最終話 お母さま




 ……あれから、何時間経ったんだろう。


 お母さまの言っていたことが受け入れられなくて、


 だけど、完全には否定できなくて……




 ワタシの胸に埋め込まれていた知能の紋章は、思考を止めていた。




 ふと我に返り、辺りを見渡すと……

 そこは、ワタシがお屋敷で暮らしていた時に寝ていた寝室。


 ワタシはマウと一緒に、ベッドの中に入っていた。

 隣でパジャマ姿のマウは、まぶたを閉じて寝息を立てている。なんどか、寝返りを打っていたけど……あまり熟睡できていないみたい。

 クライさんは、別の部屋にある客人用寝室で寝ているはずだ。


 窓の外を見ると……暗闇……

 いや、うっすらと明るくなりはじめている。


 ワタシたちはこのお母さまの住むお屋敷で一晩泊まることになった。

 鳥羽差市を出たのがお昼になってしまったため、お屋敷から帰ろうとした時には夕方になっていた。そこでお母さまがここで泊まることを提案したのだ……




 ふと、誰かの視線を感じたような気がして、ワタシはもう一度辺りを見渡した。


 ……なんということはない。

 この部屋にいるのは、ワタシとマウだけ……










「ハハ……ワレニ……期待シテイタ……」










 !!!

 聞こえてきた声に、ワタシの義眼は扉に向けられた!!


 窓にいたのは……


 ローブを身にまとい、羊の頭を被った大男……




「ハハ……ワレニ指示シタ……コノ人間タチデ……ソシテ……ハハモ使ッテ……ワレ……ナニモワカラズ……従ッタ」




 バフォメットお父さまだった。

 お父さまは、こちらを振り向いてワタシの顔を見つめ……扉の奥へと、吸い込まれていった……










 待ってッッ!!!










