮な驚きと感動の連続により、依然嬉々としていた。



「セブー! 純くーん! こっちこっち!」


 より広々とした空間に出ると、三人の子供達が二人を待っていた。

手招きする女の子一人と、その横と少し後ろに男の子が二人。

女の子もまた柏崎にとっては見覚えのない子供だったが、“救いの少年”同様向こうは知ってる風であり、彼女の“純くん”呼びは彼の心に幼少期以来の“純くん”をこだまさせた。


「あ~そうだったわね。一応自己紹介しなきゃ。私は椿!本名は土竜椿よ。よろしくね!」


 ここはやはり海外なのかと思うくらい自然な流れで、女の子は柏崎にハグをする。


「ん~っ! 会いたかった~!!」


“助けてくれた少年”よりも幼なそうだが、大人びた顔をしている女の子。

小ぶりだがくりっとしている目。声は風鈴のように澄んだ高音で、髪は甘栗色。明るいひまわり色のワンピース。初々しい夏の青春のようであり、のどやかな白秋のような雰囲気でもある子だ。


「きさらぎです! し、下の名前は女の子みたいだけど……“ひよ”です! 」


 女の子の隣にいた、“救いの少年”と女の子よりも更に年下らしき男の子。ちょっとぽっちゃりとしていて、肌は温厚な小麦色。髪は一部に茶色の交じった濃い灰色で雰囲気とのギャップあり。


「みんな地毛なんだよね? いいなぁ」


 黒でない地毛に昔から憧れていた柏崎は、子供らの髪色に純粋に羨望の眼差しを向け言った。


「ぼくは純大くんのまっくろな髪の方が好きだよ。ぼくの、全然似合ってないもん……」


「そんなことなっ」

「マーチだ。少年」


「うぬぉぁっ…!!」


 後ろから音もなくぬうっと現れ囁いた細い影。柏崎が後ろを振り向くと、そこには子供というよりは青年の、若い少年が立っていた。

年は13歳~15歳くらい。いかにも少年と青年の境目らしい風貌。

子供達の中で最も背が高く、目は切れ長。赤と黒の神秘的なオッドアイ。青白い肌に、髪は主に緑と赤の交じった黒色。中にはベージュも混ざっており、淡色そうな声や表情とは裏腹に髪色は結構華やか。



「少年? いや、嬉しいけど俺は……」


 ばつが悪そうに苦笑いし、身じろぎしだす柏崎。

“少年”と言われたことは嬉しい反面、嫌味なお世辞のようにも聞こえ、素直には喜べなかった。

認めたくはないが、自分はもう三十手前の──…。


我に返り、言葉にできず黙りこんでしまった柏崎をみかね、“救い”の少年はすぐさま動いた。


「ねぇ、純大? 僕の目を見てごらん。僕に映る君を」


 柏崎の真正面に立ち、鼻があたりそうなほどの至近距離にまで近づく少年。


「ほら」


「……っ 」


 あまりに近くに寄られたため咄嗟に閉じてしまった目を、恐る恐る開けていく柏崎。


少年の瞳に映っているもの──



「 ………




────っ!!」



 絶句。



「んぅぐっ!?」


 数十秒後、あまりの衝撃により柏崎の口から放たれたのはうわずった変な声。


“こりゃ信じられない。”


なんてことだ。そこにいるのはかつての少年じぶんだったのだ。



「気づいてなかったんだね。トンネルをくぐっているうちに変わっていったんだよ。椿たちと合流した時にはもう身長差なんてほとんどなかったでしょ。僕とだってほら!」


“そういえばそうだ。

女の子にハグされた時もかがんでなかった。”



「あ、あ…あ~~」


“おお! 声も高い。

なんで今まで気づけなかったんだ。”



「こんなことっ! あるなんて……っ!!」


 嬉しさのあまり感極まり、柏崎は涙目になるまで笑った。声なき声、小さな“ツ”だけで、腹を抱えてむせそうなほど。

そしてたまらず、子供らしいとても無邪気な様子で目の前の少年に抱きついた。

はるか昔、今はもう微妙な関係になってしまった両親にもしていたように。



「夢みたいだ……!! いや本当であってくれ! これこそ現実! ──そう現実! !

あはははっ!」


「だめだこりゃ。酒でも入ったみたいだ」


 人が変わったかのように笑い転げる柏崎に冷めた視線を送るマーチ。


実際柏崎自身も今の自分のおかしさを、内心でははっきりと自覚していた。“いい大人が子供の前で何してるんだ。頼むからやめてくれ”と。

しかし、それでも彼は笑わずにはいられなかった。可笑しいくらい喜ばずにはいられなかった。

なにせ長年の望みが叶ったのだ。叶わぬはずであった切なる願いが。



──ずっと戻りたいと思っていた。受け入れられなかった。心は子供のままなのに、体だけ変わっていってしまう現実も──。




「奇跡だ!」


 涙を流し、全身で喜びを体現する柏崎。


この世界に連れてきてくれた少年の両手を取り何度も「ありがとう」と頭をさげては、

そのままぴょんぴょんと飛び跳ねたり、ぐるぐるとまわったり……。最初の姿からは想像もつかないくらい、彼は童心に返っていた。



「僕には分からないな」


 柏崎少年の若干珍妙でさえある喜びの姿を見ながら、きさらぎはポツリと呟いた 。

そんな彼の肩をぽすんとたたいてやるマーチ。


「大人は子供に、子供は大人になりたがるもんなんだよ。もう俺らよりこいつは大人だ。…… “一応”な 」


「マーチ、保護者の顔だけどね」


「そりゃあそうさ」





「ね、ね? 聞いて! とりあえず落ち着こっ! まずは歩きましょ! おうちに戻らなくちゃ」


 紅一点である椿が(柏崎のせいで)ぐだぐだになっていたその場の雰囲気を一旦締め、子供ら一行は自分達が共同生活している家へと向かうため、ふたたび歩を進めはじめた。




石で囲まれた通りを抜け、レンガ小屋の並ぶ村らしき場所に出ると、なにやら身を寄せ合いうずくまっている集団に出くわす。

先程の群れとはまた違った異質な空気を醸し出している集団。

ただ泣いている大人子供や、涙しながらも互いに励まし合ったり慰め合ったりしてる様子の大人子供。

どうしたのかと声をかけようとした柏崎を少年が静かにとめる。


「なんで? あの人達泣いてるよ 」


「……かなしいことが、あったからだよ。ここじゃいつものこと」


 少年はそれしか答えなかった。

黙って輪のそばを通りすぎていく柏崎達を睨む者もいた。去り行く子供らを何とも言えぬ憂いの目で追う者もいた。

怒なのか哀なのかも掴めぬそんないくつかの表情かおも背に、彼らはその場を後にした。





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