第九話 囚われの巫女

「……うーん。——あれ……ここは??」


 つぐみが目を覚ますとそこは壊れた天井から月光が差し込む一室であった。

 竹林の中で餓鬼の妖術により気絶させられたことまでは覚えているが、その後の記憶がはっきりとしない。


 餓鬼に連れ去られたということは、恐らくここは放棄された山城の中のはず……だ。

 その証拠に周囲は濃い妖気が充満し、霊力を持たない常人では精神が持たず気が狂うほどだ。

 

 幸いなことに自分の身に何処も異常は無さそうだが、鬼を使役しているのがあの餓鬼であるなら、巫女として強大な霊力を持つつぐみも何かに利用されるのは間違い無い。


 ここは行動あるべし……と、出来る限り足音を立てないように寝かせられていた一室を出ようと障子の戸に手をかける。その時、部屋の隅に桃色のかすりを着た小さなおかっぱ頭の女の子が倒れているのが目に止まった。


「……だ、大丈夫?? 何処か怪我でもしてるの??」


 ぐったりとしている女の子は、苦しそうに浅い呼吸を繰り返している。

 額からは、たけのこを思わせるような小さなツノが生えかけていた。

 

(もしかして……この子、一心君の妹のはつちゃん? でもあの時、霊力を込めたお札で憑いてた鬼は祓ったはずなのに——)


 再び鬼憑きとしてこの女の子を使役しようとしている餓鬼の狙いを看破し、怒りが込み上げてきた。か弱い女の子を攫い鬼化させる恐ろしい鬼の所業。霊力で鬼を祓おうにも、ここまで衰弱している身体で果たして耐えられるかどうかも分からない。こんなことは許されてはならない——と、つぐみはブレザーのポケットから月詠神社の神主から持たされた竹筒の水筒を取り出した。


 強い霊力を宿す神主によって清められた神社の湧水は、妖気を滅する力が込められており、もしかしたら憑いた鬼を祓うことが出来るかも知れないと思いついたからだった。


 祈るような思いで水筒をゆっくり傾け、小さな口に清めた水をゆっくり流し込む。

 小さな喉をコクコク鳴らし、はつは清めの水を飲み込む。

 そして、うっすらとまなこを開いた。


「……ここは? あなたは……どなたですか?」


「僕の名前はつぐみだよ。君のお兄さんに頼まれて助けに来たんだ」


「え……一兄様……が?」


「そ、一心君の妹のはつ……ちゃんだよね? とにかくここを出よう。——どうやら鬼達の棲家のようだし」


 鬼……という言葉に心当たりがあるのかはつも素直にこくりと頷く。

 何故かこの部屋だけは妖気が薄いが、障子を隔てた廊下はかなり濃い妖気が渦巻いているので、いつ妖と遭遇してもおかしくない。


 霊力の扱いについて明治の世に来てから学び始めたつぐみは、まだ妖気から身を護る結界などを張る方法は分からない。出来ることは霊力を込めたお札で妖気を祓うことだけ。


 はつを連れてどうやって逃げれば……、と思案している最中、部屋の外がにわかに騒がしくなった。


「……妖狐が侵入して来ただと? 本当であろうな?」


「はっ……大獄丸様。餓鬼からの知らせにもありました、神器の太刀を持つ半妖の小娘でございます」


「——ほう。『月喰み』が残したと伝えられる火鼠ひねずみの太刀……か。面白い——。この大獄丸自ら、その斬れ味確かめてやろうでは無いか。——餓鬼の奴めはまだ戻らんのか?」


「は……。なんでも道満どうま法師に呼ばれたと、文を寄越しておりまする」


「ふんっ……、陰陽師崩れの式鬼風情が偉そうに————。まぁよい、京から逃がしてもらった借りをここらで返すとしよう。——半妖風情が返り討ちにしてくれる!」


 大柄の身体と長く鋭く伸びたツノを額から生やした鬼の影が障子越しに、影絵のように浮かび上がっていた。声を押し殺して鬼をやり過ごしたつぐみは、恐怖の余り身体を震わせるはつをぎゅっと抱き締めた。


「……怖い鬼なら何処かに去ったよ。さっ、早くここを出よう。歩ける?」


「——は……はい」


「よーし、それじゃ僕の手をしっかり握ってて。あ、そうだ。念の為、この水筒を預けておくね」


「これは……何ですか?」


「月詠神社の神主さんが清めてくれた魔除けのお水だよ。妖が現れたら、躊躇せずその水を振りまいて。それで奴らは寄って来れないはずだから」


 障子の戸を開け、顔だけ出し廊下の左右から何の気配もしないことを確認した後、はつと共に無人の廊下を足音を殺して駆けてゆく。

 さっき鬼達が言ってた半妖とは朱那のことだろう。妖狐が云々についてはよく分からないが、朱那が来てくれたならきっと何とかなる————。

 出会って三月みつき程ではあるが、朱那のことは信頼出来る相棒だとつぐみは心から思っていた。

 ————今、僕がすべきことは、はつを連れて無事にここから脱出することだ——と、勇気を振り絞って鬼火で照らされる不気味な廊下を走り抜けた。

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