 気づくとワタシは、寝室の扉を開き、廊下に立っていた。


 横を振り向くと……炎に包まれたお父さまが、階段を下りていくのが見える。




「短かったけど、本当に、楽しかった」




 階段の前で、お父さまは振り返る。


 先ほどとは違って、はっきりした声……

 いや……これは……




 ワタシが作り出した、幻聴だ。


 ワタシがお父さまを目の前で失う時に、ワタシの願望が作り出した……幻聴だ。




 そして今……目の前に立っているお父さまも、ワタシの幻覚。

 そのことに気づいた瞬間、お父さまの姿にノイズがかかり、消えた。




 幽霊なんて、存在しない。


 1度失われたものは、もう元の形には戻れない。


 目の前にあったのも、最後に見たお父さまの姿を再生した映像が、ワタシの義眼から映し出された映像に混ざり込んだだけ……




 ふと、ワタシは小さな右腕に埋め込んだバックパックの紋章を見た。




 ワタシの小さな右腕……

 お母さまのひとり娘が、誰かのことを思い出してほしいと教えてくれた気がした。




「イザホ?」




 階段の下を見ると……


 手すりに手をそえたお母さまが、ワタシに笑みを浮かべていた。











「ちょっとトイレに行くつもりだったけど……帰りは楽で助かったわ」




 ワタシはお母さまに肩を貸し、お母さまの寝室まで連れて行った。

 お母さまの様態はワタシたちがお屋敷を出て行ってからさらに悪化していたみたいで、寝室に戻る途中でなんどもせき込んでいた。




 空の皿とナイフとフォークが置かれたテーブルのそばで、ワタシはお母さまをベッドに寝かせる。

 さっきまでお母さまは、食事を取っていたみたい。久しぶりに食欲がわいたって……お母さまは嬉しそうに語っていた。


「そういえばイザホ……まだ言ってなかったわね」


 お母さまは窓に映る小さな朝日を見つめながらつぶやいた。


「あの子が作品を作ったきっかけ……そして、あなたを作る時に込めた……私の思い」


 ……たしかに、まだ聞いていなかった。

 あの時、胸の中がまっ白になったワタシはその後のことを覚えていなかったけど……




「……私は昔から、いろんな人にレッテルを貼られ続けて生きてきた。1度ついたレッテルは2度と剥がれない。だから、このレッテルを……紋章のように、活かしたかった」











 お母さまは昔……たくさんの人からさげずまれて生きていたという。


 お母さまはかつて、5人の男性と結婚していた。

 だけどそのうちの4人は結婚してすぐに死んでしまった。


 財産目当てで結婚したあの女と結婚すると、殺される。


 おかしなウワサ話は周りから住んでいた地域へと広まり、やがてお母さまはたくさんの人から人殺しの目で見られるようになり……最終的には、命の危機にまで迫られたという。


 そこでお母さまは、住んでいた地域を離れた。

 長い長い距離を旅して……やがて、お母さまと同じように頼りになる人を失った……行く当てのない人たちと出会い、自身の存在理由に気づいた。


 そしてお母さまは、ようやく自分の力を発揮することができた。

 お母さまのおかげで、たくさんの人を救うことができて……


 5人目の夫と結婚し、ひとり娘を産んだ。

 結局、その5人目も死んでしまったけど……今までとは違って、穏やかな別れだったという。


 それからお母さまは、満ちあふれるぐらいの愛をひとり娘に注いだ。

 ひとり娘はそれに答えるように育ち、若くして紋章の研究者となった。


 だけど、その技術を結晶した……作られた物バフォメットは……認められなかった。


 務めていた紋章研究所も廃棄され、失敗作バフォメットの責任者でもあったために他の研究員から恨まれた目で見られ……今までなに不自由せずに生きてこれたお母さまのひとり娘は、はじめての挫折を経験した。

 その様子を見ていて……お母さまは過去の自分と重ね合わせた。




「かつての夫たちが死んで……私が疑われた時……私は、本当に人殺しだって思いかけていた……だからこそ、イザホを作ることを思い浮かんだのかしらね」


 お母さまは窓を見つめながら、過去を振り返るように……

 だけど、後悔も罪悪感もないような、満足そうな笑みを浮かべていた。


「記憶を引き継がない、あの子の生まれ変わりを作ること……それは、あの子にかけられた呪いレッテルから解放して、失敗作バフォメットを殺人鬼というふさわしい役割に日の目に当てる……そして、そんな悲劇で犠牲になった者たちから生まれた、美しい作品……それがイザホ、あなたよ」




 ……




「あら、イザホ……なにか伝えたいの?」




 ワタシは、スマホの紋章を起動させ、文字を打ち込み、


 お母さまに文字を見せた。




 ワタシに声を埋め込まなかったのは、どんな意味が込められているの?




 ワタシが作られたきっかけのように、声を埋め込まなかった理由はあるよね?




「……イザホ、あなたの名前は昔のお友達から取った話……覚えてる?」


 そう言いながら、お母さまは胸元から、羊の形をしたペンダントを取り出した。

 たしか……ワタシがはじめてお屋敷に来た時に、見せてくれたものだ。その友人の名前から、イザホという名前が付けられたはずだ。


「そのお友達はね。私が旅をしている時に出会った子なの。その子は私のようにレッテルを貼られることを恐れていた。毎日お友達の仲間が周りの人々からの罵倒を受けながらつるし上げられるのを見て、みんなから声がなくなればいい……そう思うようになったの」


 お母さまは懐かしいそうにほほえみ、「シェイネーちゃんにも見せてあげたい」と小声で友人の名前をつぶやいた。


「ふしぎなこともあるの……私の娘もね、同じことを言っていた。他の研究員、そしてウワサ話をする住民たちの声を聞いて……みんなの声が怖くなったって。そして、失敗作バフォメットからかけられる不完全な声を聞いて……なんども自分の劣等を感じていた」


 ……


「それで、あの子は私に頼んだの。こんど作る作品には……声を埋め込まないで……って」


 お母さまは、そっとワタシの頬に手をふれた。


「イザホ……あなたはあの子とバフォメット、そしてシェイネー……“イサポー・シェイネ”ちゃんのオマージュを受けた、私の大切な作品よ……」




 お母さまは、ワタシを静かに抱きしめようと手を伸ばした。




 ワタシは……お母さまの手に触れ……






















 その手を、突き飛ばした。


















「……!?」


 お母さまの目の中にある瞳孔が、小さくなった。


 そしてすぐに、笑顔を作った。


「……イザホ、だいじょうぶよ。あなたにだってわかるもの。あなただって、あの事件を通してオマージュを……」




 再び伸ばしてきた手を、今度は右手で力強く振り払う。




 ワタシの小さな右手お母さまのひとり娘が、ペチンと心地よい音を鳴らした。

 



