第27話 親孝行したいときに親はなし




 研究室のベッドの上で、テイさんの言葉にワタシはしばらくの間、ワタシの左足にしか目が向けられなかった。


「母さん? それじゃあ、イザホの左足は……」


 マウが代わりに聞いてくれると、テイさんは「そう」とうなずいた。


「イザホの左足は、うちの母さん。うちは、イザホの左足の持ち主の娘なんよ」


 この人が……左足の持ち主と関わりのある……娘……?


 ようやく会えた。10年前の事件に深い関わりのある人……!


 10年前の事件について、話が聞ける人……!


「問い詰めているみたいで悪いけんど……うちから聞かせてもらえる? どうしてアンタが、この鳥羽差市に戻ってきたん?」


 ワタシはマウに顔を向けて、うなずいた。

 話していいよ。10年前の事件について聞けるから……

 ワタシの存在する意味を見つけるために、必要なことだから……!!


「イザホ、ちょっと興奮しているね。イザホのことについてはボクが説明するから、これまでのことをメモに書いたら?」


・イザホのメモ

https://kakuyomu.jp/shared_drafts/2lTPPI7y44LDjZJZCtsEU7TWkXJKT9Tv




「余命宣告を受けた引き取り親を安心させるためにふたりで自立……その自立先を選んだわけは、自分の存在理由を確かめるため……なるほどねえ」


 スマホの紋章のメモを記入して、少し頭……というより胸の紋章を冷やしていると、テイさんは納得したようにうなずいていた。


「それじゃあ、アンタは被害者の遺族に話を聞きたいってわけやね。でも人によっては、傷跡に塩を塗るような行為でもあるんやけど」


 テイさんの言葉に、ワタシは昨日の出来事を思い出した。


 ワタシの左腕の持ち主の妻……紋章会社の社長であるハナさんは、10年前の事件で夫を失った。

 それによって傷ついた心を支えてくれていた娘のウアさんまで失ったことによって、隠していた悲しみを抱えきれなくなり、吐き出した。

 ハナさんのように、10年前の事件で傷ついている人もいる。確かに、傷跡に塩を塗るような行為なのかもしれない。


 だけど、10年前の事件を知ることを避けたら、ワタシは自立できたと胸を張って言えない。


「テイさん……やっぱり、この話はキツかった?」

「なにいっとんの。アンタたちの正体を知ってから、うちは話す気マンマンやからね。なんせ、あの事件以来会えなかったうちの母さんが、左足だけとはいえここにいるんやからね!」


 笑顔を作ったテイさんは、ワタシに向かってテイさんの母親のことについて話し始めた。




 テイさんの母親は、10年前のキャンプに参加した。

 その理由は、人付き合いの仕方を学ぶためだった。今まで人付き合いの悪かったテイさんの母親は、娘のために自分を変えようと、他人の関わり合う機会に自ら参加したのだった。

 当時大学生だったテイさんは鳥羽差市にはいなかったため、その事実を知ったのは殺人事件による訃報を聞いて帰省した時だった。




「……うちが紋章の研究を行う大学に進学するときに怒鳴られた大声……あれが、うちにとって最後の母さんの言葉やったんよ」


 テイさんはワタシの左足をポンポンと軽くたたく。


「さっきから人付き合いの悪いって言っているけど……もしかして、大学に行くことに否定的だったのも関係がある?」

「ええ……まあね……」


 テイさんはワタシと目を合わせる。


 ワタシの義眼に埋め込まれている、目の紋章を鑑賞するように。




「うちの母さん……生まれつき、紋章が埋め込められない体だったの」




 紋章が埋め込められない体……?


「……ああ、そっか」


 マウはわかっているみたい。どういうことなの?


「イザホ、テイさんのお母さんは、紋章アレルギーなんだ」


 紋章アレルギー……かつてマウから聞いたことがあるような気がする。

 たしか、紋章を埋め込むと体が拒絶反応を起こして、よくて呼吸困難……最悪死に至るアレルギー反応だったような気がする。


 その後、テイさんは話を続けた。




 人間は赤ちゃんのころに、紋章を埋め込んでもアレルギー反応を起こさないか、微量の魔力を埋め込んでみて確かめるらしい。それに引っかかったテイさんの母親は、ずっと紋章を埋め込まずに生きてきた。

 しかし、周りが紋章によって発達していくにつれて、紋章を埋め込んでいないテイさんの母親は次第に孤立し、紋章を嫌うようになった。


 娘であるテイさんは、生まれながらの新しい物好きだった。そのため紋章に関心を示し、次第に紋章を嫌う母親に反抗するようになった。


 そして、自分に反抗していた娘が、ついに家を出て行った。

 その経験が、テイさんの母親が自分を見つめ直すきっかけになったのではないか……テイさんの親戚は、そう考えていたそうだ。




「……アンタたち、うちがなにかたくらんでいるって、疑っていただろう? 実は左足にはなんも紋章は埋め込まない。ただ、じっくり見たかっただけなんよ」


 そう言ってテイさんはひとりで笑った。

 確かによく考えると、足に紋章を埋め込んでも何かあったときにすぐに触れられない。護身用には向いていない位置のような気がする。


「……」


 あんなにテイさんのことが嫌いだって言っていたマウは、すっかり黙り込んでいる。どうしたのかな……?


