第8話 新生活の朝
「――イザホ、イザホ、もう朝だよ?」
まぶたを開けると、ウサギのマウがワタシの顔をのぞいていた。
服はパジャマに、頭にはナイトキャップを被っている。
電気は付いてないのに明るいから、マウの言うとおりにもう朝みたい。起きなきゃ。
体を起こした時、ふと、違和感を感じた。
「……イザホ?」
……ここ、お屋敷じゃない。ここはどこなの?
周りを見渡しても、白い壁に家具が置かれている、知らない寝室だった。
いつも目覚めたら、お屋敷にあるワタシたちの寝室だったのに……
「ねえ、イザホ……まるで知らない部屋にいるように周りを見渡しているけど……ボクたち、引っ越してきたんだよ?」
……あ、そうだった。
ワタシたちはお母さまのお屋敷から離れて、ふたり暮らしをするためにこの鳥羽差市に引っ越してきたんだった。
「それにしても、さっきからうなされているみたいな寝相だったから、つい起こしちゃったけど……もしかして、夢を見ていた?」
夢……?
そういえば、さっきの光景……人間が見る夢っていうものに近かったかな……
この鳥羽差市にやって来た直前に見た光景も、夢として考えるとしっくりくる。
ちょっと、夢の内容をマウに伝えてみようかな。
ワタシにはマウのような声帯がないから、スマホの紋章で文字を入力しないとね。
「なるほど、そういうわけか」
マウはベッドの上で、左手に埋め込んでいる自分のスマホの紋章を眺めて、納得したようにうなずいてくれた。
「昔の光景が夢の中で出てくるっていうのは、人間が見る夢でも同じ現象が起きるらしいよ。ウサギのボクだって、何度か見たことあるし」
でも確か、夢って生き物の脳の機能によるものなんだよね?
ワタシには脳がないかわりに紋章がその機能を補っているけど……
「それなんだけどさ、人格や知能の紋章を埋め込まれた物でも、少ないけど夢を見たって主張するって聞いたことがあるよ。まだ詳しい仕組みはよくわかっていないらしいけどね」
……ワタシは無意識的に、自分の左胸に手を当てていた。
10年前の事件の死体がつなぎ合わされた存在であるワタシは、
そして、この街にやって来る前までは、夢なんて一度も見たことがなかった。
あの街に入った瞬間に見た夢……あれが、初めての夢だった。
「……それよりもさ、今日、フジマルさんのところに行くんだったよね?」
マウの言葉にわれに返った。
ベッドの近くに置いていた置き時計は、7時30分を指していた。
マウの言う通り、今日はフジマルさんの事務所に9時までに行くことになっている。そろそろ準備をしないとね。
やっぱり、この街を引っ越し先にして正解だ。
確実に、なにかが分かるような、変わるような気がする。
寝室の中にあったクローゼットを開けて、ワタシとマウはパジャマを脱いでそれぞれの服を手に取った。
・クローゼットの中にある服をじっくり見てみる。
【https://kakuyomu.jp/shared_drafts/WW9bYB0dfOfVHbmm6rcP2guwzVnADcXN】
お屋敷にいたころからマウはオシャレさんで、毎日見た目を変えていた。
昨日はタキシードとシルクハットだったけど、今日は黄土色のトレンチングコートに、耳を出すための穴が空いたハンチング帽子を被っている。
なんだか、本物の探偵みたい。
一方、ワタシはいつも通りの服装。なんだか、違う服って落ち着かなくて……
影のように真っ黒なワンピースの上に、雪のような真っ白なパーカーを着せただけ。
あとは……そうそう、お気に入りのデニムマスク。これだけは欠かせないんだよね。
「ねえイザホ、この辺りに美味しいレストランってあるかなあ」
玄関でブーツのヒモを整えていたら、マウがおなかを鳴らしながら鼻を動かしていた。
これからフジマルさんの事務所に行くことになっているけど、その前に朝食を外で済ませるつもり。
本当は自炊ってものをやってみたかったけど、昨日は疲れちゃって……すぐに寝ちゃったんだよね。
「ここの管理人さんに聞いてみる?」
マウの提案に、ワタシはうなずいた。
ついでに引っ越しのあいさつもできるよね。昨日は管理人室をのぞいても誰もいなかったから。
最後に忘れ物がないか、マウと確認して、ワタシは玄関の扉を開いた。
扉の先に見えたのは、山とビルが建ち並ぶ鳥羽差市の絶景。
東から照らす太陽に照らされながら、ワタシとマウは外廊下の柵に近づいた。
マンション・ヴェルケーロシニの最上階である10階、外廊下に涼しい風が入り込む。
柵の前で一生懸命に背伸びをするマウを持ち上げて、ふたりで鳥羽差市の景色を見る。
山に囲まれた地方都市、鳥羽差市。
箱入り娘であったワタシにとって、十分に広い世界だ。
……?
