泣かない赤鬼
川谷パルテノン
伸びた枯草は風の凪いだ後もしばらく揺れていた。都からそれほど離れぬ場所にある荒地はかつて一つの村であったが二〇年前の大火によって名を失う。火元は
村の大火より十年ほど過ぎた頃、都では鬼の噂が立つようになる。その鬼の長い赤髪はまるで焔の立つが如く、またその皮膚は焼け爛れたような痕があったという。鬼はなんの躊躇いもなく人を襲い、そして殺した。そこに益などは見受けられずただ生き物の死を欲するかのようにただただ傷つけていたとされる。鬼の姿こそ噂なれどその頃に起きた殺しの皆々が鬼の仕業と怖れられ、とある僧がこれはかつてあの大火事で消えた村の怨念を背負った悪鬼であると断じたのを都の人々は真に受けて、かの村の跡地には鳥居が建立されるも誰一人足を運ぼうなどという者はなかった。
「コヨちゃん、芋洗い終わりましたでがんす」
「ありがとう市蔵くん。ゴメンね。お父ちゃん、悪い人じゃないんだけど市蔵くんのことこき使っちゃって」
「いいんですいいんです。俺なんて大したことも出来ねで飯ばご馳走なってんですから、コヨちゃんも頼まれごとばあれば何でも言ってくんなせ」
「市蔵くんが来てくれてからは大助かりよ。お母ちゃんが死んでからはお父ちゃんと二人で切り盛りしてきた店だけど市蔵くんのおかげで繁盛してるようなもんだから」
「そげなこと、照れます」
「オイ! 市! サボってねえでこっち手伝え」
「お父ちゃんは鬼ね。角が生えてんのよ。あたしには見えるもん」
「鬼ねえ。あんな優しか鬼なんていんねでげす」
「何してんだ! 早く来いつってんだろ!」
「へいへい。今すぐ行きますんで堪忍してけれさい。んじゃコヨちゃん芋さここ置いときますよってからに」
都に店を構える染仁郎とコヨ親子の元へ市蔵がやって来たのは一年前のことである。市蔵は当時働きもなくふらふらと道を彷徨っていたのを猫でも拾うかのように連れ帰ったのがコヨだった。話し方からどこぞの田舎出身と見受けられる市蔵だったが本人曰く様々な土地を放浪していたとのことで訛りが混ざり一体どこの生まれであるかはもう自分でもはっきりしないのだという。染仁郎は見窄らしく汚い恰好の市蔵を最初こそ毛嫌いしていたものの思いの外よく働くとあって直には口にしないが市蔵のことを気に入っていた。コヨはもとより弟のように市蔵を可愛がったが市蔵もまた一年と同じ地に身を置いたことはないゆえ心地よさみたいなものを覚えていた。
「お父ちゃん聞いた? 奉行所の剣術指南だった武乃様が辻斬りにあったって」
「飯時にそんな話するな」
「なんでげす? 辻斬りなんて物騒な」
「武乃様っていったらもうそれなりの爺様だったけど奉行人様の間でもたいそう腕の立つ人って話で、たとえ辻斬りだって返り討ちにされてもおかしくないのにって。相手はよっぽどの腕利きよ」
「だったら何なんだ。俺たちにゃ関係ねえ話だろ」
「そんなことないわ。そんな奴が彷徨いてるんじゃ夜道も歩けやしないじゃない」
「だったら飯食ってすぐ寝ろ! 明日も仕込みで朝が早いんだ」
「まったくお父ちゃんて若い娘のことなんてなーんにも分かってないんだから」
「夜なら俺がついていきますさかい染仁郎さんは心配なさらんでけれ」
「お前ぇにコヨ任すくらいなら俺が辻斬りを先に叩っ斬ってやらあ」
「はいはい二人ともありがとね。じゃあ先にお風呂いただきます」
「染仁郎さん」
「なんだ」
「コヨちゃん、男でもこさえたんですかね」
染仁郎が噴き出した米粒が市蔵の眼鏡に汚くへばりついた。市蔵は脳天をおもいきり殴られて頭をおさえながら蹲って悶えた。
翌朝、川べりにて死体が見つかる。仏は反物問屋の二代目で夜遊びの帰りに襲われた様子だった。腰下を境に真っ二つに両断された惨い死体から人々はいつかの鬼の仕業ではないかと噂した。
「いらっしゃいませ」
染仁郎の店にその男達が現れたのはその日のことだった。一人はたいそう悪人面した髭男で隻眼だった。もう一人は眉目秀麗な男前で店にいた女客の目を引いた。何より長い赤髪は珍しくそれだけで目立つ男だった。
「爺い! 鰻はあるか」
髭が凄んで言う。染仁郎は物怖じせずぶっきらぼうに「あいよ」と言った。鰻丼を二膳、市蔵は二人の居る席へと運んだ。
「お待たせしました」
「冷めてんじゃねえか!」
髭は運んだばかりの丼を掴んで市蔵の顔面に押しつけた。
「ちょっと何すんのよ!」
啖呵を切ったのはコヨだった。染仁郎は「よさねえか」と目配せしたがコヨは大事な働き手を愚弄されて黙ってはいられなかった。気丈な娘である。髭の胸ぐらを掴もうと手を伸ばすも逆に手首を掴まれて髭の胸元に引き寄せられてしまう。接吻寸前まで顔を寄った髭は下卑た笑い顔でコヨを睨んで「殺すぞ」と囁いた。赤髪がクスクスと笑う。
「あんのお客さん。俺の顔に付いた鰻でげすけどまんだあったけえですよ」
