第128話 作品に込められた本当の意味

・イザホのメモ

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「……あそこが……イザホちゃんたちの住んでいた……お屋敷……」


 埋め込んだ車の紋章に運転を任せて、運転席に座るクライさんが窓の外を指さした。


 窓には夕焼けの空に、たくさんの木。

 そして、大きく古びた屋敷が建っていた。


「イザホ……どう? 久しぶりの実家」


 マウの言葉に、ワタシは窓に義眼を向けたまま首を傾げた。


 そう言われても、ワタシにはよくわからない。

 本当なら懐かしく思うはずなのに。あのお屋敷から鳥羽差市に向かう時に想像した時には、こんなにも期待していたのに。


 人格の紋章の中に、なにかぽっかりと穴が空いたような気分だった。











 やがて、ワタシたちはお屋敷の玄関の前に立った。


 クライさんがインターフォンを押すと、誰の声も聞こえることなく、カギが外れる音が響いた。




 玄関は、ワタシたちがここを出て行くよりも少しだけ、ホコリが多かった。

 病気で寝込むようになったお母さま……あまり、掃除ができなかったのかな……


「イザホちゃんのお母さんは……?」

「きっと、寝室だよ。元気だと……いいんだけど」




 17日間だけなのに、お屋敷の内装が懐かしく感じられる。

 その空気を味わいながら、ワタシたちはお母さまの寝室へと向かった。










「ただいま、イザホのお母さん」




 寝室の扉を開くと、マウが部屋にいた人間に声をかけた。


 西洋を思わせる装飾が施されたシングルベッドの上で、体を起こして窓の方を見ている、真っ白なパジャマを着た黒髪の女性。

 その女性が、マウの声に振り向いた。




「おかえりなさい。イザホ、マウ」




 白髪の少女とは違う、大人びた作り物のように整えられた……お母さまの顔。

 旧紋章研究所での集合写真に写っていたお母さまのひとり娘の面影を持つその顔は、病気を思わせない顔色だった。

 だけど、振り向いた時の動きが……動きだけが年を取ったように……どこか違和感を感じた。


「おいで、イザホ」


 その懐かしい言葉に、ワタシは思わずお母さまに向かって足を踏み出した。

 ……だけど、お母さまの目の前にまでやって来て……思わず踏みとどまった。


 一瞬だけ、人格の紋章はお母さまの胸に飛び込みたいって言っていたのに。


 それを止めたのも、人格の紋章だった。


「……変わったのね。ふふっ……でもステキよ」


 お母さまは自分からワタシを抱きしめ、頭を撫でた。




 昔のように紋章の中から嬉しいって思うのではなく……


 作者から褒められるてもなにも感じることのできない作品


 そんな気持ちしか、感じられなかった。




「そちらの方は、付き添いの刑事さん?」


 ワタシの後ろを見て、お母さまがつぶやいた。

 振り返ると、クライさんは険しい顔のまま、うなずいた。


「……最近、鳥羽差市で起きた事件は知っています。ふたりを助けていただいて、ありがとうございました」

「……」


 クライさんは、マウとともにお母さまの元へと近づいた。


奇寺 亜梨子キテラ アリスさん……ですね?」

「ええ。この子とは名字は違いますが気にしないでください。今使っているのは旧姓ですので」


 お母さまの受け答えを聞いたクライさんは、静かに目を閉じる。


 そのクライさんに、ワタシとマウ、お母さまの視線が集まる。




「……アリスさん……あなたの娘さんが亡くなった10年前の事件は……あなたの娘が引き起こした」




 その言葉に、お母さまの瞳孔が小さくなる。




「……ご存じでしたよね? 10年前から……」




 やがてクライさんは、スマホの紋章を起動させ、お母さまに見せた。




