第28話 振り子と赤い雨
・イザホのメモ
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さっきからワタシは、ドアノブを何度も回している。
音が鳴って、なにも開かずに疑問に思って、ドアノブに触れた時から……
研究室の出入り口の扉は、固く閉ざされていたのだ。
ずっと……なんどもノブを回しても、開く気配はない。
この扉には内鍵がない。だから、外側から何者かにカギをかけられたのだ。
「イザホ! マウ! 今、扉の前に来たぞ!」
耳たぶに埋め込んだ無線の紋章から、フジマルさんの声が聞こえてきた。
さっき、マウが無線の紋章で助けを呼んだんだ。
「フジマルさん! どうなってるの!?」
「まずは落ち着くんだ! 今から調べる!」
フジマルさんは慌てるマウを落ち着かせ、しばらく黙ったのち、再び声を出す。
「……ご丁寧に、カギ穴に接着剤を流し込んでいるな。ピッキングも無理とするならば……」
ドン、ドンと、扉の向こうから物音が聞こえてきた。
フジマルさんが、扉に向かって体当たりをしているんだ。
でも、扉はビクともしない。
「ぜえ……ぜえ……す、すまない! ちょっと休ませてくれ……」
フジマルさんの息を切らす音が、無線の紋章と扉の向こう側から聞こえてくる。
「ねえフジマルさん、スイホさんたちは呼べないの!?」
たしかに、刑事のスイホさんやクライさんなら、この扉を開ける方法を思いついてくれるかも。
でも、フジマルさんの切らす息は、疲労から申し訳がない無力感へと変わっていった。
「実は……会議室でも異変が起きていたところなんだ……」
ワタシたちがが研究室に向かってから、会議室にはフジマルさん、スイホさん、クライさんの3人が残された。
しばらくしてから、アグスさんが自分を含めた4人分のストレートティーを持って会議室に戻ってきた。
それぞれ紙コップにそそがれた後、フジマルさんを除いた3人がそれぞれストレートティーを口に流し込んだ。
フジマルさんだけ、香りをじっくり楽しもうとすぐには口にしなかった。
その後、ストレートティーを飲んだ3人は一斉に机の上にうつぶせとなった。
飲まなかったフジマルさんが3人の体を揺すっても目を覚まさず、連絡をしようとした直後に、マウからのSOSが入った……
「それって、いわゆる睡眠薬?」
マウがたずねると、フジマルさんは「間違いない……」と答える。
ほんの少しだけ、息を切らす感覚が長くなっているような気がする。
「これは……事件の可能性が高い。イザホとマウを閉じ込め、私を除いた関係者を眠らせているのだからな」
ふと、テイさんの顔が思い浮かんだ。
――やっぱりおかしいよねえ。この左足がうちの母さんのものだってわかったときから、妙に初対面の相手を懐かしく思えるんやから――
そして次に思い浮かんだのは、マンション・ヴェルゲーロシニでの裏側の世界で見た……
テイさんの人物画。
マウがスイッチの紋章に触れると床に落ちた、あの人物画だ。
「フジマルさん、テイさんは見かけなかった? 資料室に向かったはずなんだけど」
「テイの姿は見かけていないが……わかった、資料室だな? 見に行ってくる。そのついでにここの職員に助けを求めてみよう!」
フジマルさんの足音は、扉から離れていくように小さくなっていった。
……!!