「……??」




 お母さま、気がつくかな。


 火葬場で突き飛ばした時は、ワタシの人格がパニックを起こしたための事故。


 そしてこれは……ワタシ自身が、お母さまを拒絶するための故意。




「イザホ……?」




 ワタシは、バックパックの紋章から……

 サバトのシープルさんから受け取っていた、黒い箱を取り出し……


 その箱のフタをあける。




「!!!」





 中に入っていたのは、棒状の焼き印。

 紋章を埋め込むために使う物だ。箱の底には、魔術の材料を黒色の液体状にしたものがたまっている。

 その焼き印を取り出し、お母さまに焼き印の先を見せる。




「それは……声の……紋章……ッ!」




 ワタシは焼き印の反対側にあるスイッチに触れる。




「っめ……だめっ――」




 焼き印が紫色に発光した瞬間、ワタシの人格の中にある悪魔が満面の笑みを浮かべた。




「――だめえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!」




 目を見開いたお母さまに押し倒されるなか、


 ワタシの右手に握った焼き印が、刃物のように輝いた。




 ……これでいい。




 背中が地面に激突した感覚を感じる瞬間に、




 ワタシはまぶたを閉じ、両手を“首”に引き寄せ、




 声帯の入っていない喉に、入刀した。










「あ……ああ……! あああああ……!!!」




 ベッドから落ちたお母さまが、ワタシの顔をのぞき込む。


 その表情……

 自分の望むものが作れなくて……悔しさを超えて……怒りと衝撃とやるせなさが含んだその顔……




 ああ……




 作れたんだ……「……」




 ワタシは……自分がなりたい自分を……「……ぁ」




 お母さまの意思ではなく……「……ぁ……ぁ……」




 作り物の人格が願った意思で……!!「……ぁは……」










「あはは!!! あはははははははは!!」




 ワタシの喉から、声が再生された。


 ウアの声だ。

 10年前の事件で生き残り、胸に抱えていた思いを表現するために……現代の事件を引き起こした……ウアの声。


 その思いを、オマージュとして……ワタシの声に取り入れた!!




「……」

「お母さま」




 ワタシは、頬に伝わるお母さまの涙を受けながら、声をかけ、


 手を伸ばす……




「っ?」

「……さわるなああああああぁぁッッッッッ!!」




 お母さまはワタシの手を振り払い……


 テーブルの上に置いていたナイフを手に取った!!




「失敗作だ……失敗作だ……!!」




「私たちにヘドロと同等の言葉を塗りつける声を持った……なんの品も感じられない失敗作が……私に気安く触るなあああああああああああああああああああああああ!!!!!」