市蔵が顔を拭ってそう言った刹那、赤髪が腰に差していた刀を抜いて市蔵の首筋に刃をあてた。
「小僧、それ以上なめた口をきくなら薄皮で済まんぞ」
「なめてねえです。あったけえからあったけえって言ったんでがんす」
赤髪は刀を振った。それは空を切る。染仁郎が咄嗟に飛び出し市蔵を抱えてそのまま倒れ込んだのだ。
「すまんねお客さん。俺が代わりに謝りますから。コイツあちょっくら田舎者で頭も良かねえんでさ。すまんかった。もう一杯拵えるよ。あんたも娘離してやってくんねえかな」
「お父ちゃん! こんな奴ら客でもなんでも」
「お前ぇは黙ってろ! すまん、このとおりだ」
「爺さん。あんたが一番話が分かるようだな。いいこと教えてやる。随分前にこの辺りで好き放題殺しまくってた赤鬼の噂を知ってんだろ」
騒ぎの所為で店の中は男達と三人だけになっていた。
「此奴がその赤鬼さ」
髭は顎で赤髪を指した。赤髪は相変わらずニヤニヤと笑って一言も言葉を口にしなかったがその端正な顔つきのどこかに冷酷さを含んでいた。
「人を殺したくて仕方ねえのさ。だから達人だとか言われてた爺を狙ったがわけねえ。浮かれた反物屋も命乞いしてたが御陀仏よ。意味がわかるな爺い。選べ。この能無しか、娘か、どっちかを殺す」
「殺すなら俺にしろ!」
「ダメだね。爺いはもういい。さあ、さっさと選ばねえと二人とも殺すぞ!」
「染仁郎さん、気にせんでくれ」
「お父ちゃん! 何してんのよ! こんな奴ら叩っ斬っるんでしょ! お父ちゃん!」
コヨは泣き喚いた。染仁郎は歯を食いしばり呻く。
「すまねえ。市」
「ええでがんす。ありがとうね染仁郎さん。コヨちゃん」
市蔵は場違いな微笑みで二人にそう言った。染仁郎は食いしばった口元から血を垂らす。コヨは泣きながら男達を罵倒した。
「喧しい犬」
赤髪は初めて口を開くと同時にコヨの首を刎ねた。泣き腫らした顔が飛沫をあげる首元を離れ宙を舞い、ぶちまけられた米の上に落ちた。染仁郎は言葉を失った。目の前の光景は受け入れ難かった。市蔵は口角を上げたまま刎ねられたコヨの頭を見つめた。二人の男は笑いながら店を後にする。市蔵はコヨの頭を拾い上げ「痛かったね」と言った途端、染仁郎は市蔵からコヨの頭をぶんどって叫んだ。
「出て行け! 痛かっただと!? 何笑ってやがる! 気色の悪い鬼め! 今すぐ出ていきやがれ! あ、ああ、あああああ!!」
「すまねえ染仁郎さん。俺はなんも出来んで」
市蔵はそう告げると血塗れになったまま店を出た。染仁郎の悲痛な叫びだけが辺りに響いていた。
髭と赤髪は何ごともなかったかのように夜を我が物顔で歩いていた。
「あんた最高だよ。俺は生まれてからずっとあんたみたいな狂った野郎を探してたんだ。このクソみてえな世間を血で染めてくれる気狂いをよ。女を斬った時はまるで自分がやったみてえにゾクゾクしたぜ」
「お前も相当な気狂いだよ。心配するな。誰も俺には勝てん。好きなだけ楽しませてやるさ」
「お客さん」
赤髪が声に反応し刀を抜こうとした時にはもう右の手首から先は無かった。整った顔から余裕が消え失せ醜く歪んだ。
「貴様あああっ……」
すぐに終わった。髭はその間まるで人形のように固まっていた。ただの肉になった赤髪はどうやら鬼などではなかった。
「お客さん。俺はね、痛みとかわからねえんでさ。だからコヨちゃんが死んでもヘラヘラ笑って染仁郎さんを怒らせてしまいました。でもそれもなんが正しいんかも全然わからんのです」
「何言ってんだよ」
「こん人、この辺を襲ってた鬼なんでんしょ。俺、もしかしたら知り合いなんかなと思うて。だけど鬼なんかやありゃせんでした。こんな弱い鬼居ません」
「お前何もんだ」
「痛いって何なんかな。でもねコヨちゃんが死んだ時、もうこの人動かれねえんだと思ったら痛いんじゃねえでかって思ったんですよ。だからこん人にもおんなじようにしてみたけど……何だろな。全然痛くねえ」
「頼む、助けてくれ」
「お客さん。泣くってなんすかね」
「これだよ。見えない? 俺泣いてんの」
「それ痛いんすか? そうだ見てよ。こん背中の傷。これはたぶん痛かったんだと思う。まだ生まれたての赤子だったからよぐ覚えてねえけど」
「火傷、あんたまさか」
「こん人の真っ赤っかな髪の毛。苛つくんですよ。好きでやってんのか知んねえけど。こんな赤い……火みてえな」
市蔵が赤髪の顔を蹴り飛ばすとそれはそのまま捥げて堀の方へと落ち、
「お客さん、泣くの教えてくれてあんがとね。鰻丼、たしかに熱いかって言われたら熱くはなかったかもね。あれはなんていうか……あったけえなって」
市蔵は髭の亡骸の上に腰掛けて口笛を吹いた。コヨが教えてくれた唄の音色。
「コヨちゃん、この唄、泣けないけどなんかな……悲しいね」
泣かない赤鬼 川谷パルテノン @pefnk
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます