第十一話 お殿様の弓

 朱那が鬼達と大立ち回りを繰り広げていた頃。

 つぐみとはつは山城の中を出口に向かって突き進んでいた。

 襖を開けたり、角を曲がれば何処かで見たような妖ばかりと鉢合わせするのは、悪趣味なお化け屋敷と思わざるを得ない。


 破れた障子からいくつもの血塗れの手が突き出して来ても無視して通りすぎ、醜女のような天井下がりには手鏡を見せつけ「もっと肌のお手入れ頑張って」と適当にあしらい、お座敷に座り経を読む坊主に擬態した一つ目入道を、出合頭に霊力を込めたお札を放ち片っ端から退散させる。

 

 最初は恐怖のあまりすくみ上がっていたはつも、全く怖気付くことなく妖を退治するつぐみに、いつしか尊敬の念を抱き始めていた。


「もう! しつこいなー……。大丈夫、はつちゃん? 息上がって無い?」


「い、いえ……大丈夫です。つぐみ様は巫女様なのですか?」


「う、うん……一応、月詠神社の巫女をやらせてもらってるけど——?」


 つぐみに向けられたはつの瞳には、憧れのような感情が透けて見えるような気がする。

 頬もぽうっと赤く上気し、熱に浮かされているようであった。

 

「あの……よろしければ、つぐみ姉様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」


「ま、まぁ別にいいけど……」


 もしかして……勘違いさせちゃったかな? と一抹の罪悪感を感じつつ蜘蛛の巣が張りめぐらされた角を曲がる。すると、古井戸と藻が浮いている池がある山城の中庭が視界に飛び込んできた。

 濁りきった広い池にもほぼ確実に妖が潜んでいるだろう。そろそろお札の数も心許なくなってきたので、いい加減このお化け屋敷から脱出したいところだ。

 

 ここは腹を括るしかないかと、庭を突っ切ることを決めたつぐみとはつが古井戸の横を駆け抜けようとした時、井戸の中から「うわぁぁぁぁ!?」という男の子の叫びが聞こえてきた。


「一心君!?」


「一兄様!?」


 井戸から放り出され地面を転がるのは、はつの兄である一心だった。

 その背には村長の家に飾られていた弓胎弓と矢筒が背負われている。腰を強かに打ち身悶えしていた。


「一兄様! お怪我はありませんか?」


「……はつ、良かった無事で————」


「それより、何で井戸の中から?」


「……この井戸の下は外のお堀と繋がってるんです。この山城は村の子供達にとっては肝試しが出来る遊び場でしたので、水路跡からここまで直通で行けるように縄をあらかじめ垂らしておきました。まさか、井戸の中で妖と鉢合わせするなんて思わなかったけど————」


 腰を押さえて立ち上がる一心の左肩をはつが支える。

 井戸の中に妖……? はっ!? とつぐみが前方に視線を向けると、井戸から白骨化した人の顔のようなものが眼球の無い眼孔を覗かせていた。


「小僧……。我の棲家を荒らすとは、その目玉くり抜いてやろうかヱ?」


 城の中よりは薄かった中庭の妖気が井戸から現れた妖によって、急速に濃くなってゆく。

 はつが妖を近づけまいと、神社の湧水を竹筒の水筒から撒いているが余り効果は見られない。

 井戸とは水と深い関わりがある場。その井戸を棲家にする妖にはそもそも水を用いた清めは効果が薄いのかもと、つぐみは残り少ないお札を手に取った。


「その霊力————。餓鬼の奴めが言っていたのはお前のことかヱ? 娘」


「……気味が悪い鬼のことなんて知らないもん。悪霊退散!」


 妖の問答に付き合う気の無いつぐみは、霊力を込めたお札を素早く放つ。

 狙い誤らず骸骨の頭にお札は張りつくが、何故か先程までの激しい雷光のような力は顕現せず、バチッ……と静電気のような音がしたのみだった。


「——随分と気の抜けた霊力さね?」


「しまった……。霊力使い過ぎた————」


 急に脱力するようにへたり込んでしまうつぐみ。その隙を妖が逃すはずも無くやたらと長い白骨の腕が迫る。あわや腕に掴まれかけたその時、矢が風切り音を立てて妖の腕に突き刺さった。


「何のつもりだい? ————小僧」


「つぐみさんには指一本触れさせない————」


「……小賢しい、なら小僧。お前から喰らってやろうさね」


 妖の標的は一心に切り替わったようだ。怯えるはつの前に両手を広げて守るべく立ち塞がる一心に、古井戸の妖は愉悦の表情を浮かべた。哀れな小僧とその妹をくびり殺そうと、腕をたわめようとするが、何故か腕が動かない。

 腕にはなんの変哲も無い矢が刺さっているのみ。何故、腕が動かない?