背中に、なにかが当たった。
後ろを振り返っても、誰もいない。
あるのはベッドと置いていかれた医療用ワゴンだけだ。
たしかに、なにかをぶつけられたような感覚があったのに……
「イザホ、これ……ペイントボールじゃない?」
マウがワタシの背中を見てくれた。
白いパーカーを脱いで確認してみると、たしかに真っ赤な絵の具が付着している。なんだか、血液があふれ出たみたい。
たしかに後ろに誰かがいたはずだ。姿が見えないのは……きっとどこかに隠れているから。
ワタシはパーカーを着直して、
マウとともに、後ろのベッドに近づくことにした。
「……やっぱり」
ベッドの下を調べていたマウが、ため息をついた。
ベッドの裏側には、例の“羊の紋章”が緑色に輝いて埋め込まれていた。
無線の紋章から、フジマルさんが冷静になろうと落ち着かせる息が聞こえてきた。
「イザホ、マウ、資料室を訪れたが……テイの姿はどこにもいなかった!」
やっぱり……テイさんは……
「フジマルさん? こっちもまずいかも……今、羊の紋章を発見しちゃった……」
「なにっ……!? わかった! ふたりとも、絶対にその紋章に触れずに、扉の前でじっとしているんだ!」
マウが判断を委ねるように、こちらを見てくる。
ワタシは自分の意見をスマホの紋章のメモに記入し、マウに見せた。
「……悪いけど、ボクたちはこの羊の紋章に触れたほうがいいと思ってる」
「!? だめだ!! それはワナだっ!!」
たしかに、この羊の紋章はワナだ。
ワタシたちが入ったところを、この事件の犯人は狙っているのだろう。
だけど、ワタシたちはこの密室に閉じ込められている。出口は閉ざされた扉以外、見当たらない。
先ほど、何者からペイントボールを投げつけられた。その人物は、いつでもこの密室に侵入し、襲いかかることができる。
ペイントボールを投げつけてきたときに襲わなかったのは疑問だけど、ここで待っていたら今度こそ襲ってくるのかもしれない。
この場から逃げ出せないのだから、危険は裏側の世界に向かうのと変わりない。
そしてなにより、テイさんの身が危ない。
姿が見えないのなら、なおさら……
マウがワタシの代わりにそのことを伝えてくれた。
「……わかった。ただ、今から私の指示をしっかりと聞くんだ。いいな?」
フジマルさんの声に、ワタシはマウと顔を合わせてうなずいた。
ここにフジマルさんはいないけど。
「まず、ふたりともスマホの紋章からカメラのアプリを開き、録画を開始してくれ」
指示に従い、ワタシとマウはスマホの紋章を操作し、録画を開始した。
ワタシの義眼に埋め込んである目の紋章で捉えた映像が、スマホの紋章のモニターに映され、その映像が動画として記録されている。
これなら、昨日のように写真に収める時と比べて、写真の写し忘れなども防げそう。
「次に、テイに埋め込んでもらった盾の紋章を起動させてくれ」
「スタンロットの紋章は?」
「いや、それは間違えて電流を流してしまう恐れがある。ただ、いつでも起動できるように心がけるんだ」
左手の盾の紋章を起動させ、半透明の盾を展開させる。
裏側の世界で何者かに襲われたら、これで身を守れるといいけど。
「最後に……決して
「わかってる。それじゃあ、いくよ」
ワタシは小さな右手でマウの左手とつなぎ、大きな左手で羊の紋章に触れた。
「……よっと」
今までとは違って、ワタシたちは自ら進んで裏側の世界へと侵入した。
真っ暗だったので懐中電灯をバックパックの紋章から取り出し、つけてみると、レンガの壁が四方に見えた。また、どこかの建物みたい。
前方には、扉が見える。
あの扉の向こうに、テイさんはいるのだろうか……
後ろを振り返り、壁に羊の紋章があることを確認する。
今回は雪の上で隠されたり、金網でふさがれたりはしていない。
「フジマルさん? 聞こえる?」
マウは無線の紋章で、フジマルさんとの連絡を試みた。
「ああ! 今のところはだいじょうぶか!?」
……よかった、つながった。
無線の紋章は次元をこえるという話は本当だったのかもしれない。
ふと、床に懐中電灯の光が当たった。
……なにか、絵が書かれていたような気がする。三日月かな……
その絵は、すぐに忘れてしまった。
マウの顔が視界に入ったから。
「……? イザホ、どうしたの?」
マウの紺色のキャップに、赤い液体が付着していた。
ワタシがそれを指さすと、マウは帽子を脱いで確認し、固まった。
「この匂い……ペイントボールなんかじゃない……」
その時、ワタシの右肩に雨粒が落ちてきた。
……その雨粒は、赤い。
再び地面を見てみると、赤い液体が雨粒のように床にしみこんでいる。
三日月の中を、染めるように。
その中に、髪を止める赤い髪ゴムが落ちていた。
マウと一緒に天井を見上げてみる。
天井は見えず、ただ歯車のような機械しか見えない。
天井ははるか上にあるのだろうか、塔のように。
その暗闇の中で揺れる、つるされた人影が見えた。
「テイ……さん……?」
つるされている人影は柱時計の振り子のように左右に揺れながら、
赤い雨粒を降らしていた。
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