第36話 二足歩行の猫

・イザホのメモ

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 運動場の倉庫の裏側。


「あー、ひろうのだるいなー」


 その紫色のツナギを着た黒猫は、地面に落ちた道具をバケツに入れ始めた。

 二足歩行で立っているその姿……マウと同じように、知能の紋章で立つことができているんだね。

 声も、喉に埋め込んだ声の紋章から聞こえてくる。


「フジマルさん、あの猫を知っているの?」

「ああ。彼の名前は“シープル”。建物に埋め込んだ紋章がちゃんと機能しているかの点検を行う“紋章整備士”だ」


 黒猫……シープルさんが入れている道具は、どれも紋章研究所で見たことがある。

 紋章研究所の所長であるテイさんが使っていたものとほぼ同じだ。


「ねー、もう帰っていいー?」


 シープルさんはすべての道具を拾い終えると、眠たそうに目をこすっていた。

 それに対してフジマルさんは「いや、聞きたいことがある」と首を振る。


「もしかして、怒ってるー?」

「いや、君がわざとぶつけたわけではないことはわかっている。私が聞きたいことは、アンのことだ」


 フジマルさんの顔は、たしかに怒っていない。

 ワタシはマウと一緒に、フジマルさんが情報を聞き出す過程を見ることにした。


「シープル。君は定期点検でよくこの学校に訪れているとリズから聞いたことがある。今日も定期点検だとしたら……ここはいつも通るルートなのか?」


 シープルさんは尻尾の横に揺らした。

 なんだか、機嫌がいいわけではなさそう。




「フジマルさん、あの子を見かけているのか聞きたい時は、素直にそう言ってよー。オイラ、回りくどいのは面倒くさいんだよねー」




 それって!? 「知っているの!?」「見かけたのか!?」


 ワタシたちに一斉に詰め寄られても、シープルさんは気にせず目をこすっていた。




 シープルさんは、別の場所に向かう近道としてこの辺りをよく通っていたらしい。


 そこで、アンさんを見かけていたそうだ。

 アンさんはほとんどの昼休みにこの場所に来て、本を開いていた。


 そして、開きっぱなしの本を残して、毎回姿を消しているのだという。




「……シープルさんは、止めたり誰かに報告したりはしなかったの?」


 一回り小さいマウがたずねると、一回り大きいシープルさんはため息をついた。


「面倒くさいじゃーん。止めたりしたら話が長くなりそうだしー、報告したら説明がややこしいしー。第一、オイラはただの整備士だからねー」


 ……たしかに、シープルさんは紋章の点検に来ているだけだ。

 ワタシは困った人がいたら助けて上げなさいとお母さまに言われているけど、シープルさんは同じように言われていない可能性がある。


「ただ、あの子は別の場所で見たことがあるよー。たしか、美術室だったかなー」


 美術室?

 ワタシはマウとフジマルさんに顔を向けて聞いてみる。


「絵や彫刻などを作る“芸術”という授業で使われている教室だよ」

「ああ。ここでは北舎2階にあるな! よし、そっちに向かったとみて、さっそく向かおう!」


 ワタシたちは北舎に向かって歩き始めた……




「誰かここに残らなくてもいいのー?」




 ……と思ったけど、後ろからシープルさんに呼び止められた。

 フジマルさんは軽く後ろを振り返る。


「その必要はない。アンがここに戻ってくる可能性は極めて少な……」




 その時、シープルさんは右手を上げた。


 ピンク色の肉球をこちらに向けて、ツメを右から3本だけ伸ばしている。




「……いや、万が一、あるかもしれない」

「え!?」


 それを見たフジマルさんは、すぐに考えを変えた。

 予測できなかったのか、マウはびっくりしてフジマルさんに首を向けた。


「でも、仮に戻るとしても、ここにいたら警戒するんじゃ……」

「それについては心配する必要はない。アンに見つからない場所で張り込みをしておく。ふたりは美術室に向かってくれないか?」


 マウは困惑したようにワタシを見た。


 フジマルさんがいきなり意見を変えたのには驚いたけど……たしかに、ここに戻ってくる可能性はゼロとは言い切れない。

 シープルさんの意見ももっともだ。


 ワタシは安心させるようにうなずくと、マウは答えるようにうなずいて返してくれた。


「それじゃあ、なにかあったら無線の紋章で連絡してね」

「ああ! そっちも頼んだぞ!」




 ワタシとマウは、フジマルさんとシープルさんを残して北舎へと向かった。












 幸いなことに、美術室は北舎の2階の階段のすぐ近くだった。

 正直、迷わないか心配だった。




「いちおう、昼休みは解放しているんだね。誰もいないけど」


 マウの言う通り、美術室には誰もいなかった。


 ただ、教卓と机が並べられているだけ。

 その後ろの棚には、生徒の作品と思われる絵が飾られていた。


 どれも、水彩絵の具で描かれた絵だ。


「なんだか、ウアさんの部屋を思い出すね」


 マウが遠くから絵を見ながらつぶやいた。

 棚の近くだと、背の高さで見えないからね。


 たしかに、ハナさんとウアさんの実家……マンション・ヴェルケーロシニの1002号室には、水彩画が置かれた誰かの自室があった。

 おそらくあの自室は、ウアさんの部屋だろう。




 ふと、並べられた水彩画のひとつに、ワタシは目を引き寄せられた。




 その絵は、街並みを描いたもの。


 山とビルが建ち並ぶ鳥羽差市の絶景。


 東から照らす太陽までもが、まるで輝いて見える。




 これは、マンション・ヴェルケーロシニの10階のベランダから見た景色だ。




 マウを持ち上げて見せてあげよう。


「!! この絵って、もしかして……」


 ……うん。やっぱりそうだよね。




 その水彩画の側には名札が置かれている。

 タイトルは書かれていなかったけど、その名前は期待通りの人物だった。




 “阿比咲 有愛”











「……なにしているんです?」


 後ろから声をかけられて、思わず飛び上がってしまった。






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