 胸に向かって振り下ろされたそのナイフを、




 ワタシは、右手で受け止めた。




「ぁ……」

「……」




 手のひらは、ナイフで貫かれた。


 お母さまのひとり娘の手が、お母さまの手によって貫かれた。




「お母さま、どうしてそんなに震えてるの?」

「あ……あ……」




 ワタシはやさしく声をかけながらゆっくりと起き上がり、お母さまをベッドに戻してあげる。

 胸元に、青く光るなにかが見えた。


「お母さま、そんなに自分の娘を傷つけたことが、怖いの?」

「あ……」


 お母さまはベッドの上で、まるで子鹿のようにおびえる。


「お母さまは、そんなに自分の娘から非難の言葉をかけられるのが、怖かったの?」

「あ……あああ……!!」


 お母さまを安心させるために、満面の微笑みを見せよう。


「安心して、お母さま」


 そして、手のひらからナイフを引き抜いて……




作者に従順な箱入り娘お母さまのひとり娘なら、こんなことはしないでしょ?」




 お母さまの胸元に、かすり傷をつけた。




「これは、ほんの少しの復讐だよ。お母さま」




 その傷は、胸元に埋め込まれていた紋章を傷つける。




「あ……ぃや……いや……!」




 その紋章は、Tシャツの形をした紋章……




 姿の紋章。




「いやぁ……いやぁ……!!!」

「そんなことないと思うよ? みんなに認められるような作品が出来上がる前にその芽をつぶしてきた、魔女のようなおまえにはぴったりだよ」




 お母さまの姿は、いつの間にかシワだらけの老婆に変わっていた。


 ずっと、姿を変えて隠していたんだ。

 いつ病で倒れてもおかしくない、骨が浮き出たその体を。




「もう……やめて……黙って……!! あなたは……そんな子じゃない……!」

「お母さま? ワタシのこと、お母さまにとって失敗作じゃなかったの?」




 手に持ったナイフを、テーブルの側に置く。




「お母さま、言っていたよね。敬意オマージュは……他の誰かから影響を受けて、自分を作り上げること。自分は、自分では作れないって」

「……」



 そして、なにも言えなくなり……声を失ったお母さまを、


 左右で形の違う両腕で、抱きしめた。




「でもワタシは、自分で作るよ。どの敬意オマージュを……どの紋章を使うのかは、他人が決めるんじゃない」




 10年前で犠牲になった……6人の犠牲者たちで出来た体。


 フジマルさん、スイホさん、テイさん、テツヤさん、ナルサさん、ウア……

 この事件で、命を落とした人間たち。


 そして……過去の罪を背負いながらも、ワタシのお父さまになれた、バフォメット。


 鳥羽差市で出会った人たちの思いでワタシを作れば、


 その人が存在していたということを、誰かに伝えられる。


 自分自身を作ろうとしているたくさんの誰かの、オマージュになれる。




「お母さまですら考えていなかった作品を……ワタシ自身が作るから」




 ワタシは、お母さまの頭を撫でてあげた。




 それとともに、お屋敷の窓から光が入ってくる。


 その光が指し示す方向に、ワタシは顔を向けた。




「……おまえが広めた紋章が、この社会を発展させたようにね」




 光に照らされたのは、入り口の扉の隣に立てかけられた、人物画。


 シワだらけの本当の姿をしたお母さまの顔をした、若い女性。

 その下の名札に書かれていたのは……




【  アリス・キテラ  】

1324年19世紀




 紋章を広めたのは、自分を魔女狩りの生き残りと名乗る人物。


 そしてサバトの初代元締めは、13世紀から21世紀まで生きている魔女。










「そろそろ行くね、お母さま」


 ワタシはお母さまの頭をひと撫ですると、体を離し、扉に向かって歩き始める。




「まって……!!」




 扉に手をかけた瞬間、お母さまに呼び止められる。




「……いかないで……私の……私の……!!」




 ……ワタシは静かに振り返る。




「お母さま、ワタシはおまえの娘の代わりじゃない」




 生き返った元人間ゾンビではなく、




 ただの人格が宿った死体という名の作り物フランケンシュタインの怪物でもない。









 ワタシ自身がオマージュを選び、




 悪魔であっても自分を失うことなく逆に利用し、




 ワタシだけの作品を作る存在……












「ワタシは、【  フランケンシュタインの魔女  】だから」











 ワタシが扉を開け、閉じる音とともに、




 後ろで人が崩れる音が、聞こえたような気がした。










「イザホ」




 横を見ると、マウが壁に手をついてワタシを見上げていた。

 壁に耳を当てていたのかな。




「……これで、終わった……んだよね?」




 ワタシはうなずいて、マウと視線を合わせるためにしゃがんだ。




「ワタシたちの作品は、まだ終わっていないよ。マウ」




 はじめて聞く……ワタシの声の紋章から聞こえるウアの声に、マウは味わうようにまぶたを閉じ……




「そうだったね」




 目を開いて、ワタシの大きな左手をなでた。











「帰ろう。マウ」











 ワタシは、マウの頭に小さな右手を乗せた。




 それに答えるように、マウは目の紋章が埋め込まれた目を、ワタシに向けた。













「うん。ボクたちの、鳥羽差市に」





















【  ~Fin~  】
















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