第四話 昔話

「依頼を引き受けてくださったばかりか……息子を助けてくださり、感謝いたす——」


 畳敷の居間にて朱那はこの村の長であり、一心の父親から頭を下げられていた。

 目鼻立ちがくっきりしており、若い頃はさぞ美丈夫であったのだろう村長は、色濃い疲労の色を顔に浮かべていた。聞けばひと月前から、村の子供達……それも女の子ばかりが神隠しに遭っているのだと。


「顔をお上げくださいませ、村長むらおさ殿。一心殿を見つけることが出来たのは本当に、ただの偶然ですから。それより……神隠しについてもう少し詳しく伺っても?」


「それは構いませぬが……何からお話いたしましょう?」


「そうですね……。攫われた女の子達の特徴、もしくは何処で攫われたのかとか、目撃した者はいるのだとか、分かる範囲で結構です」


 つぐみと会話する時と違って、いつもより女性らしい言葉遣いで話す朱那の神秘的な朱い瞳に覗き込まれ、村長はごくり……と唾を飲み込んだ。

 文明開花の世になり九年が経ち、都で異人を見かけることはそう珍しいことでも無くなりつつはあるものの、人里離れた山奥では朱那の砂金のように、さらさらと綺麗な金髪はよく目立つ。好奇の目で見られることは慣れてはいるものの、やはりしげしげと眺められるのは気持ちのよいものでは無い。


「いなくなった場所だけなら、掴んでおります」


「——それは、何処でしょう?」


「村の裏山に昔からある竹林の中です。あそこは山菜がよく採れる地でもありましてな。村の者はよくあそこに赴くのですよ。もっとも、神隠しの噂が立つようになってからは、竹林に向かうことは控えるようにと、皆にはよく念を押したのですが……」


 村長が気まずい表情を浮かべるのは、自らの息子と娘が言いつけを破り、竹林に入ってしまったからに違いなかった。確かに村長としての面目は丸潰れだろう。


「——帝都の月詠神社の神主からは、こう言付かっております。出来るだけ力になってやって欲しい、と」


「……若い頃、怪異に悩まされていたことがきっかけで、良いご縁に恵まれましてな。そうですか、神主殿は覚えておいでだったか——」


 村長と神主の関係は気になるが、今訊き出せる情報はこれくらいだろう。

 そろそろ時刻は午後9時を回るのを、床の間の壁に掛けられた西洋式の四つ丸時計が告げていた。

 朱那は未だにつぐみが温泉から戻ってこないことに、ようやく気付く。

 幻術の効力もそろそろ切れる頃合いだ。あの馬鹿……もしや湯あたりでもしたのか……? と心配にはなるが、今のところ村の中に怪しい気配や、妖気の匂いも無い。


 だがまぁ、流石に長風呂しすぎなのは確かだし、私も汗を流して今宵は休むか……と腰を浮かせかけた時、床の間に飾られたある物が目に止まった。


「……つかぬことをお伺いするが、その弓は?」


「これでございますか? ————こちらの弓はその昔、当家に鷹狩で逗留なされたとあるお殿様が置いていったものと、祖父から伝え訊いてるものでございます」


「手に取っても構いませぬか?」


 了承を取り弓を手に取った朱那は、古い妖気の匂いを鼻で捉えた。

 弓胎弓ひごゆみと思しき、戦でも使われていたのだろう和弓は意外と軽い。弦も貼り替えられているので今でも使えそうではある。

 しかし、鷹狩で使われていた弓に妖気の匂いがこびり付いているのは何故なのだろうか?


「村長、良ければこの弓の持ち主であったお殿様について、詳しく訊かせ……」


 その時、母屋から離れた場所から絹をつんざくような悲鳴が響き渡る。

 何事か……? と慌てる村長とは対照的に、朱那は先ほどまで微塵も感じることが出来なかった濃い妖気を鼻で捉える。


「馬鹿な……何故、これほど濃い妖気に気づけなかった……?」


 畳に置いていた竹刀袋を担いだ朱那は、呆気に取られている村長をその場に残し急ぎ外に出る。向かう先は勿論、妖気の気配を色濃く感じる裏山に面した露天風呂の方角であった。


☆ ★ ☆ ★ ☆


「はー……。あったまるぅぅ」


 少し前、疲れた身体を村唯一の露天風呂で癒していたつぐみは、人の目を気にすることなく温泉を堪能していた。お世話になっている月詠神社の居住区画にもお風呂はあるものの、現代と同じ様にスイッチを入れてすぐにお湯が沸くわけでも無く、薪に火をつけてお湯を沸かすところから全て手作業なので、毎日お風呂に入るのは想像以上に大変だった。

 一応銭湯もあるのだが、この時代は男女混浴が一般的であり、色々と事情がややこしいつぐみにとっては敷居が高いと言わざるを得ない。

 こんな風に足を伸ばしてお風呂でゆっくりとくつろげるのは、次はいつになるか分からないのですっかり満喫するのもやむ無しである。


「こんな山奥に温泉があるなんて、思わなかったなぁー。日々の妖怪退治で酷使した身体が生き返るよー……」


 なので、すっかりだらけきったつぐみが、まさか貸切だと思っていた露天風呂に誰か入ってこようとは夢にも思わなかった。


「あ……」


「ん…………?」


 脱衣所から音がすると思えば、温泉に現れたのは昼間、峠のお堂で助けた一心だった。

 まさか誰か入ってこようとは思いもしなかったつぐみは、慌てて後ろを向く。


「あれ……? 誰かと思えばつぐみさん?」


「あー……。うん、そうだよ? 一心君もこれからお風呂?」


「え……。あ、うん」


 なんとなく気まずい空気が流れるが、さてこの場合の気まずさとは、つぐみが己を女性と偽っていることだろうか、それとも同性の子と一緒にお風呂に入ってるという事実であろうか。

 とにかく……朱那から幻術かけてもらったし、うまい具合に湯煙も濃いからバレることは無い……と思いたいつぐみであった。

 銭湯が混浴なんだから、温泉だってそりゃ混浴だよね……とせっかくの極楽気分が萎えたところで、そろそろ上ろうかと湯船に身を隠したまま移動するつぐみは突如、濃い妖気を察知した。


(嘘……こんなところで妖怪!?)


 慌ててタオル代わりの手ぬぐいで前を隠して湯船から立ち上がる。


「……あの子達って、もしかして————」


 露天風呂を見下ろす高台のふちに立っていたのは、神隠しに遭ったとされる着物を着た村の女の子が十人余り、虚な瞳を立ち尽くすつぐみに注いでいた。

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