 理解が追いつかない妖の眼前に、つぐみが鋭い眼光を放ち立っていた。


「娘……。お前、もう動けないのでは!?」


「お兄ちゃんが身体張って妹を守ってるのに、一人だけ寝てるわけにもいかないよ。————こう見えてもだから」


「は?? おのこ……じゃと!? ガッ!?」


「なけなしの霊力でも……直接流し込めば少しは効果あるでしょ。 ————月影にわすらるる、月の如し美しき君。天照あまてらし威光を示さん————!!」


 骸骨の頭を鷲掴みにしたつぐみの手から、溢れんばかりの霊力が妖に注ぎ込まれる。

 先程のようにか細い静電気ではなく、空を裂く稲光のように中庭を蒼く染め上げた。

 

「ガァァァァァァァァァァ!? 何をする娘ェェェェ!?」


「うるっさい!! いい加減に……くたばれ!!」


 腕相撲のように拮抗するつぐみの霊力と妖の妖気。どちらかが気を抜いた瞬間、それは片方をその身ごと飲み込むであろう力場を生んだ。天秤の水平が傾いた瞬間、生き残る方は決まる……! 膠着状態を破るべく自由なもう一本の腕がつぐみの身体を貫こうと背より迫った。


「——させない」


 再び一心が放った矢が腕に刺さる。両腕の自由を奪われた妖は、異様なほど増幅する霊力の圧を感知する。その源は腕に刺さった一心が放った二本の矢。

 楔のように撃ち込まれた矢が、つぐみから流れる霊力を妖の両腕で循環させて、白骨化した指の先からバチバチと霊力が妖の身体を侵食し始めた。


「何じゃ……あの矢は? ただの小僧が放った矢がどうして抜けぬ? なぜ、じゃァァァァァァァ!?」


「つぐみさん! 今ですっ!」


「りょうかい! 今度こそ……悪霊退散!」


 ダメ押し! とばかりに頭蓋骨を握る手に力を込めて、つぐみはありったけの霊力を込める。

 断末魔の叫びを上げながら、蒼い霊力に飲み込まれた妖は、やがて全身が崩れて溶けたのだった。



「はぁー……。今回ばかりは駄目かと思った……」


 今度こそ本当にへたり込んでしまったつぐみに、兄妹が駆け寄る。何とか二人に肩を貸してもらい、中庭を突っ切ると屋根の上に登る梯子があった。少なくともこれで、妖だらけの城内は彷徨かずに済む。三人は何とか屋根によじ登り、山城からの脱出経路を探した。

 東の空は白みかけており、直に朝日が登るようだ。そうなれば妖達も昼間の間は大人しくなるはず————。

 主郭の入り口に当たる門が屋根の上から見えた。穴だらけの屋根から落ちないように端まで歩くと、門の方で二つの強大な妖気が衝突しているのをつぐみは感じ取った。


「朱那!? と鬼??」


「つぐみさん、あの狐耳が生えている女の人は朱那さん……なのか?」


 一心とはつは美しい白銀の妖狐の舞うような太刀捌きを、信じられない面持ちで眺めていた。

 でも、確かあの人の髪の色は金糸のように綺麗な髪だったはず。

 あの姿は、どう見ても————。


 直後、背後に跳んだ朱那を大柄な鬼がいかなる妖術を用いたのか、背後に回り込みその華奢な体躯を鷲掴みにした。


「朱那!? ……一心君、詳しい話は全部後で。朱那に加勢するよ。あの大きな鬼は今までの妖と違う強力な妖気を纏ってる。朱那は確かに強いけど、一人じゃ敵わないかもしれない————」


「加勢って……どうするおつもりなのです? つぐみ姉様?」


 はつから問われ、つぐみが指差したのは一心が背負っている弓胎弓だった。

 

「その弓! なんだかよく分からないけど、その弓から放たれた矢はさっきの妖によく効いてたし、残りのお札に霊力を込めて鏃に巻き付ければ、きっと朱那を助けられるはず!」

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