マウを下ろすと、玄関の扉が開く音が聞こえてきた。
そして、ワタシの部屋である1004号室の隣、1003号室から、人が出てきた……
……!! 「……!!」
出てきたのは、黒いローブで全身を包んだ人物。
じっとこちらを見てくるその様子は、昨日、ワタシたちを裏側の世界に連れて行ったあの少女を思い出す。
…… 「……」
黒いローブの人物はじっとこちらを見ると、口を開いた。
「なあ、新しく引っ越してきた、お隣さんかい?」
そのローブの人物は男の人の声で、親しそうに話しかけてきた。
どう答えればいいんだろうと迷っていると、マウが大きな耳をローブの人物に向けていた。
「……もしかして、“ナルサ”さん!?」
……マウ、知っているの?
「こ、この人、ナルサさんだよ!!
マウがすごく、興奮している。
鼻をすごい速さで動かしながら、おなかのバックパックの紋章から……サイン色紙とサインペンを取り出した。
いつの間に入れてたの。
「あ、あ、ああ、あああ、あ、あののの」
体を震わせながらサイン色紙とサインペンを差し出すマウに対して、ローブの人物……ナルサさんは心よく会釈してそれを受け取り、何かを書き始めた。
「ま、まさかナルサさんと出会えるなんて……」
ナルサさんの名前が書かれたサイン色紙を抱きしめて、すっかりほっぺたを桃色にするマウ。
でも、ワタシは紋章ファッションデザイナーってよく分からない。どうすごいんだろう……
「あ、イザホ、もしかして戸惑ってる?」
……と思ったら、マウがいつも通りに様子をうかがってくれた。
うん。この人のこと、よくわからなくて……
「あ、あの……今日も紋章を着けているんだよね? 紋章デザイナーのこと、説明したいけど……よかったら、イザホによく見せてもらうこと……できる?」
もじもじしながら頼み込むマウに対して、ナルサさんはワタシの顔をじっと見てきた。
「イザホ……君の名前かい?」
戸惑いながらうなずくと、ナルサさんはゆっくりとフードを下ろし始めた。
「紋章ファッションデザイナー、一言で言えば……“姿の紋章”を使ったファッションを提案するデザイナーって言えばしっくりくるかな」
ナルサさんの顔は、真っ黒で、眼球の代わりに青い触覚が生えていた。
顔立ちや長い髪の毛は、女性のようだ。
姿の紋章のことならワタシも知っている。
Tシャツの形をした、埋め込んだ対象の姿を変える能力を持つ紋章だ。
衣服に付けるとその見た目を変えることができる。人間の肌に埋め込むと、その人自身の外見が変わる。
「今日は女の子のような見た目をしているけど、中身はオッサンだからな」
ナルサさんは触覚を出し入れしながら、笑みを浮かべていた。
「ナルサさんは、普段の生活でも自身の作品で身をまとっているんだ。ちなみに、今の姿は“化け物バックパッカースタイル”。今年出たばっかりの新作なんだよね」
よくわからないことを解説しているマウに対してナルサさんは「よく知っているな」と感心している。
その後、ワタシに右手を差し伸べた。
よく見ると、背中には黒いバックパックが背負われている。
「そういうわけで、オレは変なお隣さんってことになるが、懲りずに仲良くしてくれよな」
……なんだか、悪い人ではなさそう。
目が触覚なせいか、下を見ているような気がするけど、マウの知っている人だからだいじょうぶだよね。
ワタシは小さな右手でナルサさんの腕を握って、握手をすることにした。
「あ、そうだ」
ナルサさんは突然、扉の方に顔を向けた。
あの扉は……1002号室だ。
「このマンションは防音設備が整っているからだいじょうぶとは思うけど、あそこの住民はそっとしてほしい。ちょっと落ち込んでいるから」
ちょっと真面目な話になったのか、ナルサさんは肩を上げて、下ろした。
「……君の姿の紋章、なかなかいいな。ちゃんと着こなしている」
ワタシの上半身をじっと見ると「それじゃあ、またな」と階段へと立ち去って行ってしまった。
マウはまた、サイン色紙を抱きしめて、ほっぺたを桃色にしていた。
「ああ……まさか引っ越した部屋の隣が、ナルサさんの住む部屋だなんて……ねえイザホ、ボクたちの新生活の場所をここにして、やっぱり正解だったね」
うーん、なにか違うような気がするけど……
まあ、マウが喜んでいるならそれでいっか。
それにしても、ナルサさん……ワタシが姿の紋章でこの姿になっていると勘違いしているみたい。
そもそも姿の紋章は、今の技術では衣服と人間しか姿を変えることができない。それは死体であるワタシも例外じゃない。
姿の紋章が存在していなかったら、ワタシが人間じゃないってことはすぐに知られていたよね。だって、他と比べて左腕が大きくて、逆に右足が小さいから。
別に知られてもいいけど、言いふらすのもちょっとね。
さて、早く美味しいお店を管理人さんから聞きに行こう。
1004号室のカギをかけた後、ワタシはまだサイン色紙を抱きしめているマウの背中をそっとたたいた。
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