 語り終えたテイさんは一息つくと、再びワゴンの前に移動し始めた。


「紋章は、誰もが使っている“便利で生活に欠かせない”道具だってよく勘違いされる。でもそうじゃない。誰もが使えるってわけじゃないんよ」


 テイさんがワゴンの前で焼き印を取り出したころ、マウは戸惑ったように足元を見ていた。


「うちが考える紋章……それは、体の一部。誰しもが五体満足であるとは限らない……でも、決して簡単じゃないけど、足りないものを他で補うことはできる。だからかねえ……うちが紋章にひかれるようになったんの」


 焼き印を片手に、もう片方の手でワタシの左足……ではなく、右手を押さえる。


「今まで人の技量に左右された紋章の埋め込み……うちが提案した焼き印の方法で、どの紋章でも安定して埋め込めるようになった。そのずっと前から、いつかはアレルギー反応を起こさない紋章が作れたら……そう思って、うちはこの仕事をしているんよ」




 ワタシの右手の甲に、稲妻の形をした紋章が埋め込まれた。


 “スタンロットの紋章”


 この紋章をテイさんの指示に従っていた起動させてみると、右手の人差し指から半透明の黄色い棒が伸びてきた。

 半透明の棒に触れると、護身用のスタンガンと同じぐらいの電流が流れるという。

 マウの右手にも、同じものが埋め込まれた。


 その後、ワタシとマウの左の手の甲に、盾の形をした紋章が埋め込まれた。

 この“盾の紋章”に触れると、半透明の小さな壁のようなものが手首まで展開された。この半透明の盾は、どんなものでも突き通さないという。


「それじゃあ、どんなものでも突き通してしまう矛は?」


 ようやくしゃべったマウの冗談に、ワタシとテイさんは思わず一緒に笑った。




「最後にちょっとお願い、いいかえ? その……アンタの人格の紋章……見せてもらいたいんやけど」


 テイさんが手を合わせてきたので、ワタシは思わずマウの顔を見ちゃった。


「イザホに任せるよ。嫌だったら、断ってもいいんだよ?」


 断る理由なんてない。

 ワタシは首元からテイさんにのぞかせ、胸の周りに巻かれた保護用の包帯を見せた。包帯の上からも、紋章の光は確認できるからだ。


「……この紋章、焼き印ではなくペンで直接埋め込まれたものやねえ。だけど、すごく丁寧に奇麗な形になってる」


 テイさんの表情は、大好きな人と久しぶりに会う時のものから、その大好きな人の子供を見ているような表情になっていた。


「ねえテイさん……こっちもお願い、いいかな? ボクたちが調査している事件についてなんだけど……」


 テイさんは少し考えた様子だったけど、その後「10年前の事件に関係があるなら、ちょっぴりだけ興味あるねえ」と了承してくれた。




 マウはテイさんに事件の内容を改めて説明し、ウアさんとの関係性についてたずねた。


「……残念やけど、その子の顔は覚えていないんよ。この研究所に見学なら来ているかもしれんけど、うちはまったく顔なんて見ないから」


 ワタシがスマホの紋章でウアさんの写真を見せても、ピンと来なかったらしい。


「ただ、1カ月前……ある学校の社会見学に来ていた時に、妙な事件が起きていたんよ」


 妙な事件……? 「それって……?」




「焼き印と魔力の材料、そして資料の一部が、盗まれたんのよ」




「……それって警察に連絡した?」


 マウが恐る恐るたずねると、テイさんは「いちおうね」と答える。


「ただ、その時うちは実験に夢中やったから、どうでもよかったんよ。アグスはさすがにまずいって言ってたけどねえ。それに資料だけはすぐに研究所で見つかったし、焼き印に関してはどれも換えのものがあったから困らなかったからねえ」


 もしかして、裏側の世界に使われていた紋章って、この紋章研究所から持ち出したもの……!?


「ねえテイさん、具体的にはどんなものがなくなっていたの?」

「ああ、ちょっと待ってて。その時の紛失リストが資料室のどこかにあったはずやから」


 テイさんは研究室の出入り口の扉に向かおうとしたけど、「あ」とひと声上げてこちらに振り向いた。


「そういえば昨日、夜遅くだというのにフジマルがここに来て変な用紙を渡していたねえ。羊の形をした跡が残っていた紙が」


 羊の紋章だ! おととい、初めて裏側の世界に引きずり込まれた時の羊の紋章。

 昨日、喫茶店セイラムに訪れていた時にフジマルさんが回収していたんだった。


「あの紋章、正体はわかったの?」

「いや、見たことない紋章やったからねえ。昨日は夜遅くだったから後日メールで説明するとフジマルから言われたけど、興味がなかったから放置していた……だいじょうぶ、ちゃんと見ておくき」




 そう告げて、テイさんは研究室から立ち去った。











 テイさんの帰りを待ち続けて30分後、




 カチリ、という音が部屋に響き渡った。




 テイさんはまだ、帰ってこない。


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