第9話 マンション・ヴェルケーロシニ

・イザホのメモ

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「ねえイザホ、確か君はフジマルさんとあったことがあるんだよね?」


 エレベーターで10階から1階に下りている間、マウが不思議そうに声をかけてきた。

 確かにワタシは以前、一度だけフジマルさんに合ったことがある。あれはたしか、お母さまの親戚の葬式の時だったような……


「ボク、会ったことがないから、どんな人かなあって今日起きてからイザホを起こすまで思っていたんだよね。ボクの知っていることといえば、この街で私立探偵をしているぐらい……おっと、下りなきゃ」




 マウが指を指したエレベーターの階層ランプは、既に“1F”と表示していた。











 エレベーターからマウと一緒に下り、清潔感のある白で統一されたエントランスを通って管理人室の前に立つ。


「管理人さん、今日もいないね」


 管理人室の入り口の横に設置されている窓には、人影すらなかった。それどころか、家具も一切ない。

 扉の上についている“管理人室”という札がなければ、使われなくなった部屋かと思ってしまいそう。


「今日もタイミングが悪かったのかなあ……イザホ、また帰ってきた時にあいさつしよっか」


 窓をのぞくために持ち上げたマウを下ろすと、ワタシはうなずいて答えた。

 いないから、仕方ないよね。


 ワタシたちは玄関の自動ドアの前に立ち、マンション・ヴェルケーロシニから立ち去る……




 ……と思ったけど、足を止めた。




 管理人室の扉が開く音が聞こえてきたからだ。


「ちゃんとワタクシはいますよ」


 今の声は……マウの声じゃない。どこか大人びた低い声だ。

 後ろを振り返ってみると、管理人室の扉が開いていた。

 まるで、招き入れるように。


「……これって中に入ってもいいの?」


 大きな耳を扉に向けるマウの問いかけに、謎の声は「もちろん」と答えた。











 管理人室の中は、窓から見た時と同じように殺風景だった。


 もちろん、人影は誰1人いなかった。人影は。


「まさか、自分のことは自分で管理するマンションだとは思っていなかったよ……」


 入ってきた入り口の横の壁に、紋章がガラスケースに包まれて埋め込まれていた。

 知能の紋章に、人格の紋章、そして、唇の形をした“声の紋章”。


 ここの管理人……いや、このマンション・ヴェルケーロシニは、紋章によって命を吹き込まれていた。


 死体であるワタシと違うのは、動作の紋章がないかわりに声の紋章が埋め込まれていることだ。




「1004号室に入居された、屍江稻 異座穂シエイネ イザホ様とマウ様ですね」


 声帯の代わりを努める声の紋章が青色に輝き、どこか大人びた声が流れてくる。


「はじめまして、ワタクシの名は“ヴェルケーロシニ”。管理人として、おふたりの豊かな生活をサポートさせていただきます」


 丁寧にあいさつする管理人さんに対して、マウはちょっと戸惑っているように首をかしげていた。


「えっと、管理人さんはこのマンションそのものを指しているんでしょ? それじゃあ、昨日ボクたちがここに来たのも知っているんじゃないの?」

「ええ、確かに昨日、管理人室の前をおふたりが通るのを見かけました。本来ならばあいさつするべきでしたが、なんだかそれすらもしんどそうなほど疲れた様子でいらっしゃったので、そっとしておくことにしました」


 ……管理人さんなりの気遣い、なのかな?

 確かに、昨日は喫茶店セイラムの出来事があって、ここについたとたんに疲れを感じたけど。


「ところで、なにか相談したいことはございませんか? 住民の相談を聞くことも、管理人であるワタクシの役目でございますので」


 ああ、そうだ。管理人さんにあいさつついでに聞くことがあったんだった。

 マウと顔を合わせて、うなずく。


「今から朝食を取りたいんだけどさ、この辺りに美味しいお店とかある?」

「外食……ですか……」


 管理人さんは考えているように黙り混み、やがて、「あ」と声を上げた。


「おふたりは変わった店を好みますか?」

「変わった店? ボクはとにかく食べることができればどこでもいいんだけど……」


 マウがこちらに顔を向けたので、目元でワタシの意見を伝える。


「……イザホ、変わった店に興味があるの?」


 その通りだよ、という意味を込めてうなずく。

 せっかくだから、その変わった店に行ってみたいな。


「それでしたら、ここから出てすぐ向かい側にコインスナックがあります。そこには食べ物や飲み物の自動販売機が多数設置されており、中で食事のできるカウンター席もございます」