「……これは、事件現場のひとつで撮ったものです」




 スマホの紋章のモニターに映ったのは……雪に囲まれた小さな小屋。

 大きく見えるドアに羊の紋章があることから、ウアの機能を停止させた裏側の世界の出口だ。


 画面の下から出てきたゴム手袋をつけた手は、その紋章ではなく扉にかけられた。


 ドアを開いた中にあったのは、ひとつのイス。

 そのイスに、ビデオの紋章が埋められていた。


 後ろから警察官が入ってきて、周りの現場検証の準備を始める。

 やがて、ひとりの警察官がそのビデオの紋章に触れると……




 現われたのは、お母さまのひとり娘だった。




 お母さまのひとり娘……彼女は、まるでそこに小さな子供がいることを想定しているように身をかがみ、口を開いた。




「ウアちゃん……だいじょうぶよ。バフォメットはこの部屋には入ってこないから。あなたに伝えたいことがあって、バフォメットにはここがあなたの家だってウソついたの」


 白衣を着た彼女は、「といっても、もうわたしは死んじゃったんだけどね」と笑っていた。


「さっきの羊の化け物は、わたしが作ったの。世界で始めて人格を埋め込まれた物として……ステキな作品になるはずだった」


 楽しそうに笑みを浮かべていた彼女の顔に、影が差し込む。


「だけどね、認められなかった。たった少しのミスだったのに。知能の紋章が歪んだって、わたしの作品はみんなの役にたつはずだったのに……」


 するとすぐに笑顔を作って1度立ち上がり、見渡すように1回転しはじめた。


「今まではずっとこの部屋で隠していた……でも、もう終わり。わたしの作品は……鳥羽差市紋章の街で作られた、日の目を見ることのなかった悲しみの作品は……新たな作品を作るの!!」


 興奮したように、部屋中を跳ね回り始める。

 ところどころで小屋の壁を貫通していたところから、元々は別の部屋で撮られたものと思われる。


わたしの作品がみんなのパーツを分けて……それを、“お母さま”がつなぎ合わせてくれる。バフォメットとお母さまの手で……わたしの生まれ変わりが……!! 作られるの!!」


 天井に向かって高らかに宣言した彼女は、すぐに目線を下に……ウアがいるであろう場所に向けて、しゃがみ込んだ。


「わたしのお母さまはね、この方法を教えてくれた時に言っていたの。作品だけじゃない……わたしたちは……他人から紋章を埋め込まれて作られるの。どんなに自分がすごかったとしても、周りに台無しにされる……」


 ゆっくりと、ウアの頬がある場所へと、手を伸ばす。


「だからこそ、美しいの。その作品が作られた過程こそが、本当の価値なの」


 そして、なにもない場所で、頭をなで始めた。

 ワタシに対するお母さまのなで方……そして、マウに対するワタシのなで方と、同じだ。




「ウア。これからはあなたが作るの。あなたが生き残って作品を作ることが……お母さまのオマージュを受け継いだわたしの、オリジナリティよ」




 そこで、ビデオの紋章から映し出された映像は消え、


 その録画も、再生を終えた。








 事件が終わってから数日後、クライさんにこの映像を見せられたワタシは、人格の紋章に混乱の文字を並べていた。


 この部屋には他にも2つの証拠品が上がっていた。ひとつは、このイスについていたウア以外の人間の指紋。ウアの母親であるハナさんのものだった。

 そしてもうひとつは、すでに光を失っていた羊の紋章。その紋章が発見された同時刻……ウアに加担していた仮面の人間であるスイホさんの実家から、絵画が発見された。

 立ち去って行くハナさんが描かれたその絵画の裏にあったのは……傷をつけられた羊の紋章。クライさんいわく、ワタシたちがハナさんと引きずり込まれた裏側の世界で、ハナさんが閉じ込められていた部屋にあったという。


