第十二話 半妖と妖

(これは……つぐみの霊力か?)


 妖酒の独特な匂いで正気を失っていた朱那は、蒼い霊力の奔流に包まれて自我を取り戻す。

 気付けば変化は解けており、髪の色も元の金糸に戻っていた。

 山城の妖気で昂っていた精神も落ち着き余分な力が抜けた分、大獄丸の纏う妖気の異質さに感付いた。


「——酒が不味くなる霊力だ。あー……くらくらする」


 金棒で身体を支え額を抑えて天を仰ぐ鬼の首魁は見るからに気分が悪そうだ。

 朱那は即座に大獄丸から飛び退くと、小袖に染み付いた匂いを嗅ぐ。

 つーん……と鼻を突く匂いは間違い無く酒のもの。——それも毒酒の類だった。


「ありゃ? テメェいつの間に人間の姿に戻りやがった?」


「お節介な相棒の霊力のお陰でな。————まむし酒か。いささか飲み過ぎのようだが?」


 朱那は鬼の腰からぶら下げられている大きな瓢箪ひょうたんに視線を落とす。

 妖は酒を好むが毒蝮の酒は特に度数が高く、並の妖ではその毒に耐えきれず命を落とすものもいる。かの酒呑童子を退治するため、平安の武者達は鬼の酒宴に毒入りの酒を持ち込み、毒で弱らせたところで首を刎ねたという逸話が残っているほどだ。


 それだけ鬼と毒酒は相性が悪いはずなのだが、この大獄丸は何故か毒酒を克服しているようだ。先程見せた体躯に見合わぬ神出鬼没としか言えない歩法も、もしや酒に酔っていたから出来たことなのか? と当たりを付ける。


 であるならば、私とつぐみが持ってきたあの清めの水は、酔い覚まし以上の効力を発揮するだろうとも。


「つぐみ!! 清めの水はまだ残っているな!?」


「もちろん!! 受け取って朱那!!」


 野球の遠投のように大きく振りかぶって、竹筒の水筒を朱那に向けて投げる。

 ひゅんひゅんと回転する竹筒を空中で掴んだ朱那は、栓を抜き蛍火に清めの水を振りかけた。


「なんだァ? その不味そうな水は?」


「月詠神社の神主が清めた湧水だよ。鬼、このように抜かしていたな? 私を嫁に迎えたいと?」


「お? やっとその気に————」


「みくびるなよ、鬼風情が。——私の名は朱那。人間でも無ければ妖でも無い半妖の妖狐! 鬼の伴侶になれ——だと? そんなものこちらからお断りだ!」


 きっぱりと求婚を断る朱那に呆気に取られる大獄丸、そしてつぐみ。

 特につぐみはいても立ってもいられずしゅたっ! と屋根から飛び降りた。そしてずんずんと肩を怒らせながら歩き、朱那に詰め寄った。


「ちょっと待ったー!? 伴侶てどういうこと朱那!?」


「ややこしくなるから、お前は出てくるな!?」


 さっきまでの真剣な空気はどこに行ったのか、鬼の首魁をそっちのけにいつもの言い合いを始める二人。すっかり毒気が抜かれた大獄丸は、無視されるのが気に入らず怒りと共に金棒を地面に叩き下ろす。鬼の膂力で振り下ろされた金棒は地割れを起こし、つぐみと朱那は左右に飛び退いた。


「目の前で仲睦まじい三文芝居見せつけやがって————。テメェら……ただじゃおかねェ」


 朱那を嫁に迎えることはどうでもよくなったのか殺意を滾らせた大獄丸は、赤い体表からも人間には毒となる妖気を噴き出し始めた。

 朱那はつぐみの前に立つと、蛍火の切先を真っ直ぐ鬼に向けて告げる。


「——空も白み始めた。せめてもの情けだ、その首……斬り落としてくれる」


「——抜かせ、半妖」


 納刀した蛍火の鯉口をチャキッと鳴らし、朱那は柄に手を掛ける。

 対する大獄丸も金棒を水平にし迎え撃つ構え。


 鬼と対峙する相棒の勇ましい勇姿を、一瞬たりとも逃すまいとつぐみは目を見開いた。


 東の空より太陽が顔を出す。暖かな陽光が闇夜の影を茜色に染めた、その瞬間。

 納刀したまま飛び出したのは朱那だった。

 必殺の距離に近づくべく、足を地面から離さないように高速のすり足で距離を詰める。

 対する大獄丸は微動だにせず、ただその時を待つのみ————。


 彼我の距離を詰めた朱那は鞘から蛍火を抜刀。大獄丸は金棒を握る両腕に血管が浮き出るほどの力瘤を見せつけて力任せに横薙ぎに振るった。


 互いが必殺の一撃を放つ刹那の領域。が、僅かばかり獲物に手が届くのは大獄丸が速い————。

 華奢な朱那の体躯がひしゃげる程の威力で振るわれる金棒。

 勝負の行方を見守るつぐみが思わず目を瞑りかけたが、勝利を確信した大獄丸の金棒はしかし空を切った。


「なっ!?」


「————悪いな鬼。貴様の酔いを利用させてもらった」


 背後から響く凛とした声に反応し振り向いた大獄丸の丸太のような首が

 いつ斬られたかも分からない鬼に更なる苦痛が襲いかかる。

 

「がァァァァァァァ!? なんだ、このひりつくような痛みはァァァァ!?」


「清めの水は妖の妖気、毒気……ついでに酔い覚ましにも効果覿面こうかてきめんでな。酒にうつつを抜かしたお前の負けだ、大獄丸」


 そう、大獄丸が屠った——と確信した朱那の姿は妖術による幻。

 酩酊状態の鬼だからこそ騙せた、起死回生の一手であった。


「テメェ……卑怯な手を使いやがってェェェェ!?」


「卑怯? 騙される方が悪い。私を誰だと思っている? 白面九尾を母に持つ半妖であるぞ? 鬼を化かすことなど雑作もない————」


 鬼の首と胴体はいよいよ別れを告げる時が来たようで、自重に耐えきれなくなった大獄丸の頭は地にどさりと落ちる。


 強靭な生命力を持つ鬼と云えど、こうなってしまっては悪あがきも叶わない。

 そこへ……陽光を後光のように背に受けた月詠神社の巫女が、破魔の祝詞を紡ぎブレザーのポケットから最後の札を取り出した。


「なっ……!? テメェは餓鬼の野郎が攫ってきた————」


「————色々と聞きたいことはあるけど、朱那に言い寄ったお前だけは許さない————」


 普段とは違う、静かな怒りの感情が込められた祝詞を紡ぐつぐみの身の内から、凄絶なる浄化の霊力が湧き出した。——その色、満月の如し月の色彩であり、鬼の目には霊力を宿したつぐみの瞳の色も金色の光を宿しているように思えた。


 ————月影にわすらるる、満月の如し艶やかなる君。祈りの言の葉を天へと捧ぐ。其が残せしは五つの証。遍く現世うつしよを支える五つの理。我……月詠に仕える巫女が宵闇祓う月と在らん————


 簡略化されたものでは無く一字一句その全てに意味が込められた祝詞は、西に欠けゆく月の神気をつぐみに宿らせた。


「——月詠の祓エ、月下真言——」


 月の君に捧げられるまことなる月詠の巫女の霊力は、鬼をその身、その魂もろとも月の光の元に消滅せしめたのであった。

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