 コインスナック……ぜんぜん聞き慣れなれない言葉。

 それに、食べ物を売っている自動販売機ってあまり想像しにくい。


「自動販売機で売られている食べ物かあ……イザホ、言ってみる?」


 こちらを見るマウの目は、すごくキラキラしていた。

 ワタシも今、紋章が入った義眼がキラキラ輝いているのかな。

 もちろん、反対する理由はない。




「管理人さん、ありがとう。それじゃあ行ってくるね」

「ええ……ああ、少しお待ちください!」


 出入り口の扉に手をかけて、ワタシとマウは振り返った。


「引っ越されたおふたりはご存じないかと思いますので……1カ月前、この街で女子中学生が行方不明となっております。なるべく日が昇っているうちに戻ることをオススメします」


 行方不明……

 不意に胸の中に、10年前の事件が思い浮かんだ。

 あの事件と違うのは、1カ月になっても見つかっていないことだけど。


「お気遣いまでしてくれて、本当にありがとう。ちゃんと頭にとどめておくよ」

「ええ、お力になれて、本当に嬉しく思います」


 ワタシとマウは、紋章によって命を吹き込まれたマンション・ヴェルケーロシニの管理人さんに別れを告げ、管理人室を出た。











 マンション・ヴェルケーロシニから出ると、目の前に少し古めの建物が建っている。


 “コインスナック”と書かれた黄色の看板の下にある入り口を開けると、今の時代ではあまりみない色使いの内装が広がっていた。


 窓際にはカウンター席のイートインスペースがあり、すでにひとりのお客さんが席についてうどんをすすっていた。


「ラーメンに、うどん……!? これって、自動販売機だよね……?」


 その反対側には、数台の自販機が並べられて設置されていた。

 見たことのある飲料の自販機はもちろん、パン、ラーメン、うどんにそば……その自動販売機の外見の色合いはとても薄く、少なくとも最近設置されたものでは断じてない。


 マウは白目が出るほど目を見開いて自動販売機を眺めていたけど、しばらくすると首をかしげ始めた。


「……でも、需要あるのかなあ。なんだか、昭和っていう古い時代って感じがするし……」




「いやっ! 需要はあるっ!!」




 突然、後ろから大声が響いた。思わずマウと一緒に飛び上がっちゃった。


 後ろを振り返ると、カウンター席に座っていた男性が食器をテーブルに置いていた……


 と思うと、いきなり天井を指さした。


「確かに、紋章の発達したこの時代から見ると時代遅れかも知れない! 事実、私の愛する鳥羽差市は紋章によって栄えてきた!」


 怒鳴り声ではないけど、熱意がこもったようなこの声……


 あれ? もしかして……


 胸を押さえて記憶をたどっていると、男性は突然こちらを指さした。


「しかし!! 鳥羽差市は紋章だけではないっ!! 昔ながらの街並みを残したこの街には、今の若者だからこそとりこにする魅力が……」




 男性はワタシを指さしたまま、眼球を見開いた。

 後ろ髪が首辺りまで伸びている無造作ヘア。服装は黄色のタンクトップの上に緑色のモッズコートを着込んでいる。




「……も、もしかして、イザホかっ?」

「え? イザホ、この人と知り合い?」


 やっぱり、前から変わっていないな。この人。


 長い間会っていなかったし、ここは改めてあいさつしたほうがいいよね。

 マウのおでこに手を当てて安心させてから、ワタシは深くお辞儀をして、右手を挙げた。




「……よおおおこそおおお!!! 鳥羽差市にいいいいいい!!!」


 いきなり両手を捕まれて、激しく上下に揺さぶられた。


 ……前に会った時も思ったけど、腕が取れるんじゃないかってひやひやする。




 横を見ると、マウが呆然ぼうぜんと口を開けていた。


「……もしかして、この人がフジマルさん……私立探偵の“瓜亜 藤丸ウリア フジマル”さん?」




 フジマルさんに腕を揺さぶられながら、ワタシはマウに向かってうなずいた。

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