 あの日、ハナさんはウアが事件の犯人ということ、そして、本当の思いに気づき、悲しみを爆発させた。


 ワタシたちが事件の真相を追い求めて鳥羽差市を巡っていた中で……ハナさんは部屋に籠もり、抱え続けていた。


 そして……ワタシにウアとの思い出を話したその日……マンションから飛び降りた。




 ハナさんがウアからの思いに心をむしばまれた一方、


 ウアも、お母さまのひとり娘によって、むしばまれたのではないか。




 あの映像を見たウアが、なにを思ったのか……正確にはわからない。


 だけど、あの10年前の事件がウアを狂わせたことだけはわかる。


 そして、それを助長させたのは……この映像だ。




 お母さまのひとり娘がお父さまバフォメットをそそのかし、引き起こした事件。


 その事件の計画を考えたのは……




 お母さまだった。










「……」「……」


 お母さまの寝室の中で、マウとクライさんは絶句していた。


 無意識に胸に手を当てていたワタシは手を離し、お母さまの顔を見た。




「よかった……あの子、ちゃんと自分らしさを伝えられていたのね……!」




 お母さまのその目は、穏やかだった。

 それでいて、作品を見て感激するかのように……輝いていた。




「そんな予感はしていた……鳥羽差市での事件を耳に挟んでから……あの子が作り上げた10年前の事件の……影響を受けているんじゃないかって……」


 クライさんがスマホの紋章を構えていた位置から、ワタシへと移し……


 ワタシの胴体を、ぬいぐるみのように抱きしめた。


「だけど確信した……あの子の影響が確かにあることを……実感したわ……私が考提案した案を……あの子はバフォメットとともに作り上げたものを……女の子は受け継いでくれた」


 お母さまがワタシの頬を手で添えて、見つめてくる。


「そして……その事件をあなた……イザホが体験した。あの子の意思をついた女の子が……あの子とバフォメットが作り上げたの……!」


 その顔は、もうやり残しがないと言わんばかりに、晴れやかだった。


「イザホ……あなたが存在することが……!! あの子が存在した証であり、その影響を受けた女の子が存在した証……!!」


 頬から伝わる温かさは、たしかに愛情があった。


「あなたは……私の最高の作品よ……!!」


 受け取りたくないのに、たしかに愛情があった。




 ……いやだ。




 この愛情は、受け取りたくない。




 お母さまが、10年前の事件の元凶だったという事実が。


 ワタシが作られた理由が、お母さまたちの狂気によるものだったなんて。


 ワタシのせいで、10年にわたる苦しみを、人間たちに与えていたなんて!




 ワタシは……助けを求めるようにマウとクライさんを見た。


「……アリスさん。あなたが10年前の事件の指示をしていたことが明らかになりましたが……逮捕することはできません。時候ですから……」

「ええ。それにもうすぐ私は病で死にます。だけど逮捕されたって、私にはもう後悔なんてありません」

「っ……」


 クライさん……悔しそうに拳を握りしめないで……!!


「……イザホのお母さん……いや、アリスさん。どうして……そんなに笑っていられるの? ……死んだ人たちのこと、どうなるの――」

「もちろん、悲しいことよ? だけど後悔はまったくないわ。あの人たちは作品となって……確実に受け継がれているのだから……!」

「……」


 マウ……どうして黙っちゃうの……!

 ウアに叫んだように……言い返してよ……!!




 ああ、お母さまは幸せな顔でワタシを見てくる。


 お母さまからの歪んだ愛情が、ワタシに注がれる。




 力が入らない……

 否定しようにも、否定するための気力が……ない……




 ワタシの人格の紋章は、覚悟できなかったんだ。

 このお屋敷に来るまで、予測できていたのに……




 ワタシに役割を与えてくれたお母さまを、裏切ってはいけない。


 裏切ったら、ワタシの作られた意味を否定してしまうから……!!




 役割という見えない紋章が、自立したはずのワタシを縛り付けていた……




 ああ、声がほしい。


 この手を振り払う力を与える、声がほしい。


 お母さまを否定するための、声がほしい。


 お母さまが間違っていることをはっきりさせる、声がほしい。


 ワタシらしくいるための、声がほしい……




「イザホ、あとでゆっくり伝えてあげるわね……あの子が作品を作った、きっかけを……」




 ワタシは、幸せそうに抱きしめるお母さまの顔を、


 本当に人形になったように、ただ見つめることしかできなかった。




次回 最終話

12月31日(土) 完結

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